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カテゴリ:えるだま雑記【案内画面】( 40 )


2007年 01月 01日

えるだまの雑記集【案内画面】

【日本人の特殊性】
「日本人の特殊性(1):感受性」  「日本人の特殊性(2):仕事の責任」  「日本人の特殊性(3):怒鳴る」  「日本人の特殊性(4):なんでもお金」  「日本人の特殊性(5):威張る」  「日本人の特殊性(6):恐縮の文化」  「日本人の特殊性(7):サービス精神」  「日本人の特殊性(8):お米」  「日本人の特殊性(8):お米2」  「日本人の特殊性(9):しかめっ面」  「日本人の特殊性(10):ジェスチャー」  「日本人の特殊性(11):食文化」  「日本人の特殊性(12):なんでも師匠」  「日本人の特殊性(13):淡白」  「日本人の特殊性(14):レディ・ファースト」  「日本人の特殊性(15):プレゼンテーション」  「日本人の特殊性(16):残心」  「日本人の特殊性(17):暗算」  「日本人の特殊性(18):ツアー」  「日本人の特殊性(19):笑い」  「日本人の特殊性(20):泣く」  「日本人の特殊性(21):派閥」  「日本人の特殊性(22):信用」  「日本人の特殊性(23):自己主張」  「日本人の特殊性(24):ディベート」  「日本人の特殊性(25):出る杭」  「日本人の特殊性(26):言葉の短縮」  「日本人の特殊性(27):和製英語」  「日本人の特殊性(28):セックス産業」  「日本人の特殊性(29):女性の教育」  「日本人の特殊性(30):外食産業」  「日本人の特殊性(31)国際会議」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(1)」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(2)」  「日本人の特殊性(32)おもいやり(3)」  「日本人の特殊性(33)日本人男性って」  「日本人の特殊性:まとめ」  「日本人の特殊性(34)自殺の美学」  「日本人の特殊性(35)人事管理マジック」

【海外在住こぼれ話】
ブラジル:
「ブラジル編(1)食事の量」  「ブラジル編(2)思い出の南十字星」  「ブラジル編(3)幻のカーニバル」
タイ:
「タイ編(1)待ち合わせ」  「タイ編(2)女性の運命」 
イラン:
「イランの思い出(1)時間」  「イランの思い出(2)長期滞在者用ホテル」  「イランの思い出(3)外出」  「イランの思い出(4)アパート探し」  「イランの思い出(5)使用人」  「イランの思い出(6)使用人」  「イランの思い出(7)使用人」  「イランの思い出(8)使用人」  「イランの思い出(9)使用人」  「イランの思い出(10)二重の虹」  「イランの思い出(11)アパート周辺」  「イランの思い出(12)イランは砂漠の国?」  「イランの思い出(13)テヘランの緑」  「イランの思い出(14)ダマヴァンド山」  「イランの思い出(15)大バザール」  「イランの思い出(16)ホームパーティ」  「イランの思い出(17)ホームパーティ」  「イランの思い出(18)ゴルフ場」  「イランの思い出(19)日本食」  「イランの思い出(20)カスピ海」  「イランの思い出(21)植物の勉強」  「イランの思い出(22)カラオケ」  「イランの思い出(23)公園」  「イランの思い出(24)野生動物」  「イランの思い出(25)植物の勉強2」  「イランの思い出(26)夏の楽しみ」  「イランの思い出(27)イランにないもの」  「イランの思い出(28)世界遺産」  「イランの思い出(29)イランの夏」  「イランの思い出(30)ペイカン」  「イランの思い出(31)テヘランの秋」  「イランの思い出(32)サイー公園」  「習慣の差(1)」  「習慣の差(2)」  「習慣の差(3)」  「習慣の差(4)」
マレイシア:
「マレイシアの思い出(1)蛍」  「マレイシアの思い出(2)結婚式」  「マレイシアの思い出(3)マラッカ」  「マレイシアの思い出(4)フレーザーヒル」  「マレイシアの思い出(5)マングローブ」  「マレイシアの思い出(6)キャメンロンハイランド」  「マレイシアの思い出(7)ランカウイ島」  「マレイシアの思い出(8)ジョホール」  「マレイシアの思い出(9)ペナン島」  「マレイシアの思い出(10)ディパバリ」  「マレイシアの思い出(11)タイプーサム」  「マレイシアの思い出(12)ゴムの木」  「マレイシアの思い出(13)クアラルンプール」  「マレイシアの思い出(14)コタキナバル」
パキスタン:
「パキスタン編(1)地理」  「パキスタン編(2)汚いもの」  「パキスタン編(3)連行されちゃった」  「パキスタン編(4)接待」  「パキスタン編(5)女性と結婚」  「パキスタン編(6)人々」  「パキスタン編(7)お祈り」  「パキスタン編(8)停電と酒」  「パキスタン編(9)お礼」  「パキスタン編(10)口髭」

