えるだま・・・世界の国から

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カテゴリ:★世界遺産特集★( 49 )


2007年 09月 19日

世界遺産特集(15)バムとその文化的景観(イラン)

2003年12月26日の大地震で崩壊してしまった「死の町アルゲ・バム」です。その後、修復目的で世界遺産の危機遺産に指定されたので、できるだけ早い時期に修復がなされることを期待しています。

イランの南東、砂漠の中と言ってもいい場所、州都ケルマーンのさらに南東約200km、パキスタンへもそう遠くないところにバムという町があります。この小さな町には「死の町」の異名を持つ廃墟があり、それがアルゲ・バム(バム城砦)です。

アルゲ・バムの起源は2000年前とも言われていています。その後さまざまな勢力争いや侵略行為に翻弄され、19世紀始めに町は完全に放棄されました。私の訪問したときには、一部修復されているものの、集落は朽ち果て、まさに廃墟と化していました。

バムの起源ははっきりしていないようですが、ササン朝(224~637年)というのが最も有力な説だそうです。一説にはアルケサス朝(パルティア)時代(紀元前250~紀元後224年)にまで遡るとも言われています。私の訪問のときに残っていた廃墟のほとんどはサファーヴィ朝時代のものだそうです。その後、町は幾度も支配者が変わりましたが、東西貿易の要として栄えてきたと言います。

しかし、その後1722年のアフガン軍包囲により、完全に放棄されることになりました。一旦、人々は町に戻りかけたこともありましたが、1810年頃にふたたび侵略を受け、廃墟の一途をたどることになったと言います。

アルゲ・バムは、南北400m×東西300mほどの広さの要塞都市で、周囲をぐるりと高い城壁に囲まれています。この城壁は全長およそ2km、9世紀頃に造られたものです。当時は数箇所に門がありましたが、現在の入口は南の通りに面した門だけです。この門は、監視台の役割を兼ねていたため、内側右の階段から登ることができ、城砦を彼方に望むその景色はダイナミックであり、また奇妙なものです。

城で最も眺めがよいのは、「長官の住居」の屋上です。屋上への階段がかなり狭く急ですが、ここを上がればアルゲ・バムの全貌が手に取るように分かります。東側には、冬期に水を引いて氷を作り、夏に利用するヤフチャール(氷室)も見ることができました。

アルゲ・バムを訪れるベストタイムは夕暮れ時、夕陽に赤く染まった廃墟がとても美しいと言われています。私の時は残念ながら夕焼けにならなかったせいか、それほど赤く染まることはありませんでした。

帰り道の用心のため、できるだけ複数で訪れた方がいいとガイドブックにありましたが、迷子になるほどの迷路とは思えませんでした。

このバムという場所、他の観光地から離れているため、ここだけを目指して行かなければならず、観光ツアーのコースから外れることが多いと思います。週に1便だけ飛行機がありますが、それでは少し不便なので、私はケルマンまで飛行機で行き、その後自動車で移動することにしました。2003年5月6日のことでした。
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by elderman | 2007-09-19 09:44 | ★世界遺産特集★ | Comments(8)
2007年 09月 18日

世界遺産特集(14)ペルセポリス(イラン)

テヘランから飛行機で約1時間半南に移動したところにあるシーラーズという都市、そこから約55km離れたところにあの有名なペルセポリスがあります。世界遺産にも指定されているイラン屈指の遺跡であるペルセポリスをこれからご案内したいと思います。

遺跡マニアの間では、「ヨルダンのペトラ遺跡」、「シリアのパルミラ遺跡」とともに「中東の3P」と呼ばれているそうです。

ペルセポリスの遺跡に向かう前に、少しペルシャについて説明しておかないといけませんね。できるだけ簡単に説明したいと思います。詳しいことはガイドブックを読めばいいことです。

