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2005年 09月 07日

日本人の特殊性(8):お米2

美味しいご飯というのも環境から作られた感性だと思います。日本人が最上だと思っている日本のご飯も世界的に見れば少し変わった性質のお米だと言えるでしょう。ともあれ日本で得られる食材との相性がいい日本人にぴったりのお米が開発され発展してきたことはラッキーですね。

外国のご飯をみて、なんて不味そうなのかと思うのはこの日本の特殊性からみた感性であることを知ることは大事です。そもそも外国ではそのご飯を不味いとは思っていないはずだし、逆に日本の最上のお米で炊いたご飯を食べてもらって感想を聞いてみるといいかもしれません。日本人には意外な答えが返って来るはずです。

米どころのタイでは、例のぱさぱさご飯が主流です。日本のもち米のような米はタイでは東北地方(イサーン)で人気がありますが、バンコクでは田舎のご飯として多少侮蔑をこめてみられています。タイ料理にはぱさぱさのご飯の方が合うし、チャーハンも普通のメニューなのでこちらのお米が向いていますね。お寿司に使うご飯で作るチャーハンって想像したくないと思いますが・・・。

お米はアジアだけでなく、南ヨーロッパ、中南米でもたくさん消費されています。副食物との相性があるのでしょうか、日本のような粘性の強いご飯はやはり違和感があります。ですから、南ヨーロッパや南米の人たちに日本人が箸でご飯を食べていると言っても信用してもらえません。一粒ずつつまむのだろうと想像しているのでしょうかね。

ベネズエラにいた時ですが、メイドがご飯を炊くときには必ずなにか香りのある野菜などを入れて炊いていました。ご飯の香りがあまりいいものでないと考えているようでした。ご飯を炊いている時に時として嫌な香りだと思うことがありますが、私にはほとんど気になりませんけどね。

イランではぱさぱさご飯ではない、同じ重さでボリュームが倍もあるようなふわふわご飯が主流です。日本のご飯のような仕上がりは失敗とみなされてしまいます。カスピ海周辺には日本のご飯のような質の米もあり、そちらが好きな人たちもいるということは聞いています。イラン全土からみれば極めて少数派ということになりますけどね。イランのふわふわご飯に慣れ、その感性で日本のご飯をみてみると、日本のご飯が妙に見えるから不思議なものです。確かにご飯の用意に失敗したかのように見えてしまいます。

イランのご飯は炊き方も違うし、油を入れるということもあるので、私自身ではやったことがありません。でも、ふわふわご飯の出来栄えはなかなかいいものです。もちろん日本食材との相性には大いに疑問があります。ですから私は醤油とか焼き海苔をイメージするとどうしても日本のご飯ということになってしまいます。

モロッコ料理にはクスクスという材料があって、稗か粟の一種だと思うのですが、小粒でスカスカの食感には抵抗を感じます。慣れないからなのだろうかと思っていますが、未だに美味しいと思ったことがありません。友人の中国人は不味いといい、フランス人は美味しいって言っていましたけどね。

という訳で、日本人がとっても大切にし、美味しいと考えている日本のお米は、世界ではあまり評価が高くないというのが今回のお話でした。日本人ってやっぱり特殊だと思いませんか。

(後日談)
いやはや感動というのは意外なところにあるようで・・・ 「日本人の特殊性」というシリーズで日本のご飯が特殊だなんて書いておりますが、久しぶりに食べた日本のご飯の美味いのなんのって・・・ 普段はお代わりをしない私ですが、今日のお昼には茶碗に2杯も食べてしまいました。

このお米、実はイランに出張している日本人からいただいたものでして、実はそれほど期待しないでお昼ご飯の用意をしていたのです。おかずは水戸納豆に唐辛子まぐろという得体の知れない缶詰、それに焼き海苔、インスタント味噌汁という献立なんですが、炊きたてのご飯を食べるともう、おかずなんてどうでもいいという世界になりました。日本からのご飯、それ自体の美味いこと、いやはや凄い、日本のみなさんは毎日こんなに美味しいものを食べているのですねぇ・・・ 羨ましい限りです。

日本のご飯っていうのは、本当に芸術品ですね。これほど美味しい主食ってないんじゃないかなぁ・・・ 今回の経験で私はすっかり日本人に戻ってしまいました。
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by elderman | 2005-09-07 06:56 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(6)
2005年 09月 07日

日本人の特殊性(8):お米

2年前のことですが、カスピ海周辺でとれる日本米が出回り、日本人会の希望メンバーに販売されるということがありました。私のゴルフ友達で62歳の方が、買ったけどお米が多過ぎるので分けてくれるというので喜んでお願いしたのですが、その彼、なかなかお米の値段を言ってくれないのです。値段が正確に記憶していないというのが理由だったのですが、2週間たっても、3週間たってもいっこうにはっきりしないのです。

10kgを分けていただいたのですが、値段は1200円程度で、1300円でもいくらでも大した違いはないのですが、支払う側としても困ってしまいました。この原因を考えると、どうやらその彼はその程度の値段のお米だからタダであげてもいいかと悩んだのではないかと思うのです。しかしお米をあげてしまうというのはいかにもお米を粗末にしているようで抵抗があったんじゃないかと思うんですよね。

