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2006年 11月 27日 ( 24 )


2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(1)

ペルシャの秘宝

第一章

 イランへの長期派遣の話を聞いたとき、川島直紀はさすがに心の動揺を隠せなかった。35歳に達した自分にもそろそろ海外派遣の話が回ってくるだろうと思ってはいたのだが、それがよりにもよってイランだとは川島にはショックであった。
 彼にとってのイラン人というのは、10年くらい前に上野で偽造テレホンカードを売っていた不法滞在のイラン人グループとか、歴史ものの映画に登場するペルシャ商人というイメージしかなかった。イランがイスラム教の国ということは知ってはいても、そもそもイスラム教徒と接触する機会すら持ったことはないのだ。
 川島には自分自身の動揺よりも両親にショックを与えないようにしないといけないというのが先決であった。彼は急いでイランについて調べ、両親に心配を掛けないような話をしなければいけないと思った。ほとんどの日本人にとってはイラクとイランとの区別すら難しいのが実態である。

「どうしてよりによってイランなんだろうねぇ。ヨーロッパにだって国はいっぱいあるだろうに。」
母親に言われるまでもなく、直紀自身がそう思っていたのだった。退職して家にいる父親は話を聞いて表情を曇らせただけだった。
「イランは自動車を生産しているんだ。砂漠ばかりの国じゃないらしいよ。」
「戦争とかテロとか大丈夫だろうかねぇ。」
「悪い噂はあるようだけど、事件は起きてないよ。」

 川島直紀が赴任のための準備を始めると、机の引き出しの中に青い石の小箱を発見した。それはもう30年も前になるが伯父の吉田画伯からもらったものなのだ。10cm程度の小さな小箱だが宝石でも入れるものなのだろう。蓋の裏側にアラビア文字のようなものが刻まれているが、それを読める人はいないし、吉田画伯もそれについては何も語らず今はもうこの世の人ではない。彼はイランに行けば読めるかも知れないと思い、それをショルダーバッグに入れた。

 直紀は小学校に入る前、吉田画伯の別荘に少しの間滞在したことがあった。吉田画伯は病気の静養だったのか、千葉県富津市にある上総湊駅から歩いて20分もかかる場所だが、鉄道のトンネルの近くに別荘を持っていた。その別荘に行くのには鉄道の線路の橋を歩いて渡らなければならなかったので、よく覚えているのだ。直紀は別荘では何もすることがなかったので、一日中与えられた画材で絵を描いていたのを覚えている。吉田画伯は油絵の画家だったようだが、細かい模様と美しい色彩感覚に満ちた作品だったことが直紀の記憶に残っている。

 直紀は吉田画伯のことについて両親に聞いてみたいと思った。早速母親に聞くと、
「親戚の吉田さん、あの絵描きの吉田さんのことだけど。」
「ああ、亡くなった伯父さんね。」
「そう、伯父さんは外国に行っていたことがあったんじゃない?」
「そうね、そう言われれば、生前はよく外国に行っていたらしいね。」
「よくは知らないの?」
「お土産なんてもらったこともないし、よく分からないね。」
「今度、吉田の伯母さんに聞いてみてくれない?」
「じゃあ、後で電話してみようかね、久しぶりだしね。」

 長期の赴任となると日本から持参したいものはたくさんある。直紀は仕事に必要な文献などは別便で役所から送ったが、身の回りのものそして食物もできるだけたくさん詰め込みたいのだ。イランで日本食なんて期待する方が無理と言うものだろう。直紀の荷物は結局大きなサイズのスーツケース2個になった。一つが40kgもあるだろうか。

 夕食が済むと、直紀の母親が吉田の伯母さんに電話を掛けた。母親は一通り話をすると直紀に受話器を渡した。
「伯母さん、ご無沙汰しております。」
「イランに行くんだって、大変だねぇ。」
「はい。」
「うちのと同じ国に行くなんて、これは何かの縁なのかねぇ。」
「え?伯父さんはイランに行ったことがあるのですか?」
「2-3回は行っていたと思うけど、ずい分影響を受けたと言ってたね。」
「へぇ、そんなに行っていたんですか?」
「なんでもインスピレーションが湧くとか言ってね。」
「そういう国なんですか、イランっていうのは。」
「私には分からないけど、ずい分気に入っていたようだったね。」
「伯母さんは、伯父さんが私にくれた青い小さな箱のことを覚えていますか?」
「えっと、瑠璃色のかな、イラン人にもらったってやつでしょ?それしか知らないけどね。」
「へぇ、あれは瑠璃色って言うのですか・・・」
「そう、宝石の一種といえるかな。」
「うわっ、宝石だったんですか、知らなかった。」
「今じゃ、それほどの価値はないと思いますよ。昔は宝石だったと言うべきかな。」
「それにしてもすごいものをいただいていたんですね。」
「直紀ちゃんのことが可愛かったのでしょ、よく絵を描きに来てたものね。」
「はい、もう30年も前のことです。」
「そう、もう30年も経つのね・・・」

 直紀は瑠璃色の小箱に書かれている文字がペルシャ語らしいということが分かった。彼にはまだ見たこともないイランという国だが、伯父の吉田画伯が興味を持ったということから彼にはイランについて新たな興味が湧いてきた。
 同じアジアという地域にありながら、日本とイランとはアジアの両端に位置する国同士である。イランからみれば日本よりもヨーロッパの方がはるかに近い。日本から直行便で飛んでも9時間は掛かるという。
 直紀は両親に見送られて、成田空港を飛び立った。イラン航空の飛行機は北京を経由してテヘランの空港に向かうのだった。イラン航空の飛行機はB747だが、かなり古い形式のものと思われた。機内ではキャビアがサービスされたが、アルコール類は一切サービスされないようだった。飛行機が離陸した時から、直紀は既にイランに入ったような気分がした。

