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2007年 06月 20日

タロイモとゲソの煮付け

里芋の味が恋しくなりました。私のいるタイの田舎では、多くのサトイモ科の植物をみますが、どういう訳か里芋を朝市で見かけることはありません。代わりにみつけたのが、大きな里芋のようなものです。タロイモというのでしょうか。

その大きさは、煙草の大きさと比べると分かると思いますが、普通の里芋10個分くらいありそうです。切ってみると、芋の部分には紫色の斑点があって、日本のヤツガシラみたいです。この瞬間私の頭に閃いたのは、毒はないのかな・・・ということでした。

朝市で買ったものですから、食用には違いありませんが、事前処理が必要なものってありますから、ちょっと心配になりました。下宿先のおばさんに聞いたら、あっさり食べられるというので安心しました。

先日イカを買って、バター焼にしたゲソが残っていたので、一緒に煮てみることにしました。コトコト煮ること5分程度、タロイモは意外にも直ぐに柔らかくなりました。今回使ったのは全体の3分の1程度ですから、今回の経験を活かして、残りの料理方法を考えないといけません。

このタロイモ、味は全然サトイモのようではありません。そもそもヌメリはないし、ジャガイモと里芋を足して二で割ったような感じです。出来上がったものは、期待していた味とはまったく違うものでしたが、食べられないというものではありません。(苦笑)
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(注)後から調べると、やはりタロイモにはシュウ酸塩が含まれているようです。湯がけば問題はなくなるそうですが、エグイ味がするそうです。今回のものは、灰汁は捨てましたが、湯がくという事前処理はしていません。エグイ味は特に感じないのですが、次回はしっかりと湯がくことにします。
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by elderman | 2007-06-20 11:56 | 日々の雑感 | Comments(6)
2007年 06月 20日

今後の予定について

のんびりした田舎の生活を楽しんでおりますが、少し予定が立って来ました。一つは、そろそろ日本食でも味わってみようかという他愛のないことです。近くのラノン市に一軒だけ日本食レストランがあるというので、そこの味を試してみたいと思いついたのです。

日本食が恋しいということもあるでしょうが、それだけならまだ我慢できます。それよりむしろ、ラノン市だって立派な田舎ですから、そこにどんな日本食レストランがあるのか、興味津々というところです。以前、ベネズエラで日本食レストランと称するところに入ったことがありますが、そこはすごかったですよ。とても日本料理といえる代物ではありませんでした。という訳で今回の日本食レストランは日本食が恋しいというための行動ではないですね。(笑)

その日本食レストランを目的にバスに乗ってラノンに出ます。金曜日のお昼に着けるように出発する予定です。タイ人の友人を招待して、目当てのレストランでお昼をいただき、その日に村に戻るか、安いリゾートホテルに一泊するか決めます。友人がその日に村に帰るのなら、宿泊は不要です。



それから、次は少し大きな旅行計画になります。今回のビザが7月9日で切れるので、その前にタイ国を出国しなければなりません。前回はミャンマーに行って来て、その問題をクリアーしましたが、今回も同じでは芸がなさ過ぎなので、今回はマレイシアに行くことにしました。

マレイシアは、10年前に働いたことのある国です。幸いクアラルンプールにいる友人たちとコンタクトがとれたので、スケジュール調整をした後、7月2日から6日にかけて出掛けることにしました。本当はもうちょっと遅い方がビザの関係では都合がいいのですが、相手のあることですからしょうがないですね。それでも8月5日には帰国ですから、ちょうど30日ピッタリというところです。

10年前、私がクアラルンプールの環境局で働いていたとき、そこで親しくなった人たちの何人かはまだクアラルンプールで働いています。その他、親しく付き合ったリムジンドライバーのインド系マレイシア人もなんとか探し出して会いたいものです。何しろ10年振りです。みんな変わっていることでしょう。偉くもなっているでしょうね。

できれば、10年前に私が滞在していたホテルのまったく同じ部屋に入れるようにと手配しています。10年後に見るクアラルンプール、どんなに変わっているのか、それも楽しみです。プーケットからクアラルンプールまでは1時間とちょっとです。私のいる田舎からプーケットに出るのに4時間も掛かるというのがちょっと問題ですけどね。(苦笑)

今回の滞在、タイで田舎暮らしというよりも、少し国際的で行動的な滞在になるようです。でも、せっかく近くに友人がいるのですから、この機会を利用しない手はないでしょう。^^
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by elderman | 2007-06-20 00:09 | 日々の雑感 | Comments(6)
2007年 06月 20日