その方、私のアパートでパーティをやるときにはウイスキーやらワインやらいろいろ持参してくださる方だし、彼のアパートでもパーティを開催するなど、とても気前のいい方なんです。イランでのお米の値段は非常に安いものなんですが、あげるとも言えず悶々としていたのではないかと私は推量しています。

このように日本人にとってお米というのは他の食品と違った神聖な意味をも持っているようです。他の国でお米の産地として有名なタイではお米に対して特別な思い入れがあるようには感じることはありませんでした。特別な意味を持っているのは、日本人の感性であり、親から教育された結果なのだと思われます。

戦後食料難で、米が配給だったことも大きな理由かも知れません。配給の米にありつくために米穀通帳なんてものを持っていないとお米が買えないという時期もあったのです。米が食べられないというのが直接飢えと結びつくのが日本人の思考なのでしょうか。

お米が日本人の主食であり、お米を大事にしないといけないというのは先祖代々教育され続けてきたものだと思います。江戸時代でもご飯を食べるためのおかずという概念が強かったように思えるし、米さえ食べていればいいというような時代が長く続いたように思われます。

農家の人が丹精込めて作った米だから大事にしないといけないというのは、どうも農民でない人々の発想のような気がしますが、生産をしないで米を得ていた武士階級の農民に対する姿勢の名残とも言えるのでしょうか。買って消費するならここまで神聖化はされなかったと思うのですけどね。食物を大切にするということは良いことですが、この飽食の時代にあって米の生産過剰の状況の中でも、日本人のお米に対する感覚は非常に特殊なもののように思われます。

お米がもったいないなら、それで作るお酒についても言えると思うのですが、大吟醸などとお米の芯だけしか使わないようなお酒がもてはやされているのは少し妙に感じます。捨てられる部分は何かに有効利用されるのだろうと考えているのでしょう。糠みたいな部分ですからどうしているんでしょうね。自分で捨てていないから精神衛生上問題にならないというだけなのでしょうか。

私はあまりお米の質にはこだわったことはありません。そりゃぁ美味しい白米はとっても好きですけどそれでなければ我慢できないと感じたことはないし、私が主食というのにあまり重点を置いていないからだと思います。ですからご飯を食べたいと思ったことは滅多にありません。私の関心はもっぱら副食物と飲み物の方に向いています。美味しいお米と美味しいお酒のどっちがいいかと聞かれたら迷わず美味しいお酒と答えるでしょう。
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by elderman | 2005-09-07 00:12 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(4)
2005年 09月 06日

日本人の特殊性(7):サービス精神

日本人のサービス精神は世界に誇れるものだと思います。心からお客さんの立場になって提供されるサービスというのは本当に気持ちのいいものですね。一流ホテルのサービスは大変気持ちのいいものですが、その分たくさん料金を払っていますからありがたみは薄くなってしまいます。

このサービス精神と対抗するのが従業員の労働条件の確保でしょうか。一番はっきりしているのが英国でしょうか、午後6時にはレストラン以外のお店はすべて閉まってしまいます。働いている人のショッピングしたい時間に軒並み閉店ですから、まったくサービス精神がないと言えるでしょう。もっともそういう習慣となると買出しは週に1回というように消費者も訓練されることになるのでいいのでしょうが、その中でセブンイレブンのようなコンビエンス・ストアーが進出したらどうなるでしょうかね・・・。

安息日を大切にしたいという理由なら宗教心でしょうが、午後6時には店を閉めるというのは、仕事はほどほどに自分たちの生活を楽しみたいという精神の現れに思えます。その点アジアではお客さんがあればいつでもサービスが提供される、儲かるチャンスがあれば何でもするというカルチャーがあるようです。休暇なんてそれぞれが勝手に取ればいいという割切りもあるのでしょう。

もっともヨーロッパでも鉄道やバスなどの公共輸送手段はいつでも動いていますから、全部が全部自分たちの休暇優先だとは言えませんけどね。西欧文化で困るのは、日曜日のショッピングかもしれません。ヨーロッパ、中南米では日曜日には大きなデパートしか開いてないのです。ドイツがこれを解禁にしたのはつい最近のようだったように記憶しています。ですからショッピングは、土曜日にしないといけないということになり、しかも肝心の土曜日の午後にはマーケットは閉まってしまいます。という訳で、私がベネズエラにいたときには、毎週土曜日にゴルフをすることは困難で、土曜日の午前中にはショッピングに行かないといけないのでした。

一方東アジアや東南アジアではこのようなことはあまりありません。人口が過密なせいでしょうか、ニーズがあれば必ずサービスがあります。とにかくお客さんが必要なだけあればあらゆるサービスが提供されます。悪く言えば儲かれば何でもやるという精神が見えるということです。アジアの宗教では安息日という概念がないからかも知れません。 あるいは、大家族で食べていくことが最優先という事情があるのかも知れませんね。

日本は経済的に豊かになったせいでしょうか、お客さんを大切にするという精神がいい加減になり、従業員にマニュアルで接客言葉を教えないときちんとした接客ができなくなったと思われるのが残念な現象です。私はマニュアル言葉を話すウエイター、ウエイトレスに出くわすとまるでロボットと話をしているようで気持ちが悪くてしょうがないのですけどね。

イランでも西欧諸国と同じような現象がみられます。お客さんより自分たちの時間が優先ってことで、2時から4時頃までは大抵のお店がランチ・タイムに入ります。お客がいようがいまいが、徹底したものです。安息日に当たる金曜日にやっている店はほとんどありません。開いているレストランも少なくなるので旅行者は事前に曜日を調べておかないといけないと思います。知らないでラマダンの期間に旅行したらもっと悲劇ですけどね。昼飯にありつくことができなくなります。

