えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 08日

古い記憶(6)4-5歳

(ラジオ)
この当時まだ家庭にはテレビというものはありませんでした。駅や電気屋さんで力道山のプロレス中継をやっていたというのはこの頃かも知れません。私の家にテレビが登場したのは、私が小学校4年生のときだったと思います。小学校3年生のときは友人の家にテレビを見せてもらいに行ったものです。

ですからテレビの登場するまではラジオでした。ラジオは終戦の玉音放送が流れたことでも有名ですから、かなり前からあったのでしょう。私の家にも木製の箱のラジオがあったようですが、その頃は私は幼過ぎて理解を超えていたようです。

4-5歳の頃、父親がラジオを買って来たことを覚えています。白いプラスティックの箱に入ったラジオでした。私が選局のつまみをいじっていると、回し切ったところで止まるのですが、いたずら心が出て、さらに回してみたのです。すると壊れちゃった!戻ってこないのです。その時は真っ青になりましたが、後は知らんプリ・・・ 父親は交換して来たようです。

後日私が小学校に行くようになってその構造が分かったのですが、つまみ(ダイアル)と内部が輪になった糸でつながっていて、それが外れただけだったようです。幼い子供では重大な故障を引き起こしたと考えても不思議ではないですね。

(蓄音機)
我が家には蓄音機というものがありました。手でゼンマイを巻くタイプのものです。昔は竹の針とか使ってたようですが、この頃は鉄の針でした。78回転盤だと思いますが、私が小学校に行く頃にはもう使っていませんでした。昔の歌謡曲のレコードがいっぱいあったようです。

レコードの回転が遅くなるとネジを巻くというタイプのものです。音を大きくするラッパの部分はそれほど大きくはありませんでした。家庭用のポータブルなものだったのかも知れません。

(自転車)
当時の移動手段は、徒歩か、乗り合いバスか、自転車だったでしょう。巡査をやっていた父も自転車を使っていました。小学生にもならない私の憧れは自転車に乗ることでした。そんなとき、近所の同じ歳の女の子がロッテから賞品として自転車をもらったという話が聞こえて来ました。

憧れだったものが、現実の話になって来たのです。そのせいかなかなか買ってもらえなかった自転車を父親が買って来てくれました。なかなか買ってくれなかった訳は、私の体がどんどん大きくなるというのが理由だったようです。買って来てくれた自転車は、サドルをつけていると足が地面につかないほどでした。

結局サドルを外して座布団を敷いて、自転車の練習を始めることになりました。それでも足が届かなかったようで、父親が足をつけるようにと大きな杭を地面に打ち込んでくれました。乗り始めはいいけど、止まるときはどうするんでしょうね。

当時この自転車、ずい分大きいと思ったのですが、小学三年生の体に丁度いい大きさだったようです。小学校高学年になった時にはずい分小さい自転車に見えました。

(ベークライト)
ベークライトというのは万年筆のボディの素材でした。加熱しても燃えない、溶けないというのが売りのようでしたが、そんなことが重要なんでしょうかね。結局プラスティックのボディに駆逐されてしまったようです。ベークライトには特有の臭いがあって、インクの臭いとともに懐かしい感じです。

その万年筆もいずれはボールペンにとって代わられて、今では特別な人でないと使わないでしょうね。私の幼年期では父親が仕事で書類を作成するので使っていたようです。家ではインクをつけて使うペンでもいいのでしょうが、外では使えないので万年筆が必需品だったのでしょう。
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by elderman | 2006-01-08 12:31


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