えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 04日

古い記憶(3)4-5歳

さて、ここからが本題かな。4歳までの記憶はあまりにも断片過ぎて作文にもなりません。4-5歳となると大分記憶もしっかりして来るようです。

(乗り合いバス)
4歳くらいまで上総に住んでいた私の家族は再び下総の超田舎に引越しました。父親が当時警察官だったので、しょっちゅう引越しという宿命だったようです。引っ越した先は国鉄の田舎の駅からさらにバスで1時間というような超田舎でした。バスと言えば、そう、宮崎駿氏のアニメーションに出てくるような形のバスです。

(関東ローム層)
関東ローム層のせいで、バスが走ると、舗装などされていない道路です、もうもうたる土埃がたちます。私は4歳くらいですから、その土煙を見ると楽しくてしょうがありませんでした。もちろん、バスの真似をして土埃を上げるようにして歩いて遊んだことは言うまでもないでしょう。

このローム層、乾燥していると土埃で困りものですが、雨が降るともっとひどいことになります。細かい粘度質なので道はぐちゃぐちゃ、ズックの靴の生地にまで染み込んで来ます。新しいズックの靴もあっと言う間に赤茶けた古ぼけた靴になってしまいます。洗ってもとれないのだから始末が悪いものです。私が自分の靴を洗うようになったのは小学生になってからだと思いますが、当時の母親はうんざりしたことでしょう。

(菜の花畑)
ところで、その超田舎にはいいものがいっぱいありました。季節感というのが一番でしょうか。春になれば一面の菜の花畑、私の背丈以上ありました。菜の花畑に入ってしまうと1mもない身長の私は完全に隠れてしまいます。鮮烈な黄色い花と強烈な匂いが、今でも蘇ります。

(落花生)
関東ローム層には落花生が合うのでしょうか、畑にいっぱいありました。落花生の葉は暗くなると閉じるという習性があるので、私は母親に「落花生の葉っぱがネムネムしたら帰りなさい」と言われていました。最近では知らない人が多いようですが、落花生の実がどこにつくのか、もちろん知っていました。

(スイカ)
夏になると、父親が巡査のせいでしょう、農家からスイカや瓜がたくさん届けられました。台所にはスイカが10個くらい、いつもゴロゴロしていました。当時は冷蔵庫なんてありませんから、スイカを冷やすのは井戸でした。たいして冷えないのでしょうが、井戸で冷やしたスイカはとても冷たくて美味しかったことを覚えています。

(カブトムシ)
近くの雑木林にカブトムシを採りに行くこともありました。どういう訳か、一番ほしかったクワガタには一度も出会うことはありませんでした。カブトムシは夜、家の中に飛んで来ることもありました。残念ながらメスばかりで、私はいつもがっかりしたものです。

(コスモス)
秋になると家の庭にはコスモスがいっぱい咲いていました。私の背丈よりもありますから、背の高い花だという印象が強く残りました。コスモスの花については下から見上げることが多かったかも知れません。

(台風)
幼い子供には台風というものは大変怖いものです。「アラシ」、「ボーフーウ」、「タイフー」なんて音だけで覚えたものですが、中でも「タイフー」というのは怖い響きを持っていました。子供にはどうなるのかという限界が分からないものですから、自分の勝手な想像で怖がっていたように思います。それにしても板戸がガタガタ、家がミシミシという音を立てればやっぱり怖いでしょうね。

(脱穀機)
秋もたけなわ、米の収穫が始まりました。友人の農家の家では脱穀機が動いていました。発動機の輪にベルトが8の字型につけられているのを面白がって観察したことを覚えています。モミがどんどん飛んでいきます。いったいどんな構造だったのでしょうか、そして今はどうやってモミ殻を除去しているのでしょうねぇ。

(戦闘機のパイロット)
木枯らしが吹く頃、私はゼロ戦のパイロットの使うような帽子(プラスティックのメガネがついているやつ)を買ってもらいました。その嬉しさのあまり、寒い外気にも拘わらず、パイロットになったつもりで外を走り回ったものです。

ざっと思い出してもこれだけありますから、部分的なものについてはもっといっぱい思い出せることでしょう。4-5歳はまだまだ続きそうです。というか、このシリーズでは小学生になる前のことだけを書いてみたいと思っています。
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by elderman | 2006-01-04 21:43


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