サービス精神の徹底した国はタイだと思います。とにかく人間の欲求を満たすありとあらゆるサービスが存在し、しかも安価で提供されているのです。24時間営業のコンビニはもちろん、夜の遊び、ボートのチャーター、マッサージ、カラオケ、なんでも自由自在です。

バンコクの地元名は「クルンテープ」(本当はもっとずっと長い名前です。)と言い、「天使の都」という意味です。あらゆるサービスが可能であるという観点からみたらまさに「天使の都」かも知れません。
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by elderman | 2005-09-06 00:06 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(4)
2005年 09月 05日

日本人の特殊性(6):恐縮の文化

「人前で赤面するのはドイツ人と日本人」とか「日本人はものおじする」とか言われますが、果たしてこの背景はなんでしょうか。私の目には「日本人には恐縮の文化」が根強く残っているような気がしてなりません。恐縮というのは、恐れて縮み上がるというような意味ですよね。要するに階級社会の名残のように思えてなりません。

そして日本人が愛好する「水戸黄門」だって「お上」の力そのものが背景だし、「暴れん坊将軍」なんて最たるものでしょう。日本人の心の中には相当強く階級意識が根付いているようです。「分相応」というような戒めもあるように、これもまた階級意識の現われにも思えます。

私が日本にいた頃、一流ホテルに入ることが躊躇われたものです。なんか分相応でないような気がして、「ものおじ」そのものでした。しかしよく考えてみると、ホテルだって営業の世界ですから、来訪する人を拒む理由ってないんですよね。たまに一流ホテルで珈琲を飲んで何が悪いというのでしょうか。

高校生の頃、霞ヶ関ビルの最上階の喫茶店でメニューをみたらどれも1000円以上で吃驚。一番安いものはないかと探したら、珈琲とレモンスカッシュをみつけました。それでも500円、この値段にしびれたから「ものおじ」を覚えてしまったのかも知れません。

私は若い頃から生意気でしたから恐縮というのはなかなかできなかったものです。しかし、年をとって誰かに恐縮されたりすると非常に困ってしまいます。相手は敬意を表しているつもりなのでしょうが、特段理由もないのに恐縮されるのっていうのは本当に困ってしまいます。難しいのはそれでその気になればアホだというところでしょう。日本人の人間付き合いには落とし穴が多いと思いますね。

自分の目の前にいる誰かを最上の人として恐縮してみせ、敬語を使い、一生懸命もてなそうとする・・・ 一見よさそうにみえる行為ですが、人によっては親しみのない行為とも、慇懃無礼ともとられたりしますからその運用には難しいところがあります。

恐縮とは違いますが、なにかで世話になったことについていつまでもお礼を言っているのは日本人ですね。恩を忘れないという姿勢はいいのですが、それを形式的に言っているのは日本以外の場所ではかなり異常に映ります。パーティの翌日、日本人なら必ず「夕べは大変お世話になりました。ありがとうございました」と言いますよね。この習慣は多分日本人だけでしょう。

パーティのお礼なら別れの時にちゃんと表明しているはずなんです。だから、日本人以外の人の場合、過去に遡ってお礼を言うというのは滅多にみない行為です。日本人同士でもよくありますが、挨拶代わりに「いつぞやは大変お世話になりました」なんてやられると、なんのことだか思い出せずに、「いや、どもども」なんて誤魔化していることがありますね。後で考えてもちっとも思い出せないとかあるでしょ。

日本人には恐縮していると相手への敬意になり、相手がいかにも世界で一番大事というような錯覚を与えることで社交を尽くしているようです。権威の前には逆らわず、安穏な時を過ごしたいというのが庶民の願いなのでしょう。保守的な面もありますが、かつて王様を殺してしまったフランス人にはこういう点は欠片もみられません。

赤面というのは自意識のなせる業ですから、自分をよく見せたいという願望からの緊張なのでしょう。イラン人であがってしまう人がいた話を聞いたときは意外でした。日本人以外にもいたのですね。楽器の演奏ではこの人前での緊張というのが大敵です。私はギターを演奏しますが、人前で緊張すると指が言うことを利いてくれなくなります。この問題の解消法はひたすら人前で演奏して自分自身を慣らすしかないですね。

話が戻りますが、バンコクにいたときに一流ホテルに対する私の「ものおじ」は消えました。同伴していたタイ人の若い女性はそんなこと一切おかまいなしに堂々としたものでした。この時に自分の頭の中にあった「ものおじ」の無意味さを理解させられたのでした。
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by elderman | 2005-09-05 00:08 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(15)
2005年 09月 03日

日本人の特殊性(5):威張る

単に威張っている人というのはどこの国でもみかけるものです。面白いことにそこに共通しているのは、最高地位の人たちではないということ。つまり組織の中で中間的な地位の人たちにみかけることが多いということです。国の出先機関の長などで妙に威張っている人が典型的な存在かも知れません。

私は「威張る」という行為は、劣等感の表れだと思っています。劣等感のない人は決して威張らないし、劣等感の裏返しとして威張るという行為が表れているのでしょう。国の出先機関の長の場合は、多分本庁の人事に不満があるのだろうし、組織の中の中間管理職の人も部下に対してそのような態度をとる人もいます。