便利さと引き換えに失ったもの(5)

このテーマ、まだ考えている過程なのですが、それにしても紆余曲折していてすいません。ともあれ、都市化という問題を考えるために再び宅地開発に戻ります。

鉄道や道路というインフラの整備で長距離通勤が可能になりました。そして、スプロール現象と言われる宅地開発が進みました。ここで私が指摘したいのは、宅地開発の無秩序さです。資本主義ですから、自由な事業活動を制限するのはどうかと思いますが、結果として、不動産を買える世代というのがほとんど同じであるという問題があります。

その結果、旧市街地では学校の生徒数が減り、新興住宅地では急激に生徒の数が増えます。義務教育だからと言って、行政側はどんどん学校を新設します。そして、ほとんど同世代の子供たちが卒業すれば、学校の生徒数は減少してしまいます。

こういう大きな目でみた上で、宅地開発のコントロールということができないのでしょうか。管理社会のような日本ですが、ここまで大きなテーマだと施策を講じることは難しいようです。住宅地の購入層を世代別に割り振るとか、できることはあったと思うのですが、残念ながら実行はされていないですね。

事業家は、世代のニーズに合わせて事業展開しますから、ちょっと前からシルバータウンなんて開発が計画されたりしています。私の個人的な見解としては、お年寄りだけが住む街なんてちょっと耐えられませんけどね。どこの地域でもいろいろな世代が一緒になって生活しているというのが望ましい姿だと思っています。

木造家屋の寿命は30年と言われますが、修理したりして使っていれば、50年は持つものでしょう。半世紀という長いスパンでは、宅地開発で住み着いた人たちの世代は少しはバラつくでしょうから、もっと長い目でみれば、住んでいる人の世代はバラバラになっていくというものでしょうか。

ともあれ、新興住宅地、長距離通勤ということで、地域社会が田舎のそれとはずい分違って来ていると思います。都市部の集合住宅では、自治体活動というものはあるのでしょうが、基本的には隣の人がなにをしているのか知らないという実態もあることと思います。

住んでいる人が死んでしまっても、1週間も気がつかれないというのも現代日本の表れでしょう。マスコミは、「孤独死」という言葉を使っていますね。人々の物理的距離は近いけど、精神的距離はどんどん遠ざかっていると言えるかも知れません。

まさにタイ人の友人が指摘した、「コミュニケーションの欠如」という問題だと思います。田舎では誰が何をしているのか、直ぐに知られてしまうものです。「東京砂漠」なんて歌がありましたが、都市部では、精神的に砂漠化しているのかも知れません。つながりのない人たちにスマイルをみせる必要はないのでしょう、田舎にあるスマイルによるコミュニケーションは都市部では風化してしまったのではないでしょうか。

そこに持って来て、マニュアル人間の登場ですから、人の心はますます不毛になってしまうとしたものではないでしょうか。周囲はすべてロボット、自分と家族だけが生きている空間なんて考えただけでもぞっとします。人間らしい話をするためには、友人を訪ねていかないといけない、あるいはインターネットで知り合った友人とネットの上だけでの会話で満足するとか・・・ 困った世の中になって来たようです。
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by elderman | 2007-06-20 00:01 | えるだまの観察 | Comments(6)
2007年 06月 19日

便利さと引き換えに失ったもの(4)

このテーマで文章を書き始めましたが、最初にも書いたように結論には至っておりません。いろいろと考えている途中なので、まだ紆余曲折しそうです。日本の中で大きな流れの中にいる人たちが「いったいどうしたらいいのか」という答えはまだありません。

豊かであるはずの日本人が、どうもそうでもないらしいという素朴な疑問、それすらどうもはっきりしないようです。「やっぱり豊かなのでは」なんて考えも頭をよぎります。なんだかんだ言っても、海外旅行に出る日本人の数は年々増加傾向ですしねぇ。国内ではあまり感じられない、経済大国日本というのを海外旅行で感じられるというのはなんだか皮肉っぽく思えます。

日本人が豊かでないとすると、豊かでないものを探さないといけません。一番最初に挙げるべきものが「時間」でしょうね。次は「空間」かな。資源のない国の日本ですから、先進国として経済大国として突っ走る限り、「時間」がないのは宿命かも知れません。「空間」だって、狭い国土ですから、これもどうしようもないことかも知れません。

