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2007年 07月 30日

国際協力の現場(6)再び国際協力機構

話があちこちに飛んでいますが、これまで書いてきたことは、現在の国際協力機構(JICA)の業務がコンサルタント契約にシフトして来ているということを言いたかったからです。独立法人になってから大きく変わったJICAです。責任を持って仕事をするという聞こえのいい表現で現在仕事を遂行していますが、本部をみても現地の事務所をみても責任を取れるほどの人材的に能力があるのか、大いに疑問のあるところです。

日本で一番大きな組織は、国であり地方公共団体です。国の外交の窓口である外務省から分離独立したような形のせいで、JICAはもともと専門技術という点で実力のない組織ですから、頼りはコンサルタント会社ということになってしまいます。コンサルタントが事前調査をしてコンサルタントがプロジェクトを遂行するなんて構造に変化しつつあります。

JICA側からの反論としては、今でも関係省庁の指導監督を受けているという話があるかも知れませんが、責任があるないで仕事に対する姿勢は違っているはずです。ま、そんな言い訳はしないでしょうね、実力がないと自ら認めるようなものでしょうから。

JICA自身が勉強して人材を育てるのは大いに結構ですが、できることとできないことがあるのはないでしょうか。複雑多岐にわたる技術移転のすべてをカバーできるだけの人材がないことは明瞭なことなのに困ったことです。しかも、現場主義なんて言い出したから、現場はもっと大変です。職員数の少ない中で、次から次へと新しい技術移転の分野の勉強をしなければならなくなっています。

成果主義の下で、失敗を恐れるということも弊害としてあるでしょう。相手国の体制そのものが不安定ということもあるのですから、ODAは相手国政府に対する国際協力なので失敗はつきもののはずです。失敗もあると胸を張って言えないはずはありません。こういうのは税金の無駄遣いとは言わないのではないでしょうか。

個人的には、JICAの組織変えは改悪だったと考えています。外務省を頂点にして、国、地方公共団体の力を借りて、技術移転をするのが本来だと考えています。大きな仕事をしているのですから、責任は外務省なり担当省庁が持てばいいのです。JICAで全部を背負う必要はないと思います。

現在のコンサルタント契約にシフトして来ているのには大きな危険性があると考えています。まず、決定的なことですが、コンサルタント会社は利益のためだけにしか動かないということです。仕事をやってもらうためにTOR(仕様書)でガチガチに縛ってしまいますが、その結果、現地では仕様書どおりのことをやってさっさと引き上げてしまいます。相手国にとって何がもっと役に立つのか、そんなことを考えるはずがありません。

さっさと引き上げると書きましたが、これはコンサルタント会社の意志ではなく、企画段階で長期間の滞在では経費が掛かるので、どうしても現地での滞在期間を短くするという企画になってしまいます。長期間にした場合、全体の経費がかさむので他社との競争に勝てなくなってしまいます。こういうやり方では、JICAは自分で自分の首を絞めているという見方もできる訳です。

そして、肝心の相手国の政府職員の見方ですが、JICAが雇ったコンサルタント会社だから自分たちも使えるという発想すら持っているのです。これが技術移転でしょうか、日本の経験を活かし、一緒になって考え、必要な技術を移転するという趣旨とは大きくかけ離れていると思います。

建前上、軍隊のない日本ですから、ODAは外交の有効な一手段だと思います。外務省にとって、ODAの実行部隊のJICAを独立法人にしてしまうというのはメリットがないものと考えます。そういう外交絡みのものは、今でもJICAを通じて実行可能という話がありそうですが、それなら独立法人というのはどういうことかという疑問が生じて来ます。

JICAはもともと国の組織ではありませんでした。それを独立法人にする意味があったのか、大いに疑問です。強いて合理的な理由をみつけるとすると、事業規模の縮小のためでしょうか。これは大変皮肉な見方ですが、JICAの活動内容いかんでは現実にそうならないとは言えないでしょう。

しかし、日本では実感のない景気回復のせいでODAには依然として批判的な意見が多いと思いますが、国際的な潮流の中では、日本からの援助はさらに求められているはずです。

現地に行って、与えられた仕事だけをさっさとこなして帰って来るというような国際協力ならば、縮小してしまえばいいとすら思います。また、現在やっているような技術までお金で買えるということなら、技術援助などしなくても資金援助をすればいいとしたものでしょう。こういう本質的な矛盾を持っていることを気がつかない方がおかしいと思います。

JICAがこのまま進むのであるなら、外務省の中に純粋なODA遂行機関を組織したらいかがなものでしょうか。

(おわり)
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by elderman | 2007-07-30 01:54 | えるだまの観察
2007年 07月 29日

国際協力の現場(5)専門家と現場

国際協力の場で活躍する専門家にはいろいろな種類があります。特定の技術移転のためだけに派遣された人、広範囲な行政的・技術的アドバイスをするために派遣された人というように性格も違っています。

ただ言えることは、専門家というのは直接相手国の人たちと接して仕事をしているということがあります。なぜこんなことを言ったかというと、一般的に外務省やJICAの職員というのは、外国でその国の人たちの中で仕事をやっていると思われがちだからです。

現実はそうでもないのです。そういう組織の人たちは、どちらかというと日本を向いて仕事をしていると言っても間違いではないと思います。もちろん、会議や打ち合わせという場で現地の人たちと接することはあるでしょうが、専門家が現地の人たちと接している時間に比べたら比較にもなりません。

