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2005年 09月 07日

日本人の特殊性(8):お米

2年前のことですが、カスピ海周辺でとれる日本米が出回り、日本人会の希望メンバーに販売されるということがありました。私のゴルフ友達で62歳の方が、買ったけどお米が多過ぎるので分けてくれるというので喜んでお願いしたのですが、その彼、なかなかお米の値段を言ってくれないのです。値段が正確に記憶していないというのが理由だったのですが、2週間たっても、3週間たってもいっこうにはっきりしないのです。

10kgを分けていただいたのですが、値段は1200円程度で、1300円でもいくらでも大した違いはないのですが、支払う側としても困ってしまいました。この原因を考えると、どうやらその彼はその程度の値段のお米だからタダであげてもいいかと悩んだのではないかと思うのです。しかしお米をあげてしまうというのはいかにもお米を粗末にしているようで抵抗があったんじゃないかと思うんですよね。

その方、私のアパートでパーティをやるときにはウイスキーやらワインやらいろいろ持参してくださる方だし、彼のアパートでもパーティを開催するなど、とても気前のいい方なんです。イランでのお米の値段は非常に安いものなんですが、あげるとも言えず悶々としていたのではないかと私は推量しています。

このように日本人にとってお米というのは他の食品と違った神聖な意味をも持っているようです。他の国でお米の産地として有名なタイではお米に対して特別な思い入れがあるようには感じることはありませんでした。特別な意味を持っているのは、日本人の感性であり、親から教育された結果なのだと思われます。

戦後食料難で、米が配給だったことも大きな理由かも知れません。配給の米にありつくために米穀通帳なんてものを持っていないとお米が買えないという時期もあったのです。米が食べられないというのが直接飢えと結びつくのが日本人の思考なのでしょうか。

お米が日本人の主食であり、お米を大事にしないといけないというのは先祖代々教育され続けてきたものだと思います。江戸時代でもご飯を食べるためのおかずという概念が強かったように思えるし、米さえ食べていればいいというような時代が長く続いたように思われます。

農家の人が丹精込めて作った米だから大事にしないといけないというのは、どうも農民でない人々の発想のような気がしますが、生産をしないで米を得ていた武士階級の農民に対する姿勢の名残とも言えるのでしょうか。買って消費するならここまで神聖化はされなかったと思うのですけどね。食物を大切にするということは良いことですが、この飽食の時代にあって米の生産過剰の状況の中でも、日本人のお米に対する感覚は非常に特殊なもののように思われます。

お米がもったいないなら、それで作るお酒についても言えると思うのですが、大吟醸などとお米の芯だけしか使わないようなお酒がもてはやされているのは少し妙に感じます。捨てられる部分は何かに有効利用されるのだろうと考えているのでしょう。糠みたいな部分ですからどうしているんでしょうね。自分で捨てていないから精神衛生上問題にならないというだけなのでしょうか。

私はあまりお米の質にはこだわったことはありません。そりゃぁ美味しい白米はとっても好きですけどそれでなければ我慢できないと感じたことはないし、私が主食というのにあまり重点を置いていないからだと思います。ですからご飯を食べたいと思ったことは滅多にありません。私の関心はもっぱら副食物と飲み物の方に向いています。美味しいお米と美味しいお酒のどっちがいいかと聞かれたら迷わず美味しいお酒と答えるでしょう。
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by elderman | 2005-09-07 00:12 | えるだま雑記【案内画面】


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