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2006年 11月 30日

オシロイバナ科(Nyctaginaceae)

植物科別勉強中、今回はオシロイバナ科です。オシロイバナは身近な花ですが、他にブーゲンビレアもオシロイバナ科の植物です。

写真にない植物もあるし、その科のすべての植物を網羅するなんてできそうもありません。不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

参考文献は、”Flora of Iran by Ahmad Ghahreman”、”shu(^^)ボタニックガーデン(Shu Suehiroさん)”、”植物雑学事典(岡山理科大学)”を主としています。


イカダカズラ属(Bougainvillea)
・ブーゲンビレア(筏葛)(Bougainvillea spectabilis)、英名:Bougainvillea
(解説)南アメリカが原産。花びらのように見えるのは総苞片で、その中にラッパ状の花が入っている。赤紫のブーゲンビレアの写真はタイで撮影したものです。花の部分はイランで撮影したものです。
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オシロイバナ属(Mirabilis)
・オシロイバナ(白粉花)(Mirabilis jalapa)
(解説)メキシコが原産。日本へは江戸時代に渡来。別名で「ユウゲショウ」(夕化粧)とも呼ばれる。名前は、花後にできる黒い種子をつぶすと白い粉が出ることから。上の写真はトルコで、下の写真は日本で撮影したものです。
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by elderman | 2006-11-30 10:19
2006年 11月 29日

日本の出版業界について

日本へ帰ってみて驚くのが、日本人って物を書くのが好きな国民だということを知ったことでした。私は発展途上国ばかり滞在していたので、ちょっと意外な驚きでした。それだけ日本人の教育水準が高いということなのでしょうね。発展途上国では話題になる文盲なんて、そもそも存在しない日本ですから、当然なのでしょう。

ところが、最近の日本では出版業界の不況が伝えられています。本を読む人の数が減り、本の販売部数が減っているのでしょう。一方、こうしてインターネットでも文章や小説もどきは読めますから、本というものが不用になったと言ってもいいかも知れません。そういう状況下では、出版業界は当たる本しか出版できなくなりますね。人気作家で売れるという保証のあるものばかりが出版されることになる訳です。

私が思うに、人気作家でも、一流の文芸作家でも、読む人にはそれぞれの好み、読みたい本というものがあるので、100%いいものはいいという評価を得ることはできないということがあると思います。ノーベル文学賞をもらった川端康成氏の小説を好きな人が何%いるのかはよく分かりませんが、国民に1%でも熱狂的なファンがあればベストセラーになると言えるのではないでしょうか。

そういう当たり外れの世界が出版業界なのでしょう。当たる作品を予想することは至難の業であり、当たらない作品を流通させたら赤字になるだけ・・・ でも、これは出版業界の問題ではなくて、ほしいものが手に入らないとしたら私たち読者にとって大きな問題のはずです。個人個人が必要とするものが違っているはずだし、特殊な作品でも求める人はそれなりにいるはずです。

私の言いたいことは、ネックになっているのが、本にするという行為、つまり印刷・製本に掛かる費用、そして流通に掛かる費用というものではないかということです。インターネットがこれだけ発達した時代ですから、自分が求めているものがどこかで読める、本でなくてもいい、ネット上でもいいと思います。そして特に本としてほしいものは注文できるというのがいいかな。

需要と供給との関係がまだまだ上手く合致していないのが出版業界なのではないでしょうか。amazonという便利なサービスが受ける理由が理解できますが、もっともっと専門書に至るまで検索できて、自費出版やブログなどでの著作まで検索できると便利でしょうね。そういう意味では検索サイトというのは時代のニーズに見事に合致しているのかな。今や、ニュース、外国語、映画、ドラマ、音楽、専門知識、TV番組、電車のダイヤ、地図、語源、歴史など何でも調べることができますからね。

ペーパーレスの時代、PCの画面で小説を楽しむということが当然のことになりつつあるのでしょう。出版業界が構造的に不況になっていることが理解できるというものです。

ところで、私の下手な小説やエッセイ、これらを本にするというのは自己満足としてはいいのですが、流通させて買ってもらうというのにははなはだお稚拙なものですから、売り物ではなくて無料で読んでもらえればいいという感じのものだと思います。こういう素人の小説、エッセイなど、読みたい人に無料で読んでもらえる方法ってないのでしょうかね。ブログに掲載して、検索でみつけてもらう、それしかないのかなぁ。
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by elderman | 2006-11-29 19:12 | えるだまの観察
2006年 11月 29日

アジサイ科(Hydrangeaceae)

植物科別勉強中、今回はアジサイ科です。アジサイ科をユキノシタ科に含める分類もありますが、こちらでは別に扱うことにしました。

写真にない植物もあるし、その科のすべての植物を網羅するなんてできそうもありません。不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。写真提供のご協力をいあただいているM-flower5さん、mintogreenさんは日本に在住の方です。

参考文献は、”Flora of Iran by Ahmad Ghahreman”、”shu(^^)ボタニックガーデン(Shu Suehiroさん)”、”植物雑学事典(岡山理科大学)”を主としています。


アジサイ属(Hydrangea)
・アジサイ(紫陽花)(Hydrangea macrophylla)、英名:Hydrangea
(解説)「アジサイ」は「ガクアジサイ」の変種として推定されていますが、詳細は不明。日本にはすでに奈良時代にはあったと考えられている。18世紀にはヨーロッパに伝わり、多くの「セイヨウアジサイ」の品種が作出された。写真はイランで撮影したものです。
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・ガクアジサイ(額紫陽花)(Hydrangea macrophylla f. normalis)、英名:Azisai、Hydrangea
(解説)日本の暖帯の沿海地に分布。写真は日本で撮影したものです。
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・コガクウツギ(小額空木)(Hydrangea luteo-venosa)
(解説)本州、四国、九州に分布。名前は、木の雰囲気がウツギに似ていて、ガクが小さいことによる。写真はM-flower5さんの撮影したものです。
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・墨田の花火
(解説)八重咲きのガクアジサイ。園芸品種。写真は日本で撮影したものです。
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・城が崎
(解説)八重先のガクアジサイ。園芸品種。写真はmintogreenさんの撮影したものです。
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ウツギ属(Deutzia)
・ウツギ(空木)(Deutzia crenata)、英名:Deutzia
(解説)日本、朝鮮半島、中国に分布。名前は、幹の髄が中空になっていることから。別名で「ウノハナ」(卯の花)とも呼ばれる。写真は日本で撮影したものです。
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バイカウツギ属(Philadelphus)
・バイカウツギ(梅花空木)(Philadelphus satsumi)
(解説)北半球に広く分布し、30~70種ほどある。別名で「サツマウツギ」(薩摩空木)とも呼ばれる。写真はイランで撮影したものです。
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・セイヨウバイカウツギ(Philadelphus grandiflorus Willd. )
(解説)八重咲きのバイカウツギ。園芸品種。写真はイランで撮影したものです。
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by elderman | 2006-11-29 08:39
2006年 11月 29日

