えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 25日

古い記憶(19)小学二~三年生の頃

(野球盤)
これはテーブルゲームなのですが、たくさん売れたようです。巨人の長嶋茂雄氏をCMに起用したからだと言われていますが、友だちの家にもあり、遊んだものです。野球のルールを覚えるのに役に立つゲームだったのでしょうか。私は持っていませんでした。

(スバル360)
昭和33年にスバル360が発売になったそうで、その価格は43万円くらいだったそうです。当時大卒の初任給が1万3500円程度ですから、年間所得でも買えない値段ですね。

(TV事情)
昭和33年頃に一気にTV受像機が普及したようです。私の家はあまり早くなかったので、友だちの家に見に行っていました。5時半から6時半頃までは子供の時間ということで、みんなでわいわいTV番組を楽しんだものです。やがて我が家にもTV受像機が登場しましたが、14インチの白黒でした。カラーはあったのでしょうが、値段が高過ぎて論外でした。

CMでやっていた「リボンちゃん、リボンジュースですよ」なんていうのを覚えています。6時から6時半まで、マンガ劇場というのをやっていたと記憶しています。その後、不二家のスポンサーでポパイをやっていたと記憶しています。これは6時40分からだったのかな、ヤンボーマーボーの天気予報なんていうのが挟まっていたかも知れません。

(ディズニーランド)
金曜日の夜8時からでした。日本テレビの放送なのでプロレス中継とバッティングしていました。私はプロレス中継のないことをいつも祈るようにしていたものです。四つの国がありましたが、私は「未来の国」が死ぬほど好きでした。就学前に見た宇宙船のイメージが忘れられなかったのでしょう。プロレス中継と他の3つの国の番組がありますから、「未来の国」は滅多に見ることができませんでした。「開拓の国」の番だと、西部劇みたいなものばかりで心からがっかりしたものです。

(名犬ラッシー)
これは人気番組でした。当初の主人公はミラー少年だったそうですが、私の記憶ではジミーという名前だったような気がします。そしてその次がティミーだったと記憶しているのですけどね。ジミーの友だちが少しおデブのポーキーだったかな。

(バス通り裏)
十朱幸代、佐藤英夫だったかな、NHKの連続ドラマでした。内容はまったく覚えていません。この時期、日本の製作するTV番組の水準が低かったのかも知れません。もっぱら米国のTV番組の吹き替え版ばかり愛好していたようです。

(ローン・レンジャー)
「ハイヨー、シルバー」、白馬に乗った格好いい主人公でした。子供だった私は、もう夢中だったものです。「キモサベイ」、「インディアン嘘つかない」・・・こんな台詞を真似しながら玩具のピストルを持って遊んだものです。

(風速40メートル)
これは劇場でみた邦画です。子供の目にはこの当時の映画撮影がリアルに見えたもので、本当に怖いというかスリルを感じたものです。暴力シーンなども本当にはらはらして見ていたものです。

(パパは何でも知っている)
このTVホームドラマ、日本人の米国に対する憧れを助長したものじゃないかと思います。大きな家に住んで、自家用車を持ち、モダンなライフスタイル、大きなスパーマーケット、パーティ、オートシアターなどなど、当時の自分のライフスタイルとはずい分違ったものです。私の世代の親米家というのは、このTVドラマの影響を受けているんじゃないかと思ってしまうほどです。

米国では子供は自分の部屋で寝るのかぁ、一人で怖くないのかなぁ、なんて驚いたこともありました。このドラマの中で歌われた「ジョニー・エンジェル」♪って曲は好きでした。私は、少しおませな小学生だったのかな。(笑)
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by elderman | 2006-01-25 11:55


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