 飛行機がテヘランのメヘラバッド空港に着いたのは、もう夜中の11時であった。機内では気付かなかったが、いつの間にか女性たちが黒いスカーフを被っていた。川島直紀にはこれほどのイラン人女性が同じ飛行機に乗っていたなんてまったく気が付かなかったのである。国際空港とは思えないような薄暗くて小さい飛行場の建物を歩くと、パスポート・コントロールの長い列についた。どこが列なのか分からないような雑踏の中、直紀は仕方なく適当に並んでいた。すると制服を着たイラン人が直紀を一見して外国人だと認めたのだろうか、別な列に案内してくれた。そこは外交官用と表示されていたので、直紀は普通の列のところに並んでいたのだが、空いていたせいか外交官用の窓口に外国人を案内しているようであった。
 直紀が荷物を全部引き取り飛行場の出口に向かった時はもう12時を過ぎていた。大荷物のせいか税関の係員にスーツケースを開けされられたのには少し不愉快な気がしていた。「イランでは私の人相が悪いということなのだろうか・・・」
 直紀がスーツケースをカートに乗せて出口から出ようとすると、そこは黒山の人だかりだった。日本から帰国するイラン人の出迎えなのだろう。花を持っている人、ハンカチで涙を拭いている人、まるで映画スターでも出迎えるような騒ぎであった。直紀はそれをやっとのことですり抜けると、幸いにもその雑踏の中であるにもかかわらず出迎えの日本人をみつけることができた。

 飛行場からテヘランの市街地に向いながら外をみると、なんとなく古ぼけたコンクリートの建物が多く感じられた。夜でよくは見えなかったが、全体に薄茶色といった感じである。片側6車線もあるような広い道路だが、深夜のせいで走っている車は少なかった。直紀には中近東に来たという感じがいよいよ実感を伴ってきたのである。
 ホテルはテヘラン市の中心部にあると直紀は聞いていたのだが、車が進んでいる道には枯れた樹木が並木になっているものの道路幅は狭く、日本の田舎道のように見えた。迎えに来てくれた日本人に聞くと、この道がメインストリートのバリアスル・ストリートだと言う。直紀はこれが一千万の人口を抱えるイランの首都テヘランなのかと情けないような気分になってしまった。
 車はようやく路地に入り止った。案内されたところは長期滞在者用のホテルで、いわゆる5星ホテルとは違っていた。直紀はチェックインを済ませ、明日の迎えの説明を聞くと迎えに来てくれた日本人と別れた。このエラム・ホテルは長期滞在者用というだけあって、部屋の大きさは十分であった。ダイニング・キッチン、書斎のついたリビング、ベッドルームが二つある。独身で単身赴任の直紀には申し分のない大きさである。必要な食器はすべて備え付けられているし、毎朝、パンとバター、それに卵と牛乳が届けられるという。
 テヘランは雪が降るという。直紀が到着したのは2月であるが、これからも雪が降る可能性があるようだった。部屋にはスチームによる暖房があり、直紀が気に入ったことに書斎の近くには暖炉があるのだった。彼は生まれてから暖炉など使った経験はなかった。しかしこの暖炉に置いてある見た目木材のようなものは焼き物で、実際にはガスを燃やすのであった。

 翌朝直紀はキッチンで朝食を済ましてロビーで迎えを待った。直紀でなくとも最初は案内がなければ何もできないのはしょうがないことだろう。
 車に乗ると直紀に最初の驚きが待っていた。バリアスル・ストリートの交通量は多いが、4車線のところを7車線になって車が走っているのだ。いや、場所によっては8列になっているようである。しかもその走り方といったら、もう目茶苦茶である。直紀の地元の千葉県も交通マナーの悪いことでは有名だが、まったく比較にならないマナーである。接触事故が起きないことの方が不思議なくらいなのだ。直紀の乗っている車も他の車に負けないような運転をしている。
 混雑した道路でUターンをする車もいれば、直進車がいるのに目の前を横切っていく車もある。どうやら先に行動を起こした方に優先権があるようだし、あるいはそもそも優先権というものがないようにも思われる。直紀の車の前に割り込んでくる車もしょっちゅうである。日本では運転手の怒鳴り声が聞こえそうな運転マナーばかりであった。
 さらに直紀を驚かせたことは、そういう道路を平然と歩いて横断する人々がいることだった。彼にはこれはできそうもない芸当にみえた。その芸当を冷静に見ているとそういう歩行者に腹を立てているような運転手が誰一人いないのだ。歩行者は優先らしいと思われたが、それにしても車は直ぐに止まれないのだから何とも無謀な歩行者の行為に見えて仕方がなかった。年寄りも見かけたが、この人たちはやはり若い人と同じという訳にはいかないようで、おっかなびっくりで道路を横断していた。それでもちゃんと横断はしているのである。
 やがて車は広い道路に出た。高速道路に見えるが料金所がないところから有料道路ではないようだ。反対車線は大変な混雑をしている。直紀の進んでいるのは市の中心地から外に向かっているのだろう。着いた場所は公園の入り口のようで、パルディサンと呼ばれている場所であった。その公園の中の道路をさらに進むと、白い大きな建築物が見えてきた。そこが川島直紀の勤務するオフィスになるところである。テヘランのやや西側に位置している。直紀は公園の中にあるオフィスというのも悪くないなと思った。
 車を降りると市街地が眼下に見える。全体を薄い茶色の空気が覆っていた。これが有名なテヘランの大気汚染なのかと到着早々に確認することができたのだった。直紀の前任者がテヘランの大気汚染について技術移転を図り、それが成功したことから、今度はイラン全土を対象にということで直紀に仕事が回ってきたのであった。ここパルディサンのオフィスはテヘランだけでなくイラン全土を監督する立場にある組織なのである。
 挨拶など一通り必要なことを済ませると、直紀に一番重要なのはアシスタント探しであった。ペルシャ語のできない直紀であるから、これが最優先のことである。職場で会った何人かにアシスタント探しを頼んだ。二番目は足の確保である。この国では運転手付のレンタカーを使うこともできるし、車付きの運転手を雇うこともできるという。道路で見た限りでは、テヘランにはあまり日本車は走っていないようだった。プジョー405というのがその中ではまともな車に見えた。安い給料でプジョーを持っている運転手を雇えればいいと思う直紀であった。
 直紀が与えられたオフィスにいると、二人のイラン人が話しに来たが、驚いたことに二人ともイランの観光地の案内ばかりするのだった。外国人の直紀にはまずはイランという国を理解してもらいたいということなのだろうと思った。オフィスは十分な広さを持ち、アシスタントと二人で執務するに適した大きさであった。ただしイランなので女性のアシスタントと一緒ということだと、執務室の部屋のドアは常時開けておくということがマナーのようである。
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by elderman | 2006-11-27 18:50 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(2)