アカバナ科(Onagraceae)

植物科別勉強中、今回はアカバナ科です。アカバナ科で馴染みのある花と言うと、マツヨイグサ、フクシアというところでしょうか。

写真にない植物もあるし、その科のすべての植物を網羅するなんてできそうもありません。不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

参考文献は、”Flora of Iran by Ahmad Ghahreman”、”shu(^^)ボタニックガーデン(Shu Suehiroさん)”、”植物雑学事典(岡山理科大学)”を主としています。


アカバナ属(Epilobium)
・アカバナ(赤花)(Epilobium pyrricholophum)
(解説)日本各地、朝鮮半島、中国東北部、サハリンに分布。7月から9月ごろ、葉腋から紅紫色の花を咲かせる。写真はまだありません。

ガウラ属(Gaura)
・ハクチョウソウ(白蝶草)(Gaura lindheimeri)、英名:Bee blossom
(解説)北アメリカの中南部からメキシコに分布。別名で「ヤマモモソウ」(山桃草)、「ガウラ」とも呼ばれる。名前は、この花のかたちが蝶が舞うように見えることから。写真は日本で撮影したものです。
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フクシア属(Fuchsia)
・フクシア(Fuchsia hybrida)、英名:Hybrid fuchsia
(解説)熱帯アメリカなどが原産。園芸品種としては耐寒・耐暑性にすぐれた「エンジェルズ・イアリング」が主流。写真はスペインで撮影したものです。
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・エンジェルスイアリング(釣浮き草)(Fuchsia hybrida)、園芸種名:Angel's Earring
(解説)中央アメリカから南アメリカが原産の園芸品種。写真は日本で撮影したものです。
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マツヨイグサ属(Oenothera)
・オオマツヨイグサ(大待宵草)(Oenothera erythrosepala)、英名:Large-flowered evening primrose
(解説)北アメリカ原産のグランディフローラ種(O. grandiflora)とエラタ種(O. elata)をもとにヨーロッパで作出された園芸品種。日本へは明治時代の始めに渡来。写真はイランで撮影したものです。
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・コマツヨイグサ(小待宵草)(Oenothera laciniata)、英名:Cutleaf evening-primrose
(解説)北アメリカが原産。日本へは明治時代に渡来し、現在では各地に帰化。写真は八丈島で撮影したものです。
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・マツヨイグサ(待宵草)(Oenothera stricta)
(解説)宵待草(よいまちぐさ)と呼ばれたりするが、正式には待宵草。写真は日本で撮影したものです。
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・メマツヨイグサ(雌待宵草)(Oenothera biennis)、英名:Evening primrose
(解説)北アメリカが原産。日本へは明治の後期に渡来。花が萎んでも赤くならないのが特徴。写真は日本で撮影したものです。
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・ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)(Oenothera speciosa)、英名:Pink evening primrose、Showy evening primrose
(解説)アメリカのテキサス州からミズーリー州それにメキシコが原産。ほかの「ツキミソウ」とは異なり、昼間に咲いて2~3日はしぼまない。写真はルーマニアで撮影したものです。
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・ユウゲショウ(夕化粧)(Oenothera rosea)、英名:Rose evening-primrose
(解説)アメリカの南西部から中央アメリカが原産。別名で「アカバナユウゲショウ」とも呼ばれる。
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by elderman | 2006-11-29 00:14
2006年 11月 28日

アカザ科(Chenopodiaceae)

植物科別勉強中、今回はアカザ科です。アカザ科で馴染みのある花と言うと、アカザ、ホウレンソウというところでしょうか。

写真にない植物もあるし、その科のすべての植物を網羅するなんてできそうもありません。不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。

参考文献は、”Flora of Iran by Ahmad Ghahreman”、”shu(^^)ボタニックガーデン(Shu Suehiroさん)”、”植物雑学事典(岡山理科大学)”を主としています。


アカザ属(Chenopodium)
・アカザ(藜)(Chenopodium centrorubrum)
(解説)インドあるいは中国が原産といわれる。日本へは古い時代に渡来し、食用として栽培された。写真は日本で撮影したものです。
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by elderman | 2006-11-28 15:01
2006年 11月 28日

えるだまの植物図鑑のカラー印刷製本

exblogではブログの内容の印刷製本サービスをしてくれるので、植物図鑑をカラー印刷したいと考えました。ところが、カテゴリー指定はできるのですが、アイウエオ順では編集されないので、ランダムな並びになってしまいます。それでは知りたい植物を探しにくいので困ったものだと思っていました。

そこで、もう一つブログを立ち上げることを考えたのですが、新規のブログではメモリー制限があるので、全部の画像をアップできるかどうかと心配になりました。コピーペーストができればメモリーを食わないで済むのになぁなんて考えていたのですが、ダメ元ということで、世界の国からの記事をコピーペーストしてみました。その結果、ちゃんとコピーペーストができて、メモリー使用量がゼロでした。

ということで、植物図鑑はもう一つのexblogの方( 「えるだまの植物図鑑」)で仕上げて行きたいと思います。アイウエオ順でボチボチと更新して行くつもりです。300科くらいあるから、完成までには1年くらい掛かりそうです。もともとライフワークのつもりで始めたことですから、急がずにのんびりやって行きましょう。完成する頃に印刷製本サービスがなくなっているなんてことがないように・・・ 祈りながらかな。^^

一冊でもカラー印刷製本ができるというのは有難いものです。しかも、手が届かないほど高価じゃないのですから嬉しいですね。exblogを利用していて本当に良かったと思っています。^^

えるだまの植物図鑑のカラー印刷製本の完成には半年くらい掛かりますが、ご希望の方がございましたら実費でお分けいたします。量が多いので、多分2分冊になるのではないかと思います。カラー印刷なので一冊3,000円 8,000円 16,000以上するみたいです・・・ 高いですね。私の自己満足でいいと思っていますけどね。^^

写真提供でご協力をいただいているM-flower5さん、mintogreenさんには、もちろん贈呈いたします。現在、あまりの高価に痺れています。自分でカラー印刷・製本する検討を行なっています。少々お待ちくださいね。
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by elderman | 2006-11-28 13:10 | 日々の雑感
2006年 11月 28日

フトモモ科(Myrtaceae)

植物科別勉強中、今回はフトモモ科です。フトモモ科には、ブラシノキ、ユーカリ、ワックスフラワーなどがあります。

写真にない植物もあるし、その科のすべての植物を網羅するなんてできそうもありません。不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。写真提供のご協力をいただいているmintogreenさんは日本に在住の方です。

参考文献は、”Flora of Iran by Ahmad Ghahreman”、”shu(^^)ボタニックガーデン(Shu Suehiroさん)”、”植物雑学事典(岡山理科大学)”を主としています。