ですから、国際協力の最前線にいる人が専門家であり、また別な分野で活躍している海外青年協力隊ということになります。この協力隊については、ボランティアベースなので今回は触れません。今回は、専門家の話ということで絞らせていただきます。

私は、どちらかというと行政的・技術的アドバイスを求められて派遣されるタイプの専門家でした。派遣前によく訊かれたことがあります。「あなたは任国でどんな技術移転をして来る予定ですか?」という質問です。私は、「行ってみないと分かりません」という答しか普通はしませんでした。

私の答えははなはだ無責任のように聞こえるでしょうが、むしろ私はこの点を強調したいと思います。現地に入って、何が必要で、どのように技術移転をしたらいいかを考えて、それから業務計画を作成するというのが本筋だと考えています。

専門家が任国政府に行くと、いろいろな問題に直面します。最悪なのは、前任者が要請したのであって今は必要ないとか、どうして要請書が出されたのか分からないとか、要請した分野とは違う専門家が派遣されたとか、技術移転の直接の相手となるC/Pが不在であるとか、所属先がまだ決まっていないとか・・・ 当初からこんな問題はいくらでもあります。

これらの原因にはいろいろあります。相手国の人事異動、日本側の調査不足、受け入れ側の体制の不備、日本側の対応に時間が掛かったので忘れられた、などなど。派遣された専門家にとっては原因を追究しても仕方のないことです。もしも、受け入れ体制がしっかりしていて、なすべきことが明確であるというケースだったら、これは幸運というべきでしょう。

相手国からすると日本側のアクションが遅過ぎるというのが大きな問題になります。要請書が提出されて専門家の派遣が実現するには、少なくとも1、2年以上は掛かっています。日本側もこれは承知していて、「日本の国際協力は動き出すまでには時間が掛かりますが、大きな仕事でも動き出したら着実に遂行されます」と説明しているくらいです。

派遣当初の実態を説明しましたが、結果的には紆余曲折しながらもなんとか業務が開始されることになります。業務計画はこうして少し先が見えた段階で作成され、実行に移されるものです。ですから、専門家が派遣前に現地でどうするつもりなのか、具体的に答えることは不可能に近いものでしょう。

専門家のC/Pというのは、かなり地位の高い人になります。課長、部長、局長、それは派遣される専門家のレベルにもよるでしょう。いずれにしても、高い地位の人というのは、会議への出席が多く、専門家と直接話をする時間すら限られているものです。

他の専門家がどうしているのか詳しくは分かりませんが、私の場合はC/Pの部下に対する研修・教育を行うことを主要な技術移転項目にしました。C/Pとは対等に議論し、その部下たちには技術移転を直接行うというパターンです。

専門家とC/Pとの人間関係は大変重要です。これがまずいと専門家は何もできないことになります。C/Pというのは、そのくらい重要な存在です。それが最初から不在というようなケースでは専門家は途方に暮れるしかありません。こういう最悪ケースを、幸い私は経験していませんが、同じ国に派遣された専門家からそういう話を聞いたことがあります。

JICAの制度の中で、いいものの一つにC/P研修というものがあります。これは実際にC/Pを日本に招き、日本で研修を受けてもらうというものです。前述したようにC/Pというのは地位が高いので、日本にいられる期間はせいぜい2週間、人によっては1週間程度です。

私は、このC/P研修期間と自分の一時帰国の期間を合わせ、日本に来ているC/Pの面倒をみるという方針を持っていました。そうしないで日本にC/Pだけを送り込む専門家もありますが、この場合はよほど受け入れ機関がしっかりしているのでしょう。

C/Pが日本にいる間、研修に同行することもありますが、一番の問題は休日です。休日、単身で来日しているC/Pを誰かが面倒みないといけないでしょう。私の場合は、家族総動員で対応しました。仕事以外の時間で個人的なつながりが深まるという意味があります。C/Pは業務遂行上大変重要ですから、C/P研修後、仕事にいい影響が出ることが多いと思います。

(つづく)

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by elderman | 2007-07-29 08:57 | えるだまの観察
2007年 07月 28日

国際協力の現場(4)JICA事務所

現場主義といっても現地JICA事務所にすべての権限が移譲された訳ではありません。予算獲得の時期になれば、本部との折衝があります。本部に対する関係省庁からのアドバイスもあります。となると、専門家としても直接関係省庁と連絡を取るということになり、話がますます複雑化してしまいます。現場主義というキャッチフレーズ、スローガンですが、現実は必ずしも単純には機能しないものです。

現場主義に関してもう一つ不合理なことを挙げましょう。JICAには、専門家などに対する福利厚生というかさまざまな規定がありますが、いろいろなケースがあってJICA事務所の担当者は頭を痛めることが多いようです。日常業務のある中、個別に専門家から問い合わせのある特殊なケースの扱いについて調べたりすることは結構時間の掛かるものです。

このケースなどの場合、今ではインターネットなどで自由に通信できるのですから、本部にその分野に精通した職員がいて、適切にかつ迅速に処理することは十分可能だし、むしろ現場で対応するより効率的だと考えられます。

JICA事務所で問題だと思うことの一つに現地スタッフのリクルートの問題があります。JICAのポリシーは、まず安いこと、安くていい人材を探すことです。相手国の人件費の相場からみてもかなり低い金額でサラリーを抑えます。これでは、能力のある人材が集まりそうもないという水準です。実際、面接に現れるのは、ほとんど英語を話せない人たちです。