 川島直紀には考えがあった。まずアシスタントを探し、そのアシスタントに自動車を持っている運転手を探させるというものだ。それぞれが別方向から通って来るよりは、同じ地区から通ってくれば別々の足を心配しないで済むというものである。
 翌日直紀がオフィスに行くと早々にアシスタント候補が現れた。しかし、少し話しをしただけでその女性の英会話能力はほとんどないに等しいことが分かった。残念という感傷もなく、直紀はその女性には早々にお引取り願った。アシスタントの仕事は直紀にとっては相当重要なものなのだ。

 その日の午後になって二人目の候補者が現れた。
「こんにちは」
 直紀は自分の耳を疑った。日本語だったのである。このオフィスで日本語を聞くことがあろうとは夢にも考えることはなかったのである。
「いや、驚いたな、日本語が話せるのですか?」
「はい、日本で修士号をとりました。」
「へぇ、どこの大学ですか?」
「つくば大学です。」
「なるほど、そうでしたか、道理でねぇ。」
 彼女の名前は、レイラ・レザイーと言った。26歳になる彼女は、修士号は取得したもののいい就職口がないらしい。専攻は地理学ということで、直紀の専門に近いものがある。地理学というのは地図屋ではない、さまざまな自然科学現象を扱う学際的な学問と言っていいだろう。直紀はつくば大学の地理学では西沢教授を知っていた。もちろんレイラも西沢教授のことは知っていた。西沢教授は「熱汚染」という分野の草分けでもある。熱汚染、今では「ヒートアイランド」と言う方が普通だが、人口が集中する都市の発する熱に関する研究なのだ。直紀は大いにレイラを気に入った。二人目で優秀なアシスタントに当たるとはなんと幸運かと思った。
「直ぐに働くことができますか?もっとも直ぐには本来の仕事はないけどね。」
「はい、明日からでも大丈夫です。」
「それは良かった。給料は300ドル相当でいいでしょうか? 最初の2週間は仮採用です。」
「はい。」
「では、まずいい運転手を探してくれませんか?車を持っている運転手がいいのですが。」
「はい、なんとか探してみます。」
「もちろん、私が面接をして決めますが、レイラさんの家の近くの人がいいでしょう。」
「はい、分かりました。」
 日本語が話せるアシスタントなんて想像もしていなかった直紀だったが、レイラが日本語を話せるのは実際ありがたかった。イランの物価は日本の7分の1である。したがって直紀はレイラの給料を20万円くらいに設定したのだ。直紀はまだイランに来たばかりで知らなかったが、イランの女性にとっていい就職口をみつけるのは大変なことなのだ。レイラが修士号を持っていても、なかなかいい就職口が得られないのがイランの現状であり、イランの社会問題の一つとして大学を卒業した若者の求職難があるのだ。
 
 翌日になるとレイラは運転手を連れてきた。アフマディという名の彼は、長い間政府の公用車の運転手をしていたと言う。現在56歳だが、まさにプロの運転手と言っていい経歴であった。彼はあまり英語が話せないが、基本的な語句はわかると言う。直紀はレイラと同様に2週間様子をみることにした。運転手には燃料費込みで450ドル相当の給料を約束した。これでアシスタントと運転手の両方が調達されたことになった。まずは順調な滑り出しと言えよう。早速、翌日から直紀はエラム・ホテルからオフィスまで雇った運転手を使って通うことができるのだ。
 直紀はアルコールがなくても過ごせるが、時としては飲みたくなる。そこでレイラを通して運転手にアルコールの手配の可能性について聞いてみた。意外なことに調達可能であるという返事だった。直紀はアフマディに100ドルを渡して、何でもいいから調達するように頼んだ。何が来てもいいし、無理なら無理でダメ元ってやつである。
 
