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2006年 05月 31日

タイの花(36)セキドウザクラソウ

キツネノマゴ科アシスタシア属の「セキドウサクラソウ」(赤道桜草)です。マレー半島からインド、アフリカに分布しているそうです。学名は、「アシスタシア・ガンゲティカ」といいます。写真は、スワンルワンローカーオ公園で撮影したものです。
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by elderman | 2006-05-31 09:51 | 花と樹木(熱帯)
2006年 05月 31日

イランの思い出(8)使用人

どこの国でも難しいのが運転手の雇用です。知識があって真面目な男性なら運転手というような職業はやらないというものでしょう。あんまり優秀な運転手をみつけても、いい仕事をみつけて辞められてしまうということを心配するのでは困ります。

運転手の仕事というのは、目的地までちゃんと運転をするというだけでなく、待つということも大きな仕事だと思っています。私は基本的に50歳くらいの運転手を雇うことにしていますが、イランでの最初の運転手は20代の独身男性でした。

モハンマドという名前の青年、性格のいい若者にみえました。面接の際、父親が一緒に来ました。父親は日本大使館で働いていました。信用できる人間という意味では申し分ないし、躾もしっかりなされているものと考えました。

仕事をしてもらうと、やはり危惧したように若いエネルギーのせいでしょう、じっと待っているというような仕事は難しいようでした。それでも、イラン人の若者の実態を観察するのには大変面白い対象だったので2年間くらいは仕事をやってもらいました。

仕事を始めて2、3か月した頃に彼の家の夕食に招待されたことがあります。イランの家庭料理を初めて体験することができました。日本大使館で働く父親ですから、イラン人にしては高給取りなのでしょう、なかなかいい家に住んでいました。敷いてある絨毯は、私のアパートにあるものとは比較にならないような高級感のあるものでした。

夕食で本当に困ったことは、運転手の母親がもっと食べなさいと強く勧めて来ることでした。まるで日本の田舎でみかける光景のようです。しかも、私がもう食べられないと悲鳴を上げているのに、私の皿に料理をどんと入れて勧めるのです。口をつけないと悪いと思いますから、無理して食べると、そこにまたどんと来るのです。こうなると地獄の責め苦です。(苦笑)

もう、デザートも食べることはできません。物理的にもう食べられません、食道にまだ食物が詰まっているような状態でした。この招待の後、数日間は消化器系の具合が悪く、体調不良になってしまいました。やれやれ・・・ イラン人家庭への招待はもう懲り懲りだと思ったくらいです。

こういう家庭で育った運転手だったので、いろいろと問題が出ても、しばらくはこちらが我慢して雇っていましたが、若さのせいか、じっと待っていることができず、どこかに行ってしまうので、タクシーを拾うことも何回かあり、挙句飛行場から出て来る私をみつけることができないというようなこともありました。

ついに私は彼を解雇しましたが、イラン人の若者の様子を知る上で多くの情報を得ることができたことは有益でした。彼も一般的な若者の例外ではなく、あまり勉強が好きでなく、大学進学はしませんでした。運転手の仕事を辞めてから専門学校に通うようになったと聞きましたが、それはそれでよかったのではないかと思っています。

ところが、私の帰国が決まった頃、彼は父親の計らいなのでしょう、日本大使館のガードマンとして雇われていました。ガードマンもじっとしていることが多い職業ですが、高給が期待できるし、父親の監視もあるでしょうから、なんとか勤まるのではないかと思います。いい仕事にありつけたことは喜んであげたいとは思います。

この若い運転手の後は、退職した運転手を雇うことにしました。イランでは30年勤続で退職になりますから、50歳くらいで定年退職した人はたくさんいます。年金をもらっているのであまりお金に困っていない人たちです。

(運転手とプジョー405)
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(運転手の家族)
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by elderman | 2006-05-31 09:18
2006年 05月 31日

紫陽花の様子

家の紫陽花の開花を楽しみにしていますが、まだ蕾のままです。やはり梅雨の花なのでしょうか、あと1週間かなぁ。

(ガクアジサイ)
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(墨田の花火)
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by elderman | 2006-05-31 08:09 | 花と樹木(温帯)
2006年 05月 30日