【浦島太郎の雑記】
「浦島太郎の雑記(1)整理整頓」  「浦島太郎の雑記(2)ファッション」  「浦島太郎の雑記(3)マナー」  「浦島太郎の雑記(4)変な日本語」  「浦島太郎の雑記(5)天気予報」  「浦島太郎の雑記(6)花」  「浦島太郎の雑記(7)万引き」  「浦島太郎の雑記(8)ウォーターオーブン」  「浦島太郎の雑記(9)ゴールデンウィーク」  「浦島太郎の雑記(10)メタボリック・シンドローム」  「浦島太郎の雑記(11)技術の進歩」  「浦島太郎の雑記(12)神楽坂」  「浦島太郎の雑記(13)同窓会」  「浦島太郎の雑記(14)豊かさ」  「浦島太郎の雑記(15)飽食の時代」  「浦島太郎の雑記(16)マネーゲーム」  「浦島太郎の雑記(17)ワールドカップ」  「浦島太郎の雑記(18)家宝」  「浦島太郎の雑記(19)安かろう悪かろう」  「浦島太郎の雑記(20)携帯電話」  「浦島太郎の雑記(21)現在の二大潮流」  「浦島太郎の雑記(22)浪花の闘拳」  「浦島太郎の雑記(23)TVのCM」  「浦島太郎の雑記(24)怨霊」  「浦島太郎の雑記(25)NTT」  「浦島太郎の雑記(26)良くなったもの」  「浦島太郎の雑記(27)格差社会」  「浦島太郎の雑記(28)信じられない行動」  「浦島太郎の雑記(29)TVのCM・・・その2」  「浦島太郎の雑記(30)アルコール」  「浦島太郎の雑記(31)アルコール・・・その2」  「浦島太郎の雑記(32)嫌いな人って」  「浦島太郎の雑記(33)和服」

【専門家活動の紹介】
「専門家活動の紹介(1)テヘラン州局」  「専門家活動の紹介(2)業務開始」  「専門家活動の紹介(3)局内セミナー」  「専門家活動の紹介(4)対外活動」  「専門家活動の紹介(5)C/P研修」  「専門家活動の紹介(6)プログラム開発」  「専門家活動の紹介(7)他州への技術移転」  「専門家活動の紹介(8)タブリーズ州局」  「専門家活動の紹介(9)環境局本部へ」  「専門家活動の紹介(10)大気汚染情報センター(本庁)」  「専門家活動の紹介(11)全国的展開」  「専門家活動の紹介(12)環境局の新体制」

【国際協力について】
「国際協力について(1)円借款」  「国際協力について(2)技術移転」  「国際協力について(3)被援助国とのギャップ」  「国際協力について(4)技術移転の方法①」  「国際協力について(5)技術移転の方法②」  「国際協力について(6)独立行政法人」  「国際協力について(7)成果主義①」  「国際協力について(8)成果主義②」  「国際協力について(9)成果主義③」  「国際協力について(10)現場主義」  「国際協力について(11)技術移転のあり方①」  「国際協力について(12)技術移転のあり方②」  「国際協力について(13)技術移転のあり方③」  「国際協力について(14)国際協力とは①」  「国際協力について(15)国際協力とは②」

【国際協力の現場】
「国際協力の現場(1)相手国の事情」  「国際協力の現場(2)専門家はどこに」  「国際協力の現場(3)国際協力機構」  「国際協力の現場(4)JICA事務所」  「国際協力の現場(5)専門家と現場」  「国際協力の現場(6)再び国際協力機構」
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by elderman | 2007-01-01 00:10 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(0)
2006年 10月 22日

日本人の特殊性(35)人事管理マジック

久し振りの「日本人の特殊性」のシリーズです。今回は日本で強力な役割りを果たしている「人事管理マジック」について書いてみたいと思います。

まず、人事管理マジックというのは基本的に余分なお金を必要としないで、労働者たちを一生懸命に働かせる効果があるということです。労働者を働かせるために経営者や管理者にとってこれほど経済的で効果的な方法はないでしょう。まさにマジックだと思います。

日本人には謙虚さが美徳として認められていますが、これを逆にみればそれだけ闘争心が強い国民とも言えるのではないでしょうか。そこで会社や組織に働き始めた労働者の同期同士を競わせるという人事管理マジックが有効になるのでしょう。

職場にはさまざまなポストがありますが、それになんらかの序列をつけて同期同士の競争心を刺激するということがあります。本当はポストに序列などないはずなのですが、組織図や名簿を作るとどうしても上下関係ができてしまいます。それでどっちが上か下かなんて印象を持たれてしまいますが、人事管理マジックではそれは歓迎すべきことなのでしょう。

ポストで給料が変わるというものなら話は分かりますが、一般的に大きな組織では同じ役職では給料は変わらないものです。特に公務員の場合はそうですね。給料が変わらないのにどっちが上かということで競争心を煽ることができたら管理者側は大歓迎でしょう。

私は、経済高度成長時代には、この人事管理が効率的に働いたと考えています。働く人たちもプラス思考ですから、一生懸命働くというものでしょうし、競争に勝てないと自覚した人でもそれなりに生活は保障されていました。今では、リストラという恐ろしい圧力があるので、恐怖政治のような体制の下で働かされているという哀しい状況があるようです。

この人事管理マジックと日本人の尊ぶ協調心とが一体となって日本の組織を作り上げてきたものと思います。能力のある人間が自己顕示欲を曝け出して仕事をしても日本では好印象は持たれませんね。能力があっても謙虚さが求められ、職場の仲間と協調して仕事をこなしていく、そして、周囲にその人の能力が認められて高い地位についていくというものだと思います。

現在のお金がすべてという風潮はまた別な問題を持っていますが、今回はこれまでの日本で行なわれてきたことについて考察しています。つまり現代的な変革を遂げた組織ではなく古い体質のままの組織を対象に考えていただきたいと思います。古い体質の組織、その典型が役所、あるいは大企業でしょう。

役所の裏金作り、問題点の隠蔽、身の保身優先、過労死、家庭崩壊、こういった問題の背景に人事管理と組織優先という日本人特有の特徴が出ているように思われます。私は、日本人にはもともと正義という観念は薄いように思っています。「清濁併せ呑む」、「勝てば官軍」などという表現がありますね。この概念は徳川家康の時代から影響を受けているんじゃないかと思っていますけど。

今の教育界で起きている問題をみていると、江戸時代のお家大事というものに近い発想が感じられます。問題は起きていないことにすればいい、そうすれば誰も責任をとる必要がないですからね。たまたま人事異動で問題のある部署の責任者になった人には不運な面もありますが、対応を間違えたりしながらも問題を隠蔽しようという体質はどこにでもありそうです。