ペルシャ帝国という呼び名は、ギリシャとの戦争などで有名ですからご存知のことと思います。このペルシャ帝国の始まりはアケメネス朝で、紀元前550年にメディアという先住民を打ち倒して王国を作りました。イラン人はアーリア系の民族でこのときに現在のイランの南方に移住して来ました。ジグラットなどメソポタミア文明を担った民族とは違います。現在のイランを知るにはここを起点として歴史をたどればよいかと思います。

最初の王の名前をキュロス大王といいます。サイラスとも発音されます。この後、ダリウス、クセルクセス、アルタクセルクセスなど王が続き、ペルシャ帝国の繁栄をもたらしたのでした。ペルセポリスは紀元前512年にダリウス1世が建築に着手したもので、まさに計画都市と言えるでしょう。西はエジプト、東はインドまで勢力を及ぼしたペルシャ帝国の輝かしい歴史がペルセポリスの遺跡として残っているのです。

現在のイラン人のプライドが高いというのはこのペルシャ帝国から来ていると言えるでしょう。アケメネス朝は紀元前331年にアレキサンダー大王によって滅ぼされてしまいましたが、その後再びササン朝ペルシャとして復活しました。

2500年前ののペルセポリスの様子を描いた絵を紹介しておきます。引用文献:"PARSA PERSEPOLIS" by Werner Felix Dutz & Sylvia A. Matheson, YASSAVOLI
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★大階段
ペルセポリスに着くと最初にびっくりするのがその駐車場の大きさでしょうか。私は5月に1回と12月に2回行っていますが、どちらもほとんど観光客がいなかったですね。これほどの観光資源を眠らせているのは実にもったいない話です。

駐車場から見るペルセポリスはなんと言ったらいいのでしょうか。山を背景に作られた石作りの要塞とでも言いましょうか。入場券売り場から入口にある大階段まではかなり歩かないといけません。石畳の上を進むとやがて大階段に着きます。

大階段は左右対称で、111段あるそうです。折り返している二重の階段はかなりゆったりした傾斜をしています。当時馬に乗ったまま登ったからだと言います。階段は部分的に修復されていましたが、2500年も前の石がそのまま残っています。2000年前の遺跡と言うとローマのフォロロマーノが思い出されますが、ここはそれよりさらに500年も古い遺跡なのです。

私は階段を登りながら、当時の様子を頭の中に思い描いていました。属国となった外国から使者の一行が来て、代表者は馬でこの階段を登り、アケメネス朝の王様に謁見するのです。権力の象徴であるペルセポリスの当時はさぞかし豪華絢爛としたものだったでしょう。
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★万国の門
入口の大階段を登るとすぐ「万国の門」と呼ばれる門があります。これはクセルクセス王が建てたそうです。属国から来た使者たちはこの門を抜けて中の控えの間に進んでいったことでしょう。この門の装飾についている雄牛の顔は偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって破壊されてしまっています。

私はこの「万国の門」を見たときに映画の「ネバーエンディングストーリー」を思い出していました。旅人がゲートを通るシーンです。迷いだったか恐れだったか忘れてしまいましたが、弱い旅人はゲートにある彫像から出るビームで殺されてしまいました。私は映画のシーンでも見ているようなわくわくする気分でこの門を通過しました。

現在は石でできた柱あるいはその土台しか残っていませんが、昔は全体が大きな神殿だったそうです。屋根も天井もあったのです。多分木造なのでしょう、残念ながら現在それらを見ることはできません。
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出入口は反対側にもあり、そちらの方が保存状態がいいようです。こちらは人面獣神のようで、5本の足があると説明されました。

このペルセポリス、アッシリア風でもエジプト風でもなく、何風というのが不明だそうです。誰の意思でデザインされたのかは分かりませんが、ペルセポリスにはかなり独創的かつ全体として均質な巨大な創造物が造りだされていると言えます。外部からいろいろ取り込むのが得意なペルシャ人には珍しく、このペルセポリスに見られる独創性には驚かされます。

