えるだま・・・世界の国から

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2006年 12月 31日

大晦日です

さあ、いよいよ2006年の最後の日ですね。「冬のソナタ」の鑑賞を終えて、「日本人の心と今後について」もなんとか結論を出して、「お化けレモン」の味も報告させていただきました。今年のブログは以上で終了です。どうもお付き合いいただきましてありがとうございました。

新年からは、心機一転、ネタ切れしていますが、明るく再開したいと思っています。さあ、来年は何に熱中しようかな。皆様もどうぞよいお年をお迎えくださいませ。^^
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by elderman | 2006-12-31 05:50 | Comments(20)
2006年 12月 31日

えるだまのおせち料理

私がおせち料理を準備すると宣言してしまい、悪戦苦闘していましたが、現在のところ、曲りなりにここまで準備ができました。
こんにゃくを煮ていて、炭になるまで焦がしてしまったので、今日は再挑戦しないといけません。(汗)
あとは、数の子、いくら、お刺身、新巻鮭が用意されてお仕舞いのつもりです。お雑煮は、また別ですけどね。
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by elderman | 2006-12-31 05:45 | 日々の雑感 | Comments(18)
2006年 12月 31日

冬のソナタ(最終回)

現在、全20話のすべての鑑賞を終わりました。筋書きは予想どおりの展開だったのでそのじれったい進行にちょっとうんざりしてしまいましたが、この連続ドラマの落ちをどうするのかに興味がありました。あれだけ騒がれた作品ですから、最後はきっと印象深いものだろうという期待があるのは当然ですね。

異母兄妹という問題は、予想どおり誤解だったということになりましたが、誤解が解消したらそのままハッピーエンドになるという予感はまったくありませんでした。アジアのドラマだからそう感じるのでしょうか、あるいはこれまでの展開でいろいろな人たちが傷ついたからでしょうか。

誤解の解消と同時にジュンサンの交通事故の後遺症という話が出て来て・・・ そっか、そういう手があったかと感心してしまいましたね。それがないと、ハッピーエンドに向かってしまうし、周囲をさんざん巻き込んだ主人公の二人がちゃっかり幸せになるなんてちょっとねぇ・・・

サンヒョクは、惨めっぽくぎりぎりまでユジンを思い続けますが、最後はユジンにジュンサンを追いかけてニューヨークに行くようにチケットを渡しました。これでやっと見苦しいサンヒョクの汚名挽回ができたようで、ちょっとすっきりしたかな。こういう落ちがないと、韓国ドラマが嫌いになりそうでした。(苦笑)

チェリンは、予想したほどは活躍しませんでした。ちょっとがっかりかな。もっとも彼女が活躍したのでは、ドラマの品性が疑われることになりかねませんけどね。考えてみれば、チェリンの役割を引き継いだようなのがジュンサンの母親だったのですから、チェリンの出る幕はないのは当然でしょうか。

それから、親たちの恋愛問題で想像を膨らまさない登場人物たちには呆れたかな。主人公の二人が異母兄妹だったら父親はとんでもないプレイボーイってことになるし、違う父親だったらジュンサンの母親が複数の異性と交渉していたことになるし・・・ この辺、想像させるとドラマの品位が落ちると考えたのかな。(笑)

この妙な想像を打ち消すのに、上手くシナリオは書かれているようで、親たちの全員が真面目で妙な異性関係はなかったという方向に運んでいました。サンヒョクの父親のたった一回の行為を除いてですけどね・・・ これがないと主人公のジュンサンが生まれて来ないことになってしまいます。

ユジンは、ニューヨーク行きとパリ行きの二枚のチケットを持って飛行場に行きましたが、ジュンサンのいるニューヨーク行きのチケットを捨ててしまいました。幸せはニューヨークでという落ちもありそうですが、そこはアジアのドラマなのでしょう、格好良過ぎを避けたようです。それにしても、チケットの払い戻しをしないなんて、なんて非現実的なのでしょうね。(笑)

ニューヨークに行かなかった理由は、脚本ではユジンが素直にジュンサンの最後の言葉に従ったということになっていますが、本当はユジンですら、もう不自然で苦しい展開にうんざりしたんじゃないのかな。(笑)