それから人事管理というのは加点法というよりも減点法ということが普通ですから、これも問題の隠蔽という動機を持たせるものだと思います。なにも問題に巻き込まれないという強運の人が偉くなっていくということはあるでしょう。ですから、国の機関が「問題を隠さずに報告しなさい」と言ってもなかなかそんなことはできないんじゃないかなぁ。根は深いものだろうと思います。

これまでの日本の経済成長を支えてきた文化というか、さまざまな慣習・制度が新しい時代で歪をみせているような気がします。これからは性悪説を前提とした法治国家としてやっていくしかないのでしょうか。
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by elderman | 2006-10-22 10:17 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(4)
2005年 10月 30日

日本人の特殊性(34)自殺の美学

腹切り、神風特攻、心中の美化、戦艦大和の自殺行為、これらはすべて自殺もしくは自決の美学ではないかと思うのです。キリスト教でもイスラム教でも自殺を認めている宗教はないはずなのですが、この日本人の特殊性は武士道から来ることなのかも知れません。

死の美学、死ぬために生きる、こういう観念は日本人特有なのではないでしょうか。勝つ負けるとは関係なくこの価値観が日本人の心にあるということは恐いことだと思います。戦えばとことん最後まで戦い抜く、無条件降伏まで戦い抜いたのはつい60年前にあったことです。

神風特攻の当事者は敵に対して一矢報いるという純粋な精神だったのでしょう。冷静に考えればそれによって戦況が変わるとは言えないものだったろうに、止むに止まれず望んで特攻に志願したのだと思います。生きて辱を曝すより、名誉の死を選ぶ、そういう精神性に思えます。

ジハードと称して異教徒の攻撃に対して立ち向かうイスラム教徒の戦いにも似たものが見られますが、それは美学というよりも天国に行くための手段のように見えます。それでも価値のある死に方をしたいという願望においては日本人の神風特攻と共通するものをみるような気がします。

勝ち目があろうがなかろうが決死の覚悟ですから、これに立ち向かう平常心の敵兵の怖れは非常に大きなものだろうと想像されます。美学ですから、つまり格好がいい、これに惹かれるというのは日本人の国民性ではないかと思います。そこに純粋性、潔癖性を見出すのではないでしょうか。

ちょっと距離を置けば狂信にも見えるこの心の動きですが、日本人の心の底に強く残っているのではないかと思えます。絶叫する首相への人気もその表れかも知れません。損得で考えればアジアの中で孤立する日本というのがいいはずがありません。選挙結果を見て、損得ではない純粋性を感じるのが日本国民なのかも知れないと思いました。

自民党の300議席という結果を見て、熱狂した自分たちを見直しているというのが今の姿ではないでしょうか。政治が生活感覚からはるかに離れた存在になったというのが今回の選挙結果ではないかと思っています。政治家というのは特別な仕事で自分たちの生活からは離れた存在だと思う感覚が人気投票という結果を生んだのではないかとさえ思っています。

世代交代やジェネレーション・ギャップがあると言いながらも、日本人の国民性というのは案外持続しているような気もします。損得よりも美学、それが破滅につながろうと格好がいい方がいい。戦艦大和の自殺行為は敵にむざむざと傑作戦艦を渡したくないという精神的抵抗のようにも思えます。当時の海軍本部は負け戦は当然知っていたはずですから。

心中というのは江戸時代にもてはやされたものですが、究極の恋愛の姿として格好がよかったのでしょう。歌舞伎の影響とは言え、実際に心中を試みた人たちがいるというのですから驚きです。切腹、腹切りは名誉を保った自決ですから、名誉を重んじられたものと言えるでしょう。罪人に与えられる処刑方法の首切りとは決定的に違います。

さまざまな価値観のある国際化の時代、日本人のこの潔癖で純粋を好むという傾向は少し恐い気がします。狂信との差があまりにもないからでしょうか。外国人の目には神秘に映るかも知れませんが、それだけ理解できない精神世界のことと言えるのではないかと思います。

日本人だけが自殺が多いとは思いませんが、物質的にもっと辛い人たちはイスラム教徒ではないかと思えるのに自殺者はそれほど多くはないようです。イスラム教徒は自殺を禁じられているということはありますが、それがどこまで効果があるのかは疑問です。
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by elderman | 2005-10-30 00:17 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(17)
2005年 10月 08日

日本人の特殊性(33)日本人男性って

先日、秘書のアツーサに言われたことがあります。「日本人の男性よりイラン人の男性の方がいい」だって・・・ これにはカチンと来ましたが、冷静に考えると日本人男性って女性に誇れるような長所ってないみたいで・・・(汗) 今日は秘書の意見に同意してしまいました。

イラン人男性の方が家庭を大事にするし、女性に対する扱いも優しいし、子供と接する時間も長い・・・ どうにも日本人男性の出る幕がなさそうです。男性同士の比較ではありませんよ、女性、主婦からみた場合どうかってことなんですけどね。

つまり、日本人男性というのは女性や家族のためにというよりは、日本の男性には100%ベストを尽くして働けるという環境が揃えられているということなのではないかと思われるのです。天然資源のない国、日本人労働者の宿命のようにも思えます。

それでも私も日本男児の端くれ、どこかに日本人男性の長所ってないのかと一生懸命考えたのです。しかし残念ながら、イラン人秘書を説得できるような長所はどこにもありませんでした。つまり、日本というのは、それだけ男性社会であり、男性が働きやすいようなシステム、価値観が確立されているのだと改めて思いました。

私は悔しさ紛れに秘書に言いました、日本には「亭主、元気で留守がいい」というような言い回しもあるよってね。要するに夫は一生懸命稼いで家庭のためにお金を運んでくれればいいというものです。この感覚はイラン人の彼女には理解できないようでした。

