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2005年 09月 26日

日本人の特殊性(24):ディベート

日本人の苦手なものとしてディベート(討論)があると思います。日本人の場合、議論に熱が入り過ぎるのか、感情が出て来てしまうのか、論争の果てに感情的「しこり」が残ってしまうのでしょう。政治の世界ではこれを避けるために裏工作が行われ首相候補が知らない間に絞られたりしています。肝心の国民にはどの議員がどういう主張を持っているのか分からないままにいつの間にか首相が決まっているということになりますね。

お隣の韓国人はこのディベートは得意なようです。議論になるとかなり過激な論調で主張を繰り広げます。ところがその過激と思われる議論の後で、彼ら意外にケロリとしているのです。感情を引きずらないんですね。思う存分議論して、主張が通っても通らなくても、討論が終わればいつもの通りという感じです。これは慣れると案外気持ちのいいものです。

日本人同士では「まあまあ」や「なあなあ」ということで、できるだけ感情の衝突を避けようとするので、結局争点や論点がはっきりしないままに結論が出されてしまう傾向が強いようです。円満解決を旨とする生活の知恵なのでしょうが、国際化、グローバリゼーションの中では分かりにくいものとなるし、日本以外のところでは通用しない方法とも言えるでしょう。

一方日本でのTVなどで政治討論会が行われていますが、いつも思うのですが、出席議員は自分の主張をするだけでいつも一方通行ですね。これは明らかに討論ではなく主張会でしかないですね。進行役は視聴者にどのように映るかを想定しながら進行させているようですが、問題が起きるのはその場ではなくて、後日発言した内容が嘘として発覚するような場合に限られるようです。

政治家の虚虚実実の駆け引きはTVで放映されない世界で行われているので国民に見えないのは当然ですが、果たしてこのような政治を繰り広げていていいのでしょうかねぇ。国会での質問だって、質問者から事前に内容が提出され、答弁書が事前に準備されるので、スムースな議事進行ができるので、決して八百長ではないのですが、野党の爆弾質問のようなものでもこのルールに則っているので、見ている方はなんだか白けてしまいます。

与党側の答弁書の多くは官僚たちによって用意されます。これだから日本の政治家は怠慢だとも言われ、官僚に牛耳られたりするのでしょう。官僚批判をし、政治家による政治なんて騒いでいるけど、そもそもは自らの不勉強、怠慢が招いたことではないかと思えて仕方がありません。

日本人の心の奥底には、現実世界では清濁併せ呑むということを肯定する気持ちがあるようです。衛生面では潔癖な日本人ですが、精神面では潔癖さを未熟さと同じように見做しているような価値観を感じます。民主主義の進んでいるヨーロッパの国々ではこの辺はかなり違うように思われます。政治の未熟さは、「暴力などの圧力で動く」、「お金の力で動く」の順らしいですが、日本も米国もどうやらまだ「お金で動く」の段階にいるようです。

政治にはお金がかかると言われますが、ではそれをどうやって回収しているんでしょうね。損してまで政治家をやっている議員ってのはそうはいないのではないでしょうか。ディベートにより個々の政治家の主張が明瞭になるということがないから、世襲議員が登場するのだとも思えます。確かに政治家という親の影響はあるでしょうが、いったいどういう価値観でどういう主張を持った人かも分からずに当選していくものですね。まったく知らない人よりましというだけの選択基準だとすれば日本の政治は幼稚園レベルなのかも知れません。

米国の大統領選挙の方法がベストかどうかは分かりませんが、候補者がそれぞれの主張をしてそれから候補者が絞られていくという姿は少なくとも日本よりは進んでいると思われます。もっともどこかの州知事選挙では有名なアクション俳優が当選したりしているので、米国の選挙というのもいろいろ問題がありそうです。

今、学校教育の中でディベートを取り入れようとしているようです。これから若い世代の人々が堂々と主義主張を繰り広げられるようになるといいと思います。明治時代の文壇、歌壇では文芸批判が活発だったのですが、そういう文化はどこへ行ったのでしょうかねぇ。
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by elderman | 2005-09-26 09:52 | えるだま雑記【案内画面】


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