私は自分の好奇心に任せて、幸い家族の理解を得て、好きなことをやってきました。でも、これからの世代の人たち、特に息子たちの世代はどうしたらいいのでしょうか。彼らは彼らで真面目に自分の将来を考えているようですが、違った視点を持つ私がなにか役に立つ指針を持てないかと思ったりします。

日本のファッションやいろいろなトレンドを真似する東アジアの国々の人々をみると、やはり日本は先進国であったかと思ったりもします。高性能の日本製品も日本人としてのプライドを満足させてくれます。そして、東アジアの人たちに日本人はお金持ちだと思われていることも事実でしょう。国内では、お金持ちだなんてほとんどの人が感じていないということを知るよしもないでしょうしね。

私のタイ人の友人は、今回の私の「タイで田舎暮らし」という趣旨と目的とをよく理解してくれていると思います。彼女は日本に行ったことはありませんから、彼女の頭にあるのは、タイの田舎とバンコクとの比較によるもののようです。これは案外いい比較じゃないかと私にも思えます。

国際化し、都市化したバンコク、そこで働くタイ人たちには日本人と似たようなストレスが見受けられます。ただ日本と違うのは、タイには日本だけでなく欧米からの企業進出が活発で、タイ人の多くがそこで働いているという問題点があるでしょう。もちろん、タイ人でも事業活動を通してお金持ちになっている人たちはかなりの数になります。こういう人たちは普通の日本人よりはるかにお金持ちですけどね。

タイ人の友人である彼女が指摘した問題点は、人々のコミュニケーションにあるのではないかということです。田舎と都会との差として、このことは言えると思います。不便さはコミュニケーションの必要性をもたらします。すべてのものが簡単に手に入ると、黙っていても生活できるのが都市部でのライフスタイルでしょう。

そうすると問題点は、再び都市化という問題に戻ってくるようです。諸悪の根源は都市化にあるのかも知れません。
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by elderman | 2007-06-19 00:02 | えるだまの観察 | Comments(6)
2007年 06月 18日

便利さと引き換えに失ったもの(3)

私たちは流通革命で多くの恩恵を受けています。いろいろなものが身近で安く買えるようになりました。大型スーパーマーケット、流通卸売りセンター、日曜大工センターなど便利なものです。

これらの出現は、流通の効率化によってなされたものですから、基本的には歓迎すべきものでしょう。一つの商品が消費者に届くまでの中間マージンが少なくて済むというのはいいことでしょうね。

田舎の生活をみていると、大きなスーパーマーケットができたりしたら、多くの人が失業するだろうと心配してしまいます。小さな田舎では消費者が少な過ぎ、大型のスーパーマーケットなんてできるはずがないので心配は無用でしょうけどね。

道路の整備、大量輸送手段の整備、これらがグローバライゼーションをもたらします。今、小さい村だと言っても、徐々にその波にさらされていきます。私のいるタイの田舎もいずれはその影響を受けることでしょう。もしも、陸の孤島として残れるなら、将来は観光地になってしまうかも知れません。

流通革命によって効率的に商品が消費者に届くということは、これまで余剰だった労働力が他の分野に振り分けられることになります。現代は情報化の社会ですから、何も生産しない情報化社会の中で働く人が増えてくるのは当然ですね。大きな目でみた場合、生活のために働く時間が少なくて済めば、人々は幸せになりそうなものですが、現実はどうもそうではないようです。

食料生産の部分は人口に比例し、高付加価値の製品は発展途上国へ輸出されるものでしょう。現代の日本人が忙しいというのは、少なくとも食料生産の分野ではないでしょう。何も生産しない情報化社会の中で、仕事が仕事を作り、そこでへとへとになるまで働いていると思うと奇妙な感じがします。

情報化社会の中では娯楽も大きな割合を占めていることと思います。便利になった分個人の自由時間ができる。先進国の人たちは、そういう意味では、よく遊んでいると思います。遊んでいるけど、忙しいというのが日本人でしょうね。これは国民性でしょうかね。

長時間労働を強いられている人たちは本当にお気の毒ですが、全体的には個人の自由時間は増えていると思います。問題は、その自由時間をどう使うかじゃないでしょうか。周囲の人たちが遊んでいるから付き合う、家ではTV番組を楽しみにしているというのでは貴重な自由時間がどんどんなくなるというものでしょう。