国際人「えるだま」としてはなんとか逆襲してみたいところです。ゴジラ映画だって逆襲がキャッチコピーですもの・・・(関係ないか) そして、私が最後に言ったことで、彼女の表情が変わりました。さあ、謎解きが好きな方はここで読むのを止めて考えてみてくださいな。いったい私は何を言ったのでしょう。^^



私が言ったことは、「日本の亭主のほとんどは給料の全額を奥様に渡し、自分では小遣いを奥様にお願いしないといけない」。これです、多分ほとんどの日本人家庭がこのシステムではないでしょうか・・・ 私のところは結婚してからもこのシステムは採用しておりませんけど。

すると彼女の顔色が変わりました。そうなんです、家庭の経費などを管理するのは旦那の役割りというのが世界では常識なんです。日本のシステムが特殊なんですね。奥様に家計一切を取り仕切るという権限を与えられるというのは多分日本人の特殊性と言ってもいいでしょう。

欧米では財布の紐の管理は男性が普通です。考えてみれば稼いで来た人が管理するというのは当然に思えますね。しかし、日本の場合は完全に違っています。稼ぐのは亭主、管理するのは奥様、そういうのが一般的なようです。(私のところが違うのでどうしても一般論になってしまいます、私は自分の給料を一回も家内に渡したことがありません。汗)

日本の亭主族のなかには100円亭主ってのもあってね・・・ などなど日本の亭主族の悲哀を笑い話にした後、私は言いました。「私は女性にとっての日本人男性のよさというものをみつけることはできなかったけど、間接的に今の日本の生活水準を作り上げたのはそういう日本人男性たちなんだということは言える。イラン人男性がいいというということは、今のイランの生活水準で満足しているということになるけど、それでもいいの?この現状はイラン人男性が作り出したものじゃないの?」

そう訊かれても、明快な答えってないですよね。できればイラン人のように時間をたっぷり使い、家族と一緒に過ごし、日本人のように何でも手に入る国にいて、十分な給料が得られる・・・ そんな生活が望ましいのでしょうけど、なかなかそうはいかないもののようです。
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by elderman | 2005-10-08 11:43 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(18)
2005年 10月 07日

日本人の特殊性(32)おもいやり(3)

「おもいやり」というのは相手の立場になって親身に考え、その上で適切な対応をとるというものだと思います。極端な場合、友人が誰かの悪口をさんざん言っていても、実はその人を好きだからなんてケースもあるでしょう。言葉だけを真に受けて対応したら、まったく反対の対応になってしまうかも知れません。

日本人の場合、特にこの相手の立場になって考えるということが習慣になっているようです。多くの外国人と接してきましたが、彼らはとても親切で困ったことは喜んで助けてくれます。しかし多くの経験から感じることですが、彼らはこちらが何を言いたいのかという点に関心が集中しているように思われます。

日本人の場合、直接お願いしたり、頼むことをためらう性格があるようで、何かを話しながら相手に本心を察してもらうというようなこともありますね。こういうやりとりは私が外国人だからそうなのでしょうけど、外国にいてはあまり経験していません。

日本人同士の「おもいやり」をみていて当惑することがあります。的外れな「おもいやり」をしてしまうことってありますよね。考え過ぎて「おもいやり」のつもりで言ったものが悪く取られたり、それを修正しようとしてますますこじれたりして・・・ こういうのは日本人同士でよくあることのように思えます。「おもいやり」の弊害とも言えるでしょうか。リアルタイムで進むチャットなどではこのすれ違いをよく経験したものです。

最近の若い人たちの会話や文章表現をみていると普通の言い回し少なくて、断定を極力避けているように見受けられます。これも他人の感情を害することのないようにという「おもいやり」の一種の表れなのでしょう。どこの国の人でもあるでしょうが、いつでも嫌われたくないと神経を使うのが日本の特徴のように思われます。

「おもいやり」の反対にあるのは「自分の気持ちを察してほしい」というのがあると思います。いろいろやりとりの後、相手が察してくれないと、「おもいやり」がないという批難をしてしまうのではないでしょうか。この辺りは妙に日本人という感じがします。

私のような鈍感な人間では、しょっちゅう「おもいやり」がないという批難を受けてしまいかねません。批難されてから、そういうものなのかなんて分かるというのではちょっと辛いですね。この辺りは家内に聞いてみないとね・・・ んー、耳が痛くなりそうだ。(苦笑)

日本人の特殊性としては、同じ言語を使い、ニュアンスを大切にするものだから、ことさら察するということが重要視されるような気がします。言い回しにおいて末尾がこれほど柔軟でなければそこまでデリケートにならずに済んだかも知れないと思ったりします。

「分かった」
「分かったよ」
「分かったってば」
「分かった、分かった」

これだけの表現で感情まで伝わってしまいますものね。「はい」と「はいはい」でも大分違いますものね。返事は一回でよろしいってね。(笑) 実際の会話ではそこにトーンまで加わりますから、人間の付き合いというのは楽じゃないですね。(苦笑)
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by elderman | 2005-10-07 11:37 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(12)
2005年 10月 06日

日本人の特殊性(32)おもいやり(2)

前置きが、大分長くなりましたが、本題はこれからでして、いよいよ「おもいやり」に触れて行きたいと思います。お気づきになられたと思いますが、この「おもいやり」も表現方法は違いますが、敬語、謙譲語、丁寧語のような意味を持っており、同様に「日本人は仲間意識も強いですが、互いに監視し合う習慣が身についてしまっている。」というところから発しているようにも思われるのです。

これは「おもいやり」を美徳と考えるものとは違います。どう思われるかということを意識した「おもいやり」のポーズということなのです。本当の「おもいやり」ならいいのですが、果たして形式に陥った「おもいやり」、他人の目を意識した「おもいやり」ではないと言い切れるでしょうか?

