えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 11日

古い記憶(9)4-5歳

(幼稚園)
私は少しの期間しか幼稚園に通わなかったようです。結核の初期症状があったようで、自宅療養になったようです。小学生になっても低学年の時代には、体育の授業はいつも見学だったようです。幼稚園では広い板の間と昼寝用の布団を入れるところしか覚えていないようです。もちろん、バタバタ走り回ったという記憶はあります。

(蛇の目)
当時、童謡に「ジャノメでお迎え嬉しいな♪」というのがあったのですが、私には「ジャノメ」というのが傘を意味しているとはずっと分かりませんでした。母親の着ているものかなぁなんて考えてたようです。子供って音だけで単語を覚えないといけませんから、正確な意味まではなかなか分からないようです。

(股引)
子供は風の子とか言いますが、冬になると股引(モモヒキ)をはいていたようです。あんまりじっとしていないものですが、それでも少し活動が停止したりすると、一発で風邪を引いてしまうのでしょうか。股引に足袋、そんな格好をしていたようです。

(ベスト)
私の大のお気に入りに緑色をしたベストがありました。もちろん母親の手作りです。好きだった理由は、明るい緑色というだけでなく、それが単純な編み方でなくて、穴がダイアモンド形に開いているものだったからだと思います。このベスト、小さくなって着られなくなってほぐしてしまうときのことまで覚えています。暗い緑色のベストもあったのですが、何故かそちらは好きじゃなかったようであまり着ませんでした。古臭く見えるものが嫌いだったようです。

(新幹線色)
セーターにこの新幹線色というものがありました。ブルーの一種でしたが、あんまり好きではありませんでした。当時の私は色に関してかなり好き嫌いがあったようです。もっともこのセーター、色だけでなくて縁が外に丸まって来るという癖があったのでそっちの方が嫌いな理由かも知れません。このセーター、既製品だったのですが、やっぱり手作りの方がいいのかなぁ。細い毛糸のものだったので手編みではちょっとできないのでしょうけど、安物という感じはしました。

(行動範囲)
4-5歳の頃を思い出してみると、その行動範囲というのは自転車を使ったにしてもせいぜい1km程度のような気がします。それ以上遠くに行くときには誰かが一緒だったはずです。家が見えなくなると遠いと感じていたのでしょう。

(干し芋)
サツマイモの干したものが当時のおやつだったようです。火鉢で温めて食べたような気がします。大学生の頃に食べた記憶があるけど、それ以降はほとんど記憶にありません。今でもあるのでしょうか。

(茹で落花生)
茹でた落花生というものを食べたのはこの頃だったようです。生の落花生を農家の人が届けてくれたのでしょう。新鮮でないとできないのでしょう、茹でた落花生というのは滅多に食べたことがありません。ピーナツ味噌も母親が作ってくれましたが、全然甘くなかったです。味噌が塩辛すぎたのでしょうか。

(砂糖)
甘くないと言えば、この当時、砂糖というのは贈答品だったようです。つまり貴重品だったのかも知れません。ぼた餅とか食べたけど、まぁ、しょっちゅうという訳ではありません。お彼岸のときのものだったのかな。お正月にはお汁粉がありました。

(食べ物)
しかし、この頃、いったい何を食べていたのでしょうねぇ。ソーセージ、ハム、チーズ、ピザ、中華料理なんてなかったのですから、魚や野菜ばかり食べていたのでしょうかねぇ。オリエンタル即席カレーというのは昭和20年に発売されたそうですから、いくら田舎でもあったと思うのですが、何歳の時に初めて食べたか覚えていません。初めてその即席カレーの袋を見たときのことは覚えているのですが・・・ う~~ん。
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by elderman | 2006-01-11 15:56


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