カメラウキウム属(Chamelaucium)
・ワックスフラワー(Chamelaucium uncinatum)、英名:Geraldton waxflower
(解説)オーストラリア西部が原産。花色は紅色、紫色、ピンクそれに白色などがある。写真はオランダで撮影したものです。
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ギンバイカ属(Myrtus)
・ギンバイカ(銀梅花)(Myrtus communis)、英名:Myrtle
(解説)南ヨーロッパから西アジアが原産。「ユーカリ」に似た香りがあり、肉料理の香りづけやハーブピローに利用される。写真はイランで撮影したものです。
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ネズモドキ属(Leptspermum)
・ギョリュウバイ(御柳梅)(Leptspermum scoparium)、英名:Tea-tree
(解説)ニュージーランドやオーストラリアのタスマニア地方が原産。ニュージーランドの国花。写真は日本で撮影したものです。
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バンジロウ属(Psidium)
・グアバ(蕃石榴)(Psidium guajava)、英名:Common guava
(解説)メキシコから熱帯アメリカが原産。現在では熱帯各地で栽培されている。写真上はmintogreenさんの撮影したもの、下は日本で撮影したものです。
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フェイジョア属(Feijoa)
・フェイジョア(Feijoa sellowiana)、英名:Feijoa、Pineapple guava
(解説)ブラジル南部からパラグアイ、ウルグアイが原産。果実はパイナップルに似た芳香があり、生食やジャムに加工したりする。写真は日本で撮影したものです。
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フトモモ属(Syzygium)
・マレーフトモモ(マレー蒲桃)(Syzygium malaccense)、英名:Malay apple
(解説)マレーシアが原産。写真はmintogreenさんがパプアニューギニアで撮影したものです。
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・レンブ(蓮霧)(Syzygium samarangense)、英名:Wax jambu、Java apple
(解説)マレー半島からインドネシアが原産。現在では、東南アジアで広く栽培されている。タイ語では、「ションプー」と言う。「レンブ」(蓮霧)は中国名から。写真はタイで撮影したものです。
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ブラシノキ属(Callistemon)
・ブラシノキ(ブラシの木)(Callistemon speciosus)、英名:Scarlet bottlebrush
(解説)オーストラリアが原産。日本へは明治時代の中頃に渡来。真っ赤なブラシのように見えるのは、雄しべと雌しべ。別名で「キンポウジュ」(錦宝樹)とも呼ばれる。写真はタイで撮影したものです。
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ミルキアリア属(Myrciaria)
ジャボチカバ(木葡萄)(Myrciaria cauliflora)、英名:Jaboticaba
(解説)ブラジル南部が原産。和名で「木葡萄」と呼ばれる。幹に直接花が咲き、実が なる幹生果。味は、巨峰に似ているという。写真は八丈島で撮影したものです。
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ユーカリ属(Eucalyptus)
・ユーカリ(有加利)(Eucalyptus sp.)、英名:Eucalyptus tree、Eucalypt
(解説)ユーカリ属は、オーストラリアの東南部とタスマニア島におもに分布している。400~500種ほどあるという。写真はイランで撮影したものです。
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by elderman | 2006-11-28 08:38
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(1)

ペルシャの秘宝

第一章

 イランへの長期派遣の話を聞いたとき、川島直紀はさすがに心の動揺を隠せなかった。35歳に達した自分にもそろそろ海外派遣の話が回ってくるだろうと思ってはいたのだが、それがよりにもよってイランだとは川島にはショックであった。
 彼にとってのイラン人というのは、10年くらい前に上野で偽造テレホンカードを売っていた不法滞在のイラン人グループとか、歴史ものの映画に登場するペルシャ商人というイメージしかなかった。イランがイスラム教の国ということは知ってはいても、そもそもイスラム教徒と接触する機会すら持ったことはないのだ。
 川島には自分自身の動揺よりも両親にショックを与えないようにしないといけないというのが先決であった。彼は急いでイランについて調べ、両親に心配を掛けないような話をしなければいけないと思った。ほとんどの日本人にとってはイラクとイランとの区別すら難しいのが実態である。

「どうしてよりによってイランなんだろうねぇ。ヨーロッパにだって国はいっぱいあるだろうに。」
母親に言われるまでもなく、直紀自身がそう思っていたのだった。退職して家にいる父親は話を聞いて表情を曇らせただけだった。
「イランは自動車を生産しているんだ。砂漠ばかりの国じゃないらしいよ。」
「戦争とかテロとか大丈夫だろうかねぇ。」
「悪い噂はあるようだけど、事件は起きてないよ。」

 川島直紀が赴任のための準備を始めると、机の引き出しの中に青い石の小箱を発見した。それはもう30年も前になるが伯父の吉田画伯からもらったものなのだ。10cm程度の小さな小箱だが宝石でも入れるものなのだろう。蓋の裏側にアラビア文字のようなものが刻まれているが、それを読める人はいないし、吉田画伯もそれについては何も語らず今はもうこの世の人ではない。彼はイランに行けば読めるかも知れないと思い、それをショルダーバッグに入れた。

 直紀は小学校に入る前、吉田画伯の別荘に少しの間滞在したことがあった。吉田画伯は病気の静養だったのか、千葉県富津市にある上総湊駅から歩いて20分もかかる場所だが、鉄道のトンネルの近くに別荘を持っていた。その別荘に行くのには鉄道の線路の橋を歩いて渡らなければならなかったので、よく覚えているのだ。直紀は別荘では何もすることがなかったので、一日中与えられた画材で絵を描いていたのを覚えている。吉田画伯は油絵の画家だったようだが、細かい模様と美しい色彩感覚に満ちた作品だったことが直紀の記憶に残っている。

 直紀は吉田画伯のことについて両親に聞いてみたいと思った。早速母親に聞くと、
「親戚の吉田さん、あの絵描きの吉田さんのことだけど。」
「ああ、亡くなった伯父さんね。」
「そう、伯父さんは外国に行っていたことがあったんじゃない?」
「そうね、そう言われれば、生前はよく外国に行っていたらしいね。」
「よくは知らないの?」
「お土産なんてもらったこともないし、よく分からないね。」
「今度、吉田の伯母さんに聞いてみてくれない?」
「じゃあ、後で電話してみようかね、久しぶりだしね。」

 長期の赴任となると日本から持参したいものはたくさんある。直紀は仕事に必要な文献などは別便で役所から送ったが、身の回りのものそして食物もできるだけたくさん詰め込みたいのだ。イランで日本食なんて期待する方が無理と言うものだろう。直紀の荷物は結局大きなサイズのスーツケース2個になった。一つが40kgもあるだろうか。