最後の最後は、期待どおり格好良くみせてくれました。ありえね~って言いたくなりますが、ま、そこはドラマということで大目にみましょう。ということで、最後はさすがな展開と落ちだと思いました。うじうじ、ぐずぐず、ぎとぎとした展開でしたが、こういうのが韓国ドラマなのでしょうか。

ということで、私は残念ながら韓国ドラマのファンにはならないようです。(苦笑) 話題になった「冬のソナタ」だったので一生懸命に観ちゃった。^^ 
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by elderman | 2006-12-31 03:14 | えるだまの観察 | Comments(0)
2006年 12月 31日

お化けレモン?(続報)

お正月までは持たないかと思い、先日のお化けレモンの味をみてみました。
半分にカットしてみると、中身の小さいこと、これでは大振りのレモンと同じくらいじゃないかと思ったくらいです。分厚い外皮は、フカフカでスポンジのようでした。
味は、酸味はそれほど強くなく、香りもレモンという感じではなく、しいて言えば夏みかんのような味でした。見た目のとおりの大味と言うべきでしょうか。レモンとして使おうと思えば、物足りないことになるでしょう。グレープフルーツのように食べることもできますが、あんまり美味しくないかも。
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by elderman | 2006-12-31 02:36 | 日々の雑感 | Comments(4)
2006年 12月 30日

日本人の心と今後について(4)

12.家庭での躾と学校教育
 宗教についてはちょっと置いておいて、家庭での躾、学校教育について考えてみましょう。家庭の躾が子供たちの人生観や生活態度に大きな影響を与えることは否定できないでしょう。問題は、それがちゃんとなされていないということかも知れません。躾だけでなく、親の考え方というものは、間違いなく子供に移転するものでしょう。

 そもそも、親が「正直者がバカをみる」と考えていて、子供にきちんと躾をしないとどうしようもないですね。これが案外、今日の日本の状況なのかも知れません。学校教育には、勉強はいいとして、躾についてあまり期待すべきではないでしょう。倫理教育というのはいいことだと思いますが、どこまで浸透するかはちょっと疑問です。学校の先生が坊さんのように映るってちょっと気持ち悪いかも・・・

 少し核心に接近して来たかな。今の日本のすさんだ社会情勢の原因は、家庭における躾の欠落といえないでしょうか。本来家庭でやるべき躾を学校教育に期待してしまい、ちゃんとした親が少なくなったのかも知れません。

 では、なぜ現代の親が子供に対してきちんと躾をしないか、という問題点を考えないといけませんね。一番先にあげられるのが、父親の不在でしょうか。厳しい労働環境で、家庭での役割を果たす時間がないのでしょう。母親も共働きで時間がないのかも知れません。

 もう一つは、そもそも親自身が躾をするという概念がないというのはどうでしょうか。これは少数だとは思いますが、犯罪につながるケースではここまで考える必要があるのではないでしょうか。

13.結論
 そろそろまとめに入りましょう。結論がみえないまま書き進めて来ましたが、どうやら諸悪の根源は、私たち親の世代に問題があるようです。子供たちの躾や教育を考える前に、まずは親の世代たちの教育が重要ではないかと思えて来ました。

 50代の私たちは、戦後教育で育って来ました。私たちの両親は戦争体験者です。敗戦により、大きく価値観を変えざるを得なかった世代です。でも、精神はそうは簡単に変えることはできないとしたものでしょう。その子供として育った私たちの世代は、まだ戦前の価値観で育てられたとも言えるかも知れません。

 とすると、一番影響を受けた世代というのはどこでしょうか。終戦のときに小学校に入るくらいの世代でしょうか。学校側でも教え方に当惑したでしょうし、当時の親御さんたちも躾には困ったかも知れません。特定の世代を名指しする意図はありませんが、かなりの数の家庭で子供に対する躾を怠り、放任主義になった可能性があると思います。

 その子供たちが成人して、結婚をして、現在その子供が大きくなっている。一見昔の人のように見える高齢の人たちの犯罪が報道されるようになりました。そして、傍若無人に振舞う中年の人たち、いじめなど問題を起こしている子供たち、家庭での躾を怠ったツケが回って来ていると考えるのは極論でしょうか。