それでも、どういう事情かは分かりませんが、大勢の候補者の中から少しはまともな人材をみつけることはできるでしょう。そして採用になります。少ないサラリーに応募した人ですから、それなりのキャリアのはず、一から教えないといけないでしょう。

問題は、その後に出て来ます。こういう安く採用された人材が、JICA事務所で10年以上働くことになると、その給料は現地水準よりも大分高給になって行きます。外務省の規定を準用しているのでしょうが、毎年定期的な昇給があることがその理由です。こういうのは国によって変えるとか柔軟な対応がとれないものでしょうかねぇ。

そもそも大した人材を雇っていないのに、それが10年以上も働いていれば、高給取りになって行きます。こうなれば能力が不足しているといって辞めさせたくても、当事者が辞めるはずがありません。JICAのリクルートの方法、結果的に安い買い物なのかどうか大いに疑問です。

むしろ定期昇給をできるだけ抑えて、初任給を高目に設定すれば、いい人材を獲得でき、年数が経って昇給が悪いということになれば退職するかも知れません。外国で転職はかなり自由なのが一般的ですが、外国でも日本の終身雇用の制度を運用しているようで、腑に落ちないところです。

もしも、10年働いた優秀な現地スタッフが辞めてしまえば、また若い優秀な人材を高給で雇えばいいだけのことです。現地スタッフについて、日本人と同じように扱うべき、現地の人たちと同程度の給与水準を保つべきという二つの考え方があるので、解決策は簡単なことではないでしょうけどね。

JICA事務所には、他に問題点と言えば問題点といえるものがあります。イスラム圏では、木曜日・金曜日が休日になるので、日本と連絡を取り合えるのは月曜日から水曜日までの3日間しかありません。これは問題点と言っても、解決しようのない問題ですから仕方がないですね。JICA本部のイスラム圏担当部局は、休日を木曜日・金曜日にするとかすればいいのかな。外務省、大使館が一緒でないと意味がないですけどね。

(つづく)

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by elderman | 2007-07-28 00:05 | えるだまの観察
2007年 07月 27日

国際協力の現場(3)国際協力機構

私は現状のJICAに失望してしまったので、もはやJICA専門家の道を進もうとは考えていません。ですから、これまで言えなかったことなども含めて、日本のあるべき国際協力という視点で考えていきたいと思います。

JICAという組織は大変素直な組織だと思います。前政権の指示どおり素直に変身してしまったのですから、驚いてしまいます。改革、改革の掛け声で、これまでの実績を正当に評価しないまま組織改革が進んでしまったものと思います。

その結果、前政権の好きだった短いキャッチフレーズを使い、「成果主義」、「現場主義」という響きのよい方針を掲げ、ホ○○モンのごとくお金で技術も買えるというやり方で新しい業務を開始したのです。技術がお金で買えるのなら、開発途上国にお金を上げた方が早いと思いますけどね。

「成果主義」、「現場主義」の問題点については、これまでに 「国際協力について」という記事で再三述べていますので、ここでは改めて触れることはいたしません。

現在のJICAは、基本的に公示、公募によりプロジェクトチームや専門家を募集しています。独立行政法人になって、これはJICA職員にとっては気持ちのいいことだろうと思います。まさにお金を使って技術を買うという作業そのものです。そのお金は、紛れもなく国家予算から来るものです。

外務省の下部機関としてのJICA時代は、そうはいきませんでした。責任の主体は、外務省あるいは関係省庁にあったからです。独立法人となった今、自分のところで予算を持ち、それを自ら運用できるのですから気持ちのいいのは当然でしょう。

問題は、予算の運用に際してその内容に精通する人材に不足しているということです。技術移転のすべての分野を網羅できるだけの人材を持てるはずがありません。また持つとしたら、どれくらいの職員数になるか見当もつきません。これまでは、国の巨大な行政組織を通じて必要な部局に協力をお願いできたから効率が良かったのです。必要のない分野には声を掛ける必要はありませんからね。

したがって、JICAの予算の獲得、執行に際して、裏で動いているのが国際協力分野におけるコンサルタント会社ということになります。企画段階からコンサルタント会社が動き、JICAに資料を提供します。そして、それがコンサルタント会社に発注され、業務が遂行される。この構造っておかしいと思いませんか。

実際の話、以前のJICAでは専門家活動の内容について一生懸命学ぶ職員は少なかったように思います。責任がないからと言えばそれまでなのですが、専門分野がいろいろあって担当者はとてもそこまでは追従できなかったというのが本音のはずです。専門家のレポートを読んでいたのはJICAの職員ではなく、責任のある関係省庁の担当部署でした。

以前、私が提出したレポートをJICAの担当者が読んでいないということを知り、それを詰ったら、「いろいろな専門家の面倒をみているのでそこまでみている時間はない」なんて叱られたことがあります。担当している専門家のレポートも読まないという怠慢を居直ってしまう担当者には呆れたものです。その御仁、麻雀が大好きだそうで、そちらには大変熱心なご様子でした。

このような実態があるから、JICAに責任を持たせたいという気持ちは分かります。しかし、問題は責任を持たせても、それができるかどうかということです。職員数を二倍にしたら、かなり成果は上がるでしょう。でも、これは今の日本政府の目指す方向として逆行です。現実的ではありません。つまり、そうしなければ本来的な機能ができないということは、改革が改悪になった典型的な例だと思います。