 夕食が済むと、直紀の母親が吉田の伯母さんに電話を掛けた。母親は一通り話をすると直紀に受話器を渡した。
「伯母さん、ご無沙汰しております。」
「イランに行くんだって、大変だねぇ。」
「はい。」
「うちのと同じ国に行くなんて、これは何かの縁なのかねぇ。」
「え?伯父さんはイランに行ったことがあるのですか?」
「2-3回は行っていたと思うけど、ずい分影響を受けたと言ってたね。」
「へぇ、そんなに行っていたんですか?」
「なんでもインスピレーションが湧くとか言ってね。」
「そういう国なんですか、イランっていうのは。」
「私には分からないけど、ずい分気に入っていたようだったね。」
「伯母さんは、伯父さんが私にくれた青い小さな箱のことを覚えていますか?」
「えっと、瑠璃色のかな、イラン人にもらったってやつでしょ?それしか知らないけどね。」
「へぇ、あれは瑠璃色って言うのですか・・・」
「そう、宝石の一種といえるかな。」
「うわっ、宝石だったんですか、知らなかった。」
「今じゃ、それほどの価値はないと思いますよ。昔は宝石だったと言うべきかな。」
「それにしてもすごいものをいただいていたんですね。」
「直紀ちゃんのことが可愛かったのでしょ、よく絵を描きに来てたものね。」
「はい、もう30年も前のことです。」
「そう、もう30年も経つのね・・・」

 直紀は瑠璃色の小箱に書かれている文字がペルシャ語らしいということが分かった。彼にはまだ見たこともないイランという国だが、伯父の吉田画伯が興味を持ったということから彼にはイランについて新たな興味が湧いてきた。
 同じアジアという地域にありながら、日本とイランとはアジアの両端に位置する国同士である。イランからみれば日本よりもヨーロッパの方がはるかに近い。日本から直行便で飛んでも9時間は掛かるという。
 直紀は両親に見送られて、成田空港を飛び立った。イラン航空の飛行機は北京を経由してテヘランの空港に向かうのだった。イラン航空の飛行機はB747だが、かなり古い形式のものと思われた。機内ではキャビアがサービスされたが、アルコール類は一切サービスされないようだった。飛行機が離陸した時から、直紀は既にイランに入ったような気分がした。

 飛行機がテヘランのメヘラバッド空港に着いたのは、もう夜中の11時であった。機内では気付かなかったが、いつの間にか女性たちが黒いスカーフを被っていた。川島直紀にはこれほどのイラン人女性が同じ飛行機に乗っていたなんてまったく気が付かなかったのである。国際空港とは思えないような薄暗くて小さい飛行場の建物を歩くと、パスポート・コントロールの長い列についた。どこが列なのか分からないような雑踏の中、直紀は仕方なく適当に並んでいた。すると制服を着たイラン人が直紀を一見して外国人だと認めたのだろうか、別な列に案内してくれた。そこは外交官用と表示されていたので、直紀は普通の列のところに並んでいたのだが、空いていたせいか外交官用の窓口に外国人を案内しているようであった。
 直紀が荷物を全部引き取り飛行場の出口に向かった時はもう12時を過ぎていた。大荷物のせいか税関の係員にスーツケースを開けされられたのには少し不愉快な気がしていた。「イランでは私の人相が悪いということなのだろうか・・・」
 直紀がスーツケースをカートに乗せて出口から出ようとすると、そこは黒山の人だかりだった。日本から帰国するイラン人の出迎えなのだろう。花を持っている人、ハンカチで涙を拭いている人、まるで映画スターでも出迎えるような騒ぎであった。直紀はそれをやっとのことですり抜けると、幸いにもその雑踏の中であるにもかかわらず出迎えの日本人をみつけることができた。

 飛行場からテヘランの市街地に向いながら外をみると、なんとなく古ぼけたコンクリートの建物が多く感じられた。夜でよくは見えなかったが、全体に薄茶色といった感じである。片側6車線もあるような広い道路だが、深夜のせいで走っている車は少なかった。直紀には中近東に来たという感じがいよいよ実感を伴ってきたのである。
 ホテルはテヘラン市の中心部にあると直紀は聞いていたのだが、車が進んでいる道には枯れた樹木が並木になっているものの道路幅は狭く、日本の田舎道のように見えた。迎えに来てくれた日本人に聞くと、この道がメインストリートのバリアスル・ストリートだと言う。直紀はこれが一千万の人口を抱えるイランの首都テヘランなのかと情けないような気分になってしまった。
 車はようやく路地に入り止った。案内されたところは長期滞在者用のホテルで、いわゆる5星ホテルとは違っていた。直紀はチェックインを済ませ、明日の迎えの説明を聞くと迎えに来てくれた日本人と別れた。このエラム・ホテルは長期滞在者用というだけあって、部屋の大きさは十分であった。ダイニング・キッチン、書斎のついたリビング、ベッドルームが二つある。独身で単身赴任の直紀には申し分のない大きさである。必要な食器はすべて備え付けられているし、毎朝、パンとバター、それに卵と牛乳が届けられるという。
 テヘランは雪が降るという。直紀が到着したのは2月であるが、これからも雪が降る可能性があるようだった。部屋にはスチームによる暖房があり、直紀が気に入ったことに書斎の近くには暖炉があるのだった。彼は生まれてから暖炉など使った経験はなかった。しかしこの暖炉に置いてある見た目木材のようなものは焼き物で、実際にはガスを燃やすのであった。