 犯罪をする人は少数ですが、氷山の一角ともいえるでしょう。敗戦により精神的な拠り所を失った日本人、日本人らしい躾などを怠ってしまい、権利ばかりを主張するようになった日本人。戦後60年が過ぎ、経済的には奇跡的に再生した日本ですが、精神面ではボロボロになってしまったのかも知れません。

 精神的に病んでいるような現在の日本ですが、それを解決する方法は、子供たちの教育という問題以前に親たちの再教育という課題があるように思われます。まず、親がまともにならないことには将来を担うまともな子供たちを期待することはできないのではないでしょうか。

 親の世代の再教育ということは大変難しいことでしょうが、社会問題が顕在化して、大人たちが問題意識を持ち、原因を深く考え、反省することにより克服できるものと考えます。これからは、親の役割とか家庭の躾というような本が売れるようになるかも。

 最後に一言、社会問題を嘆いているだけでは仕方がないと思い、思いつきを書き上げただけなので、論理的な飛躍があるかも知れません。こんなことを考えてみたということでご理解いただければありがたいと思います。
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(おわり)
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by elderman | 2006-12-30 08:55 | えるだまの観察 | Comments(6)
2006年 12月 30日

日本人の心と今後について(3)

9.諸悪の根源(1)
 やはり、諸悪の根源を考えないといけないようです。今日の日本社会の歪をもたらしているものを考える場合、教育というものを考えないではいられないでしょう。まっとうな人間が育てば、すさんだ世の中になるはずがない、まっとうな人間が育たないのではないか、こういう疑問を持ってしまいます。

 教育を考える場合、避けられないことが受験戦争です。個人個人の能力・適正を判定するという必要性はあるでしょう。これまでの受験という制度が、それをやってきたか、ここに疑問を持ってみましょう。明治維新から日本人は、外国に学ぶことが優先されて来ました。どのくらい知っているかということが能力だった時代でしょう。

 明治維新から今日まで、受験では記憶力が主として能力として判断されて来たように思われます。とにかく知識がある。文章問題でも、傾向と対策で乗り切ってしまう。田舎でのんびりと勉学そのものに親しんだ生徒は、傾向と対策を十分に身に付けて来た都会の生徒に負けてしまう。

 そもそも大学なんて勉強したい人が行けばいいところのはず。それが、モラトリウムとか言って、遊んでいるだけの学生もいますね。私もそういう学生でしたが、勉学以外のことをいろいろと学んだつもりではいます。(苦笑)

 ま、ともあれ、日本の大学は異常ですね。お金さえ出せば、どこかの大学には入れるというものです。そして、日本の企業は、受験で勝ち抜いた学生を採用しようとし、大学での勉学にはほとんど期待しないで、採用してから社内研修で必要なことを学ばせようとしています。そういう意味では、日本では大学院卒業というものは無用の長物みたいな扱いを受けている訳です。

 東大生が頭が悪いとは言いませんが、持ち前の回転の速さと記憶力でエリートコースを進んだ人たち、そのまま官僚になって保身にキュウキュウとしているなんてちょっともったいないですね。本当に頭のいい方たちがたくさんいらっしゃいます。いい仕事をされているとも思っています。でも、なぜか実社会とは遊離しているんじゃないかという気がしてなりません。

10.諸悪の根源(2)
 では、どうして有能な人たちが能力を発揮できないのでしょうか。ここに入っていくと、日本特有の組織論になって来そうです。以前、 「人事管理マジック」という稿をアップしましたが、優秀な人材であっても組織の中では、人事管理マジックの中にはまってしまうようです。結局は、予算と人事を握っている者が強いということになってしまい、多くの創造的なアイディアや善悪の判断が埋没してしまうようです。

 会社の社会的責任ということでは、昔の諸藩のお家の事情さながらに、問題点の秘匿が優先されるようです。みつからなければいい、これに抵抗できる組織の構成員というのはそうはいないのではないでしょうか。自分のクビを賭けることになりますからね。

