人気ブログランキング | 話題のタグを見る

えるだま・・・世界の国から

elderman.exblog.jp
ブログトップ
2005年 10月 22日

天使の都(19)

いよいよ溝口専門家の任期が終わる日が近づいた。最初に溝口専門家がやったのは私と三人の秘書たちを昼食に招待することだった。研究機関がとんでもない田舎にあるので美味しいものを食べられるとしたら近くのゴルフ場しかないのだ。溝口専門家は近くにある高級なゴルフ場では全然プレーをしなかったのに、今回は大判振る舞いであった。

彼にとっては苦しい2年間だったと思う。日本人グループの中で孤立し、タイ人スタッフからも相手にされなくなったのではさすがにつらいものがある。溝口専門家は決して社交的でない訳ではないのだ。タイにいても別な世界ではちゃんといい交友関係を築いていた。別な世界と言っても怪しげな世界ではなく、タイ語の勉強を通じて輪を広げてきたらしかった。

彼がご馳走する気になったのは、2年間世話をしてくれた3人の秘書たちへの感謝であっただろう。私はおまけというところだろう。溝口専門家はお得意のタイ語で冗談を言っていた。私には分からないのだが、彼の楽しそうな表情をみているとこちらまで嬉しくなるのだった。

溝口専門家はゴルフ場、クラブハウスを借景にして何枚も写真を撮っていた。最後の記念撮影ということなのだろう。私としては長期専門家の外国での任期の終わりを始めて目の当たりにしたのだった。

研究機関が主催した溝口専門家の送別パーティは盛大なものであった。参加者は所長を始め70人くらいいたようだった。やはり彼の言っていたように最後はきれいにまとめようとするのがタイ人の気質のようだ。溝口専門家は挨拶をタイ語でこなすという離れ業をやった。私には内容は分からないが、すべて暗記だったので大したものだと思った。

送別パーティはなんか学芸会のような様相を呈していた。いろいろ出し物があって微笑ましいというか送別会でないような気すらしたのだった。タイでは外交感覚が一般の人々まで染み渡っているように感じたのは私だけではなかっただろう。

こうして溝口専門家はタイを去っていった。外国で付き合った日本人同士の絆は深い。つらい経験があった時期ならなおさらなのだと思う。彼はまたいつか外国で仕事をしたいと言っていた。彼の場合は定年退職してからでないと二度目の海外での仕事の機会はないだろうと思った。

私は一番近い仲間に去られたような感覚を持ったが、まだミーもいればリーダーもいる。私にはそれほど寂しいとは思わずにいられたことは幸いであった。

この頃私が気にし始めたのは久保専門家の目だった。ミーと私が親しく付き合っているのに気がついたようなのだ。ミーは彼が赴任した時にも親切にしてあげたようだった。ミーの親友のケーも久保専門家とは知り合いだった。しかしその後多分どこか波長が合わないのだろう、あまり付き合いはしな くなったようだった。

久保専門家の目は何かいやな目をしていた。私とミーとの関係をやっかんでいるのだろうか。私とミーには特別な関係がある訳でもないし、単に相性のいいもの同士が付き合っていると考えてくれればいいと願った。そんな雰囲気があって、私はなんとなく久保専門家とは親しくなれなかった。

(つづく)

(この小説はすべてフィクションです。もしも類似する人物、機関があったとしても本小説とは何の関わりもありません。)

by elderman | 2005-10-22 00:03


<< タイ特集(11)カオヤイ国立公園      ホーリー・シュライン(イラン) >>