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えるだま・・・世界の国から

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2007年 03月 04日

天使の都(18)

ライヨーンではレストランで食事をし、砂浜で遊んだ。サメット島というのが近くにあり、そこが綺麗だと言う。しかし残念ながらこの日はもう時間がなかった。夕方まで砂浜で遊んでバンコクに帰ることにした。バンコクから距離的には250km程度だろうと思われるから、高速道路が整備されればライヨーンはバンコクから近くなるだろう。

バンコクの渋滞は誰もが重症だと思うほどひどいものである。そこでこの時期にはバンコク周辺の高速道路整備が積極的に進められていた。市内は運河あり、古いビルありで手の付けられない状態なのだ。不要な通過交通を迂回させるしか対策がないと読んだ計画であろう。

この時代は日本がバブル経済が崩壊した後だが、タイの経済は依然として活発であった。その好景気のせいだろうバンコクの大渋滞は一層ひどいものとなった。堀井先生に言わせると、バンコクの道路はすべて魚の骨のような形をしており、それがボトルネックとなって交通渋滞が起きているというのだ。全体の走行台数は東京に比較するとまだまだ少ないとも言っていた。

バンコク市内には運河があり、未だに現役の交通手段として使われている。どうしようもない交通渋滞の解消策として計画され、建設が開始されたのが「スカイトレイン」と呼ばれる都市内新交通システムであった。一見モノレールのようであるが実際は2つの軌道を持つ車両を使う計画である。

タイの物価は安い。しかしタイ人の給料も安いのだ。私はミーに水着を買ってあげたのを機会にもっと何かを買ってあげたくなった。彼女の喜ぶ顔をみたいというだけの動機であった。彼女にはたくさん着る物があるように見えたのには一つ理由があった。日本だと四季があるので、季節に合わせた衣類を用意しなければいけないが、タイでは年中夏の気候である。つまり、一年中持っている限りの衣類のローテーションができるのだ。

タイ女性の普通の衣類は非常に安い。3000円も出せば上物が買える。ミーも女の子である、やはりいろいろほしいものがあったのだ。化粧品、衣類、バッグ、靴などなど。どれも高くないから私の懐には響かない。ミーはニコニコしてお礼を言って楽しそうに帰るのであった。

私はいろいろな交通手段に乗ってみたかった。ミーと一緒ならなんにでも乗れる。バスにも乗った。10円もしない料金には驚かされた。チャオプラヤ川の渡し舟にも乗ってみたことがある。そして今回の週末は連絡船に乗ることができた。それはサムトプラカーンの方からバンコクに向かう連絡船であった。途中で雨が降ってきたので濡れないようにビニールシートが下ろされるという一幕もあった。この船に乗っている人はすべてタイの庶民であった。

船が着くと、そこにはオープンエアーのシーフードレストランがあった。私が真っ先に発見したのはカブトガニであった。これは確か日本では天然記念物ではなかったのか、そう思いながら好奇心でそれを注文したのだ。出されたカブトガニには兜の部分全体にいっぱい大粒の卵が付着していた。茹でて味付けをしてあるのだろうが、残念ながらあまり美味しいものではなかった。それでも私は「カブトガニを食べたことがあるぞ」と、日本に帰ってから研究所の院生に自慢できるのを楽しみにできたのだった。

(つづく)

by elderman | 2007-03-04 21:00


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