えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 07日

古い記憶(5)4-5歳

(七輪)
炊事には七輪も使われていました。秋刀魚などを焼くのには屋外の方が適していますね。七輪を使うのには木炭が必要です。そして火を点けるのに団扇も必需品です。今では焼き鳥屋さんでしか見られないかも知れませんね。

(火鉢)
冬の暖房は、炬燵と火鉢でした。石油ストーブが登場したのはずっと後だし、小学校で初めて達磨ストーブを見たものです。こちらは石炭が燃料でした。火鉢の火力の調整は残った灰を使って微妙に行います。火箸とヘラのような形のものも必需品です。なんて名前だったのでしょう、忘れてしまいました。

母親が喫煙者だったので、この当時には煙管がありました。火鉢と煙管という組み合わせは、江戸時代の名残のような感じがします。幼い私には煙草のヤニの臭いがたまらなく嫌でした。この頃は父親も喫煙者だったかも知れません。父親は結核治療を機に喫煙を辞めてしまったのです。

五徳(ごとく)と十能(じゅうのう)、これらは火鉢を使う上で必需品です。五徳は炭火の上に置いて鉄瓶などを置けるようにしたものです。十能というのは、金属製で木の柄がついたもので、炭火を運ぶものです。

(炬燵)
電気炬燵が登場したのはずっと後のことですから、当時は掘り炬燵が普通でした。私の子供の頃は練炭が使われていたのではないかと思います。練炭を火鉢に入れたこともあったかな、「ひょっとこ」という器具を使って火を点けたものです。練炭って今はもうないのかなぁ。直径15cmくらいの円筒形に黒い石炭の粉で成形してあるもので、内部に20個くらい穴が開いているものです。石炭を直接燃やすより、火が点きやすく、火力も強かったと思います。

そう言えば、炭団(たどん)というものもありました。これも石炭を粉にしてボールのように成形したものです。掘り炬燵に使う燃料、正確には思い出せません。思い出すと昔はずい分石炭製品を使っていたものです。石油(灯油)の登場は私が小学校に入ってからのようです。

(風呂)
この頃の風呂は、木製の風呂桶に薪を焚く風呂釜だったと記憶しています。小学生になった頃、燃料は石炭に変わりましたが、薪で焚いた風呂の水の柔らかかったことを思い出します。石炭で焚いた風呂は肌にピリピリと刺激がありました。

そう言えば、石炭に火を点けるとき、火吹き竹という器具を使っていました。要するに吹いて燃焼用の空気を送るだけのものですが、吹き過ぎるとこちらが酸欠で貧血症状になったものです。

(湯たんぽ)
冬、寝るときには分厚い布団をかぶったものですが、それでも足が寒いということで、使われたものが湯たんぽでした。金属製の中空のものにお湯を入れて、布製の袋を被せて布団の中に入れて足を暖めたものです。お湯が熱すぎて足に火傷をしたこともありました。

(行火)
湯たんぽを用意するのは結構手間の掛かるものです。そもそも湯たんぽの注湯口が小さいし、熱湯ですから、注意して作業を行わないといけません。もう少し便利にと登場したものが、豆炭行火(まめたんあんか)でした。豆炭というのは石炭を粉にして小さな塊にしたものです。これだと朝まで暖かかったですね。

(白金カイロ)
外出するときには、今のように「ホッカイロ」なんて便利なものはありませんから、白金カイロというものを懐にいれていたようです。私は子供だったので自分で使ったことはありませんが、母親が燃料のベンジンを入れて用意している姿を覚えています。

(足袋)
この当時には足袋を履いたものです。福助という会社が一番大きなメーカーだったと思います。底が白くて、それ以外は黒か濃紺でした。親指のところに裂け目が入っているので下駄を履くのに便利でした。足袋を履いていたからと言って、着物を着ていた訳ではありませんから、珍妙な格好に思えます。

そう言えば、農家の人や職人さんたちは地下足袋というのを履いていました。靴も下駄も履かないでそのまま地面を歩くものですが、私は一度も履いたことがありません。忍者みたいで格好いいかもね。

(寝間着)
いつからパジャマというものを着るようになったのか、よく覚えていませんが、この時代ですから寝るときは寝間着(ねまき)だったと思います。今でもそうですが、寝間着は寝ている間に肌けちゃうので困ります。じっとして寝るなんてことは今でもできませんねぇ。
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by elderman | 2006-01-07 00:03


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