 勝てばいい、悪いことはみつからなければいい、こういう考え方では、法律がいくらあっても足らないんじゃないでしょうか。

 やれやれ、再び、正直者がバカをみるというところに戻って来たようです。(汗) まさか、これが実社会の本質ということなのでしょうかね。本質だとしたら、人間に対して何か強制的なことをしないといつでもここに回帰してしまうことになりますが・・・

11.再び宗教について
 「正直者がバカをみる」というのが社会における本質だなんて変な結論になってしまいそうですが、ふと宗教の役割を考えると、人間の所業の性悪な部分を矯正するため、あるいは制御するために宗教の役割があるのかも知れません。

 宗教以外では、法律や倫理というものが考えられます。そして、家庭での躾、学校教育における生活態度への指導というのがあるでしょうか。

 精神的に病んだ現代にこそ宗教が必要だなんていう気はありませんが、現代の一部の人たちは本気で考えているかも知れませんね。それで新興宗教に頼ったりする人もいるのではないでしょうか。21世紀は宗教復活の世紀かも知れません。
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(つづく)
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by elderman | 2006-12-30 08:47 | えるだまの観察 | Comments(0)
2006年 12月 29日

日本人の心と今後について(2)

5.他人に迷惑をかけない
 私のモットーは、「他人に迷惑をかけない」というものです。ただ、これだけのモットーでほとんど健全な生き方ができるのではないかとすら考えられます。もっとも、迷惑をかけないつもりでも、意図せずに迷惑をかけてしまっているということもあるので、楽観はできませんけど・・・

 「他人に迷惑をかけない」というモットーだけでもかなりの問題点は回避できるような気がします。どうして、これができないのでしょうか。これは宗教でもなく、儒教でもないでしょう。かなり基本的な考え方だと思います。親の躾、学校教育で、こんな基本的なことを教えないで来たのでしょうか。

 昔の3億円強奪事件、この被害額は保険で賄われるので、これは誰にも迷惑をかけないということに近かったようで、拍手喝采とまではいかないまでも、大したことをするものだと世間をわかせたものです。

6.犯罪の背景
 犯罪の背景には、衣食足りて礼節を知るということの反対ように、経済的に苦しいから犯罪に走るということがあると思います。私は、あちこちの国をみて、宗教が犯罪を抑制する力がないと感じています。カトリックでも、仏教でも、イスラム教でも、そう感じました。まずは、貧しさから脱却しなければ犯罪はなくならないでしょう。

 今の日本は、まさに格差社会です。働いても貧しい人がいるし、まともに働く機会が得られない人たちもいます。私は、今の日本の失業率という数値を信用していません。一年にちょっと働いただけで、失業者とはみなされず、派遣会社を通じて厳しい労働条件で働いている人たちが多いと考えています。

 そのような社会情勢の下、ストレスでうつ病になったり、自殺を試みたり、犯罪に走ったり、いじめをしたり、酔っ払い運転をしたり、いろいろな症状が現れるのではないでしょうか。みんなが貧しければ我慢できる・・・ これが戦後の日本の姿だったでしょうか。しかし、格差社会では違います。

 誰しも食べないでは生きていけません。世界でもっとも治安の悪いのは中南米の諸国ですが、そこには大勢の貧しい人々がいるという背景があります。日本人の憧れる米国だって、治安が悪いという点ではひけはとらないでしょう。それだけ貧しい人々がいるということに他なりません。

 アメリカン・ドリームということで成功者を称えることは悪いことではないでしょうが、これはちょっと珍しいことです。人間には負のメンタリティがあり、妬み、嫉み、やっかみという心の動きがあります。抑制が効く人はいいのですが、そうでもない人もあるでしょう。イスラム教の国ではそういう人々の心を考慮しているように思われます。

 成功者のひとりであるビル・ゲイツ氏は、福祉施設に多大な寄付をしたりして立派な行為をしているように見受けられますが、そうでもしないとやっかむ人がたくさんいて生命に危険が及ぶ可能性もあるんじゃないかな。それが理由で彼がいろいろな社会貢献をしているかどうかは知りませんけどね。