人間というのは長い間部下に阿られていると次第にその気になってくるもので、それが態度に出てくるようになると問題だと思います。確かに組織の中ではその地位から敬意を払われてしかるべきでしょうが、その気になり過ぎて自身の所属する組織以外の人々の前でも威張っているようになると問題でもあり、滑稽にもみえます。

組織を離れた人間対人間の場合、尊敬や敬意というものは自然に現れてくるべき性質のものかと思っています。もちろん年長者に対する敬意をないがしろにするものではありませんが、年長というだけで敬意を払われてもあまりいい気分ではないでしょう。長く生きていればそれだけ経験も多いし、思慮もあるでしょう。接していればそういうものが滲みでてくるものです。

さて一般論はさておいて、日本人の特殊性がテーマのこのシリーズです。10年近く前になりますが、バンコクのレストランでウエイターに威張り散らしている日本人を見かけました。そのウエイターは私の友人であるタイ人で25歳くらいなのですが、彼はサービスの点で失敗するような人間ではありません。どうしたのかと思って耳を澄ませて聞いていると、その日本人、日本が経済大国であるということで威張っているのです。東南アジアの国々が貧しくて、文化水準も劣っているということをあからさまにウエイターにぶつけていたのです。日本が経済大国なのは事実としてもその日本人とどういう関係があるのでしょうね。その日本人が今日の日本の繁栄をもたらしたなら私も感謝しないといけませんがね。

やがてその日本人から解放されたウエイターが私のところにやって来ましたが、変な日本人に妙な言いがかりをつけられて気の毒だと言ったら、彼はあまり気にしてないようでした。多くの好感の持てる日本人とも接することもあれば、今回のような妙な日本人に遭遇することもあるのでしょう。日本人は何国人ということで一緒にまとめて考える傾向が強いのですが、東南アジアの人々は日本人として特別な固定観念を持つようなことはしていません。国は国、個人は個人という意識で接してくれます。冗談として国民性を極端に表現することはとても面白いのですが、それを本気にするようでは困ったものです。

威張り散らしていた日本人は滑稽過ぎましたが、その思考の背景にあるものは結構一般の日本人にも少なかれあるものだと思います。人となりをみるよりも、その人の所属組織で評価してしまうということです。集団の中で常に均一性を求められる日本人だからこの発想を持ちやすいのだと思います。

経済大国日本の恩恵を被っているとしたらそれは単に日本に生まれたからの幸運でしかないのでしょうか。もしもタイに生まれたら同じ生活水準が維持できたでしょうか。タイ人の中で同じような社会的、経済的地位にとどまると考える方が妥当だと思います。たまたま生まれた国の国力を背景に貧しい国々の人を見下すというのはどう考えてもおかしなことだと思います。

アジアの国々は歴史が長いので、その目では日本の今日の繁栄は成金的にしかみていないということも事実です。成金で威張っているような日本人としてはみられたくないですね。
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by elderman | 2005-09-03 11:43 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(12)
2005年 09月 02日

日本人の特殊性(4):なんでもお金

日本人が勘定高いというとびっくりされるかも知れませんね。でも、外から日本人をみるとこれほど様々な行為をお金に換算している国民というのは世界中でも珍しいと思います。もちろん悪い意味ではなくて恩に報いたいという素直な気持ちから出ている行為ではあるのでしょうがね。

お金儲けに熱心なことでは中国人が世界的に有名ですが、彼らでも仲間にご馳走するときは金に糸目を付けないという慣習があります。日本人の場合は、前回は誰それがいくら払ったからなどということを一生懸命に考えたりしていますね。それが面倒なので割り勘という最終手段に頼ったりすることになります。

中国や東南アジア、いやアジア全体ではこの割り勘というのは非常に野暮に映っているようです。仲間うちでは払う人がごく自然に出てきて、通算すればなんとなくバランスがとれるというものなんです。割り勘の際、みんなで財布からお金を出している姿を美しいと思わない感受性があるようです。ということで私は面倒な割り勘が嫌いだし、煩わしさを避けるためなら全部払ってしまいそうです。これは中国人の友人の影響でしょう。

バンコクにある国際機関で働いていた時、私は中国人の友人のなけなしの収入を知っていたため、一緒に食事をするときには当然ながら私が多くの回数をご馳走していました。それでも彼は心苦しいのでしょう、負けないぞとご馳走しようとする姿勢には感動したものです。しかも彼の姿勢というのは決して見栄ではなく、心からご馳走したいというのが見えるんです。だから中国料理のレストランに行った時には遠慮なくご馳走になったものです。心からもてなしたいという気持ちが表れていて本当に気持ちのいいものでした。

バンコクの前、マレイシアにいた時に中国系マレイシア人にご馳走になったことがあります。彼がチャイナタウンを案内してくれて、その上美味しい料理をご馳走してくれたのです。そして二回目に会ったときに、私がこの前のお返しに是非ご馳走させてくださいと申し出たら、お返しならいりませんときっぱり断られたのには驚きました。「お返しとしてではなく、心からご馳走したいということなら」というニュアンスを感じ、私は素直に謝りました。あー、これがもてなしということなのかと教えてもらった気がします。お返しでは気持ちがいまひとつ伝わりませんね。しかも前回の彼の心からのもてなしをドライに受け止めていたというように誤解されたとしたら悲しいですね。いや、恥ずかしい。