また別な話ですが、専門家として、相手国政府の中に行政アドバイザーとして派遣される場合があります。この場合の専門家は、コンサルタント会社の技術者という訳にはいきません。現職の公務員か公務員経験者が専門家に当てられます。この部分については、現在でも関係省庁の協力を得て仕事が進められているはずです。

現在、公務員の天下りが制限されている状況下でこの専門家としての派遣というのは人事担当部局にとっては美味しい話だろうと思います。後2年間外国で仕事するか、今退職するかを迫れるからです。国家公務員のエリートの方々は大変頭のいい方が揃っていますので、国際協力における業務遂行には心配はないでしょうが、ポスト化するというのは問題だろうと思います。

(つづく)

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by elderman | 2007-07-27 00:14 | えるだまの観察
2007年 07月 26日

国際協力の現場(2)専門家はどこに

国際協力の現場で働く専門家ですが、そのような専門家はどこにいるのでしょうか。開発途上国の需要に合わせた専門家ということですから、相手国政府に対して技術移転できる人が専門家と呼ばれるべきでしょう。測定機材や分析機材を使う専門家を例に挙げれば、機器メーカーの技術者でないことは明らかでしょう。機材を活かすことのできる行政経験を持つ専門家が相応しいものと考えられます。

行政経験というと公務員を指すことになりますが、公務員と専門家という言葉とでは少し違和感があるかも知れません。公務員というと頻繁な人事異動の中で行政実務をこなす人というイメージでしょうか。でも、公務員の中にも研究機関に勤務する人もいますから、専門性の高い職種もあります。

本質的には、需要に合わせて最適な人材を官民を問わず探して派遣するというのが、もっとも望ましいことでしょう。現実には、そういう人がいても所属先が派遣に協力的でないという場合が多いのですけどね。優秀であればあるほど難しいというジレンマもあります。

少し脱線するかも知れませんが、公務員と専門性について触れておきたいと思います。公務員の特に技術系でも、ある課題に関して専門であるということはまずありません。しかし、国でも地方公共団体でも、問題のあるテーマに関しては大学教授などの学識経験者から構成される専門員会なるものを組織して、効率的に情報収集を行うことができます。これは役所の持つ公共性という大きな力だと思います。民間では、相当な報酬を用意しないとそんなことはできないでしょう。

ですから、公務員でもそのような仕事を担当した職員は相当な専門性を有する人材に育つものです。しかも、行政の人間ですから研究一筋というのとは違います。こういう人材は、まさに国際協力の専門家として相応しいものと考えられます。ただ、そういう人材が派遣できるかどうかという別な問題があります。所属組織が認めなければ専門家としての派遣はありません。

一方、国でも地方でも技術的な仕事を民間コンサルタント会社に委託して進めるということがあります。そういう仕事を請け負うコンサルタント会社の人たちは、自分たちこそ専門性があると自負していることと思います。実際、多くの技術的仕事がこういうコンサルタント会社によって進められています。行政はその結果を利用するということになります。

ちょっとここで、私の個人的な意見を述べたいと思います。日本のコンサルタント会社の地位はどうしてこれほど低いのでしょうか。常々疑問に思っています。医者、弁護士に匹敵するような特殊技術、能力を発揮して仕事をする割には、お金で雇われているという扱いを受けています。私の言いたいのは、この点ではなくて、むしろそのせいか日本のコンサルタント会社は卑屈になってしまっているように見受けられるということです。

国はともかく、地方公共団体ではコンサルタント会社の担当者の方が学歴が高いということは普通に見られることです。それでも、お金を払う方が偉いという昔からの概念のまま扱われているのがコンサルタント会社ではないかと思ってしまいます。私は役人時代、コンサルタントの会社のスタッフであっても能力のある人にはそれなりの敬意を払って対応してきたつもりです。

健全なコンサルタント会社もありますが、国際協力の仕事の中でも、頻繁に談合やら不正を行って指名停止処分を受けているコンサルタント会社のいかに多いことか。これが、私の言う卑屈になってしまっているという結果です。今はお金の世の中、私がそんなことを言っても、何も変わらないかも知れませんけどね。

コンサルタント会社にもピンからキリまでありますが、国際協力分野にも需要に合わせていろいろなコンサルタント会社が存在しています。ゼネコン並みの大規模なコンサルタント会社もあるかと思えば、一匹狼のような人もいます。逆に言えば、儲けになる話があれば、必ずコンサルタント会社があると言っても過言ではないでしょう。

民間としてコンサルタント会社ではなく、大手企業などにいる技術者について触れませんでしたが、もちろん専門家として相応しい人たちが大勢います。ただ問題なのは、第一線で働く民間の技術者が国際協力に参加してくれるかどうかということがあります。本人にその気があったとしても、会社での仕事がありますから、現実問題としてかなり難しいといえます。

現実的には、専門家として相応しい能力を持った方が会社を定年退職され、フリーになったときがチャンスといえるでしょう。こういう形で国際協力に入られ、エネルギッシュに活躍されている方々を多く存じ上げております。

(つづく)

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by elderman | 2007-07-26 00:05 | えるだまの観察
2007年 07月 25日