周囲に迎合しないで、自分が本当は何をしたいのか、じっくり考えるというのもいいのではないでしょうか。そして、その結果自分で何かを始めれば、同好の人たちというものは必ずいるものです。そういうお付き合いというのも楽しいんじゃないかな。

もちろん周囲の人たちとの協調、連携というのも大事ですが、日本人の場合、職場を中心にそれは十分ではないかと思います。近隣との問題は、どうなんでしょうねぇ。これはまた別なテーマでしょうか。
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by elderman | 2007-06-18 00:02 | えるだまの観察 | Comments(2)
2007年 06月 17日

便利さと引き換えに失ったもの(2)

便利さをもたらした最大のものは、インフラ整備と流通革命ではないでしょうか。どちらも私たちの生活スタイルを変化させるほどのものです。確かに便利にはなりました。でも、果たして幸福をもたらしたといえるのでしょうか。

インフラ整備の代表は、鉄道・道路の整備、都市整備でしょうか。大量輸送手段としての鉄道の役割が大きいことは言うまでもありません。いつも時間どおりに運行している日本の鉄道は素晴らしいと思います。問題は、鉄道の便利さの向上とともに駅周辺が開発され、さらにその周囲が宅地開発されるというところにありそうです。

開発行為そのものが悪いとはいいません。日本人って真面目だから、仕事の効率化を求め、多少のことは我慢するというのが当然という考えがありそうです。ウサギ小屋とまでいわれる住宅事情がその典型的な表れじゃないかと思います。

田舎のよいところの一つに家や土地が広いということがあると思います。そして、この影響というのはかなり大きいのではないでしょうか。小さな家や土地よりも、やはり大きな家で広い土地でゆったりと生活することが望ましいと思います。家が小さくても自然が身近にあればいいのですが、このことは想像以上に大事なことではないかと思います。

私の言いたいことは、急速な経済発展はいいのですが、終戦後、そのために居住環境について軽視したのが間違いではなかったかということです。狭い家で我慢、みんなそうなんだからと疑問にも思わず、集合住宅で生活し、バリバリ働いて来た。その結果が今日につながっているような気がします。

敗戦で資産ゼロから再スタートした日本の悲劇かも知れません。もっとゆっくりした変化だったら、多分違った展開になっていたのではないでしょうか。つまり、もっと個人の生活空間、周囲の環境というものに目を向けていたら、さまざまな開発行為の姿が違ったことだろうと思います。

残念ながら、すごい人口密度で宅地開発をし、自然を破壊してしまいました。今は環境アセスメントなどで貴重な自然を保存するようにコントロールされていますが、それもまだ不十分だと思います。そして、より深刻な問題は、戦後に作られた住宅だと思います。

今回の問題提起では、日本の都市部の宅地開発が問題だったと言っている訳で、問題解決の方法がほとんどないというのがさらに悲劇です。土地再開発にしたって一旦壊してしまった自然が戻る訳ではありません。現代の生活に疲れた人たちが田舎に移転するということしか解決方法がないかも知れません。

都市開発の理念は時代とともに変わって来ているはずですが、だからこそ性急な経済発展の中で宅地開発が一気に行われたことが問題だったと思います。最近の宅地開発では、快適性や自然保護という考えが生かされるようになりましたが、それでもまだ十分ではないでしょうね。

国土の狭い日本だから小さな家で我慢しなければならないのでしょうか。逆に人口が多過ぎたんじゃないかとは言えないでしょうか。現在の少子化現象というのは、そういう目で見ると自然な方向のようにも思えます。
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by elderman | 2007-06-17 01:28 | えるだまの観察 | Comments(4)
2007年 06月 16日

便利さと引き換えに失ったもの(1)

実はこのテーマをずっと考えているのですが、まだ結論は出ていません。真っ先に考えた対象は家電です。エネルギー使用による地球温暖化への影響についてはちょっと脇においておきますね。

私のいるタイの田舎でも家電は相当普及しています。下宿先には、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、トースター、電気ポットなどがあります。どう考えても、これらの製品が便利さと引き換えに何か大事なものを失わせるものとは思えませんでした。やっかいな作業の大幅な時間短縮ですから、こういう製品は幸せアイテムと言っていいんじゃないでしょうか。

下宿先にはもともとエアコンはありませんでしたから、エアコンの功罪については私が導入したときに記事にしてあります。自然の中で生きるという感受性を鈍らせ、生活リズムの変化をもたらし、夜型に移行しやすいと書きました。