えっと、前回の問題提起は、日本人の美徳のひとつである「「おもいやり」」に対しての批判ではなく、「おもいやり」が日本とは違う文化的、歴史的背景を持つ外国の国の人々に理解可能かということを考えるためのものです。ヨーロッパ人の日本人とは反対の考え方も紹介いたしましたが、果たして外国人に日本人の「おもいやり」という考え方が理解されるでしょうか?

誤解のないために付け加えますが、外国人に全然「おもいやり」がないとか、日本人の全員に「おもいやり」が備わっているということを申し上げている訳ではありません。日本人の「おもいやり」と申し上げながらも、自己主張が強く自分勝手な行動が目立つ外国、特に中近東のイランの国民性を念頭に置いていることは間違いありません。

イラン人の国民性を見ていると、アラビアのロレンスという映画が思い出されます。外部では植民地化が進む中、国の中では民族紛争で明け暮れている。そんな中で民族の団結、協調を進めるのは容易なことではないはずです。中近東に来てみて、もう一度見たくなった映画がアラビアのロレンスです。

身内や、親しい人に対する「おもいやり」には、日本人と外国人でそれほどの違いはないと思います。ですから、問題はそれ以上の対象に対する「おもいやり」、配慮だと思います。日本でも、知っている人がいるかいないかで、役所の対応がかなり違うということがありますが、多くの発展途上国ではそれ以上の問題をよく見かけます。書類がいつまでも動かなかったりですね・・・・ どこかに垣根があって、その広さの問題かもしれません。

日本人って心のどこかに人間だから考えることは一緒って楽観していませんか?そりゃあ、肉親の死去で悲しまないってことはないですから、そういう基本的なところではもちろん同じです。ただ、海外においては、日常生活、仕事の進め方においてはかなりの相違に直面することが多くあります。今回は本題からは少し外れますが、その相違について触れてみたいと思います。

まず、思考方法ですが、日本人は螺旋型、西欧人は直線型と言われています。日本人は、天気のことから始まって、じわじわと本題に接近しますよね。決して天気に興味がある訳ではないのです。(笑) 相手の反応を探りながら、本題に向かうので、螺旋型って呼ばれるのでしょう。

一方、西欧人は、単刀直入が多いようです。もちろん、「ご機嫌いかがですか?」という挨拶の後ではありますけどもね。

この原因は、やはり島国と大陸という差から来ているものと思われます。言語も民族も違う大陸型では、微妙なニュアンスを伝えるよりも、目的をはっきりと伝えることが優先するからでしょう。微妙な表現を使っても、母国語の違う相手がそれを理解するとは思えませんからね。

それから、文章ですが、日本語の文章は書き手主体の文章と言われています。書き手が好きに書いて、読み手はそれを理解しようとする。これは書き手にとっては楽なものです。西欧人の文章は、読み手主体の文章と言われています。分かり易くないと、いい文書ではないのです。

日本人の文書をみると、拝啓から始まって、時候の挨拶、相手の健勝や、会社の清栄に触れて、それから「さて」で始まる前段があって、「つきましては」からが本文になりますね。そうして、最後にまた挨拶があって・・・・・・・やれやれという感じです。

一方、西欧人の文書となると、挨拶もなにもなく、いきなり本文になります。日本人にはいささか抵抗がありますが、簡潔明瞭、余分なものは何にもありません。親しい間での、またお会いしましょうとかは、もちろんありますが、友人関係でもないと、本文は極めてあっさりです。

西欧人が、直訳した日本語の文章をみたら、さぞかし当惑することでしょう。なんで、そんなこと書いているのかなってね。季節のことはいいから、なんなの?会社は無事ですよ。説明が長いなぁ・・何を言いたいの?・・・ってな具合でしょう。(笑)

という具合に相当感性も習慣も違うものなのです。根本の違いを理解して進めなければいけないのが、日本から外国に対するアプローチだと思います。ちょっと、脇道に逸れましたが、少し触れておきたかったことです。
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by elderman | 2005-10-06 17:49 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(12)
2005年 10月 04日

日本人の特殊性(32)おもいやり(1)

日本人の代表的な美徳のひとつに「おもいやり」を挙げることは多いですね。意見百出、議論を呼ぶでしょうが、あえて日本人の特徴を分析する挑戦をしてみたいと思います。

最初に私の言いたいことを明確にしましょう。「日本人は仲間意識も強いですが、互いに監視し合う習慣が身についてしまっている。」ということです。反論もあるでしょう。

例えば、自由に職場の執務空間を選べるとしたらどうでしょう?日本では部長クラス以上でないと秘書付きの個室は提供されないのが普通ですね。ところが一般にこれを望むかと言うとそうでもなく、希望を聞くと日本人の多くは、20人でも50人でも、机を並べた執務環境を選びます。ヨーロッパ人の目からは信じられないことのようで、仕事に集中もできないし、電話も不自由、プライバシーもない、とても仕事できる環境ではないと言うでしょう。

なぜ、日本人はそのように仕事をやり難い環境をあえて選択するのでしょうか?仲間意識もあるでしょうが、他人が何をしているか知りたいからだと思います。そうすると同時に自分も見られていることを強く意識することになりますね。この形態は管理職からすると非常に部下の管理がやりやすいものだと思われます。自分で直接みなくても、部下が自ら監視し合ってくれている訳ですからね。しかし、こういう環境は絶対に窮屈ですから、5時過ぎに飲み屋に行って憂さ晴らしをするということになる訳です。

