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2006年 01月 24日

呑兵衛の戯言(2)ビール

ビールというアルコール飲料は一番親しみのあるものかも知れません。大抵の人が飲めるし、アルコール度数も5%程度と低いということがその理由でしょうか。中には発泡性や苦味が苦手という人もあるでしょうが、汗をかいた後のビールの爽快感はたまらない喜びです。

呑兵衛の私は、アルコール度数5%というビールでは酔うまでにお腹が苦しくなってしまうので、ウイスキーのようなアルコール度数の高い酒を求めてしまいますが、これは体内脂肪の仕業なのでしょう。若い頃は2リットルくらい平気でしたからね。胃の後ろ側にいっぱい脂肪があってそれが胃の容量を小さくしているのだと思います。

もっとも大学生の頃、つまりアルコールを飲み始めた頃にはビールでも酔ったものです。ビアガーデンで大ジョッキを一杯飲んだら、フラフラするような感じがありました。この程度で酔えれば経済的なんですけどねぇ・・・

アルコールを飲む量については学生時代に鍛えてあるので、かなり強い方だと言えるでしょうか。もっとも日本酒、特に冷酒を飲んだときには数々の失敗をやらかしています。ビールには幸い失敗というものがつながりませんが、ビールの後に飲むものが問題なのでしょう。

私の20代の頃にはキャバレーが流行っていました。パリのキャバレーのようではなく、加藤茶がやる「○○番さ~ん、ご指名です」の世界でしたね。ホステスがいておしゃべりを楽しみながらアルコールを飲む。ショータイムを楽しんだり、ホステスのご機嫌とりで、いい気分になる。男というものは単純なもので、多額の支出にも拘わらず月に1-2回足を運んでしまいます。

キャバレーの支払いは大変高いものだったので、飲み物はビールと決まっていました。年配の人たちはウイスキーのボトルキープなどやれるのでしょうが、当然ながら私はまだ20代ですから使える額に限界がありました。当時で1万円近くはかかったと記憶しています。給料の手取りが10万円以下の時代だったと思います。

当時のビールは、キリン、サッポロ、アサヒ、それに稀にサントリーだったと思います。アサヒのスーパードライが大ヒットしたのは相当後の話しです。キリンが圧倒的に市場を占有してたように記憶しています。この頃はどこのビールがいいかなんて聞かれもしなかったように思います。ビールの味と言えばキリンビールと無条件に思っていたのかも知れません。

そういう時代では、美味しいビールというのは生ビールというのがあって、それはビアガーデンか職場のイベントで大きな金属製の樽に入ったものでしか味わえないものだったのです。その生ビールが一般の市場に登場し、キリンビールはラガーという名前が付加され、区別されました。この段階からビールは生ビールの時代に入ったようです。要するに加熱しないでアルコール発酵を止めるという技術ができた訳です。

その後サントリーがモルツという麦芽だけのビールを発売したので、ビールにもいろいろな味があるとようやく悟ったのでした。黒ビールを何かの機会に飲んだことがあったと記憶していますが、その時は美味しいものだとは思わなかったです。エビスビールというのが特別に存在していましたが、あまり店においていないので身近なものではありませんでした。

やがて日本の経済成長はピークを迎えていきます。オイルショックがあったにも拘わらず、日本は経済大国になり飽食の時代が訪れたのでした。ビールの種類も増え、自動販売機では缶ビールまで売られるようになりました。空き瓶を捨てるのが煩わしいので家に缶ビールを買っていくこともよくありました。瓶ビールに比べて割高な価格でしたけどね。

アサヒのスーパードライだけでなく、ビールの種類が増えてビール工場、一番搾り、サッポロ黒ラベルなどが続々と登場しました。そしていよいよ外国のビールが身近になって来ました。ハイネケン、バドワイザー、カールスバーグの味を知るようになったのです。

外国製のビールが入って来ても、すっかり日本のビールに馴染んでしまったものですから、大量生産の外国のビールが日本のものよりは美味しいと思うことはありませんでした。私がさらに様々なビールの味を知るようになったのは、外国旅行を始めてからのことです。なぜか初めての海外旅行だったグアムで飲んだバドワイザーの美味しさが忘れられません。日本で買って飲んでもその時の味が再現できないのです。気候の違いじゃないかと思っていますが、ビールの製造場所のせいかも知れません。
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by elderman | 2006-01-24 12:09


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