 パルディサンのオフィスは政府の中枢のせいもあり、政府で働く女性たちは全員黒いヘジャブ(スカーフのようなもの)を被っている。直紀にはコラーンにそう書かれているからというよりも、どうやら強制されているという雰囲気が感じられた。顔は完全に露出しているが、イラン人というのは毛深いようで、女性でも眉毛が一本につながっている人が多いように感じられた。肌の色は様々だが総じて色白である。彫りは深く、目が大きくて、鼻は高い。
 レイラは日本人から見ても好感の持てる顔つきをしている。額が広く、ぽっちゃり型なので直紀の趣味ではないのだが、日本人の10人中8人までがレイラを美人だと言うかも知れないとは直紀は思っている。
 女性がこれだけ毛深いのだから男性はそれ以上である。イスラム革命で指導者になったホメイニ師だって口髭、顎鬚が豊富であったし、ムッラーと呼ばれる宗教家たちもたっぷりと髭を伸ばしている。剃っている男性でも剃り跡が黒々しく、本来の毛深さは剃っても分かるほどである。
 この毛深い一見怖そうなイラン人男性であるが、話をしてみると、それが意外に優しいのに驚かされる。日本人がイラン人に持つイメージは案外見掛けから来ているのかも知れないと直紀は思うようになってきた。直紀にとってもっともおかしいのが、車の運転ではあれほどひどいマナーをみせるイラン人だが、車から降りるとそういう人格はどこかへ飛んでいってしまうらしく、オフィスの出入り口やエレベータではレディ・ファーストのような譲り合いの精神を見せていることである。
 髪を隠しているとは言え、市街地で見かけるイラン人女性たちはかなりファッショナブルである。髪の毛の半分ほどは露出しているし、厳密にはヘジャブではないスカーフなのだが、カラフルなものをつけている人が多い。

 アフマディの車、濃い緑のプジョー405で通勤し始めてしばらくして、アフマディが黒いビニール袋に包んだものを紙袋に入れて直紀に渡した。頼んであったアルコール類が調達できたのである。
 アパートに帰って中身を調べると、グランツという銘柄のスコッチ・ウイスキーの1リットル瓶が3本、それに缶入りのウォッカが4本入っていた。直紀はウォッカの缶を開けて、氷を入れて飲んでみた。不味い。仕方なく冷蔵庫にあったコカコーラで割って飲むことにしたが、やはり美味しくない。これならない方がましかと思いながらも、もう開けてしまった缶である。不味いと思いながらも全部飲んでしまった。
 翌朝、直紀の頭は重かった。完全な二日酔いである。おかしいと思った直紀はウォッカのアルコール度数を調べてみると、なんと55%と書いてあった。缶が335ccだから、ウイスキー換算にするとボトル3分の2を飲んだことになる。缶入りだからと言って全部飲む必要はなかったと後悔したが、直紀にとってイランで初めての二日酔いの経験になった。

 川島直紀は仕事を始めるに際して、まずはイランの歴史を知らなければならないと考えた。逆に言えばあまりにも直紀にはイランに関する知識がなかったのである。直紀の滞在しているエラム・ホテルの近くにはホーマー・ホテルがあり、これはイスラム革命の前はシェラトン・ホテルだったと言う。こちらはエラム・ホテルのようなみすぼらしい外観ではなく、今でも5星ホテルという風格のあるちゃんとした外観を持っている。
 直紀がホーマー・ホテルを見ながらうろついていると、いくつもある売店の中に本を売っている売店をみつけた。そこにはイランを紹介した本がたくさんおいてあり、外国人観光客が多く滞在するのだろう、英語版の本が大部分であった。いくつかの本を手にとって見ているうちに、一冊かなり大きな本だが、日本語で書かれているものをみつけた。幸いにイランの物価が安いこともあり、日本で3万円もしそうな本が1万円もしないで買うことができた。
 ホテルに帰って本を広げると、直紀の知らなかったことも多かったが、すっかり忘れていた高校時代に学んだ世界史の知識が甦ってきた。直紀はイランという名前だけでは世界史で有名な事柄すら思い出せないでいたのだ。
 イランという名前は、アーリアという言葉から由来しているという。イラン人はアーリア人であり、紀元前数世紀に中央アジアから南下して来たらしい。そしてあっと言う間にペルシャ帝国という巨大な領土を持つようになったのだ。ペルシャ帝国は、東はインド、西はエチオピアに及ぶという壮大なスケールを持っていた。世界史の中ではギリシャとペルシャ戦争をしたことが一番有名かも知れない。直紀にはキュロス大王、ダリウス大王という名前が懐かしく思い出されてきた。
 直紀は四大文明にも興味があるのだが、ペルシャ帝国はこのようにアーリア人の南下によってもたらされたものであり、それ以前にあったメソポタミア文明(シュメール文明)とは何の関わりもないことが残念であった。メソポタミア文明は、チグリス、ユーフラテス川の周辺に発達した古代文明であるが、今ではそのほとんどがイラク領土内にある。意外なことにメソポタミア文明の担い手であったのがどの民族なのは今でも謎ということらしい。もちろんイラン領土内にもメソポタミアの遺跡は残っているということなので、機会があればその遺跡を見てみたいと直紀は思った。
 イラクとイランとの両者の大きな違いは民族にあるだろう。イランはアーリア人であり、イラクはアラブ人なのである。そして、イラクには平地が多いのに反してイランはそのほとんどの都市が1000m以上の高地にある。アーリア人は北方系の民族のせいなのだろう、暑い気候を好まないようである。
 話は逸れるが、直紀が滞在しているテヘランも高地である。テヘランは北側に横たわるアルボルズ山脈に向かって上昇する傾斜を持っている。南の方で標高1000m程度だがテヘランの北側は1600m以上の標高を持っている。アルボルズ山脈は3000m級の峰が連なる巨大な山脈であり、その中にイランで最高峰のダマヴァンド山がある。ダマヴァンド山は富士山のような休火山であり、その標高は5700m近くある。