 翌朝直紀はキッチンで朝食を済ましてロビーで迎えを待った。直紀でなくとも最初は案内がなければ何もできないのはしょうがないことだろう。
 車に乗ると直紀に最初の驚きが待っていた。バリアスル・ストリートの交通量は多いが、4車線のところを7車線になって車が走っているのだ。いや、場所によっては8列になっているようである。しかもその走り方といったら、もう目茶苦茶である。直紀の地元の千葉県も交通マナーの悪いことでは有名だが、まったく比較にならないマナーである。接触事故が起きないことの方が不思議なくらいなのだ。直紀の乗っている車も他の車に負けないような運転をしている。
 混雑した道路でUターンをする車もいれば、直進車がいるのに目の前を横切っていく車もある。どうやら先に行動を起こした方に優先権があるようだし、あるいはそもそも優先権というものがないようにも思われる。直紀の車の前に割り込んでくる車もしょっちゅうである。日本では運転手の怒鳴り声が聞こえそうな運転マナーばかりであった。
 さらに直紀を驚かせたことは、そういう道路を平然と歩いて横断する人々がいることだった。彼にはこれはできそうもない芸当にみえた。その芸当を冷静に見ているとそういう歩行者に腹を立てているような運転手が誰一人いないのだ。歩行者は優先らしいと思われたが、それにしても車は直ぐに止まれないのだから何とも無謀な歩行者の行為に見えて仕方がなかった。年寄りも見かけたが、この人たちはやはり若い人と同じという訳にはいかないようで、おっかなびっくりで道路を横断していた。それでもちゃんと横断はしているのである。
 やがて車は広い道路に出た。高速道路に見えるが料金所がないところから有料道路ではないようだ。反対車線は大変な混雑をしている。直紀の進んでいるのは市の中心地から外に向かっているのだろう。着いた場所は公園の入り口のようで、パルディサンと呼ばれている場所であった。その公園の中の道路をさらに進むと、白い大きな建築物が見えてきた。そこが川島直紀の勤務するオフィスになるところである。テヘランのやや西側に位置している。直紀は公園の中にあるオフィスというのも悪くないなと思った。
 車を降りると市街地が眼下に見える。全体を薄い茶色の空気が覆っていた。これが有名なテヘランの大気汚染なのかと到着早々に確認することができたのだった。直紀の前任者がテヘランの大気汚染について技術移転を図り、それが成功したことから、今度はイラン全土を対象にということで直紀に仕事が回ってきたのであった。ここパルディサンのオフィスはテヘランだけでなくイラン全土を監督する立場にある組織なのである。
 挨拶など一通り必要なことを済ませると、直紀に一番重要なのはアシスタント探しであった。ペルシャ語のできない直紀であるから、これが最優先のことである。職場で会った何人かにアシスタント探しを頼んだ。二番目は足の確保である。この国では運転手付のレンタカーを使うこともできるし、車付きの運転手を雇うこともできるという。道路で見た限りでは、テヘランにはあまり日本車は走っていないようだった。プジョー405というのがその中ではまともな車に見えた。安い給料でプジョーを持っている運転手を雇えればいいと思う直紀であった。
 直紀が与えられたオフィスにいると、二人のイラン人が話しに来たが、驚いたことに二人ともイランの観光地の案内ばかりするのだった。外国人の直紀にはまずはイランという国を理解してもらいたいということなのだろうと思った。オフィスは十分な広さを持ち、アシスタントと二人で執務するに適した大きさであった。ただしイランなので女性のアシスタントと一緒ということだと、執務室の部屋のドアは常時開けておくということがマナーのようである。
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by elderman | 2006-11-27 18:50
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(2)

 川島直紀には考えがあった。まずアシスタントを探し、そのアシスタントに自動車を持っている運転手を探させるというものだ。それぞれが別方向から通って来るよりは、同じ地区から通ってくれば別々の足を心配しないで済むというものである。
 翌日直紀がオフィスに行くと早々にアシスタント候補が現れた。しかし、少し話しをしただけでその女性の英会話能力はほとんどないに等しいことが分かった。残念という感傷もなく、直紀はその女性には早々にお引取り願った。アシスタントの仕事は直紀にとっては相当重要なものなのだ。

 その日の午後になって二人目の候補者が現れた。
「こんにちは」
 直紀は自分の耳を疑った。日本語だったのである。このオフィスで日本語を聞くことがあろうとは夢にも考えることはなかったのである。
「いや、驚いたな、日本語が話せるのですか?」
「はい、日本で修士号をとりました。」
「へぇ、どこの大学ですか?」
「つくば大学です。」
「なるほど、そうでしたか、道理でねぇ。」
 彼女の名前は、レイラ・レザイーと言った。26歳になる彼女は、修士号は取得したもののいい就職口がないらしい。専攻は地理学ということで、直紀の専門に近いものがある。地理学というのは地図屋ではない、さまざまな自然科学現象を扱う学際的な学問と言っていいだろう。直紀はつくば大学の地理学では西沢教授を知っていた。もちろんレイラも西沢教授のことは知っていた。西沢教授は「熱汚染」という分野の草分けでもある。熱汚染、今では「ヒートアイランド」と言う方が普通だが、人口が集中する都市の発する熱に関する研究なのだ。直紀は大いにレイラを気に入った。二人目で優秀なアシスタントに当たるとはなんと幸運かと思った。
「直ぐに働くことができますか?もっとも直ぐには本来の仕事はないけどね。」
「はい、明日からでも大丈夫です。」
「それは良かった。給料は300ドル相当でいいでしょうか? 最初の2週間は仮採用です。」
「はい。」
「では、まずいい運転手を探してくれませんか?車を持っている運転手がいいのですが。」
「はい、なんとか探してみます。」
「もちろん、私が面接をして決めますが、レイラさんの家の近くの人がいいでしょう。」
「はい、分かりました。」
 日本語が話せるアシスタントなんて想像もしていなかった直紀だったが、レイラが日本語を話せるのは実際ありがたかった。イランの物価は日本の7分の1である。したがって直紀はレイラの給料を20万円くらいに設定したのだ。直紀はまだイランに来たばかりで知らなかったが、イランの女性にとっていい就職口をみつけるのは大変なことなのだ。レイラが修士号を持っていても、なかなかいい就職口が得られないのがイランの現状であり、イランの社会問題の一つとして大学を卒業した若者の求職難があるのだ。
 
 翌日になるとレイラは運転手を連れてきた。アフマディという名の彼は、長い間政府の公用車の運転手をしていたと言う。現在56歳だが、まさにプロの運転手と言っていい経歴であった。彼はあまり英語が話せないが、基本的な語句はわかると言う。直紀はレイラと同様に2週間様子をみることにした。運転手には燃料費込みで450ドル相当の給料を約束した。これでアシスタントと運転手の両方が調達されたことになった。まずは順調な滑り出しと言えよう。早速、翌日から直紀はエラム・ホテルからオフィスまで雇った運転手を使って通うことができるのだ。
 直紀はアルコールがなくても過ごせるが、時としては飲みたくなる。そこでレイラを通して運転手にアルコールの手配の可能性について聞いてみた。意外なことに調達可能であるという返事だった。直紀はアフマディに100ドルを渡して、何でもいいから調達するように頼んだ。何が来てもいいし、無理なら無理でダメ元ってやつである。
 
 パルディサンのオフィスは政府の中枢のせいもあり、政府で働く女性たちは全員黒いヘジャブ(スカーフのようなもの)を被っている。直紀にはコラーンにそう書かれているからというよりも、どうやら強制されているという雰囲気が感じられた。顔は完全に露出しているが、イラン人というのは毛深いようで、女性でも眉毛が一本につながっている人が多いように感じられた。肌の色は様々だが総じて色白である。彫りは深く、目が大きくて、鼻は高い。
 レイラは日本人から見ても好感の持てる顔つきをしている。額が広く、ぽっちゃり型なので直紀の趣味ではないのだが、日本人の10人中8人までがレイラを美人だと言うかも知れないとは直紀は思っている。
 女性がこれだけ毛深いのだから男性はそれ以上である。イスラム革命で指導者になったホメイニ師だって口髭、顎鬚が豊富であったし、ムッラーと呼ばれる宗教家たちもたっぷりと髭を伸ばしている。剃っている男性でも剃り跡が黒々しく、本来の毛深さは剃っても分かるほどである。
 この毛深い一見怖そうなイラン人男性であるが、話をしてみると、それが意外に優しいのに驚かされる。日本人がイラン人に持つイメージは案外見掛けから来ているのかも知れないと直紀は思うようになってきた。直紀にとってもっともおかしいのが、車の運転ではあれほどひどいマナーをみせるイラン人だが、車から降りるとそういう人格はどこかへ飛んでいってしまうらしく、オフィスの出入り口やエレベータではレディ・ファーストのような譲り合いの精神を見せていることである。
 髪を隠しているとは言え、市街地で見かけるイラン人女性たちはかなりファッショナブルである。髪の毛の半分ほどは露出しているし、厳密にはヘジャブではないスカーフなのだが、カラフルなものをつけている人が多い。