国際協力の現場(1)相手国の事情

国際会議において、開発途上国であっても、その国の大臣や局長の堂々たる説明を聞いていると、それなら日本からの国際協力なんて不要じゃないかって思いたくなってしまいます。日本人はどちらかというと、そういう席でのスピーチが苦手ですから、メモすら見ないで朗々と説明するのを見ていると一層立派に思えてしまいます。

国際会議ですから、「そんなことを言ったって、実際には信頼できる測定データすら持ってないじゃないか」なんて本当のことを言う人はいません。この部分が開発途上国のウィークポイントなんですけどね。では、どうやって日本への技術援助が求められるのでしょうか。その辺から、お話しして行きたいと思います。

言い方は悪いですが、どんな開発途上国でもプライドや自信は強いものです。「ないのはお金だけ」というのが偽りのない気持ちでしょう。経済大国でかつ技術立国である日本側としては、開発途上国の頼りない技術力に対して技術援助を行うことは積極的なのですが、本音での話はなかなかできるものではありません。

もちろん、公式の場所でなければ、大臣や局長クラスの人たちも本音を話してくれますが、それでもそれがオープンになるのは困るとしたものでしょう。となると、客観的な数値などが意味を持って来ます。例えば、測定装置や分析装置などの台数ですね。ちゃんとやっているけど、不足しているという筋書きが必要になるという訳です。

必要な技術援助は惜しまない日本側ですが、要請を受けたからと言って、100%要請に応えることができるとは限りません。開発途上国の経済状態に応じて、対応が変わります。最貧国に近いランクの国に対しては、建物と機材、それからプロジェクトチームと専門家の派遣を行うでしょう。もうちょっと開発の進んだ国の場合は、建物は相手国の負担とし、日本側は機材とプロジェクトチームを派遣するということになるでしょう。先進国に追いつきそうな国に対しては、機材の供与はできないので、専門家派遣という技術援助なら協力しましょうということになるかも知れません。

日本側の技術援助はそんなものですが、開発途上国の人たちの一般的な考えはどうでしょうか。日本側の技術援助を受けたことのある組織だと、かなり日本の援助システムを知っているようですが、一般的に要請手続きなどについてはそれほどは知られていないと思います。

日本政府に対する要請書は、唐突に現地の大使館に上げられる例というのは少ないと思います。話が形になるまで、両国の担当者レベルの折衝があり、大きな案件については日本側もチームを作って臨むことになります。

では、折衝に入るもっと前の段階はどうでしょうか。日本へ技術援助を要請するという根っこの部分のことです。開発途上国には、「ないのはお金だけ」という発想がありますから、まずは日本に対して資金面での援助を期待しているはずです。資金の調達なら、ワールドバンク、アジア開発銀行、国際協力銀行などがありますが、そこを頼るにはかなり高位での意思決定が必要ですし、審査もあります。しかも、返済しなければなりませんから大変な話です。石油資源のある国なら、比較的簡単に話を進めることができるでしょうが、普通の開発途上国では簡単ではないと思います。

そこで、日本側と話を進めるうちに資金援助ではなく、機材提供を伴った技術移転という方向に話は向かっていくことになるでしょう。日本側からの提案は、機材と専門家派遣というセットになります。機材だけ渡しても使えないのではしょうがありません。

なぜ、このところを強調したかと言うと、相手側の気持ちと日本側の気持ちのズレがあるからです。相手国にとって高価な機材はありがたいものです。しかし、一緒になって派遣される専門家はそのおまけ的なもの、取り扱いを教えてくれる人というような存在で受け止められがちだからです。

日本側が考える、機材供与よりも技術移転ということが大事なのですが、ここで少しズレが生じていることが多いと思います。ソフトよりハードというのは、日本側にもあります。「箱もの」なんて表現があるように、ハードは目に見える技術協力として捉えやすいからです。昨今、供与機材が活用されていないという批判があるので、日本側としてハード優先という訳にいかなくなっているのが現状だと思います。

相手国側の事情についてもう少し踏み込んでみましょう。日本側の大使や行使が相手国の大臣や局長と話をして、日本側の援助を求めたとすると、それが引き金になって日本側が動くということはあるでしょう。大使館の書記官のネットワークを通じて、どういう技術援助が相応しいのか検討され、協議の場が設けられるようになると思います。

では、大臣や局長が相手国の震源地でしょうか。冒頭に書いたように、彼らはそれほど問題意識を持っているとは思えません。それだけの地位の人たちだと、現場のことなどほとんど知らないものです。上がってくるレポートで彼らなりに判断しているか、いいアドバイザーがいるのが普通でしょう。

私は、この「いいアドバイザー」辺りが怪しいと考えています。この人をA氏としましょうか。A氏は日本側の国際協力について割り合い詳しいと思います。多分、以前に日本側からの技術援助を受けたことがあるとか、研修コースに参加したことがあるとか、大使館関係者と親しいとか、何かの接点があるはずです。

この人たちが直接話を日本側に持ち込むこともあるでしょう。アンテナの高い人ということでは、大いに敬意を払うべきでしょうが、純粋に自国の技術レベルに対して問題意識を持っているのかどうかは、本人にしか分からないことだと思います。

A氏のような人は、大抵英語が堪能です。日本だけでなく世界の国々の情報にも精通していることと思います。高学歴であり、英語能力も優れている、そうなると当然野心もあります。日本側の良心的な技術援助をその野心のために利用しようという気持ちがあると、いずれ問題が出て来ます。

