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2005年 09月 16日

日本人の特殊性(16):残心

家族との別れ、友人との別れなどの際に、いつまでも後姿を見送る日本人。特に深い訳はないのに自然とそうなります。別れの挨拶をしたらクルリと振り向いて立ち去るというのではなにかものすごく心寂しく感じてしまうのでしょう。特別な感慨がある場合は別ですが、一般に外国人の場合は日本人に比べて淡白です。

挨拶の時には、日本人は淡白であると言いましたが、別れ際に関しては外国人の方が淡白に思えてしまいます。日本人の場合、家族、友人などとの別れの際の仕草が普通の付き合いの人に対しても敬意の仕草として表れているのでしょうか。あるいは形式化、様式化しているとも言えるかも知れません。まさか、何か大事なことを忘れてないかと考えているとも思えませんが・・・

私が仕事でブラジルに1か月滞在したときに、その1か月間一緒に行動してくれたブラジル人女性のアイマラさんは、私を飛行場に見送りに来て、私の飛行機が飛び立つのを見送ってくれたそうです。機中の私にはそれを知る由もなかったのですが、後日彼女が突然マレイシアに現れたときにそれを知りました。それを知るとやっぱり嬉しいというか感謝したくなるような気分になります。

いつまでも恩を忘れない日本人、何回も世話になったことに言及しお礼を繰り返す日本人、とっても大事なことだと思いますが、世界中で一番極端だろうと思います。ところが何にでも裏返しがあるように、この性格、習慣にも弊害があるのです。

経済大国のなった日本は、現在まで多くの国際協力を行ってきており、このところ米国と1位、2位を譲り合ったりしています。日本人は日本人の心の奥にある感情をこの世界にも当てはめようとしているように見られるときがあります。この場合日本人は発展途上国に恩を与える立場で考えますから、相手が感謝して当然であるというように考えてしまう訳です。

外国に対してそのまま日本人の感情や考え方を当てはめるのは少し危険でもあり、誤解のもとにもなりかねません。イスラム世界では、富める者が貧しいものを救済することは当然という考え方もあります。もっと言えば、施しをする者が善行をすることにより天国に一層接近できる・・・ つまり善行をさせてあげた・・・ というところまでの発想があります。

仏教にもこのような考えがあり、施す側がお礼を言うという習慣でしょうか。この考えは日本にもあったはずですが、ドライになった現在あまり見かけなくなったようです。反対に施された相手にろくなお礼もいってもらえないと憤慨する人もいるかも知れません。

国際協力でもこれが当てはまります。感謝されていない国際協力という批判がしばしばなされますね。日本が多額を拠出している円借款の国際協力が批判の対象になりますが、私が不思議なのは日本人でも銀行からお金を借りた場合、果たして銀行に感謝しているでしょうか。無利子に近い借り入れと言っても感謝はしないのではないでしょうか。円借款はこれに当たるので、相手国の人々から感謝の気持ちを期待するのは難しいと思います。

円借款は外交手段としても使われるので、その使途がどうであるかは相手国政府の問題ということがあると思います。相手国政府が必要だといい、それはおかしいんじゃないかと言うことは難しいような気がしますが、その円借款による公共事業が完成した後、あまり役に立っていないじゃないかという批判が日本の新聞記事になったりしています。

日本の発展途上国への無償協力(資金供与、技術援助)などは感謝されたいという気持ちは当然起きますが、期待しても相手国の習慣によるところもあるので、日本人の感情の物差しを当てはめるのは少し難しいと思います。まぁ、日本人を喜ばせ、もっと資金や技術援助を求めたいという下心があれば、感謝の表明という戦略はあるかも知れません。

外交に長けた中国、タイ国やイスラム諸国の人々に日本人と同じ感情を期待するのは止めましょう。日本人の情感のこもった残心というのは日本人の中の美徳として大事にしておくのがいいのかも知れません。

誤解されるといけないので付け加えておきますが、外交辞令というのはどこの国にも共通なので、受益者である国の代表者が日本に対して当然だというように振舞っているということでありません。そんな人、少しはいますけど・・・
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by elderman | 2005-09-16 02:46 | えるだま雑記【案内画面】


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