なんでもお金というのは、香典帳しかり、祝儀ももちろん、日本人というのは何でも金額を几帳面に覚えていてバランスをとろうとします。細かいといえば細かいし、本来気持ちから出るもののはずが損得勘定につながってしまうというのが悲しいところです。形式、習慣を重視するあまりに本来の心が忘れ去られてしまったような気がしないでもありません。

文化水準が進んでいると言えばそうなのでしょうが、日本では人間の命や名誉毀損に至るまでその金額が存在するようです。そして、職場の仲間の親族が死んだとなれば、いくらいくらと決まっていて、親戚の中では年長者が一番多額あるべしなどという決まりがあります。年長者となると現役を引退していて、年金暮らしの人もいるので、この決まりを守るのは大変なんですが、そんなことはまず顧みられないようです。それよりお返しという概念が優先するのでしょう。

イラン人でもこういう金額に関しては無頓着ではないようです。少なく返せないという考えがあって日本人と同様に記録しているようです。これは特に葬式や結婚式の場合だと思います。これはアジアに共通する概念ですが、それにしても日本人はあらゆることを金額に換算しているような気がします。

ところで割り勘というのは英語ではダッチマン・スタイルと言います。ダッチはオランダのことですから、英国から分離独立したオランダ人を見下して付けられた呼称だと思われます。割り勘というやり方が「せこい」という感覚は世界中にあるようです。
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by elderman | 2005-09-02 11:10 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(6)
2005年 08月 31日

日本人の特殊性(3):怒鳴る

多分、日本人の方々は日本人が穏やかな性格を持つ国民だと思っていらっしゃることでしょう。でも、意外なことでしょうけど、外国でも怒鳴っている日本人を結構見かけるのです。国内ではよく運転手が自動車の中から怒鳴る光景をみることがあるでしょう。

喧嘩というのはどこの国でもあり、その際に罵声を発するのはしょうがないでしょうけど、公の場所で怒鳴るというのは他の国の人ではまず見かけないので、日本人の怒鳴るという行為は非常に野蛮に見えてしまいます。怒鳴るというのは腹を立てないとできませんから、つまり日本人は怒りやすい性格を持っているともいえると思います。

同じ性質を持っているのは韓国人まででしょうか。この極東の国民にはよく似た性格をみることがあります。民族的にはほとんど差がないだろうし、文化的にもつながっていたからなのでしょう。では、なぜ腹を立てるのでしょうか? これは集団生活の中でルール重視が身付いていることから来ていると考えられます。

ルールを外れた行為をみると腹が立つ、当然のサービスが提供されないと腹が立つ、待たされれば腹が立つ、などなどでしょうか。インターネットのチャットでも参加者のマナーが悪いと言って怒り出すホストもいますね。(笑) みんなが同じ考え方、規範があるという前提に立つからそれに反した人に対して腹が立つという反応になるのでしょう。

日本人が怒りやすいという理由が少しはご理解いただけたでしょうか。みな同じという意識があるから、同じ民族で、同じような宗教観、倫理観、そして島国、これらの背景から生じる必然ともいえるかも知れません。反対に民族も違い、宗教も違うという人種が混ざっている米国、マレイシアなどの複合民族国家となるとこうはならないでしょう。同じ考え方を持っているなんてそもそも考えてもいないでしょうから・・・ こうなると怒りはよくよくのことがないと現れないものです。

公の場で、大声で怒鳴るというのは、非常に野蛮にみえてしまいます、先進国であり、経済大国の日本人の行為としてははなはだ恥ずかしい行為に思えます。実際周囲にいる人たちはとても驚いています。大人しいタイ人でも公の場で罵倒されると涙をぽろぽろ流すと聞いています。怒鳴ったりしたらそれ以降は現地の人々はその人との距離を置くようになるでしょう。

マレイシアのレストランで会食に集まった日本人が食事を注文して待っていると、いつまでも料理が来ないということがありました。1時間も放っておかれたのでしょう。現地語を話せる日本人が催促するとレストランの従業員全員が気もそぞろで、あまりにしつこい日本人に呆れたのでしょうか、その辺のものを適当に食べていてくれとか言ったようです。言われた日本人は怒り心頭で、現地語で放送禁止用語の類を使って怒鳴りまくったようです。

この時、レストランには王族が来ていたとのことで、レストランの従業員はそちらに集中していたのでした。他のお客さんを放っておいていい訳はないのですが、王族に対する異常な反応は習慣なのでしょう。結局は怒鳴った日本人グループがそのレストランへの出入り禁止という措置が取られました。王族が通行するだけで高速道路が閉鎖されてしまうお国柄です。現地語が話せる日本人ですから、もっと現地の人の精神性を理解していれば怒鳴るという行為は避けられたかもしれません。

海外では常識というものが通用しません。日本国民の間では常識というものはかなり共通のものとして存在しますが、国際会議や人間関係においては常識なんてものはそもそも存在しないに等しいところで、自分たちの常識を持って腹を立てるというのは滑稽以外の何ものでもないでしょう。

外国では当然だと考える前に、当然と考える自分の中での常識そのものが自分の国の固有のものであるということを認識しておきたいものです。

そうそう、怒鳴るということで言えば、イランの交通マナーというのは世界最悪と言えるくらいひどいものです。たまに運転手同士が喧嘩しているのをみかけることはありますが、そのマナーの悪さからみると怒鳴り声が少ないのはむしろ驚きです。走行中の車の前にちょこんと割り込んでくるというのは日常茶飯事のお国柄です。日本でこんなことをやったらそれこそ罵声が聞こえて来そうです。

