えるだま・・・世界の国から

elderman.exblog.jp
ブログトップ
2005年 08月 19日

ドラキュラ伝説(ルーマニア)

吸血鬼ドラキュラのお話は、アイルランドの作家、ブラム・ストーカーのフィクションで、その舞台になったのがブラショフにあるブラン城です。フィクションですが、そこにはそれなりの歴史もある訳で、それをちょっと調べてみましょう。15世紀に実在した人物がモデルになっています。

まず、名前のドラキュラですが、そもそもはドラキュラ伯爵のモデルとなったヴラド・ツェペシュ(串刺し公)の父親が神聖ローマ帝国皇帝から受けた、竜=ドラゴンが彫られたメダルに由来しているそうです。父親はそれによってドラクルあるいはドラキュラと呼ばれ、その名が子孫の家名となったそうです。

ところが、このドラキュラのドラクというのがルーマニア語で悪魔という意味を持つため、不気味な印象を伴ったのではないかと思います。父親がそういう呼ばれ方をしたせいかどうかは分かりませんが、その息子のヴラドが敵の兵士を生身のまま串刺しにするという残虐な刑を実行し、またあらゆる拷問を考案して実行したと言われています。

ヴラドの若い頃、コンスタンチノープルに遊学中にビザンチン帝国の滅亡(1453年)に遭遇してしまい、支配者となったオスマン・トルコのメフメト二世の捕虜となったそうです。その後、許されて国へ戻り、ワラキアの支配者となりましたが、約束であったトルコへの貢納金の支払いを拒否し、スルタンから派遣された兵士を生身のまま串刺しにしたということのようです。トルコに対して特別な恨みでもあったのでしょうか。

こういう残虐非道な人物像、そして悪魔というニックネーム、さらには東ヨーロッパ全域に存在する吸血鬼伝説とが結びついて冒頭のフィクションが生まれたのだろうと思います。ともあれ、トランシルヴァニアとブラン城を一躍有名にしたフィクションですからすごいものです。

それはともかくとして、なぜヨーロッパに吸血鬼伝説が生まれたのでしょうか。その一つの理由としてペストによる黒死病などの疾病が流行した時、昏睡状態のまま埋葬された人々がいたということがあったようです。後日、掘り出してみると墓の中でもがいた跡があったため、死者が生き返ったという噂が広まったといいます。

もう一つの理由として血液の病気説もあるようです。血液のヘモグロビンを合成する機序が正常に働かないポルフィリン症は、光過敏症、皮膚・歯肉の萎縮、歯の変色(赤色)などを示すそうです。そのため、医学知識が少ない時代では伝説の元になった可能性があるそうです。

さらに、宗教説もあります。血液に重要な意味が秘められているということから、黒魔法的なものへの狂信というものも考えられます。ヴラド以外に吸血鬼のモデルになった人たちがいますが、錬金術や黒魔法に凝っていたという話が残されています。

こちらで詳しくドラキュラ伝説を紹介しております。
ドラキュラの真実!!

写真は、吸血鬼ドラキュラの舞台となったブラン城です。

(参考文献)
1.ミステリーウェブリンク http://www.crc-japan.com/index.html
2.地球の歩き方 ブルガリア ルーマニア
3.吸血鬼伝説のモデルになった人々 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shippei/kenketu2/moderu.html
4.ルーマニア政府観光局 http://www.romaniatabi.jp/
e0031500_149474.jpg

e0031500_1411146.jpg

e0031500_14123564.jpg

e0031500_14131618.jpg

[PR]

by elderman | 2005-08-19 14:14


<< えるだま・・・同名みつけちゃった!      黒の教会(ルーマニア) >>