 アフマディの車、濃い緑のプジョー405で通勤し始めてしばらくして、アフマディが黒いビニール袋に包んだものを紙袋に入れて直紀に渡した。頼んであったアルコール類が調達できたのである。
 アパートに帰って中身を調べると、グランツという銘柄のスコッチ・ウイスキーの1リットル瓶が3本、それに缶入りのウォッカが4本入っていた。直紀はウォッカの缶を開けて、氷を入れて飲んでみた。不味い。仕方なく冷蔵庫にあったコカコーラで割って飲むことにしたが、やはり美味しくない。これならない方がましかと思いながらも、もう開けてしまった缶である。不味いと思いながらも全部飲んでしまった。
 翌朝、直紀の頭は重かった。完全な二日酔いである。おかしいと思った直紀はウォッカのアルコール度数を調べてみると、なんと55%と書いてあった。缶が335ccだから、ウイスキー換算にするとボトル3分の2を飲んだことになる。缶入りだからと言って全部飲む必要はなかったと後悔したが、直紀にとってイランで初めての二日酔いの経験になった。

 川島直紀は仕事を始めるに際して、まずはイランの歴史を知らなければならないと考えた。逆に言えばあまりにも直紀にはイランに関する知識がなかったのである。直紀の滞在しているエラム・ホテルの近くにはホーマー・ホテルがあり、これはイスラム革命の前はシェラトン・ホテルだったと言う。こちらはエラム・ホテルのようなみすぼらしい外観ではなく、今でも5星ホテルという風格のあるちゃんとした外観を持っている。
 直紀がホーマー・ホテルを見ながらうろついていると、いくつもある売店の中に本を売っている売店をみつけた。そこにはイランを紹介した本がたくさんおいてあり、外国人観光客が多く滞在するのだろう、英語版の本が大部分であった。いくつかの本を手にとって見ているうちに、一冊かなり大きな本だが、日本語で書かれているものをみつけた。幸いにイランの物価が安いこともあり、日本で3万円もしそうな本が1万円もしないで買うことができた。
 ホテルに帰って本を広げると、直紀の知らなかったことも多かったが、すっかり忘れていた高校時代に学んだ世界史の知識が甦ってきた。直紀はイランという名前だけでは世界史で有名な事柄すら思い出せないでいたのだ。
 イランという名前は、アーリアという言葉から由来しているという。イラン人はアーリア人であり、紀元前数世紀に中央アジアから南下して来たらしい。そしてあっと言う間にペルシャ帝国という巨大な領土を持つようになったのだ。ペルシャ帝国は、東はインド、西はエチオピアに及ぶという壮大なスケールを持っていた。世界史の中ではギリシャとペルシャ戦争をしたことが一番有名かも知れない。直紀にはキュロス大王、ダリウス大王という名前が懐かしく思い出されてきた。
 直紀は四大文明にも興味があるのだが、ペルシャ帝国はこのようにアーリア人の南下によってもたらされたものであり、それ以前にあったメソポタミア文明(シュメール文明)とは何の関わりもないことが残念であった。メソポタミア文明は、チグリス、ユーフラテス川の周辺に発達した古代文明であるが、今ではそのほとんどがイラク領土内にある。意外なことにメソポタミア文明の担い手であったのがどの民族なのは今でも謎ということらしい。もちろんイラン領土内にもメソポタミアの遺跡は残っているということなので、機会があればその遺跡を見てみたいと直紀は思った。
 イラクとイランとの両者の大きな違いは民族にあるだろう。イランはアーリア人であり、イラクはアラブ人なのである。そして、イラクには平地が多いのに反してイランはそのほとんどの都市が1000m以上の高地にある。アーリア人は北方系の民族のせいなのだろう、暑い気候を好まないようである。
 話は逸れるが、直紀が滞在しているテヘランも高地である。テヘランは北側に横たわるアルボルズ山脈に向かって上昇する傾斜を持っている。南の方で標高1000m程度だがテヘランの北側は1600m以上の標高を持っている。アルボルズ山脈は3000m級の峰が連なる巨大な山脈であり、その中にイランで最高峰のダマヴァンド山がある。ダマヴァンド山は富士山のような休火山であり、その標高は5700m近くある。

 話をペルシャ帝国に戻そう。ペルシャ帝国はアケメネス朝ペルシャ帝国とも言い、キュロス大王がイラン高原を支配していたメディアを破った紀元前550年がペルシャ帝国の始まりである。キュロス2世の時代にエジプトを除くオリエント全体が支配下になったのだ。アケメネス朝の宗教はゾロアスター教(拝火教)であったが、アケメネス朝支配下の各民族の宗教は認められたという。キュロス大王は傑出した王であり、有能な戦術家だったが、彼ほど高潔な名声を後世に残した国王はいないと言われている。寛大であり、慈悲深く、支配下の民族に対して強制的に一つの文化を従わせるということはしなかった。支配下の民族には大いに寛大な政策を行い、元々あった組織を尊重し、各民族の支配者を認めたという。属国という形式で支配下に置いたと考えて間違いではないだろうと直紀は思った。
 キュロス大王がバビロニアを攻撃したとき、ユダ王国陥落後バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放したことは歴史上有名な事件である。
 ダリウス大王はキュロス大王の子どもではない。東方遠征で戦士したキュロス大王の子どもはカンビュセスであるが、彼はエチオピア遠征で命を落としてしまった。その代わりに登場したのがダリウス大王である。ダリウスはパルティアの知事の子どもと歴史書には書いてあった。ダリウス大王は、キュロス大王が拡大した領土の反乱を鎮圧し、大帝国を統治することが重大な仕事であった。ダリウス大王の時代にペルシャ帝国最大の領土が出現したのだった。ダリウス大王の在位中にギリシャとのペルシャ戦争が起きている。
 ダリウス大王は大帝国の統治に大きな手腕を発揮したようで、中央集権統治を確立したと言われている。帝国を20の州に分割し、ペルシャ人知事を派遣した。各州の軍隊と徴税は大王の直属のものとして直接統治を行った。「王の目」、「王の耳」という監察官を派遣し、属州の統治状態を巡察させたという。
 ダリウス大王の政策もキュロス大王と同様に寛大なものであり、支配下の民族には固有の言語、慣習、宗教などの文化の保持を許した。道路の整備、商業の活発化により、大帝国は繁栄した。そしてその結果としてシューシとペルセポリスに壮麗な宮殿を建設したのであった。

