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えるだま・・・世界の国から

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2005年 10月 11日

天使の都(1)

10月10日、10時40分発バンコク行きタイ航空641便は静かに成田空港を飛び立った。私の名前は花井拓馬といい、京都大学の衛生工学部内にある研究所で働いている。大学教授と言っても大学の教壇にほとんど立つことはなく、集中講義以外は院生の研究指導が仕事である。

私がバンコクに出張で行くのはこれで2回目である。出張と言っても3か月に及ぶものなので滞在に近い。前回のバンコク、当時私は42歳でまだ助教授だった。この時のバンコクでの仕事もやはり3か月の滞在であった。観光旅行でインドネシアのバリ島へは行ったことがあったが、東南アジアへの出張は初めてだった。当時の私はタイという国には奇妙な踊りと衣装、そして南国のエキゾチックな雰囲気を漠然と抱いていた。

5年前のことだ。初めてバンコクのドンムアン空港に降り立った時は、その蒸し暑さと不思議な香りを真っ先に味わった。10月20日のことだった。飛行機が着いたのはもう夕方であり、空に黒い雲が現れていた。日本から持ってきた荷物と仕事で必要な機材を引き取ると、空港の出口で待ってるはずの日本人スタッフを探した。

タイ政府に日本から大型の予算で無償供与された研究機関への技術移転が私の仕事だ。その場所は飛行場よりさらに北に位置していると聞いていた。そのプロジェクトが開始されてから既に3年が経過していた。飛行場にはそのプロジェクトチームの調整員の福島さんが来ていた。福島調整員とは面識がなかったが、ちゃんと看板を持っていてくれたのでみつけるのはたやすかった。

運転手のソムチャイは車を職場の方向ではなく、反対方向のバンコクに向けてトヨタ・ランドクルーザーを運転した。この日は長期滞在用のホテルにチェック・インして終わりということらしい。この頃はまだ飛行場とバンコクを結ぶ高速道路は開通しておらず、車は一般道路を走った。私は有名なバンコクの大渋滞を初日から味わうことになった。

しかも悪いことにすごい雷雨であった。まだ夕方なのに真っ暗である。こういう雨はスコールと呼ぶべきものだろう。道路の水はけが間に合わなくなり、路上に水が溢れ出てきた。やがて車は渋滞どころでなく完全に停止してしまった。このまま水が車の床まで達するとは思えないが、ぴたりと止まったまま動けないのには困ったものだ。雷鳴がすごく喧しい。こんなに大きな雷鳴を日本では聴いたことがなかったくらいだ。

動かない車の中で私は福島さんと話をしたが、福島さんの言動が少し変っていることに気がついた。まるで女性の話方なのである。きっと彼が女性の多い家庭で育ってそうなったのかも知れないと私は考えた。やることをやっていれば本人の癖など気にすることはない。ソムチャイは冗談が好きなようでだ。まだ若いせいかも知れないが、大して上手くない英語でしゃべっている。福島調整員も私もソムチャイの大して面白くない冗談に合わせていた。

ランドクルーザーがホテルに着いた時は、飛行場を出て既に2時間近くかかっていた。福島さんによれば普段なら45分程度で行けるという話だった。ホテルはペッブリ通りのソイ15にあった。ソイというのは路地と言う意味のタイ語であった。この時私はまだタイ語のいろはも知らなかったのである。

ホテルの名前は「セントラル・ホテル」、長期滞在者用のホテルであった。このホテルを拠点に3か月に及ぶバンコク滞在が始まった。

(つづく)

(この小説はすべてフィクションです。もしも類似する人物、機関があったとしても本小説とは何の関わりもありません。)

by elderman | 2005-10-11 23:03


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