一方、日本側は話の分かる人をパイプにしがちです。英会話能力がない人をパイプにしたのでは話が進みませんから、ついつい社交性があり英会話能力のある人のところに話を持っていくようになります。技術屋の世界では、こういうタイプはあまり実力や人望がないとしたものなのですけどね。もちろん例外はありますけど。

現在では、要請案件に対して事前調査が行われることが普通だと思いますが、これにしても現地で情報を集める人(大抵はコンサルタント)は、同じように英会話のできる人を頼りにしがちです。短期間滞在しただけで相手国の裏事情まで分かるというのは至難の業でしょう。

こういう野心を持った人が、プロジェクトの相手側のC/Pという地位を与えられたらどうなるでしょうか。結果は直ぐに出ると思います。機材の種類、数がそういう人たちにとっては重要で、技術移転そのものはまったくおまけになってしまいます。プロジェクトの目に見える部分が彼らの実績と評価されるからです。

精力的に仕事をするという点で野心が活かされるならいいことだと思います。プロジェクトのC/Pとなった以上、自国への技術移転がきちんと行われ、技術が定着することに身を惜しまず働いてくれるというのが望ましいというものです。最悪のケースでは、C/Pになって自分への利益誘導という浅ましい例もありましたけど・・・

(注)C/P:カウンターパート、この場合、プロジェクトの日本側の責任者と同じポジションになる相手国の責任者

(つづく)

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by elderman | 2007-07-25 00:05 | えるだまの観察
2007年 02月 20日

専門家活動の紹介(12)環境局の新体制

(このシリーズ、(11)で止めていましたが、続きを書くことにしました。イランでの仕事、私にとって最後の3か月はとても辛いものでした。国際協力における問題点を紹介することも大事ではないかと思います。)

新大統領が環境局のトップとなる副大統領を指名してから3か月も経った頃、ようやく環境局の幹部の人事が固まりました。副大統領は前任と同じく女性です。シラーズ州にある大学から呼ばれたと聞きました。ナンバー2の局次官は、前任の人が大変な親日派で日本語も話すことができたのですが、後任の局次官もまた親日派であることを知り、大変心強く思いました。

私の派遣先は大気汚染研究局ですが、その局長も替わりました。前任は男性だったのですが後任は女性になりました。新大統領の方針で、専門や経験のある人材がそのポストに着くべきであるという指示が徹底されているようです。これまでは専門外の人がポストを得ていたりしたのですが、仕事優先という配置のようです。

新しい局長は内部昇格だったので、私のこれまでの技術移転についてはよく知っている様子でした。本庁のみならず各州に対する私の技術移転について大変高く評価していただきました。私の危惧していた新体制ですが、日本の国際協力をよく理解していてくれるということを知り、安堵することができました。

ところが、こうした人事異動の最中に、私の技術移転に関する大きな問題が出現しました。この件は現在進行中であり、この話の続きを書けるのはいつになるか分かりませんが、この大きな問題は日本側からもたらされたものでした。この技術移転計画はもともと2007年1月までの予定だったのですが、突然2006年3月31日で打ち切るという通告がなされたのです。

新体制が整ったところでこの話です。私が日本側の決定について話をすると、新局長は本当に困ったという表情を見せておりました。困ったと言われても私にはどうすることもできない話です。

環境局ではこれからワールドバンクプロジェクトにより、テヘランを始めとして大気汚染測定局が続々と整備されていきます。全国規模で各州の技術水準を引き上げたいという状況の中での私の帰国話です。これから、さらに気象測定装置も整備され、それらの有効利用のための技術移転などまだまだ多くの課題が残されています。

イランには残念ながら本当の意味での大気汚染専門家というものがいないようです。大学にはそれなりの教授たちがおりますが、こういう人材は現場や実務の経験がないので、あまり実践的ではありません。

ワールドバンクプロジェクトは対象4州についてトレーニング・コースやワークショップを開催してきています。そしてワールドバンクプロジェクト対象外の州とテヘラン州については私の技術移転ということで、環境局州局のスタッフのトレーニングという役割りが与えられていたのです。

ワールドバンクプロジェクトが測定局の整備を終えると、すべての測定結果が本庁に入って来るようになります。システムの違うものが入り乱れるということになり、環境局はイラン全体の測定結果の整理について技術指導できる専門家を必要としてます。その大事な段階で、私の技術移転の打ち切りの話ですから、局長が困るのは無理もない話です。

私としては残りの任期の間、全力でやれるだけのことをやるだけです。できるだけ移転した技術が存続できるようにいろいろな面でバックアップなどを考えておかないといけません。本庁の大気汚染情報センターのスタッフにはデータ処理で出てくるトラブルについてできるだけ彼女たちで解決できるように技術トレーニングを開始しました。

(つづく)
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by elderman | 2007-02-20 09:15
2006年 09月 27日

国際協力について(15)国際協力とは②

国際協力のあり方について考えていますが、昨今の日本には多くの変化が生じているように見えます。「金があれば何でも買える」とか「儲けることは悪いことですか」などに代表される拝金主義のような風潮です。企業の儲けは事業活動の結果としてあるというのではなく、儲けるために活動しているということを前面に出して来るという社会現象に驚かされています。「お金で何でも買える」という精神であれば、国際協力などは無償資金供与だけでいいのではないでしょうか。