この門を過ぎ、しばらく進み右に折れると、百柱の間やアパダナ神殿へと続きます。
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★柱頭
ペルセポリスの遺跡を特徴づける柱頭についてです。一つは鷲の像、もう一つは雄牛の像です。どちらもデザイン化された美しい造形です。鷲の像はイラン航空のシンボルマークにも使われています。
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★アパダナ
アパダナは謁見の間であり、属国からの使者の謁見に使われていたと言われています。高さ20mの36本の柱によって支えられていたそうです。今は12本が原型をとどめているだけです。ここで 面白いのはレリーフなんですが、なかなかいい写真が撮れないのが残念なところです。23に及ぶ属国の使者がそれぞれの国の衣装で貢物を献上する様子が彫られています。今回紹介の絵は引用です。引用文献:"PARSA PERSEPOLIS" by Werner Felix Dutz & Sylvia A. Matheson, YASSAVOLI
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★タチャラ・パレス
アパダナの隣にあるダリウス一世の宮殿、これをタチャラ・パレスと呼んでいます。全体としてよく残っている遺跡と言えるでしょう。もちろん石造りの部分しか残っていませんけどね。このタチャラ・パレスは全体にこじんまりしたものです。

参考までに、ダリウス一世の碑文を紹介しましょう。ペルシャ人って賢かったんですよね。それがどうして現代では発展途上国の憂き目を見ているのでしょうか。

「これらがアフラマズダのお陰により、ペルシャ以外に手に入れられた国々である。余はこれらの国を統治した。これらの国々は余に貢物を持ってきた。これらの国々は、余が命令したように行動した。余の法律-これらの国々をしっかりと捕らえては離さぬもの。メディア、エラム、パルティア、アーリア、バクトリア、ソグディアナ、コラスミア、ドランギアナ、アラコスィア、サッタギディア、ガンダーラ、シンド、アミルギアン、スキタイ、とんがり帽子のスキタイ、バビロニア、アッシリア、アラビア、エジプト、アルメニア、カッパドキア、サルディス、イオニア、海を越えるスキタイ、スクルダ、ぺタソスを着るイオニア人、リビア人、エチオピア人、マカの人々、カリア人、・・・・・」
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★百柱の間

万国の門から入り、アパダナと反対の方向にこの百柱の間があります。その名前のとおり実際に100本の柱があって大きな空間を作っていたようです。ペルセポリスの中でアパダナに次ぐ大きな建築物だったことでしょう。

この建物はアレキサンダーによって焼かれてしまったそうです。
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★王墓

百柱の間の写真の遠方に見えているのはペルセポリスを作った王の一人アルタクセルクセス二世の墓です。王家の墓は後でご紹介するナグシェ・ロスタムにまとめてあるのですが、なぜかこの王とダリウス三世の墓は別なところに作られています。どうしてでしょうね、占いでもやっていたのでしょうか。

丘の中腹にあるこの墓に行くと、入口には鉄格子があり、鍵が掛けてあります。見学できないのかと思っていたら、おじいさんがどこからともなく現れて、ツアーガイドと何やら話をしています。このおじいさん墓守なのでしょうか、鍵を開けて中を見せてくれたのです。中には王と王妃の石棺がありました。かなり大きなものですが、その中まで覗くことはできませんでしたが、多分今となっては何もないのでしょう。
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by elderman | 2007-09-18 07:43 | ★世界遺産特集★ | Comments(2)
2007年 09月 17日

世界遺産特集(13)パサルガダエ(イラン)

パサルガダエ、私は世界遺産とは知りませんでした。登録されたのが、2004年のことだたので気がつかなかったのです。因みに、私が行ったのは2005年の2月でした。ペルシャ帝国の遺跡としてはペルセポリスが有名ですが、パサルガダエはそれよりも古い遺跡です。