歩行者は信号が何色であろうが、車の前をどんどん横切って行きます。さすがに歩行者に対して怒りをぶつける運転手はいません。こういうものだと思い込んでいるんですね。イランでは歩行者優先ですから、運転手は歩行者には相当注意を払っています。イラン人歩行者は勇気があるというか、どんなに交通が多い道路でも平気で横切ることができるし、混雑したロータリーの中も平気で横断しています。もっと怖いのは高速道路でもそれをやっていることですね。もっともこれには相当注意を払って走って横断していますけどね。これらのどれも日本人にはできないことです。
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by elderman | 2005-08-31 19:11 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(8)
2005年 08月 30日

日本人の特殊性(2):仕事の責任

日本人の働き方は働き蜂のようにみなされ、ひたすら働いているように外国人から思われているようですが、確かに長時間労働、サービス残業というような側面からはそうかも知れません。しかし、仕事の質に関して日本人の仕事は極めて優秀だと思われます。

というのは、日本人の優秀な担当者というのはいつも組織全体のためにという大きな目的を意識し、目標の達成に向かって努力をしているように思われるからです。担当者の不始末は会社の不始末というような意識が強くあるのも日本の社会の特徴ではないでしょうか。

外国ではこのような高度な担当者の意識を発見することは極めて稀なような気がします。担当者は自分に与えられた仕事をするだけで、その任務の意味や真の目的などを考えようともしないのが普通です。ですから上司は的確な指示を出さないといけないし、担当者はそれを忠実に遂行するという役割分担が明確になります。

日本の組織における仕事の責任は、連帯責任の形でうやむやになりますが、西欧型の役割分担の中では責任問題は明確になりますね。責任の明確さという点では西欧型の方法がすっきりするかも知れません。日本の場合、連帯責任で最後には幹部が責任をとるのかと思うと、担当者が首を切られてお仕舞いなんてケースもあるから要注意ですね。

イランの職人たちの仕事をみていると、自分の仕事は自信も持っているし、それなりにやるようですが、建物物の工事などの場合、しばしば工事が停止してしまいます。例えばカーテンの施工の場合、どうしてなかなか進まないのかを訊ねれば、生地を注文したけどそれがまだ届かないというような理由が返って来ます。自分の仕事の領分でないところはもう自分の責任ではないということで涼しい顔をしています。

それでいて、請け負う時には何日までにカーテンを付けるというようなことを約束するのですから困ったものです。すべて順調に行けばという条件があることを忘れてはいけないようです。本当にできるのかと確認しようものなら、インシャアッラーという表現が登場することになります。

日本人の発想で仕事が遅れたときに苦情を言っても、まったく通用しないということはしょっちゅうです。個人個人がそうなら会社全体までそういう論理で動きますから、歯車が噛み合うことはないでしょう。会社の従業員はまず自分たちの労働環境が重要です。お客さんが行列を作っていようが長時間立っていようが、そんなことよりは自分たちの昼飯が大事だし、勤務時間が終わればさっさと窓口を閉めてしまいます。業務上問題があるなら管理者の責任ということなのでしょう。

国際機関の仕事は西欧型で動いています。それでも各自がきっちり仕事をすれば全体の歯車も動くというもので、この方法で仕事が上手く行かないということではないと思います。日本型の仕事では、部下、担当者が知能を持って動くので、それが時として逆目に出ることがないとは言えないでしょう。

軍隊では囮作戦もありますから、小隊が妙に知性を持っていては困る場合もあるでしょう。これは作戦がおかしいと現場の部隊が判断して違った行動をとったら、作戦本部の作った計画が遂行できないことになりますね。戦争映画ではしばしばこのことがテーマになり、ヒューマン・ドラマが展開されたりします。作戦本部はヒーローの勝手な行動に歯軋りしながら推移を見守り、最後にヒーローは無事に任務を遂行するという筋書きや、任務終了後に作戦本部にいる悪者をとっちめるなんてストーリーを思い出しませんか。

日本では担当者はまるで社長であるような対応をとることがありますね。レストランでウエイターに食事の味が不味いと言えば、申し訳ありませんと答えるかも知れません。本人は運んでいるだけですから、注文を聞き間違えたりしない限りは本人の責任ではないのでしょうけどね。担当者でありながら、お客様と会社との関係を考えるというのはやはり日本的だと思います。
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by elderman | 2005-08-30 19:36 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(6)
2005年 08月 29日

日本人の特殊性(1):感受性

「人間だからみんな同じ感受性を持って同じ考え方をしているだろう」と信じたい日本人が多かれ少なかれ存在することと思います。確かに喜怒哀楽などの根本的な感情の部分は同じと言えるでしょう、だから外国で製作された映画でも感動できるのですね。

私は外国人を理解する上で、やみくもに同じ感情を持った人間であるという前提で臨むのはどうかと考えています。もちろんいつでも善意の解釈で臨めば、感情のすれ違いは避けられると思いますが、ある程度親しくなってから両者の違いに気が付くなんていうのは少し悲しく滑稽にも思われます。