タイの花(35)タイワンレンギョウ

クマツヅラ科タイワンレンギョウ属のデュランタ・レペンスです。紫色でシルバーの縁取りのあるのデュランタ・宝塚の方が知られているでしょう。タイワンレンギョウ属は、北アメリカ南部から南アメリカにかけて36種が分布しているそうです。
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(デュランタ・アルバ)
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by elderman | 2006-05-30 08:50 | 花と樹木(熱帯)
2006年 05月 30日

イランの思い出(7)使用人

使用人のテーマの3回目です。今回は2番目のシェフのお話です。ディーンは自分の国外脱出でいろいろと忙しかったと思いますが、それでもちゃんと後釜の心配をしてくれました。スリランカ大使館の職員に人材の手配を頼んでおいてくれたのでした。

紹介された人が「カナガラジャ」という2番目のシェフです。名前が長いので「ラジャ」と呼ぶことになりました。彼はスリランカ大使のシェフとしてイランに来たのですが、どういう訳か大使が帰国した後もイランに残っていました。彼は当時38歳の既婚者で、奥様はスリランカ人、息子が一人いました。

面接ですっかり気に入った私は直ぐに働いてもらおうとしましたが、2,3日アパートに来ただけで、前の仕事に戻らないといけないと言い出しました。前の仕事はカラジ市(テヘランから50kmも離れている)の方でやっていて、建築関係だと言います。途中で仕事を投げ出されたら困ると使用人が大使館にクレームをつけたのでしょうか、ラジャはしぶしぶ戻らないといけなかったようです。

私は、いいシェフを得られるなら1か月くらい待つことは問題ないと考え、彼に1か月の猶予をあげました。1か月待つから、今の仕事をきちんと片付けてから来てくれという私の申し出にとても感謝しているようでした。彼がテヘランに来たいというのは仕事のせいもありますが、切実な問題は息子の教育ということでした。もちろんシェフとしていい腕前がありながら、建築関係の肉体労働ではもったいないとも言えますね。

彼がカラジ市に戻った後、ラジャは代わりのスリランカ人を手配してくれました。「イクバル」という20代の男性でしたが、若いにも拘わらず料理は結構上手でした。彼らは親友らしく、イクバルがラジャを差し置いて仕事を奪うというような行動には出ませんでした。イクバルも結婚していて、子供ができるというような状況でしたから、定収入は大きな魅力だったでしょうに。

1か月後、ラジャが戻って来ました。ディーンはシェフというより経営者ですが、ラジャはプロ級のシェフです。私は体重の増加を心配したものです。案の定、彼のお陰で8kgも太ってしまいました。ラジャの復帰で再びパーティなど楽しむことができました。

パーティで6人以上のお客さんになると、スリランカ人の給仕を連れて来ました。黒いベストに蝶ネクタイという姿です。大使館でやるパーティと同じように、お客さんの希望にしたがって飲み物をサービスしたり、オードブルをサービスしてくれます。外国での生活だとこういうことができるので気分がいいものです。

私は使用人が自分の生活空間にいることをまったく気にしない方です。海外での長い生活で馴れてしまったのでしょう。普段の夕食では、キッチンにあるカウンターでシェフとおしゃべりしながらの食事になります。単身赴任でもそれほど寂しい時間を過ごしていた訳ではありません。

ラジャもよく大使館など外国人パーティの準備に声が掛かっていました。他所でのパーティは彼の大事な収入になることでしょう、私には週に一日くらいの欠勤は問題ありません。

シェフの仕事の一つに私のランチの準備があります。職場に電子レンジを買っておいているので、あらかじめ用意してもらったランチを温めて食べていました。ラジャは、鶏肉、牛肉、海老、カレーなど上手く回転させて、私を飽きさせることはありませんでした。

私の帰国が決まる頃、ラジャは当局から不法滞在で捕まってしまいました。罰金を払って帰国しないといけなくなってしまったのです。ラジャもイランではいい将来がないということを見通していたのでイランを去ることには問題はないようでした。問題は罰金でした。再三の交渉の後、1000ドルの罰金で帰国することになりました。