【キュロス大王の墓】
紀元前550年、アケメネス朝ペルシャが成立し、紀元前546年にアケメネス朝が独立したとされています。その時の王、キュロス大王(二世)の在位は紀元前559~530年です。

私がキュロス大王に興味を持ったのは、この集団が今のイラン人のルーツだと考えられるからです。紀元前8,9世紀にはイランの地はメディア王国によって統治されていました。その中のシラーズのあるファールス州に居住していた人たちが、メディア王国を滅ぼし、アケメネス朝という巨大なペルシャ帝国を築き上げたのです。
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【ソロモンの牢獄】
14mもの高さのある石造りの建築物ですが、ソロモンの牢獄と呼ばれるゾロアスター教の神殿があります。この建物については様々な説があるようで、キュロス大王の息子のカンビュセスの墓だという説、拝火教の寺院という説、宝物館という説などなどです。ソロモンの牢獄という名前はイスラム時代に入ってから名付けられたもののようです。

写真で見ても、その用途がよく分かりませんね。昔は直方体の建物だったようで、29の階段で上まで上がって行くことができたようです。謎だらけの建築物と言えるでしょう。
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【王宮】
現場にはペルセポリスと同じように石柱の跡だけが残っていました。石柱の仕上げはペルセポリスのものと似ているように思われました。この時代、いったいどうやって削って磨き上げたのでしょうか。

約3200平方メートルの敷地ですから、1000坪という大きなものです。宮殿に入るゲートに「私がアケメネス朝の王、キュロスである」と楔形文字で彫られています。もちろん楔形文字なんて私には読めませんから、現場にあった説明文からです。

ともあれ、ここは居住用の宮殿として使われていたという説が有力のようです。

(王宮)
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(「私がアケメネス朝の王、キュロスである」)
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【謁見の間】
ペルセポリスにもあった謁見の間ですが、こちらのものは少し規模が小さくて約2,500平方メートルの広さだそうです。13mの高さの石柱8本で支えられたこの建物は立派なものだったことでしょう。敷地内にはこれより低い多数の石柱の跡が残っています。
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【レリーフ】
謁見の間の建物にも楔形文字で「私がキュロス、アケメネス朝の王である」と刻まれています。レリーフには人間の足と魚の模様の装った足と牛の足が彫られていました。陸と海とを支配する慈悲深い王であるということを表わしていると考えられています。

そしてこの近くに、ゲイト・ハウスと呼ばれる場所に4っの翼を持つ天使のようなレリーフがありました。残念ながらその意味はまったく不明です。ゾロアスター教の神アフラマツダにも翼があるから、その原型でしょうか。頭に奇妙なものを載せていますね、いったい何を意味しているのでしょうか。

(足のレリーフ)
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(天使のレリーフ)
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★さらに詳しくご覧になりたい方は、次からどうぞ。
「パサルガダエ(1)キュロス大王の墓」 
「パサルガダエ(2)ソロモンの牢獄」 
「パサルガダエ(3)王宮」 
「パサルガダエ(4)謁見の間」 
「パサルガダエ(5)レリーフ」
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by elderman | 2007-09-17 09:19 | ★世界遺産特集★ | Comments(6)
2007年 09月 16日

世界遺産特集(12)チョガ・ザンビール(イラン)

イランのアフワーズという町の近くにあるピラミッド、イランではジグラットと呼ばれます。イランの油田はアフワーズの周辺にたくさんあります。1908年に油田が発見されてからこの街はイランで最も重要な工業地帯の一つにまで発展してきました。この地方の人々はイランの国の中とは言え、そのほとんどがアラブ人だそうです。アフワーズはイラン・イラク戦争で激戦地になったことがあり、街は大きな打撃を受けたそうです。

このジグラットは、紀元前13世紀の中頃、エラム国の国王ウンタッシュガルがシューシを行政の中心に定める一方、宗教的中心地としてここにジグラットを建設したといいます。当時は地上50mもある巨大な建造物だったようです。現在では3段目までが残っていて、現存するエラム期の遺跡としてはもっとも保存状態がよいと言われています。