 話をペルシャ帝国に戻そう。ペルシャ帝国はアケメネス朝ペルシャ帝国とも言い、キュロス大王がイラン高原を支配していたメディアを破った紀元前550年がペルシャ帝国の始まりである。キュロス2世の時代にエジプトを除くオリエント全体が支配下になったのだ。アケメネス朝の宗教はゾロアスター教(拝火教)であったが、アケメネス朝支配下の各民族の宗教は認められたという。キュロス大王は傑出した王であり、有能な戦術家だったが、彼ほど高潔な名声を後世に残した国王はいないと言われている。寛大であり、慈悲深く、支配下の民族に対して強制的に一つの文化を従わせるということはしなかった。支配下の民族には大いに寛大な政策を行い、元々あった組織を尊重し、各民族の支配者を認めたという。属国という形式で支配下に置いたと考えて間違いではないだろうと直紀は思った。
 キュロス大王がバビロニアを攻撃したとき、ユダ王国陥落後バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放したことは歴史上有名な事件である。
 ダリウス大王はキュロス大王の子どもではない。東方遠征で戦士したキュロス大王の子どもはカンビュセスであるが、彼はエチオピア遠征で命を落としてしまった。その代わりに登場したのがダリウス大王である。ダリウスはパルティアの知事の子どもと歴史書には書いてあった。ダリウス大王は、キュロス大王が拡大した領土の反乱を鎮圧し、大帝国を統治することが重大な仕事であった。ダリウス大王の時代にペルシャ帝国最大の領土が出現したのだった。ダリウス大王の在位中にギリシャとのペルシャ戦争が起きている。
 ダリウス大王は大帝国の統治に大きな手腕を発揮したようで、中央集権統治を確立したと言われている。帝国を20の州に分割し、ペルシャ人知事を派遣した。各州の軍隊と徴税は大王の直属のものとして直接統治を行った。「王の目」、「王の耳」という監察官を派遣し、属州の統治状態を巡察させたという。
 ダリウス大王の政策もキュロス大王と同様に寛大なものであり、支配下の民族には固有の言語、慣習、宗教などの文化の保持を許した。道路の整備、商業の活発化により、大帝国は繁栄した。そしてその結果としてシューシとペルセポリスに壮麗な宮殿を建設したのであった。

 紀元前333年、アケメネス朝最後の王であるダリウス3世がイッソスの戦いでアレクサンダーの軍に破れ、アケメネス朝は滅亡した。一旦崩壊してしまったペルシャ帝国であったが、5世紀半の後、ペルシャ人が再び復興することになった。その王朝がササン朝である。ササン朝ペルシャは紀元226年から661年まで続いた。
 ササン朝を興したアルデシールはアケメネス朝王家の末裔と言われている。アルデシールは10年以上にも及ぶ戦争の後、西はユーフラテス川から、東はメルブ、ヘラート、シスターンに及ぶ支配者となった。アルデシールの息子シャープールも優秀な統治者であったようで、ササン朝ペルシャはこの二人の偉人によって隆盛をみたのであった。ササン朝ペルシャもゾロアスター教(拝火教)の力を援用した。
 シャープール王の時代に領土は拡大し、北はオクサス川から東はアフガニスタン、西はアルメニア、メソポタミアに至る広大な地域が領土となった。この時代にはローマ帝国との戦いがあり、ローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜としたことも有名な事件として歴史に残されている。
 ササン朝ペルシャは、捕虜にしたローマ兵から建築や土木技術を得て、ダムや橋梁などの大規模公共事業を成功させ、さらにギリシャ、インドの文献の翻訳から医学、天文学、哲学などの学問を発展させた。
 ペルシャがゾロアスター教で繁栄した時代はこのササン朝ペルシャが最後で、イスラム軍に敗北した後、それまでのゾロアスター教に代わりイスラム教が浸透し今日まで続いている。

 川島直紀は壮大なイランの歴史を学ぶと、イランについての興味がますます強くなってきた。彼はこれからの滞在で、ペルセポリスの遺跡など実物を目の当たりにしてペルシャ帝国の全盛期を偲びたいと思った。
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by elderman | 2006-11-27 18:40 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(3)