私の最後まで面倒をみられなかったことについて大変すまないと謝っていました。私は彼が当局との交渉中に退職金や給料を与えずにおきました。彼がお金をもってしまうと高額の罰金に妥協してしまうのではないかと心配したからです。スリランカに帰国してもお金は必要でしょう。すべてが決着したときに3年近くも働いてくれた彼にまとまったお金を支払いました。

ラジャとの付き合いはこうして終わりましたが、彼はこれまでに雇用者と心が通じたことはないと涙で私との別れを惜しんでくれました。彼には、私が言わなくても何を考えているのかが分かったようです。私は、彼のためによかれと思うことはできるだけのことをしてあげました。それを感じて彼もまた一生懸命働いてくれたのです。前任のディーンもそうですが、ラジャもとても立派な人格の持ち主でした。私がスリランカ人を好きにならない理由は見当たりません。

私の帰国のとき、ラジャがスリランカから国際電話をしてくれたことには驚きました。最後の最後まで心配していてくれたのです。ラジャは帰国の後、多分弟のいるドバイに単身で向かうと思います。彼の落ち着き先が決まればEメールをくれることでしょう。まだ連絡はありませんが、落ち着き先が分かったら再会したいと思っています。

(ラジャの家族との記念写真)
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by elderman | 2006-05-30 08:32
2006年 05月 30日

スイートピー(日本)

マメ科レンリソウ属のスイートピーです。赤いスイートピーとか有名ですが、私は興味がなかったせいか、スイートピーという花を意識したことがありませんでした。大きくて真っ赤なマメ科の花をみつけて、いったい何だろうと思ってしまったくらいです。普通の花でもまだまだ知らないものがあります。(汗)

スイートピーの原産地はシチリア島だそうです。日本へは明治時代に渡来したそうですから、古くからある植物とも言えますね。別名で「カオリエンドウ」(香豌豆)とか「ジャコウレンリソウ」(麝香連理草)とも呼ばれるそうです。
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by elderman | 2006-05-30 06:41 | 花と樹木(温帯)
2006年 05月 29日

アケボノフウロ(日本)

フウロソウ科の園芸種です。ヨーロッパが原産だそうです。別名で「サンギネウム」とも呼ばれるようです。
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(参考)ヒメフウロ・・・日本で撮影したものです。
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(参考)ノハラフウロ・・・ルーマニアで撮影したものです。
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by elderman | 2006-05-29 11:01 | 花と樹木(温帯)
2006年 05月 29日

ジャガイモとナスとトマト

いずれもナス科の植物ですね。花もよく似ています。ジャガイモとトマトは南アメリカが原産、ナスはインド東部が原産だそうですが、今では世界中どこでもある植物です。

(ジャガイモ・・・家の前の畑で撮影したものです。)
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(ナス・・・タイで撮影したものです。)
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(トマト・・・ルーマニアで撮影したものです。)
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by elderman | 2006-05-29 10:42 | 花と樹木(温帯)
2006年 05月 29日

イランの思い出(6)使用人

使用人のテーマの2回目です。今回はシェフの番です。4年間で二人のスリランカ人シェフに働いてもらいました。シェフと言っても、料理だけでなく、掃除、洗濯、ベッドメーキング、買い物も仕事になります。とはいえ、私は単身赴任ですから料理以外の仕事は簡単なものです。

私が大きなアパートを借りた理由の一つに、パーティをやって仲間を呼んで楽しみたいということがありました。娯楽のないイランですから、そのくらいの楽しみがないと長期滞在が辛くなりますものね。ですから、ちゃんとした料理の作れるシェフを雇うことは大変好都合なのです。もちろん、パーティの準備、給仕、後片付けは大きな仕事ですから、別にお手当てを払ったことは言うまでもありません。

ところで、アパート住まいではメイドを雇うというのが一般的ですが、なぜそうしなかったかということに触れておきましょう。タイなどでは、大きなアパートにはメイドの住み込み用の部屋があります。平日は住み込んで、週末に家に帰るというような生活になるのが普通でしょう。