エラム王国の人々は今のイラン人、アーリア人ではありませんでした。シュメール文明(メソポタミア文明)の人々だと考えられています。今のイラン人はペルシャ帝国を築き上げたアケメネス朝からと言えます。

広大な土地の中にあって、ジグラットはそれほど巨大には見えませんでした。ツアー・ガイドはよく歴史を知っており、日時計、処刑場、給水施設など詳しく説明してくれました。このジグラット、当時は青いタイルで飾ってあったそうです。

(ジグラットの遠景)
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(ジグラットを間近に見る)
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(日時計)
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by elderman | 2007-09-16 08:59 | ★世界遺産特集★ | Comments(4)
2007年 09月 15日

世界遺産特集(11)イスファハンのイマーム広場(イラン)【後編】

【モスク】
アッバース一世の命により1612年に着工されたと言います。完成したのは大帝の死後の1638年ですから、26年の歳月をかけて建築されたものです。写真の最初はエイヴァーンと呼ばれるものでモスクへの入り口になります。私たちはまずこの入り口の門の巨大さに圧倒されます。

エイヴァーンの巨大さもさることながら、精緻なタイルワーク、天井の鍾乳石飾りに目を奪われます。しかしながら凝りに凝った門とは言え、モスクに続く入り口に過ぎません。この門はメッカの方向を目指していないので、通路は45度曲がっています。この変化がこのモスクのデザインをユニークなものにし、魅力的なものにしていると思われます。

エイヴァーンから通路を抜けると正面に中央礼拝堂があります。これもまた巨大なもので大きなドームを持っています。このドーム、内側からも外側からも美しい仕上げがなされています。ドームの真下で音を立てるとドームで反射して来るのが分かります。コーランの読み上げに効果的なのでしょうか。

ドームの周囲にも大きな空間が作られていて、大勢のイスラム教徒がお祈りできるように設計されています。隅から隅まで凝りに凝った装飾がなされていて、しかもそれが年月を経て重厚さを増しています。
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by elderman | 2007-09-15 07:44 | ★世界遺産特集★ | Comments(16)
2007年 09月 15日

世界遺産特集(11)イスファハンのイマーム広場(イラン)【前編】

最初にお断りしておきますが、Wikipediaの表記では、「イスファハン」、「イマーム」となっていますが、私はペルシャ語の発音に近い「エスファハン」、「エマーム」と表記しています。表題だけは、Wikipediaの表記に従いました。

【エマームスクエア】
このエマームスクエアはイランの徳川家康のような王様のアッバース一世が計画し、1598年に着工したものです。完成までには何十年もかかったといいます。「エスファハンは世界の半分」という有名な言葉は、このスクエア(広場)を形容したものと思われます。

エマームスクエアは、510m×163mの大きさの長方形の広場です。主要な建築物には、アーリー・ガープー宮殿、シェイフ・ロトゥフォッラー・モスク、エマーム・モスクがあります。回廊部分には、絨毯、工芸品、細密画、金属加工品、民芸品、お菓子などさまざまなものを扱っている売店が並んでいます。

このスクエアは昔、ポロ競技がなされたようで、その様子は細密画に描かれています。王様はアーリー・ガープー宮殿から観覧していたようです。

(エマームスクエア)
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(エマームモスク・・・このモスクには尖塔がありません。王様一族のためなので不要なのです。)
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(エマームスクエアの噴水)
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(アーリー・ガープー宮殿)
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(エマームスクエアの夜景)
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by elderman | 2007-09-15 07:35 | ★世界遺産特集★ | Comments(2)
2007年 09月 14日

世界遺産特集(10)ラホールの城塞とシャーリマール庭園(パキスタン)