ヨーロッパ流では、その窮屈さがないですから、「5時から男」も存在しないことになります。そして、飽くまでも成果重視の個人プレーになって行きます。このやり方では、ミーティングによる相互の情報交換は非常に大事であることは言うまでもないでしょう。

前回は「おもいやり」というタイトルから離れているような印象を与えたかも知れませんが、「おもいやり」という美徳が生まれる背景から分析しないと始まらないと考えたからです。今回も、その「おもいやり」に近づくよりも、むしろ前回の「日本人は仲間意識も強いですが、互いに監視し合う習慣が身についてしまっている。」という理由の方を考えてみたいと思います。

前回書いたように、日本人はなぜ窮屈な仕事環境を自ら選択するのでしょうか?「他人が何をしているか知りたい」という理由で十分なのでしょうか?「旅は道連れ、世は情け」、「みんなで渡れば怖くない」、この辺りが日本人の感性を言い表しているようにも思われます。

南米では、まったく反対のことを聞きました。「気の合わない人と旅するより、一人がいい。」 どうも西欧人と日本人とは正反対の感性があるようです。日本人には、独立心が薄いのでしょうか?そうかも知れませんが、逆にチームワークという点において日本人は比類ない能力を持つと考えられます。

戦争を肯定する気はありませんが、日露戦争、太平洋戦争でも日本軍の優秀さは群を抜いたものだと思われます。軍隊は究極の能率、能力を求めるはずですからね。未だに、それらの戦争での優秀さがあるが故に日本国が一目置かれているという国際情勢もあるくらいです。

その原点はやはり島国かも知れません。狭い国土の中、個人個人が好きなことをやっていたのでは収拾がつかなくなります。そこで、「村八分」と言うような強い手段で、連帯、協調の障害となるような行動を戒めたと思われます。

「村八分」を避けるためには、周囲で何が起きているか知らなければなりませんから、情報収集も必要でしょう。どうも、この辺りから「他人が何をしているか知りたい」という動機が生まれて来ているのかも知れません。

現在、教育界では個性を伸ばすなんてテーマがあるようですが、従来の日本は、逆の動きをしていたように思われてなりません。「出る杭は打たれる」とか、同じ仲間、同種であることが美徳とされて来たという昔の日本人の考え方とは反対でもあり、取って付けたもののような気がします。

ちっともテーマである「おもいやり」に近づかないですね。(苦笑) 今回は、引き続き「日本人は仲間意識も強いですが、互いに監視し合う習慣が身についてしまっている。」という話から出られないかも知れません。私は、監視し合うが故に、敬語等が生まれ発展したのではないかと思っています。

長幼の序というのは古くからの日本人(アジア人)の考え方ですね、そして、役職の高い人も序列では上位になります。他の人が見ているから、こういう形式が生まれたとも考えられます。誰も見ていなければ、当事者同士の関係ですみますからね。

敬語、謙譲語、丁寧語、本来人間関係を円滑にするために発達したものと思われますが、こういうものは形式主義に陥りやすいものです。元来尊敬などは、自然に湧き出るものだという気がしますが、年長、役職の上位などで、形式的に使わなければならないというように変化して来たのだと思われます。

見方を変えれば、敬語、謙譲語、丁寧語は、心からであるか、形式的なのか、これを上手く隠蔽したものとも考えられます。長幼の序がなければ、米国などで一部の家庭で行われている両親を名前(ファースト・ネーム)で呼ぶことにも抵抗がないでしょう。日本では、体育会系では殊更に長幼の序を大切にしているように思われます。ここで言いたいのはその是非ではありません、念のため。

最近の若い人たちの仲間言葉は、敬語などの習慣に対する抵抗にも見えます。共通の言葉で仲間意識を持ち、形式的な表現に陥っている年長者への批判にも感じられます。私は、ある若い方から素直に仲間言葉で話しをされたことがありますが、ありがたく受け止めるべきなのでしょうが、通じないのでは困ったものだという経験を持っています。(汗)
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by elderman | 2005-10-04 12:05 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(12)
2005年 10月 03日

日本人の特殊性(31)国際会議

今回のお話は日本人だけでなく中国人などの東アジア人に共通した性格かも知れません。国際会議でヨーロッパ代表が議題や議論で即断即決しているのに比較して、東アジア代表は決してそこでは意思表明をしないのです。質問はしますが、結論めいたことは本国に問い合わせてからとか上司に伺いを立ててからということになります。

東アジアの人間から見ればヨーロッパ諸国代表がどうしてそこまでの権限を持って即断できるのか不思議な感じです。逆にヨーロッパ側から見れば、即断即決できる人間が出席しないアジア諸国というのはどうなっているのだろうという印象を持つことと思います。

私は事務局経験があるので、その点をヨーロッパ代表に直接訊いたことがあります。ヨーロッパの代表は所属する組織によっても違いますが、2000万円くらいまでは代表の意思で即断即決できるようです。少なくとも会議場で本国政府に伺いを立ててから回答するなんて口が裂けても言わない感じです。代表で会議に臨んでいるのですから、このくらいの気構えは必要だろうと思いますけどね。

ということで国際会議で東アジアの代表が自分の席から後ろを振り向いて、いろいろごそごそやっている姿は珍しくありません。担当者らしき人が会議場から去り、また現れて代表に耳打ちしているなんて姿、日本国内の会議でも見られますね。まずいことを発言した場合など小さな紙切れでメモが手渡されるなんて光景は洋の東西を問いませんが。(笑)

ところで、私の僻み根性かも知れないのですが、英語の表現で「私は○○人です」というものがありますが、非常にデリケートな話で恐縮なのですが、日本人の場合、”I am Japanese”が普通で、米国人の場合は、”I am an American”というのが普通なんです。”Japanese”と”Chinese”というのは”Uncountable”(数えられない名詞)なのかよと僻んでしまいます。