世の中にはお金で買えないものがある、国際協力もその一つではないかと思います。技術移転を通じて、文化・習慣の交流を図り、相互理解に努める。そこには真心や親切さなどがあるはずです。こういったものをすべてひっくるめてお金で買えると考えるようでは、国際協力の成功など考えられないというものでしょう。

日本の国際協力が、単に予算を使った機械的なものであったら、被援助国の感謝も表面的なものに止まるのではないでしょうか。私は、国際協力に関して一番大事なものは人材だと考えています。日本としてできるだけいい人材を派遣する。技術移転活動を通して被援助国の政府の中の有能な人材と交流を深める。こうしてはじめて中身のある国際協力というものが期待できるのではないでしょうか。

2年間や3年間という単発で技術移転をしても、それはそれで完結するかも知れませんが、せっかく作り上げた人のつながりを大事にしないという手はないでしょう。人材を粗末に扱う組織はいずれ人材不足に泣くようになると思います。成果主義というテーマの前で、人材や人のつながりという部分が軽視されるようでは、却って本当の成果から遠ざかるような気がします。

現在、JICA(国際協力機構)が独立行政法人になり、予算の効率的な運用を目指していますが、私が一番心配しているのが仕事の丸投げによる形骸化です。もちろんJICAとしては業務の性格を見極めた上で、案件によっては公募・公示を行い民間コンサルタント会社に業務委託をするのでしょうが、このところの案件数の上昇をみて懸念するものです。

コンサルタント会社には技術的に優秀な人材がいるという点では異論はありませんが、民間コンサルタント会社というものは企業利益を無視して活動はできないものです。しかも、現在の企業間競争の中で、効率を上げてギリギリの利益で業務を請け負うという仕組みでは、”TOR”で示された内容だけの遂行で精一杯で余裕など期待できないでしょう。最悪な場合は、手抜き、押し付けという弊害があります。

現地に行って、現地の人々と話し合いをして、相手方がより求めているもの、ベターなやり方、そういったものも見えてくるものだと思います。短期間で作成された”TOR”で現地に入り、ひたすらその業務遂行をして帰ってくる。簡単な業務ならそれでいいかも知れませんが、そんな簡単な業務ならわざわざ国際協力や技術移転ということをやる必要もないのではないでしょうか。

日本側が当然のことのように思えることでも、被援助国側で引っ掛かるということはいくらでもあります。そういった部分の一つ一つについて議論したり、知識を与えたり、そのプロセスには時間が掛かるものです。そこを安易に通過してしまうと、単に機材を供与して、その使用方法を説明したというだけになってしまうでしょう。

「国際協力について」のシリーズは今回でお仕舞いです。「成果主義」は一見響きのいいテーマですが、JICAはそこにある落とし穴に注意して、これまでの実績を生かして、実のある国際協力、技術移転を継続されることを期待したいと思います。

(おわり)
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by elderman | 2006-09-27 07:51 | えるだまの観察
2006年 09月 26日

国際協力について(14)国際協力とは①

これまでの私の専門家としての経験からは、開発途上国というものにはなんらかの発展を妨げるものがあるものです。その一番大きなものが教育だと考えています。ベネズエラの例では、貧しい人々は給料の安い教師しかいない公立の学校でレベルの低い教育を甘んじて受けないといけない状況にあります。お金持ちは、そういう国内情勢ですから、いい教育を受けさせるために子弟を留学させるということになります。

つまり、貧しい家庭に育った子供はいい教育を受けられず、親子代々貧乏から抜け出せないという宿命を負ってしまいます。こういう現実から脱却するために、多くの貧しい人々からの強力な支持を集めたのがチャベス大統領です。軍隊出身のチャベス氏ですが、そもそも軍隊には貧しい人々が多いので支持を集める基盤として格好のものだったのでしょう。

今の日本では、「格差社会」が問題視されていますが、開発途上国を見ていると、お金持ちにとっては格差がある方が居心地がいいものです。物価は安いし、使用人への賃金も安くて済みます。お金持ちの人々の本音は、それほど居心地のいい社会を変えることはないというものだと思います。チャベス大統領が過激な政策を執って来ているのは、そういう抵抗勢力と闘わなければならなかったからではないかと考えられます。

教育に関して、国民の全員に平等な機会を与えないというのでは、国全体の発展は望めないとしたものでしょう。教育の分野においても日本からの国際協力はさまざまな形で実行されていると思います。JICA(国際協力機構)だけでなく、国際交流基金という団体も活動を行なっています。

教育という例では、誰もが国際協力の成果が顕れるのには時間が掛かるものだと考えると思います。では、技術移転ではどうでしょうか。機材供与と必要なノウハウの技術移転で簡単に完了するものでしょうか。もしも、それが可能なら、いろいろな分野で国際協力が行なわれれば、開発途上国は簡単に先進国の仲間入りできるのではないでしょうか。

世界の現実は、先進国と開発途上国の格差はどんどん開いているものです。私の目には、国際協力というものはせめてその格差を少なくしようという努力のようなものに見えます。私は、国際協力というものは、それぞれの分野で日本人専門家が日本の技術移転を中心に活動し、相互理解を深め、活動を通して日本に対して好感を持ってもらえるようにするものではないかと考えています。