 イランでは、成功者は貧しい人々に富を分配すべきという考え方があります。これはどの宗教の教えでも唱えていることだとは思いますが、なかなか実行できないことでしょうね。権力を持った者は私腹を肥やして当然だという考えは、まだまだ世界中に存在しているようにみえます。

7.正直者がバカをみる
 貧しい人々が犯罪に走るということはある程度社会現象として理解できますが、今の日本をみていると必ずしもそれだけではなさそうです。「正直者がバカをみる」という風潮がないでしょうか。「儲けることが悪いことですか?」というのも似たようなものでしょう。

 私は、日本人は精神面でそれほど潔癖ではないと思っています。地位の高い人間は「清濁併せ呑む」というのが当然だと考えている節がありますね。政治家が正直だなんて誰も考えていないんじゃないかな。個人的には、この考え方は徳川家康に端を発しているのではないかと思っているくらいです。

 実力のあるものが天下を取る。白を黒と言っても、強い人の言うとおり。江戸時代の終わりには、「勝てば官軍」という言い方も出て来ましたね。この辺に日本人の価値観の原点があるように感じています。

 それから必要悪ということに対しても、日本人は割り合い寛大にみえます。ヤクザ路線の映画が大当たりするのもその表れでしょうか。とんでもないとこをやっている連中なのに、拍手喝采で歓迎する。そうかと思えば、権力そのものの水戸黄門が受ける。フィクションの世界ですから、単に娯楽として受け止めればいいのでしょうけどね。

 価値観が多様であるということはいいことなのでしょうが、「正直者がバカをみる」という考え方だけは一般化してはいけないと思います。悪い行為を諌める「お天道さまがみている」というのは、今では完全に死語のようですね。これが死語になってしまったから、自分勝手な行動を許しているということなのかもしれません。

8.これからどうなる
 「これからどうなる」ということを考えるために自分の考えを整理して来ましたが、まだ先が見えません。現在の日本を考えると宗教はほとんど無力であり、他人に迷惑を掛けないという基本的なことができない。正直者がバカをみるという風潮、これではお先真っ暗というしかないようです。
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(つづく)
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by elderman | 2006-12-29 22:07 | えるだまの観察 | Comments(6)
2006年 12月 29日

日本人の心と今後について(1)

 警察官が犯罪を犯し、教師が生徒をいじめ、子が親を殺し、親が子を殺し、振り込め詐欺の横行、酔っ払い運転、万引きの横行、自己中心的行動・・・などなど、昨今の日本のすさんだ社会情勢をみるにつけ、日本人の心の原点というのは何かという関心を持ってしまいます。これから日本はどうなっていくのだろうという心配から、そういうことを考えずにはいられません。

1.八百万の神
 よく八百万の神という表現を耳にしますが、実際に八百万の神々が存在しているかどうかはともかく、日本人が古来から自然に畏怖の念を抱き、神格化してきたことを思わされます。自然などに神を求める宗教は、原始的な宗教としてアニミズムという分類をされ、その後キリスト教のような一神教へと発展したというのが西欧の考え方のようです。

 日本の原始的宗教は、高度な文化を持つ国としては珍しく今日まで続いているように思われます。「触らぬ神に祟りなし」って今でも言いますね。宗教としてというよりも、自然に対する恐れ、敬いという意味で、西欧のような自然を征服するという方向でなく、自然に怒られないように、自然と調和を図ろうとする姿勢は素晴らしいものだと思います。

 古代社会では、八百万の神を怒らすと祟りがあるということになります。それがどういう訳か、死んだ人間に対してもその考えが拡大され、祟りを恐れるという考え方が浸透したようです。これはほぼ単一民族からなる日本の特殊事情によるもののように考えられます。実際、外国では日本ほど強く祟りを恐れるという習慣をみたことがありません。

 聖徳太子を筆頭に、無念のまま亡くなった人の祟りを恐れたという事例は日本に数多く見かけられます。これらを自然科学的に考えれば、日本は災害の多い国であり、疫病の蔓延など、原因の分からない現象について当時の人々が祟りという解釈をしたように考えられます。加持祈祷に頼ったというのはつい最近までのことでしょう。