あとは、家電の代表であるTVですが、これは私には個人的な見解があり、TVは必要最小限に抑えるべきだと考えています。TVに関しては、この田舎でも既に定着し、下宿先のおばさんもおじさんもTVは点けっ放しにしています。田舎なので、衛星放送でTVを観ていますから画像に乱れはありません。

彼らを見ていると私の小さい頃の父親(養父)を思い出します。仕事が終わって帰宅して、風呂に入って、晩酌をやりながらTVを観て、うとうとするまでTVを観ていました。私は、そんなライフスタイルが嫌いでTVに反発するようになったのかも知れません。

私の場合、外国暮らしが長くなったので、TVをあまり観ないという習慣ができてしまいました。英語でもない外国語で長時間TVを見ていることはできないものです。映画は観られましたが、一日に何本も観るというものではないでしょう。イランでは、毎日ユーロニュースを30分程度だったかな。インターネットをやりながらでしたけどね。

今私のいるこの田舎では、のんびりとしていて暖かい人々の心が残っているということで、TVそのものが私たちを不幸にはしないと言ってもいいのかな。私は時間がもったいないと思っていますけどね。TVを見ないで過ごすと、一日の時間が長く感じられます。もっとも、何かをやり始めちゃうので、家族との会話が少なくなってしまうかな。

家の中で便利さをもたらすものについて考えましたが、外に出るとどうでしょう。まずは、移動手段を考える必要があるでしょうね。自転車、オートバイ、自動車、バス、電車と移動時間を短縮してくれる大変便利なものです。大気汚染などの公害を招く恐れはありますが、そういう弊害を除けば、便利さと引き換えに失うものって少ないように感じます。

出張などで、のんびり移動時間を楽しみたくても、交通手段が発達してしまって、常時忙しいという弊害はあるでしょうね。速く移動できるのだから楽になるはずなのに、その反対の現象、この問題はまた改めて考えることにしましょう。

今回の考察はこんなものです。そして、私の疑いの目は都市整備などのインフラへと向いています。ここに落とし穴があったのではないかとね。
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by elderman | 2007-06-16 10:43 | えるだまの観察 | Comments(6)
2007年 06月 16日

タイの蟻

私は以前にも2回ほどタイに滞在した経験があります。すごい蟻に遭遇したのは、前回2年間の滞在のときでした。ゴルフをプレーしていて、腕前のせいですが、ボールが木の下に入ってしまいました。そこからボールを出そうと必死になっていると、木から蟻が落ちて来たのです。

たかが蟻という騒ぎではありません。この蟻、噛むのです。そしてそれがすごく痛い。衣類の上から叩いても死んではくれません。首筋に入られたからたまりません。キャディーさんに背中に手を突っ込んでもらって蟻を除去してもらいましたが、いやぁ、大騒ぎでした。

写真の蟻は、多分その時の蟻と同種類のものだと思います。撮影のために接近するのも怖かったくらいです。蟻の体に比べて巨大な人間をガブリと噛み付く根性は大したものですけど、別に苛めていないのだからそんなに攻撃的にならなくてもいいと思うのですけどねぇ。(苦笑)

蟻の目が、こちらを見ているでしょ。あの口でガブリです。本当に痛いんですよ~。(汗)
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by elderman | 2007-06-16 00:01 | えるだまの観察 | Comments(6)
2007年 06月 15日

ドリアンとアルコール

熱帯果物の王様とまで言われるドリアンですが、日本人の多くはその独特の匂いのため敬遠するようです。実際問題、ホテルや飛行機への持ち込みは禁止されていますから、臭いという言い方でも間違いではないでしょう。私は珍しく、嫌いでもなく好きでもないという中庸派です。

私にとっての問題は、ドリアンとアルコール類との相性の悪さです。私は、常時アルコール漬けのような人間ですから、ドリアンを食べる機会がありません。(苦笑) 朝、ドリアンを出されたら食べられるかな。昼にはもうビールなどを飲んでしまっているのでねぇ・・・(笑)

理由はよく分からないのですが、アルコールとドリアンとの相性は最悪なようで、現地の人はみんなそれを知っています。ですから、飲兵衛の私に無理に食べろとは言いません。実際問題、私はお酒を飲んだ後、ドリアンを食べても大したことはないと思っています。酔いを助長するなら、こちらは大歓迎です。^^ アルコールの弱い人は、ドリアンとの組み合わせは止めておいた方がいいでしょうね。