 文献によってイランの歴史を学んだ川島直紀は、次にテヘランにあるイラン考古学博物館に行くことにした。日本語版のガイドブックによると、紀元前6000年から19世紀に至るまでの、考古学的、歴史的に重要な美術品を集めたイラン最大の博物館と紹介されている。
 博物館はイラン政府外務省のある地区に近いところ、テヘランのやや南に位置している。本館には、紀元前6~4世紀のペルセポリスやシューシ、レイなどからの出土品がガラスケースに入れられて陳列されている。圧巻は紀元前550~330年のアケメネス王朝時代のものであろう。
 直紀が驚いたことは、アケメネス王朝時代の出土品のケースの中に、直紀が持っているあの瑠璃色の小箱とまったく同じものを発見したことであった。直紀の持っているものはこの模造品なのかも知れないと最初は考えた。イランならいくらでも模造品はあるだろう。しかし、あっさりと模造品と決めてしまっては亡くなった吉田画伯に失礼ではないかという気もするのだった。直紀はレイラにそのことを話した。
「私はこの青い小箱と同じものを持っています。」
「え?これって2500年も前のものですよ。」
「そう、だから不思議なんです。模造品なんでしょうか?」
「それは分かりませんが、鑑定をしてもらったらいかがでしょうか?」
「そう?鑑定なんて簡単にできるのですか?」
「ちょっと待ってください。鑑定を頼めるところを聞いてきます。」
 持っていったものが模造品と鑑定されたらさぞ恥ずかしいだろうと直紀は考えていた。しばらくするとレイラが戻って来た。
「鑑定してくれる良いお店の場所を聞きました。今度それを持って来てくださいね。」
「うん、そうするよ。それからレイラには書かれている文字も読んでもらいたいな。」
「文字が書かれているのですか、なんて書いてあるのでしょうね?」
「この陳列されている小箱の蓋の裏側も見てみたいけど、ま、鑑定の後ってことで・・・」

 川島直紀はイランに来て1週間が経過したが、イラン人がイスラム教徒ということであまり違和感を持つことはなかった。接していればまったく普通の人々としか思えないのである。朝にはアザーン(お祈りの開始)が朗々と聴こえて来るが、それしか気にならない程度なのだ。女性のヘジャブもイスラム教徒の証拠だろうが、それすら習慣と言ってしまえばそれまでのような気がした。
 直紀は瑠璃色の小箱をホテルから持参して来ていた。午後にでも鑑定できるところに持って行きたいと思っていた。しかしその前に裏蓋に何て書いてあるのかをまず知りたい。
「レイラ、これがその小箱だけど・・・」
「あら、本当ですね。博物館にあった物と本当によく似ていますね。」
「さあ、これですけど、ペルシャ語ですか?」
「えっと、はい、ペルシャ語です。」
「何て書いてあるの?」
「『ササン朝の栄華、永遠に』と書いてあります。」
「アケメネス王朝ではないんだねぇ・・・紀元前だもんなぁ。」
「はい、ササン朝は3-7世紀です。」

 直紀とレイラは小箱を鑑定してもらいに博物館から紹介された骨董品の店を訪れた。鑑定には経費が掛かるだろうが、直紀はそんなことよりも好奇心の方が強かった。紹介された店はヴィラ地区の一角にあった。ヴィラ地区にはハンディクラフトの店がいっぱい並んでいるので、外国人観光客を結構みかけることができる。
 店に入るとレイラが話した。
「サラーム・アレイクム」(こんにちは)
「サラーム」(こんにちは)
「ベバシッド(失礼します)、鑑定をお願いしたいものがあるのですが。」
「モンダゼール・ベムン。」(ちょっと待って)
 店にいたイラン人は店の奥に入って行ってしまった。しばらく待つと、初老のイラン人が現れた。
「何を鑑定してほしいのかな?」
「はい、こちらなんですが。」
「これは・・・」
「ご存知なんですね?」
「うむ、考古学博物館で同じものを見ただろう?」
 この初老のイラン人はちょっと見ただけで瑠璃色の小箱の素性を当ててしまったようだ。直紀言葉は分からないまでも二人のやり取りをみているだけで老人が小箱を知っているということが分かった。直紀の代わりにレイラが答えた。
「はい、そのとおりです。」
「しかし、ここには『ササン朝』と書いてある。うむ。」
「はい、そうなんです。となるとアケメネス朝のものであるはずがないですね。」
「うむ」
「これは模造品なのでしょうか?」
「いや・・・うむ」
 初老のイラン人は本当に当惑しているように見えた。そしてしばらくの沈黙。レイラは待った。イラン人がやっと口を開いた。
「これはどう見ても同じ時代のものに見える。すると発掘年代が間違っているのか、あるいはこれが模造品なのか・・・」
「そんなに難しい話なのですか・・・」
「ラピスラズリでこの細工をすることは簡単じゃない。」
「ラピスラズリ?」
「ああ、この石の名前だがね。」
 レイラが直紀にラピスラズリという名前のことを説明した。直紀には初めて聞く名前であった。初老のイラン人は話を続けた。
「この材料でこの細工は、あの時代にしか見られないものなのだ。よほど特殊な意味があって作られたものだと思われるのだが・・・」
「価値があるのですか?」
「素材にはそれほどの価値はないが、考古学的な見地から価値が高いってことだよ。」
 レイラは直紀に詳しく通訳をした。初老のイラン人はレイラに聞いた。
「博物館に置いてあったものには何て書いてあったのかな?」
「ガラスのケースに入っていましたから、蓋の裏側は見ることができませんでした。」
「そうか、何も書いてなければ、あれがオリジナルということかも知れないな。」

 レイラと直紀は骨董品の店を出た。初老のイラン人は鑑定料はいらないと言った。それほど有名なものなのだろうか、あるいは十分な説明ができないために料金を取らなかったのだろうか、直紀には分からなかった。レイラが直紀に言った。
「川島さん、博物館に行って、箱の裏側を見せてもらいましょう。」
「そうだね、何が書いてあるのか、あるいは何も書いてないのか、気になるね。」
「そうなんです。私も気になってきました。」
「レイラも好奇心が強いんだねぇ。」