しかし、イランでは話が違います。メイドと言えば女性ですから、女性の住み込みはやっかいな問題です。しかも、イラン人女性となれば、ペルシャ語しか話さないし、イラン料理しか作れないでしょう。これでは困るのです。そういう条件のところにスリランカ人の男性シェフの存在というのはありがいものでした。

スリランカ人シェフだと、インド料理はもちろん、西洋料理も作ることができます。イラン料理は外食やお呼ばれでたくさんですから、申し分のない人材ということになります。お陰で、ゴルフ仲間や仕事仲間を呼んで、カラオケ・パーティやインド料理パーティなどを楽しむことができました。

最初のシェフは、大家さんに紹介してもらったもので、約1年半の間働いてくれました。彼の場合は解雇でなく、なんと家族と一緒にスペインに脱出してしまったのです。イラン人にはモハンマドと呼ばれていましたが、本名は別にあり、あまりにも長いため、私は「ディーン」と呼んでいました。

ディーンはイランに来て25年になると言います。そしてイラン人の奥様を持ち、二人の子供がありました。一度招待されたことがありますが、立派な家を持っていました。彼の働いている間、よく聞きましたが、彼は本気でイラン脱出を計画していたのです。イランにいてもいい将来が期待できないというのが彼の見解でした。

ディーンは単なるシェフではありませんでした。私のアパートの仕事以外にケイタリング(仕出し)をやっていたのです。ケイタリング会社の社長でもあります。スリランカ大使館だけでなく、あちこちの大使館から声が掛けられていました。私のアパートでは携帯電話で指示を出していたものです。

外国の大使館では、やはり西洋料理やインド料理というイラン料理でないメニューが歓迎されるのでしょう。週に1、2回はパーティの準備があり、私のところの仕事を休むこともありました。そういうディーンですから、各国の大使との面識もあるくらいなのです。

各国の大使館とのつながりがあるので、アルコール類を手に入れることは割り合い簡単なようでした。私がイランに着いた頃は、アルコール類の入手はちょっと難しく、また種類も限られていました。そんな状況でしたから、彼の入手してくるアルコール類には喜ばされました。2年くらい後には、一般的なアルコール類が手に入るようになりましたから、状況は変化していますけどね。

そのディーン、1年半後に家族でスペイン旅行に出たのです。ビザを取得するために家の登記書類を提出したと言います。そして、彼と家族は二度とイランには戻ってきませんでした。私とはE-メールでやりとりできたので、彼がどこで何をしているのか知ることはできました。

彼が定住を決めたのは、コスタデルソル(太陽海岸)にあるマルベージャという町でマラガの近くにあります。スペインのマドリッドには彼の弟がいて事業を成功させています。ディーンは最初はインドレストランのスーパーバイザーとして仕事を始めましたが、その2年後には自分のインド料理レストランを持つことになりました。事業で成功した弟の援助があるにせよ、立派なものです。

彼の突然の国外脱出で、私は彼に支払うべき退職金や給料がありました。そこで、私は休暇を利用して1年後にコスタデルソルに行ったのでした。立派な経営者になった彼ですが、私を呼ぶときは相変わらず「サー」でした。私は、彼の国外脱出、そして成功を心から喜びました。

長くなってしまったので、二番目のシェフのお話は次回ということにしましょう。

(アパートでケバブを焼くディーン)
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(スペインでレストランのスーパーバイザーをするディーン)
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by elderman | 2006-05-29 10:31
2006年 05月 28日

タイの花(名称不明)

ずっと調べているのですが、いまだに花の名前が分かりません。10cm以上もある大きな花なのに分からないのです。どなたか、ヒントでもいただければありがたいのですが。

黄色い椿のような花ですが、ちょっとした風で簡単に花が落ちてしまうようです。木は4m以上もある大きなものでした。

ついに、花の名前が分かりました。ベニノキ科のキバナワタモドキという名前です。一重のものが一般的なようですが、写真のものは八重咲きのものでした。学名は、”Cochlospermum religiosum”といいます。
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by elderman | 2006-05-28 09:21 | 花の名前探索中