国際会議での東アジア人のやっていることをみると、これは私の僻みではなくて、当を得ているんじゃないかと悲しく思えて来ます。ヨーロッパ諸国の代表から見れば、東アジアの代表に誰が出てきても同じという印象があるのではないでしょうか。個人の力ではなく、組織の代表であるという色彩を強く持っているのが東アジアの特色であることは否定できないでしょう。

ヨーロッパ諸国の場合、個人の裁量が大きいですから、良かれ悪しかれ大きな影響があります。東アジアの場合は組織としての結論という意味があるのでコロコロと態度が変わることはないでしょう。しかし、会議の席上で何も決められないというのはちょっと大人げないような気がします。

私は個人的にはアジアの調和、協調を大切にするという習慣、価値観が大好きです。ですから、会議がまどろっこしいのはその弊害というように考えれば、仕方がないと考えてもいいのかも知れません。話がまとまらないからと言って、直ぐに戦争行為に走るような文化は肯定したくありません。ヨーロッパ諸国は主張はするけども、相手の意見も聞くという大変素晴らしい習慣・文化を持っています。
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by elderman | 2005-10-03 11:25 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(6)
2005年 10月 02日

日本人の特殊性(30):外食産業

日本に外食産業が根付いたのはほんの20年くらい前からのことではないでしょうか。今でもイランやルーマニアでは外食の習慣はないようです。イランの場合、同じものを食べてどうして2倍も3倍もするお金を払わなければいけないのかという素朴な疑問が優勢のようです。イランの場合、レストランは料理をしないで食事ができるからいいだろうというレストラン側の姿勢も感じられます。

ルーマニアではまだ外食の習慣があまりないようでした。こちらの場合、たくさんあるイタリアレストランでとても美味しい料理がいただけるのですが、なぜかお客さんが少ないのです。外食するとお金がかかるということが大きな理由のようです。生活に余裕がないということなのでしょう。

ラテン人の南米では貧富とかには関係なく外食産業は根付いています。もちろん昼食などでは庶民的なレストランにしか行きませんけど、それでも弁当を持参する人は少数派のようです。面白いのは高級そうなレストランよりもファーストフードの方が値段が高く、それでも人気があるということです。多分目新しいからじゃないかと思いましたけどね。

西欧の先進国では外食産業は大繁盛ですね。屋外に設置されたレストラン、カフェには常時お客さんがいるようです。パリでセーヌ川の中に船を浮かべたバーで、ノートルダム寺院を見ながら時間を過ごすなんてなかなか楽しいものです。

先進国でもないのに外食産業が盛んなのはなんと言ってもバンコクでしょう。歩道には多くの屋台が並び、レストランもたくさんあります。バンコクに住むタイ人の家にはキッチンのないアパートも多いといいます。一人身の場合、アパートで料理を作るよりも屋台で食事をした方が安いというのですから無理からぬことでしょう。

さて、閑話休題、日本人の特殊性に戻りますが、日本の場合、バブル経済期そしてその後といろいろな段階を経てきているので単純には語れないと思います。昼食には定食屋か蕎麦屋、あるいはラーメン屋というのが定番ですが、ファミリーレストランが竹の子のように出現した時期もありましたね。

駅蕎麦というのは日本人の昼食時間の短縮には一番いいようです。営業で飛び回るサラリーマンや学生をよく見かけます。これは日本人特有の文化でしょうか。昼食は軽く、夕食が重たいという日本人の習慣からもっとも合理的なものかも知れません。世界を見渡すと昼食が一番重いというのが一般的だと思いますから、日本が少し特殊なようです。

そういえば食事の時間帯についても日本人はちょっと外国人とは違っています。日本人の夕食は7時か8時頃でしょうが、外国では9時か10時というのが一般的です。ヨーロッパ、南米などでは、8時頃レストランで食事をしているのは日本人観光客くらいなものです。

東アジアや東南アジアは日本人の習慣に近いので、時間差がないのが嬉しいところです。午後6時くらいから夕食にありつけますからね。タイ人の場合は、少しの量を何回も食べるというのがあるようで、だからでしょう、常時レストランが開いています。

何がテーマだか分からなくなりましたが、日本人の昼食は軽く、夕食は早い時間ということが特殊性だと言えるでしょうか。アルコールがないと食事を10分くらいで切り上げてしまうのも日本人の特徴かも知れません。それになぜか罪悪感があるらしく昼からアルコールを飲まないですね。南米に行ったら事情は違います。飲みたいときに飲めばいいと思うのですが、日本の場合仕事中はちょっといけませんね。でも、休日までそのルールを当てはめる必要はないと思っています。

外食産業ということでは、日本にはありとあらゆるレストランがあるのではないでしょうか。東京では人口が集中していますから、どんな種類のレストランでも営業できるのでしょう。そしてそれを支えているのが外食の習慣と言えるのではないでしょうか。もっとも夜は5時から男の出番ということもあるので、建前と本音の国、日本ならではの習慣・文化の一端なのかも知れません。
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by elderman | 2005-10-02 11:42 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(8)
2005年 10月 01日

日本人の特殊性(29):女性の教育

今回は少し難しい話題です。女性の教育はどうあるべきか、こんな難しいテーマはとても荷が重いですね。アフガニスタンのタリバーンの女性教育に関する報道はショッキングでした。女性は家を守り、子供を育てるのがもって生まれた宿命とばかり、まともな教育は受けさせず、完全に男性の持ち物のように扱われていました。このような性差別問題を誤解のないようにとジェンダーという言葉が使われ始めました。セックスという単語ではちょっと別な方面を意識してしまいそうなので、丁度いい言葉なのでしょう。女性の社会的役割と訳すべきでしょうか。