 二人が博物館に着くと、レイラに先日鑑定をしてくれる人を紹介してくれたという女性がいた。レイラは彼女に例の展示物を見せてほしいとお願いした。すると彼女が言った。
「先日もあれを見せてほしいという人が現れました。どういうことなのでしょうね?」
「え?そうなんですか・・・ どうしてでしょう・・・ イラン人でしたか?」
「はい、イラン人でした。」
「まさか、あの鑑定師ってことはないでしょうね。」
「いいえ、紹介しましたように彼のことなら知っていますから、別人です。」
「あはは、そうですよね。」
「では、こちらに来てください。お見せしましょう。」 
 博物館の女性はガラスのショーウィンドーの鍵を開けて、瑠璃色の小箱を取り出した。蓋の裏側には文字が刻まれていた。直紀は何という記述があるのか知りたくて、レイラに翻訳を急いた。
「何て書いてあるの?」
「えっと、『遥かなるノガン』かな・・・」
「かなって?はっきり分からないの?」
「『ノガン』って意味が分からないのです。」
「ペルシャ語じゃないのかな?」
 二人のやり取りを聞いていた博物館の女性が口を挟んで来た。
「『ノガン』というのはとても古い町の名前で、マシュハドの中にあります。」
「ああ、そうなんですか、地名なんですか。」
 レイラはやっと理解できたという表情をした。レイラが直紀に博物館の女性の話を通訳して説明すると直紀は言った。
「するとこの箱はやはりアケメネス朝の時代ということで間違いないんだね。」
「はい、確認してみますね。」
 レイラは再び博物館の女性と話をし始めたが、直紀は自分の持っている小箱が偽物だという失望感に襲われた。
「タイムマシンじゃあるまいし、未来に出現するものの名前を彫れる訳がない。」
 直紀の独り言を聞いたレイラが言った。
「彼女に発掘のことなど詳しく調べて、何か分かったら連絡をくれるように頼みました。」
「そう、ありがとう。でも、もういいや。」
 なんだか気力が抜けてしまった直紀であった。

 直紀は小箱のオリジナリティに対する追求心は大分喪失してしまったが、小箱の意味には興味があったし、今日知ったラピスラズリという材料に興味を持ち始めた。直紀はホテルに帰ると早速ラピスラズリについてインターネットで検索を始めた。エラム・ホテルではインターネットをよく使用する直紀のために電話回線を2本に増やしてくれていた。

 ラピスラズリについて調べてみると次のことが分かった。
「紀元前3000年、メソポタミアのシュメール文明はすでに華麗に花開き、金のすばらしい細工が装身具、器、戦車の装飾、動物、楽器などに施されていた。1922年、イギリス人考古学者レオナルド・ウーリー卿の指揮のもとに発掘された都市国家ウルの王の墳墓は、実にツタンカーメンの王墓以来の偉大な発見といわれたが、特に王妃シュバドの墓からは、数々の注目すべき装身具が発掘されている。広々とした埋葬室には金、銀、ラピスラズリ、各種のメノウのビーズで仕上げられた「衣服」をまとった王妃が横たわっていた。そこに使われた宝石の量からみて、それは『ジュエリーというよりむしろ豪華に飾られた衣服そのものであった』と記録されている。おびただしい数の金の指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスなどを引き立てていたのがラピスラズリの青紫色とカーネリアンの赤であった。王妃の右腕のそばには三本の金のヘアピンが置かれていたがいずれもラピスラズリの玉がつけられており、三個の魚の形をしたお守りは、二個は金製だったが、一個はラピスラズリでできていた。金とラピスラズリの組み合わせの美しさは、シュメール人がすでに知っていたわけである。
「同時期、インダス文明においては、金はそれほど多くは使われておらず、女性たちの身を飾ったのは様々な貴石、半貴石のビーズで、主にカーネリアン、ジャスパー、アマゾナイト、翡翠などを使い、それにアフガニスタン産のラピスラズリを混ぜて使っていた。
「一方、古代エジプトでは何世紀にもわたって王朝の繁栄が続いたが、初期にはメソポタミアの影響を受けながら、独特の様式、技術を産み出している。ラピスラズリ、トルコ石、カーネリアンなどがビーズとしてだけでなく七宝と併行して、色彩を豊かにするためカットされ、磨かれて使われた。ツタンカーメンの装身具を見ると、ナットゥ、ネクベットゥなど神々のシンボルが、細線細工や七宝、象眼などの高度な技術で作り出されているのに驚かされる。そして面白いことに、ネックレスなどに使われたビーズの多くは、ファイアンス焼きで、その色はラピスラズリの青紫色とトルコ石の空青色に似せて作られている。
「聖なるスカラベは金やラピスラズリ、さんごなどでも作られたが、ラピスラズリ色のファイアンス焼きも多い。また、モーゼの十戒が刻まれたサファイアの板は、実はラピスラズリであったことが明らかにされている。」
 
 イラン暦の週末(西暦では木曜日と金曜日)が終わり、直紀は日本を出発する時から決めていたことを実行することにした。まだ本格的に仕事が始まった訳ではないので、直紀の外出は自由だった。直紀はレイラに話した。
「実は会いたいイラン人がいるんだけど、協力してくれないか?」
「はい、どういうことでしょうか?」
「アミール・アルデスタニという人を探して会いたい。彼は私の伯父の知り合いなんだ。あの小箱をくれた人でもある。」
「どこに住んでいるのか分かりますか?」
「伯母さんから住所をもらって来ているが、果たして今もそこにいるかどうか、あるいは生きているかどうかも分からない・・・」
「では、まずその住所のところに行って情報を集めて、それからまた考えるというのではどうでしょうか?」
「よし、決まったそうしよう。」
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by elderman | 2006-11-27 18:30 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(4)

