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えるだま・・・世界の国から

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2006年 08月 15日

浦島太郎の雑記(24)怨霊

小泉首相の靖国神社参拝が盛んに報道されていますが、私には日本人の特殊性が背後にあるような気がします。それはつまり日本人の精神の中に深く根ざしている怨霊という概念です。過去の歴史をみても怨霊を恐れるという気持ちが大変強く、歴史まで動かしていると思われるからです。

そういう意味では、A級戦犯が本当に罪人であっても、日本人の感性の中では死者に罪はないという考え方があるように思えます。ある人物を罪人として永遠に葬ってしまうと、その怨霊を恐れなければならないという考え方があるように思われます。

聖徳太子、菅原道真、平将門、これらの方々は、現在では偉人として称えられていますが、これは怨霊を恐れた後世の日本人たちの扱いに起因したものだと思います。これらの人たちが滅ぼされたときには罪人であったはずなのですが、怨霊を恐れるために成仏が祈られ、その後、英雄、善神に変身するというものでしょう。

この日本人独特の考え方は、なかなか外国人には理解されないだろうと思います。善悪のはっきりしている欧米の価値観では理解は不可能なのではないでしょうか。怨霊を恐れるという精神は中国の一部に見られるようですが、基本的に多民族が闘争を繰り広げる中、怨霊など恐れずに皆殺しにしたのが一般的なやり方でしょう。

因みに、外国で皆殺しにされた民族の怨霊のために国家が滅びたなんていう話を聞いたことがありません。怨霊が幽霊になって現世に姿を現しても、言語が通じないというのでは迫力もありませんね。通訳つきの幽霊じゃぁサマにならないでしょう。イラン人も幽霊を恐れますが、外国人の幽霊にまでは考えは至らないんじゃないかな。

閑話休題、中国が日本との健全な国交を回復するために、軍国主義者を悪者にし、一般の日本国民はそうではないという筋書きを作ったことは賢明な考え方なのでしょうが、肝心の日本人がそのように心を整理できないという問題があるように思います。

また、日本人特有の責任の所在が曖昧という文化は、外国人から理解されることはないんじゃないでしょうか。第二次世界大戦では日本人全員が被害者のような・・・ これも敗戦国の悲劇なのでしょうか。この考え方も中国、韓国ではすんなりと理解されるとは思えません。

プールでの事故でも、責任が分散していて、誰も直接の責任がないというようなことも日本独特の現象のように思われます。狭い島国に住む人々の生活の知恵なのかもしれませんが、すっきりしないことが多いようです。

こういうややこしいことは政治家は説明したりはしないのでしょうねぇ。
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by elderman | 2006-08-15 08:55


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