パキスタンのラホールと言えば、日本の京都、イランのエスファハンのような美しい街です。たまにインド軍が攻め込んで来たりするのでちょっと怖いですが、パキスタンに行った場合は逃せない観光地です。世界遺産としては危機遺産として登録されています。

17世紀に建てられた赤い砂岩造りのバドシャヒーモスクとそのミナレットが、パンジャブの州都ラホールの旧市街にそびえています。11世紀から17世紀にかけて、ラホールはムガール帝国の中心として栄え、その後はシク王国の中心となりました。

ラホール城の歴史は、12世紀にラホールから征服活動を展開したシハーブッディーン・ムハンマド(ゴール朝)の時代よりも古いそうです。

現在のラホール城はムガール帝国時代に築かれたものが多く、1566年にアクバルの手によって、ラホール城の古い基盤をもとに煉瓦で再建されたそうです。王室の謁見の間として有名な「ドウラト・ハーナイェ・ハーソ・アーム」はこのときに作られたといいます。

(ジャハーンギール廟・・・ムガール朝第4代皇帝)
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(ラホール城)
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(シャリマール庭園・・・タージ・マハルを建築したシャー・ジャハーンが建てた保養施設)
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(バドシャヒーモスク)
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More  女性の民族衣装
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by elderman | 2007-09-14 07:24 | ★世界遺産特集★ | Comments(4)
2007年 09月 13日

世界遺産特集(9)タキシラ(パキスタン)

パキスタンにはモヘンジョダロに大変古い遺跡がありますが、行っても何もないという話を聞いて断念してしまいました。今回紹介するタキシラの遺跡はイスラマバードからそれほど遠くないところにある仏教遺跡です。ガンダーラ仏教美術というと親しみがあるでしょう。

(タキシラ美術館・・・さまざまな仏教遺跡が展示されています)
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(3種類の様式・・・ギリシャ、中東、アジアの象徴だそうです)
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(シルカップ遺跡・・・クナーラ寺院跡)
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(ジョーリアン僧院遺跡)
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(彫像の首が残っているものは珍しい)
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by elderman | 2007-09-13 05:46 | ★世界遺産特集★ | Comments(2)
2007年 09月 13日

★世界遺産リスト(2)中近東

●印は、私のみたことがあるところ、☆印は、まだ行ったことがないところです。

パキスタンの世界遺産

【文化遺産】
●タキシラ - (1980年)
●ラホールの城塞とシャーリマール庭園(危機遺産) - (1981年)
☆タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサライ・バロールの近隣都市遺跡群 - (1980年)
☆モヘンジョダロの遺跡群 - (1980年)
☆ロータス城塞 - (1997年)
☆タッターの文化財 - (1981年)


イランの世界遺産

【文化遺産】
●イスファハンのイマーム広場 - (1979年)
●ペルセポリス - (1979年)
●チョガ・ザンビール - (1979年)
☆タハテ・スレマーン - (2003年)
☆ソルタニーイェ - (2005年)
●パサルガダエ - (2004年)
●バムとその文化的景観(危機遺産) - (2004年)
☆ビソトゥーン - (2006年)
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by elderman | 2007-09-13 05:34 | ★世界遺産特集★ | Comments(0)
2007年 09月 12日

世界遺産特集(8)古代都市ウシュマル(メキシコ)

アステカの遺跡であるテオティワカン、マヤの遺跡であるチチェンイツァ、どちらも有名ですが、私はウシュマルの遺跡が好きです。落ち着いた雰囲気に好感を持つのかも知れません。半日くらいのんびりと散策したい気分になります。

ウシュマルの遺跡は、7世紀頃のマヤの古典期に繁栄したそうですから、遺跡は古く落ち着いているのですね。ピラミッドの形もどこか女性的で優しい感じがします。

(魔法使いのピラミッド・・・こちらは登頂禁止です。)
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(ピラミッドの周辺)
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by elderman | 2007-09-12 01:00 | ★世界遺産特集★ | Comments(2)