漠然とした言い方では、ピンと来ないかも知れませんね。では、分かりやすい例として食事の時の騒音についてはどうでしょうか。日本人は熱い汁など音を立ててすすります。ラーメンでもそうだし、蕎麦にいたっては熱くもないのにずるずると音を立て、それがまた美味しいと感じています。音を立てずに食べるラーメンなんて・・・ちょっと辛いですよね。

ところが、東アジアの国々以外ではこのずるずる音、非常に嫌われるのです。中国はおおらかですから、食事中の賑やかなのはよく見かける光景です。「げっぷ」は満足の表れとしてむしろ肯定的ですし、「屁」以外には問題はないでしょう。韓国人の様子はまったく日本人と同様にみえます。

東アジア以外の国々の人々は、食べるときに音を立てることを嫌います。特にずるずる音には嫌悪感を抱く人が多いのです。食欲を失くしてしまうというくらいですから、そういう人にこのずるずる音を聞かせるのはどうかと思います。日本に来た外国人ならこれが日本だということで慣れてもらうしかないでしょうが、外国で日本人がこれをやるのはどうかと思います。

ずるずる音の根源は日本人が、気が短いからだと思っています。熱いものを早くいただくために発達したのでしょう。なにしろ空気と液体を同時に口に入れるというやり方ですから、訓練しないとできないのです。日本人は小さい頃から練習をしたので誰でもできるのですが、その訓練をしたことのない外国人にはこれは至難の技なのです。

ちょっと知識のある日本人親子が海外で食事をしていて、母親が子供にスープは音を立てないで飲みなさいと言いながら、子供のスープをふうふうやって覚ましてあげているのをみると失笑してしまいます。あらま、この人どういう理解だろうってね。

日本でも口を開けて食べたり、クチャクチャと音を出したりは下品として嫌われますね。でも、ずるずる音には日本人には否定的な感受性はありません。習慣からきた感受性の問題ですから、外国人のこの感受性の違いはまずは知っている方がいいに越したことはないでしょう。相手の不愉快を知らないで過ごしてしまうのは、ちょっと辛いですね。

日本人がタコやイカを好み、またウニやウナギを好むように、イラン人は羊の脳みそを食べるし、米国人は牛の脳みそを食べます。これらは単なる習慣から来ているものですが、その習慣のない人には馴染めない食文化でしょうね。

このように食事に関する感受性の違いは分かりやすいのですが、果たして他の分野にはこうした問題がないと言えるのでしょうか。私の必ずしも長いとは言えない海外経験ですが、この点に焦点をあててシリーズとして日本人の特殊性について書いてみたいと思っています。

どのくらい項目があるか書き出してみたら、二十数項目もあったので、少しずつ順序も気にせず紹介させていただきたいと思っています。グローバリゼーションの中、まずは自分の特殊性を知り、相手との違いを認識した上で相互理解を深めたいものです。
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by elderman | 2005-08-29 22:44 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(4)
2005年 07月 31日

えるだまの雑記集【案内画面】

【日本人の特殊性】
「日本人の特殊性(1):感受性」  「日本人の特殊性(2):仕事の責任」  「日本人の特殊性(3):怒鳴る」  「日本人の特殊性(4):なんでもお金」  「日本人の特殊性(5):威張る」  「日本人の特殊性(6):恐縮の文化」  「日本人の特殊性(7):サービス精神」  「日本人の特殊性(8):お米」  「日本人の特殊性(8):お米2」  「日本人の特殊性(9):しかめっ面」  「日本人の特殊性(10):ジェスチャー」  「日本人の特殊性(11):食文化」  「日本人の特殊性(12):なんでも師匠」  「日本人の特殊性(13):淡白」  「日本人の特殊性(14):レディ・ファースト」  「日本人の特殊性(15):プレゼンテーション」  「日本人の特殊性(16):残心」  「日本人の特殊性(17):暗算」  「日本人の特殊性(18):ツアー」  「日本人の特殊性(19):笑い」  「日本人の特殊性(20):泣く」  「日本人の特殊性(21):派閥」  「日本人の特殊性(22):信用」  「日本人の特殊性(23):自己主張」  「日本人の特殊性(24):ディベート」  「日本人の特殊性(25):出る杭」  「日本人の特殊性(26):言葉の短縮」  「日本人の特殊性(27):和製英語」  「日本人の特殊性(28):セックス産業」  「日本人の特殊性(29):女性の教育」  「日本人の特殊性(30):外食産業」  「日本人の特殊性(31)国際会議」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(1)」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(2)」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(3)」  「日本人の特殊性(33)日本人男性って」  「日本人の特殊性:まとめ」  「日本人の特殊性(34)自殺の美学」  「日本人の特殊性(35)人事管理マジック」