日本の昔は母系制度だったと習った記憶があります。誰が父親か分からないというのも面白いですが、一番確かな家系の制度と言えるのかも知れません。その頃中国では女性は完全に歴史の闇の中です。名前すら残されていないのです。歴史は社会そのものですから、この意味では女性は完全に社会的地位がなかったものと考えられます。もっとも陰で糸を引いていたとも考えられますが、春秋戦国時代の中国では戦乱に次ぐ戦乱ですから女性の出る幕はなかったかも知れません。

古く女性として名前が残っているのはクレオパトラでしょうか。エジプトの女王ですから、社会的地位はまさに最高峰です。それ以外で有名なのはソクラテスの奥様でしょうか、悪妻で有名ですね。世の中が戦乱に明け暮れている時代には女性の歴史に登場する機会はまずないでしょう。アラビアのロレンスでも女性の登場人物はありませんでした。歴史を見る限り、女性の社会的地位は最近になってようやく認められた感があります。逆に言えば、女性の社会的地位が語れるようになった現代は昔に比べて戦争が少なくなったということができるでしょう。我々は平和ぼけとも言われますが、それでも平和な時代を喜ぶべきなのでしょう。

現代の社会において女性の社会的役割、地位、教育が遅れていると思われるのがイスラム社会です。アフガニスタンのイスラム原理主義団体タリバーンのやり方は極端ではありましたが、忠実にイスラムの考え方を実現するとそういう姿になるかも知れないと思わせるものです。いい加減なイスラム教で有名なシーア派のイラン人でも究極の姿としてはそうであろうと考えているようです。ただそれを実際に受け入れるかどうかは別問題です。イランでは現代人に当てはめるのは現実的ではないと考えているようです。

メジャーであるイスラム教スンニ派の国々の中で私はマレイシアしか知りませんが、マレイシアは複合民族国家なのでちょっと純粋なイスラム教の教えがモディファイされている可能性があるように思います。イスラム教シーア派のイラン人は、男女の性差が明確になる頃から分離教育で育ちます。そして大学では共学になるという不思議な制度を持っています。男女共学がいいか悪いかという問題は難しいですが、私は共学が望ましいと思っています。異性を理解するのも教育の一環ではないかと考えるからです。

女性の社会的地位が男性と完全に同等であることが正しいことかどうかは熟慮しなければいけないことだと思いますが、歴史的にみれば同等であることが望ましいように思われます。物理的な差異は大したことはないでしょう。今はもう肉体労働の時代ではありませんからね。女性の特権である出産に関係した保障さえあれば、他はもうほとんど男女の差はないものでしょう。

私が世界の国々で見てきたことから言えば、男女平等という権利を主張するやり方よりも、それぞれの個性に応じた生き方が選べるというのが最適なのではないかと思うようになりました。数学や物理が好きでない女性に無理やりそれらの勉強を押し付けるのもどうかと思うし、家に入って子育て、家事に専念したいと言う希望の女性にはその道を開いて上げればいいと思うのです。専業主婦は職業としては認知されていないかも知れませんが、立派な職業といえる性格のものと思います。逆に家事が苦手な人は外で働くのが社会のためというものでしょう。

みんなが同じになるのではなくて、それぞれの個性に合わせて自分の人生を選べるような社会であるべきものと思います。男性だって生き方を選べばいいでしょう。ただ安易に過ごせばいいということでないので、この辺りが教育者の出番でしょうか。より満足でき幸せな生き方を追求するような人間に教育してもらいたいものです。それにはまず教師自身が尊敬され堂々と生きてもらわないといけませんね。

欧米の考え方、歴史などを植えつけられてしまったのが日本人の特殊性だと思っています。戦前戦後では文化的な断絶が生じたと思っています。ということで、私の目は先進国のフェミニズムに向いているものではなく、むしろかつて日本にあったかもしれないアジア的な考え方や、異質な文化に見えるイスラム教の世界での女性の人権をみています。

10数億人と言われるイスラム教徒ですが、基本的な考えに間違えがあったら、これほどの信者を獲得できるものだろうかという素朴な疑問があります。そしてそこにおける女性の人権、社会的役割について観察をしたということです。欧米などの先進国の人権の考え方、フェミニズムの台頭、それがどこまで正しいのかは私には分かりませんが、一方の世界では未だに非常に極端な考えが支配しているところもあるということです。それを文化の未発達と決断していいかどうか私には分からないし、欧米流の物差しを当てはめることがいいのかどうかも難しそうです。

イランでは女性の社会的活動が完全に制限されているかというとそうでもなく、現在の副大統領であり環境局長官は女性です。能力のある人間なら男女の区別なく社会的地位を得られるという面もあるようです。環境分野は利権に疎いので女性が抜擢されるのかも知れません。むしろ利権がらみのポストを開放したらいいと思いますけどね。

今や世界はインターネットで交信できるようになりました。欧米流の考え方、民主主義はイラン政府は敵視していますが、庶民の間には解放的な文化としてどんどん情報が流れ込んでいます。この点はイラクとイランでは大いに事情が違っていると言えます。ハリウッド映画のの話題作も米国での封切り後直ぐに海賊版が出回っているし、コンピュータのソフトウエアも米国の著作権はまったく考慮されないので二束三文の値段で出回っています。

これだけ情報が得られる状況にありながら、イラン人がイスラム教の教えに基づいて、あるいは強制されてとも言えるのですが、さまざまな生活上の不自由を甘受しているということが不思議に思えます。人権か宗教かということなのでしょうか、それでもイスラム教を捨てるという人はいないようです。もっとも国教なので捨てる訳にもいかず、そのようなことを表明したらどんな罰が待っているか分かりませんけどね。
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by elderman | 2005-10-01 12:46 | えるだま雑記【案内画面】 | Comments(8)