 紀元前333年、アケメネス朝最後の王であるダリウス3世がイッソスの戦いでアレクサンダーの軍に破れ、アケメネス朝は滅亡した。一旦崩壊してしまったペルシャ帝国であったが、5世紀半の後、ペルシャ人が再び復興することになった。その王朝がササン朝である。ササン朝ペルシャは紀元226年から661年まで続いた。
 ササン朝を興したアルデシールはアケメネス朝王家の末裔と言われている。アルデシールは10年以上にも及ぶ戦争の後、西はユーフラテス川から、東はメルブ、ヘラート、シスターンに及ぶ支配者となった。アルデシールの息子シャープールも優秀な統治者であったようで、ササン朝ペルシャはこの二人の偉人によって隆盛をみたのであった。ササン朝ペルシャもゾロアスター教(拝火教)の力を援用した。
 シャープール王の時代に領土は拡大し、北はオクサス川から東はアフガニスタン、西はアルメニア、メソポタミアに至る広大な地域が領土となった。この時代にはローマ帝国との戦いがあり、ローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜としたことも有名な事件として歴史に残されている。
 ササン朝ペルシャは、捕虜にしたローマ兵から建築や土木技術を得て、ダムや橋梁などの大規模公共事業を成功させ、さらにギリシャ、インドの文献の翻訳から医学、天文学、哲学などの学問を発展させた。
 ペルシャがゾロアスター教で繁栄した時代はこのササン朝ペルシャが最後で、イスラム軍に敗北した後、それまでのゾロアスター教に代わりイスラム教が浸透し今日まで続いている。

 川島直紀は壮大なイランの歴史を学ぶと、イランについての興味がますます強くなってきた。彼はこれからの滞在で、ペルセポリスの遺跡など実物を目の当たりにしてペルシャ帝国の全盛期を偲びたいと思った。
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by elderman | 2006-11-27 18:40
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(3)

 文献によってイランの歴史を学んだ川島直紀は、次にテヘランにあるイラン考古学博物館に行くことにした。日本語版のガイドブックによると、紀元前6000年から19世紀に至るまでの、考古学的、歴史的に重要な美術品を集めたイラン最大の博物館と紹介されている。
 博物館はイラン政府外務省のある地区に近いところ、テヘランのやや南に位置している。本館には、紀元前6~4世紀のペルセポリスやシューシ、レイなどからの出土品がガラスケースに入れられて陳列されている。圧巻は紀元前550~330年のアケメネス王朝時代のものであろう。
 直紀が驚いたことは、アケメネス王朝時代の出土品のケースの中に、直紀が持っているあの瑠璃色の小箱とまったく同じものを発見したことであった。直紀の持っているものはこの模造品なのかも知れないと最初は考えた。イランならいくらでも模造品はあるだろう。しかし、あっさりと模造品と決めてしまっては亡くなった吉田画伯に失礼ではないかという気もするのだった。直紀はレイラにそのことを話した。
「私はこの青い小箱と同じものを持っています。」
「え?これって2500年も前のものですよ。」
「そう、だから不思議なんです。模造品なんでしょうか?」
「それは分かりませんが、鑑定をしてもらったらいかがでしょうか?」
「そう?鑑定なんて簡単にできるのですか?」
「ちょっと待ってください。鑑定を頼めるところを聞いてきます。」
 持っていったものが模造品と鑑定されたらさぞ恥ずかしいだろうと直紀は考えていた。しばらくするとレイラが戻って来た。
「鑑定してくれる良いお店の場所を聞きました。今度それを持って来てくださいね。」
「うん、そうするよ。それからレイラには書かれている文字も読んでもらいたいな。」
「文字が書かれているのですか、なんて書いてあるのでしょうね?」
「この陳列されている小箱の蓋の裏側も見てみたいけど、ま、鑑定の後ってことで・・・」

 川島直紀はイランに来て1週間が経過したが、イラン人がイスラム教徒ということであまり違和感を持つことはなかった。接していればまったく普通の人々としか思えないのである。朝にはアザーン(お祈りの開始)が朗々と聴こえて来るが、それしか気にならない程度なのだ。女性のヘジャブもイスラム教徒の証拠だろうが、それすら習慣と言ってしまえばそれまでのような気がした。
 直紀は瑠璃色の小箱をホテルから持参して来ていた。午後にでも鑑定できるところに持って行きたいと思っていた。しかしその前に裏蓋に何て書いてあるのかをまず知りたい。
「レイラ、これがその小箱だけど・・・」
「あら、本当ですね。博物館にあった物と本当によく似ていますね。」
「さあ、これですけど、ペルシャ語ですか?」
「えっと、はい、ペルシャ語です。」
「何て書いてあるの?」
「『ササン朝の栄華、永遠に』と書いてあります。」
「アケメネス王朝ではないんだねぇ・・・紀元前だもんなぁ。」
「はい、ササン朝は3-7世紀です。」

 直紀とレイラは小箱を鑑定してもらいに博物館から紹介された骨董品の店を訪れた。鑑定には経費が掛かるだろうが、直紀はそんなことよりも好奇心の方が強かった。紹介された店はヴィラ地区の一角にあった。ヴィラ地区にはハンディクラフトの店がいっぱい並んでいるので、外国人観光客を結構みかけることができる。
 店に入るとレイラが話した。
「サラーム・アレイクム」(こんにちは)
「サラーム」(こんにちは)
「ベバシッド(失礼します)、鑑定をお願いしたいものがあるのですが。」
「モンダゼール・ベムン。」(ちょっと待って)
 店にいたイラン人は店の奥に入って行ってしまった。しばらく待つと、初老のイラン人が現れた。
「何を鑑定してほしいのかな?」
「はい、こちらなんですが。」
「これは・・・」
「ご存知なんですね?」
「うむ、考古学博物館で同じものを見ただろう?」
 この初老のイラン人はちょっと見ただけで瑠璃色の小箱の素性を当ててしまったようだ。直紀言葉は分からないまでも二人のやり取りをみているだけで老人が小箱を知っているということが分かった。直紀の代わりにレイラが答えた。
「はい、そのとおりです。」
「しかし、ここには『ササン朝』と書いてある。うむ。」
「はい、そうなんです。となるとアケメネス朝のものであるはずがないですね。」
「うむ」
「これは模造品なのでしょうか?」
「いや・・・うむ」
 初老のイラン人は本当に当惑しているように見えた。そしてしばらくの沈黙。レイラは待った。イラン人がやっと口を開いた。
「これはどう見ても同じ時代のものに見える。すると発掘年代が間違っているのか、あるいはこれが模造品なのか・・・」
「そんなに難しい話なのですか・・・」
「ラピスラズリでこの細工をすることは簡単じゃない。」
「ラピスラズリ?」
「ああ、この石の名前だがね。」
 レイラが直紀にラピスラズリという名前のことを説明した。直紀には初めて聞く名前であった。初老のイラン人は話を続けた。
「この材料でこの細工は、あの時代にしか見られないものなのだ。よほど特殊な意味があって作られたものだと思われるのだが・・・」
「価値があるのですか?」
「素材にはそれほどの価値はないが、考古学的な見地から価値が高いってことだよ。」
 レイラは直紀に詳しく通訳をした。初老のイラン人はレイラに聞いた。
「博物館に置いてあったものには何て書いてあったのかな?」
「ガラスのケースに入っていましたから、蓋の裏側は見ることができませんでした。」
「そうか、何も書いてなければ、あれがオリジナルということかも知れないな。」