【海外在住こぼれ話】
ブラジル:
「ブラジル編(1)食事の量」  「ブラジル編(2)思い出の南十字星」  「ブラジル編(3)幻のカーニバル」
タイ:
「タイ編(1)待ち合わせ」  「タイ編(2)女性の運命」 
イラン:
「イランの思い出(1)時間」  「イランの思い出(2)長期滞在者用ホテル」  「イランの思い出(3)外出」  「イランの思い出(4)アパート探し」  「イランの思い出(5)使用人」  「イランの思い出(6)使用人」  「イランの思い出(7)使用人」  「イランの思い出(8)使用人」  「イランの思い出(9)使用人」  「イランの思い出(10)二重の虹」  「イランの思い出(11)アパート周辺」  「イランの思い出(12)イランは砂漠の国?」  「イランの思い出(13)テヘランの緑」  「イランの思い出(14)ダマヴァンド山」  「イランの思い出(15)大バザール」  「イランの思い出(16)ホームパーティ」  「イランの思い出(17)ホームパーティ」  「イランの思い出(18)ゴルフ場」  「イランの思い出(19)日本食」  「イランの思い出(20)カスピ海」  「イランの思い出(21)植物の勉強」  「イランの思い出(22)カラオケ」  「イランの思い出(23)公園」  「イランの思い出(24)野生動物」  「イランの思い出(25)植物の勉強2」  「イランの思い出(26)夏の楽しみ」  「イランの思い出(27)イランにないもの」  「イランの思い出(28)世界遺産」  「イランの思い出(29)イランの夏」  「イランの思い出(30)ペイカン」  「イランの思い出(31)テヘランの秋」  「イランの思い出(32)サイー公園」  「習慣の差(1)」  「習慣の差(2)」  「習慣の差(3)」  「習慣の差(4)」
マレイシア:
「マレイシアの思い出(1)蛍」  「マレイシアの思い出(2)結婚式」  「マレイシアの思い出(3)マラッカ」  「マレイシアの思い出(4)フレーザーヒル」  「マレイシアの思い出(5)マングローブ」  「マレイシアの思い出(6)キャメンロンハイランド」  「マレイシアの思い出(7)ランカウイ島」  「マレイシアの思い出(8)ジョホール」  「マレイシアの思い出(9)ペナン島」  「マレイシアの思い出(10)ディパバリ」  「マレイシアの思い出(11)タイプーサム」  「マレイシアの思い出(12)ゴムの木」  「マレイシアの思い出(13)クアラルンプール」  「マレイシアの思い出(14)コタキナバル」
パキスタン:
「パキスタン編(1)地理」  「パキスタン編(2)汚いもの」  「パキスタン編(3)連行されちゃった」  「パキスタン編(4)接待」  「パキスタン編(5)女性と結婚」  「パキスタン編(6)人々」  「パキスタン編(7)お祈り」  「パキスタン編(8)停電と酒」  「パキスタン編(9)お礼」  「パキスタン編(10)口髭」

【浦島太郎の雑記】
「浦島太郎の雑記(1)整理整頓」  「浦島太郎の雑記(2)ファッション」  「浦島太郎の雑記(3)マナー」  「浦島太郎の雑記(4)変な日本語」  「浦島太郎の雑記(5)天気予報」  「浦島太郎の雑記(6)花」  「浦島太郎の雑記(7)万引き」  「浦島太郎の雑記(8)ウォーターオーブン」  「浦島太郎の雑記(9)ゴールデンウィーク」  「浦島太郎の雑記(10)メタボリック・シンドローム」  「浦島太郎の雑記(11)技術の進歩」  「浦島太郎の雑記(12)神楽坂」  「浦島太郎の雑記(13)同窓会」  「浦島太郎の雑記(14)豊かさ」  「浦島太郎の雑記(15)飽食の時代」  「浦島太郎の雑記(16)マネーゲーム」  「浦島太郎の雑記(17)ワールドカップ」  「浦島太郎の雑記(18)家宝」  「浦島太郎の雑記(19)安かろう悪かろう」  「浦島太郎の雑記(20)携帯電話」  「浦島太郎の雑記(21)現在の二大潮流」  「浦島太郎の雑記(22)浪花の闘拳」  「浦島太郎の雑記(23)TVのCM」  「浦島太郎の雑記(24)怨霊」  「浦島太郎の雑記(25)NTT」  「浦島太郎の雑記(26)良くなったもの」  「浦島太郎の雑記(27)格差社会」  「浦島太郎の雑記(28)信じられない行動」  「浦島太郎の雑記(29)TVのCM・・・その2」  「浦島太郎の雑記(30)アルコール」  「浦島太郎の雑記(31)アルコール・・・その2」

【専門家活動の紹介】
「専門家活動の紹介(1)テヘラン州局」  「専門家活動の紹介(2)業務開始」  「専門家活動の紹介(3)局内セミナー」  「専門家活動の紹介(4)対外活動」  「専門家活動の紹介(5)C/P研修」  「専門家活動の紹介(6)プログラム開発」  「専門家活動の紹介(7)他州への技術移転」  「専門家活動の紹介(8)タブリーズ州局」  「専門家活動の紹介(9)環境局本部へ」  「専門家活動の紹介(10)大気汚染情報センター(本庁)」  「専門家活動の紹介(11)全国的展開」

【国際協力について】
「国際協力について(1)円借款」  「国際協力について(2)技術移転」  「国際協力について(3)被援助国とのギャップ」  「国際協力について(4)技術移転の方法①」  「国際協力について(5)技術移転の方法②」  「国際協力について(6)独立行政法人」  「国際協力について(7)成果主義①」  「国際協力について(8)成果主義②」  「国際協力について(9)成果主義③」  「国際協力について(10)現場主義」  「国際協力について(11)技術移転のあり方①」  「国際協力について(12)技術移転のあり方②」  「国際協力について(13)技術移転のあり方③」  「国際協力について(14)国際協力とは①」  「国際協力について(15)国際協力とは②」
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by elderman | 2005-07-31 13:15 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(0)