機材供与や技術移転というものは、その後の活用ということを考えると、組織や制度などに深い関係を持っているものです。技術移転で苦労するのは、専門技術というよりも被援助国の政府の中の問題と格闘しなければならないことがあるからだと思います。日本人専門家のアドバイスに応じて、その国の法律を簡単に変えるという政府はそうはないと思います。

私は、大気汚染防止の専門家ですが、純粋技術としていろいろ提案はできますが、発生源規制などはその国の経済活動と関係するので、簡単には法制化できるものではありません。外国の官僚の力関係や政治の世界まで踏み込むことは日本人専門家としてできることではないでしょう。

ということで、私は国際協力というものは、気の長い活動であるべきだと考えています。日本人専門家がカウンターパート(相方)と信頼関係を築き、その部下たちに対して技術移転を行うという啓蒙・教育活動こそが大事だと思います。

(つづく)
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by elderman | 2006-09-26 10:23 | えるだまの観察
2006年 09月 24日

国際協力について(13)技術移転のあり方③

1.見返りを求めない援助
 ODA(政府開発援助)は、取りも直さず国民の税金から捻出されています。同じ地球上で、飢餓や戦争や紛争によって生命の危険に曝されている人々があるという現実ですから、こういう国々に対する支援というものは、見返りを求めない人道的な見地からの支援ということができるのではないでしょうか。

 日本は、国際的にみると無償援助の割り合いが少ないと言われていますが、これは円借款という巨額の援助があるため割り合いとして小さく見えるのでしょう。開発のためにインフラ整備は不可欠であり、そのために巨額の資金が必要になりますから、円借款の役割を無視するわけにはいかないと思います。

 無償援助は、開発途上国の中でも最貧国に近い国々に対する支援ですから巨額なものではないはずです。問題があるとすれば、被援助国で適切にお金が使われないということがあるでしょうか。特定の人たちの懐に入ってしまうのではたまりません。

 以上のような見返りを求めない援助というものはあると思います。最貧国の多いアフリカの諸国に対する援助について、日本を国連の常任理事国に推薦してほしいという見返りを指摘する人もあるでしょうし、そういう諸国には天然資源が豊富にあるという見解もあるでしょう。しかし、これらは早急な見返りを期待するものではありませんから、人道支援と考えてもいいと思います。

 災害時の緊急援助も見返りを期待するものではないでしょう。実行までに時間の掛かる日本でしたが、最近では地震や津波などの災害に対して迅速に行動できるようになって来ているようです。こういう行動は無駄な支援をしない限り、日本国民から支持される援助といえるでしょう。

 その他の国際協力というものには、それ相応の見返りの期待や危険の回避という意味があると思います。資源のない国の日本ですから、石油など天然資源の確保、輸送ルートの安全性の確保、こういう問題は私たちの生活に直結する事柄でしょう。

 近隣諸国との国際協力を通して、平和な関係の維持というのも国益になるものだと思います。経済大国の日本が国際協力など何もしないというのでは、近隣諸国の国民が日本に対していい感情を持つはずはないでしょう。

2.国際協力の成果とは何か
 見返りを期待しない援助でも成果というものは重要でしょうが、もともと人道上からの支援ですから、無駄がなければ良しとしたものでしょう。では、見返りを期待するような支援の場合、成果というものはどういうものでしょうか。技術移転などかなり専門的な領域での支援ですから、即国益になるというものではないはずです。

 となると、技術移転の成果というものはいったいどういうものであるべきでしょうか。被援助国が求める技術や機材を日本が提供するというだけでは不十分なはずです。それが活用されるようになってはじめて成果があったと言えるのではないでしょうか。言葉では簡単に言えますが、活用されるには被援助国の法整備や技術の普及などさまざまな問題が絡みます。このことを考えると、成果というものは簡単には見ることができないものではないでしょうか。

 被援助国に感謝されればいいという考え方もあるでしょうが、豊かな国が貧しい国を援助するのは当然と考える国々もありますから、日本人が期待するような感謝というものは、外交辞令以外で期待するのは難しいと思います。円借款のところで触れましたが、こちらでは被援助国の国民が知らなかったり、政府にしてもローン(借款)ということで感謝という気持ちが薄いものだと思います。

 JICAが活動を開始して約35年、この期間を通じてこのテーマとの格闘をして来たと言っても過言ではないと思います。現在、さらに独立行政法人になり、成果主義を掲げ一層真剣に取り組んでいるところだと言えるでしょう。私はこの点について、目に見えるものばかり追求して、形骸化しないだろうかという危惧を述べました。

 私は、国際協力や技術移転の成果というものは目に見えないものだと繰り返し述べていますが、一つの大きな成果といえるものを挙げておかないといけないでしょう。

 経済大国である日本ですが、国際的にはそれほどやっかまれていないということ(ごく近くにある国はちょっと別なようですが)、むしろ好感を持って見られていること、そして日本国のパスポートを持っていれば、大抵の国に自由に行けるということが挙げられるでしょう。JICAのこれまでの活動がこういうことに大きく貢献していると思います。

 効果的な国際協力の実現を目指して、今でも試行錯誤を繰り返しているJICAですが、過去の実績にもっと自信を持ち、目先の成果ばかり追いかけずに、マスコミや妙な政治家に振り回されずに大人の支援が行なえる国際的な援助機関になってほしいと私は考えています。

(つづく)
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by elderman | 2006-09-24 08:34 | えるだまの観察