 レイラと直紀は骨董品の店を出た。初老のイラン人は鑑定料はいらないと言った。それほど有名なものなのだろうか、あるいは十分な説明ができないために料金を取らなかったのだろうか、直紀には分からなかった。レイラが直紀に言った。
「川島さん、博物館に行って、箱の裏側を見せてもらいましょう。」
「そうだね、何が書いてあるのか、あるいは何も書いてないのか、気になるね。」
「そうなんです。私も気になってきました。」
「レイラも好奇心が強いんだねぇ。」

 二人が博物館に着くと、レイラに先日鑑定をしてくれる人を紹介してくれたという女性がいた。レイラは彼女に例の展示物を見せてほしいとお願いした。すると彼女が言った。
「先日もあれを見せてほしいという人が現れました。どういうことなのでしょうね?」
「え?そうなんですか・・・ どうしてでしょう・・・ イラン人でしたか?」
「はい、イラン人でした。」
「まさか、あの鑑定師ってことはないでしょうね。」
「いいえ、紹介しましたように彼のことなら知っていますから、別人です。」
「あはは、そうですよね。」
「では、こちらに来てください。お見せしましょう。」 
 博物館の女性はガラスのショーウィンドーの鍵を開けて、瑠璃色の小箱を取り出した。蓋の裏側には文字が刻まれていた。直紀は何という記述があるのか知りたくて、レイラに翻訳を急いた。
「何て書いてあるの?」
「えっと、『遥かなるノガン』かな・・・」
「かなって?はっきり分からないの?」
「『ノガン』って意味が分からないのです。」
「ペルシャ語じゃないのかな?」
 二人のやり取りを聞いていた博物館の女性が口を挟んで来た。
「『ノガン』というのはとても古い町の名前で、マシュハドの中にあります。」
「ああ、そうなんですか、地名なんですか。」
 レイラはやっと理解できたという表情をした。レイラが直紀に博物館の女性の話を通訳して説明すると直紀は言った。
「するとこの箱はやはりアケメネス朝の時代ということで間違いないんだね。」
「はい、確認してみますね。」
 レイラは再び博物館の女性と話をし始めたが、直紀は自分の持っている小箱が偽物だという失望感に襲われた。
「タイムマシンじゃあるまいし、未来に出現するものの名前を彫れる訳がない。」
 直紀の独り言を聞いたレイラが言った。
「彼女に発掘のことなど詳しく調べて、何か分かったら連絡をくれるように頼みました。」
「そう、ありがとう。でも、もういいや。」
 なんだか気力が抜けてしまった直紀であった。

 直紀は小箱のオリジナリティに対する追求心は大分喪失してしまったが、小箱の意味には興味があったし、今日知ったラピスラズリという材料に興味を持ち始めた。直紀はホテルに帰ると早速ラピスラズリについてインターネットで検索を始めた。エラム・ホテルではインターネットをよく使用する直紀のために電話回線を2本に増やしてくれていた。

 ラピスラズリについて調べてみると次のことが分かった。
「紀元前3000年、メソポタミアのシュメール文明はすでに華麗に花開き、金のすばらしい細工が装身具、器、戦車の装飾、動物、楽器などに施されていた。1922年、イギリス人考古学者レオナルド・ウーリー卿の指揮のもとに発掘された都市国家ウルの王の墳墓は、実にツタンカーメンの王墓以来の偉大な発見といわれたが、特に王妃シュバドの墓からは、数々の注目すべき装身具が発掘されている。広々とした埋葬室には金、銀、ラピスラズリ、各種のメノウのビーズで仕上げられた「衣服」をまとった王妃が横たわっていた。そこに使われた宝石の量からみて、それは『ジュエリーというよりむしろ豪華に飾られた衣服そのものであった』と記録されている。おびただしい数の金の指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスなどを引き立てていたのがラピスラズリの青紫色とカーネリアンの赤であった。王妃の右腕のそばには三本の金のヘアピンが置かれていたがいずれもラピスラズリの玉がつけられており、三個の魚の形をしたお守りは、二個は金製だったが、一個はラピスラズリでできていた。金とラピスラズリの組み合わせの美しさは、シュメール人がすでに知っていたわけである。
「同時期、インダス文明においては、金はそれほど多くは使われておらず、女性たちの身を飾ったのは様々な貴石、半貴石のビーズで、主にカーネリアン、ジャスパー、アマゾナイト、翡翠などを使い、それにアフガニスタン産のラピスラズリを混ぜて使っていた。
「一方、古代エジプトでは何世紀にもわたって王朝の繁栄が続いたが、初期にはメソポタミアの影響を受けながら、独特の様式、技術を産み出している。ラピスラズリ、トルコ石、カーネリアンなどがビーズとしてだけでなく七宝と併行して、色彩を豊かにするためカットされ、磨かれて使われた。ツタンカーメンの装身具を見ると、ナットゥ、ネクベットゥなど神々のシンボルが、細線細工や七宝、象眼などの高度な技術で作り出されているのに驚かされる。そして面白いことに、ネックレスなどに使われたビーズの多くは、ファイアンス焼きで、その色はラピスラズリの青紫色とトルコ石の空青色に似せて作られている。
「聖なるスカラベは金やラピスラズリ、さんごなどでも作られたが、ラピスラズリ色のファイアンス焼きも多い。また、モーゼの十戒が刻まれたサファイアの板は、実はラピスラズリであったことが明らかにされている。」
 
 イラン暦の週末(西暦では木曜日と金曜日)が終わり、直紀は日本を出発する時から決めていたことを実行することにした。まだ本格的に仕事が始まった訳ではないので、直紀の外出は自由だった。直紀はレイラに話した。
「実は会いたいイラン人がいるんだけど、協力してくれないか?」
「はい、どういうことでしょうか?」
「アミール・アルデスタニという人を探して会いたい。彼は私の伯父の知り合いなんだ。あの小箱をくれた人でもある。」
「どこに住んでいるのか分かりますか?」
「伯母さんから住所をもらって来ているが、果たして今もそこにいるかどうか、あるいは生きているかどうかも分からない・・・」
「では、まずその住所のところに行って情報を集めて、それからまた考えるというのではどうでしょうか?」
「よし、決まったそうしよう。」
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by elderman | 2006-11-27 18:30