2.仏教の普及
 仏教は、飛鳥時代の頃に伝来したようですが、一般に浸透したのは、空海や親鸞、日蓮たちの現れた12世紀くらいのことではないでしょうか。それまでは、一部の僧たちが苦行を伴って学んだものだったはずです。念仏を唱えるだけで、極楽浄土ができるというイージーな教えを広めたため、多くの信者を得たのはいいのですが、信仰心という意味ではどうだったのでしょうか。

 仏教国としてみた場合、タイの方が日本よりずっと仏教国らしくみえます。日本では昔のイージーな教えのせいか、日本人は死ぬときだけちゃっかりとお寺さんにお世話になるようです。仏前結婚というのもありますが、あまり人気がないようですものね。

 タイがどうして仏教国らしくみえるか、その理由を考えてみましょう。まずは、挨拶のときの仕草でしょうか、日本人は仏前以外では何かを頼むときにする手を合わせる仕草ですが、タイでは日常的に行なわれます。それから、タイでは兵役と同じように男子は一定期間僧になって修行をしないといけません。托鉢もあります。仏教寺院の多さもあげられるでしょうか。

 そのタイにもアニミズムはあります。魔物が家に近づかないようにと家のあちこちに魔よけをつけたりします。このあたりは日本とよく似ている気がします。タイでは神棚の代わりに王様の肖像が仏壇と一緒に飾られたりしています。

3.儒教の影響
 宗教という観点で日本人を見てきましたが、他に儒教の影響も大きいように思われます。これは宗教というよりは倫理観、生き方に関するものと言った方がいいかもしれません。ただ、儒教は支配者にとって都合のいいものなので、民主化の進んだ今の日本でどこまで重要な役割を果たせるか疑問を感じます。

 武士道というものを日本人の心の原点と捉える方もいらっしゃるようですが、武士道というのはそもそも武士階級の心得でしょうから、一般庶民にまで適用していいものかどうか、私には疑問に思えます。主のためにいつでも死ねるという人生観、ちょっと現代には適用が難しいような気がします。

4.日本人は無宗教か
 では、日本人が無宗教かというと、信仰心はそれほど強くはないものの、私は無宗教ではないと思います。訊かれれば、大半の人は仏教徒と答えるでしょう。これは面倒を避けるという意味もあるので、本当に仏教徒かどうかということには疑問はありますが、少なくとも誰かが亡くなったら、念仏を唱えるのですから、間違いとも言えないのではないでしょうか。

 八百万の神という古来からの精神があるので、日本人はキリスト教の神に対しても、イスラム教のアッラーに対しても敬意を払いますね。軽んじた行動をとる人はほとんどいないと思います。なにはともあれ、祟られたのではたまりませんから、敬意を払っておきましょうというのが深層心理だろうとは思っていますけどね。
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(つづく)
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by elderman | 2006-12-29 07:33 | えるだまの観察 | Comments(2)
2006年 12月 29日

美女の寝姿

美女の寝姿、と言っても、チリのことですけどね。寝姿には二通りあるようで、ヘビのようにとぐろを巻いたようにして寝るときと、足を投げ出して寝るときです。暖かいと足を投げ出して寝るのでしょうかね。

眠っているところの写真は撮れません。私が動くと直ぐに目を覚ましてしまいます。犬の眠りっていつも浅いようです。
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こっちが普通の寝姿かな。
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by elderman | 2006-12-29 05:53 | えるだまの観察 | Comments(8)
2006年 12月 28日

お化けレモン?

家内がお土産でいただいてきました。千葉県の鴨川の方でとれたようです。大きなレモンですねぇ、私は初めてみました。味の方は、これから試してみます。大勢いないともったいないので、お正月に家族でテキーラを楽しむときにしましょうか。^^

ミカン科
ミカン属(Citrus)
・レモン・ポンデローザ(Citrus limon cv.Ponderosa)
(解説)レモンの大型品種です。撮影:日本
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(参考) 「イランにある酸っぱくないレモン」 はこちらです。
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by elderman | 2006-12-28 20:19 | 花と樹木(温帯) | Comments(10)