ところで、今日、行きつけのレストランから「フライド・ドリアン」をいただきました。いつも料理を作ってくれるシェフ(女性)のお母さんが作ったのだそうです。私は、レストランでビールを注文していたので、そこではそのフライド・ドリアンを食べませんでしたが、家に帰って早速味をみると、「おおおお、美味しい!」

フライド・ポテトに負けない美味しさです。あのドリアン特有の臭みはまったくありません。多分、このフライド・ドリアンは売物にするつもりで用意したものでしょう、素人のデキではありませんでした。

で、今、私は、そのフライド・ドリアンをつまみにウイスキーを飲んでいますが、相性悪いのかなぁ・・・(笑)

(写真は、熱帯果物の王様のドリアンです。)
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by elderman | 2007-06-15 04:04 | 日々の雑感 | Comments(10)
2007年 06月 14日

タイで田舎暮らしの現実

大袈裟なタイトルですが、実際はそれほどでもないですけどね。考えてみれば、ちょっと前の日本の夏も似たりよったりのような気がします。ちょっと前って、やっぱり昭和30年代の始めの頃かなぁ。

何もしないのに、腕に汗をかいている。これは、私の小学生時代の経験です。夏休みで遊びたいのに、「昼寝しなさい」と言われて、汗をかきながら昼寝しようとしたことが思い出されます。今の日本、汗をかいたら、直ぐにオフィスや家に入れば冷房が効いていますね。

冷房なしだと、本当に朝の空気の冷たさを感じることができ、大袈裟に言えば幸福感にひたれます。今日は雨が降ったので、今は冷房をやめています。これで蒸し蒸ししなければ、そのまま眠れるのですが、体がベタベタしてくるようでは、エアコンのスイッチONということになります。

次に嫌な問題は、蚊でしょうか。日中はさすがに行動が活発ではないようですが、それでも日陰などに入れば、蚊の攻撃を受けてしまいます。夕方は最悪です。蚊取り線香もしくは虫よけスプレーを使わないと絶対に刺されてしまいます。私は下宿先の家の中ですら、蚊取り線香持参で移動しています。

それから、蝿かな。蝿は日本以外の国ではだいたいどこにもいますね。日本で蝿をあまり見ないのが不思議なくらいです。左手で蝿を追いながら、食事するなんて光景は日本では考えられないでしょう。こちらの現地の人も蝿は嫌いなようで、しっかりと追い払っていますよ。当たり前ですけどね。

人によっては、爬虫類が嫌いかも知れませんが、大抵家の中にはヤモリがいます。私は、マレイシアとタイで合計4年以上過ごしているので気になりませんが、人によっては気持ち悪いかも知れませんね。心配なのは、夜天井から顔に落ちてこないかということですが、今までそういう経験がないから、多分そういうことはないのでしょう。(笑)

エアコンを使わないで寝ると、もう一つ問題がありました。網戸はあるのですが、その網目を通過できる小さな虫が侵入して来ます。刺したりはしないのでしょうが、ちょっと気になる存在です。蚊取り線香を一晩中点けておくという訳にもいかないし、困ったものです。

冷水シャワーが苦手という人もいるでしょうね。リゾートホテルに、エアコン・温水シャワー完備って書いてあるくらいですから、世界的には普通の感覚でしょう。でも、冷水シャワーに慣れてくると結構気持ちのいいものです。冷水と言っても、それほど冷たい訳じゃないですから、体のホテリを取るには最適です。

ウォシュレットに慣れつつある日本人には普通のトイレはちょっとつらいかも知れませんが、少し前を思い出せばいいだけのことです。本当の田舎だと、トイレットペーパーもないので、これだと水の使い方を覚えないといけないようです。幸い、今回はその問題はありません。

あとは、屋外での蛇との遭遇かな。幸い、私はこれまで蛇と遭遇はしていませんが、道路で車に轢かれて死んでいる姿をみているので、存在はしているはずです。蛇も恐いのでしょう、敢えて攻撃してこないようです。有毒な蛇もいるそうです。

それから、タイに滞在して、辛いものが苦手という人はちょっとつらいでしょうねぇ。タイ料理の半分くらいは辛い味付けがしてあります。それからパクチー(コリアンダー)を嫌いという人もいるでしょう。パクチーも、やはりタイ料理の半分くらいに使われますから、嫌いな人にはつらいかな。

(同居人のヤモリ君)
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by elderman | 2007-06-14 00:02 | えるだまの観察 | Comments(16)