 アミール・アルデスタニの家はアモールの近くにあるという。アモールはカスピ海の近くの町である。直紀とレイラを乗せた車は、アルボルズ山脈を左手に見ながらひたすら東に進んだ。まだ3月である。アルボルズ山脈の上から3分の1くらいは雪が積もっている。20kmも走ると景色が大分変わってきた。これからは曲がりくねった道路でアルボルズ山脈を越えるのだ。
 スキーシーズンはもう終わろうとしていたが、冬の間はかなりのスキーヤーたちがこの道でスキー場を目指すという。樹木のない山々を縫いながら道路は次第に登り始める。春の気配は感じるがまだ冬の光景であった。九十九折れの道路を延々と登っていくと、一番高いところなのだろう金色のモスクのようなものが見えた。これからはカスピ海に向かって全体的に下りになるようだ。
 少し下ったところで突然視界が開けた。正面には5700mもあるダマヴァンド山の雄姿があった。全身に雪をまとっているが、富士山のように独立しており、休火山らしい姿をしている。直紀にはテヘランから1時間半という近いところにこんな美しい山があるのが信じられないような気がした。レイラが言った。
「私はイランの北の生まれです。」
「どこなの?」
「ヌールという町です。」
「ここからどのくらいのところですか?」
「そうね、3時間くらいかな。」
「うわっ、まだ3時間もかかるの・・・」
「今度いらしてね。」
「そうね、いつかお伺いしたいね。」
 レイラは直紀にカスピ海周辺の気候について話した。アルボルズ山脈の北側と南側ではまったく違う気候をしているようだ。カスピ海周辺は日本のような気候で、米の産地である。テヘランがカラカラに乾燥しているのに、カスピ海周辺は高温多湿の気候だという。直紀はまだカスピ海を見たことがない。果たして美しい海なのだろうか。キャビアの取れるチョウザメが住む巨大な湖のカスピ海である。
 いくつものカーブを抜けて行くと、ほとんどの断崖は土砂が崩れ落ちたままの傾斜を保っていた。日本では必ず土砂崩れ対策が施されていそうなところがそのままで放置されているのだった。相当坂道を下るとオバーハングの岩山が道路にせり出してきた。
 さらに高度が下がると次第に周囲の雪が少なくなってきた。アモールまでテヘランから120km程度である。そのアモールまではあと少しというところまで来ている。周囲がほとんど平地になり緑が豊かである。直紀はこれがカスピ海周辺の環境なのかと感心しながらも、どことなく日本の風景を思わせる環境に親しみを覚えた。

 アモールの市街地に入る前に車は路地に入った。住所を頼りにこれからアミール・アルデスタニの家を探すのだ。車は集落のようなところに入っていった。運転手のアフマディが村人に声を掛けて、目指す場所について聞いている。アフマディは直ぐに情報を得たらしい。アミール・アルデスタニの家族というのは結構有名なのかも知れないと直紀は思った。
 車はさらに路地に入り、周囲の家に比べれば相当きれいな一軒の家に着いた。庭もちゃんと整備されていた。直紀とレイラは家の敷地に足を踏み入れた。
「サラーム、ベバシッド」(こんにちは、失礼します。)
 レイラが声を出しても返事はなかった。しかし家の中には人の気配があった。
「こちらはアルデスタニさんのお宅でしょうか?」
 しばらく間があった。
「サラーム、どちら様でしょうか?」
 姿を現したのは50歳くらいのイラン人男性だった。口髭は生やしているが顎鬚までは伸ばしていない。
「すいません突然お伺いして。実はこちらの日本人のカワシマさんはアミール・アルデスタニさんの日本人の友人の甥なんです。」
「父のことでしたら、もう20年も前に亡くなりましたが。」
「そうでしたか、それは知りませんでした。あなたは息子さんですか?」
「はい、カリム・アルデスタニと言います。」
「私はレイラ・レザイー、こちらはナオキ・カワシマさんです。」
 直紀はカリムに握手の手を伸ばした。カリムは軽く握手に応えた。カリムが言った。
「どうぞ、中でお茶でも召し上がって行ってください。」
「ハイリー・マムヌーン」(どうもありがとうございます)
 直紀とレイラはチャイをいただきながら話を始めた。吉田画伯が直紀の伯父であり、その伯父がアミール・アルデスタニ氏と交友があったことを説明した。吉田画伯のことはカリムも覚えていたようで、やっと話が分かってもらえたようであった。カリムが家の奥に向かって大きな声を出した。
「お母さん、お客さんだよ、ヨシダさんの甥御さんがみえたんだ。」
 先ほど人の気配を感じたのは、母親だったようである。客がみえたので息子を呼んでいたのだろう。女性から先に顔を出すとはイランでは考えにくいのだ。
「こんにちは、日本からみえられたんですか?」
「はい、こちらのカワシマさんは日本から仕事でイランに来ています。」
 直紀に代わってレイラが答えた。カリムの母親はもう70歳を超えているように思われた。直紀はこの母親から吉田画伯とアミール・アルデスタニとの関係について聞くことができた。
 吉田画伯がカスピ海方面に車で向かうところ、丁度テヘランに向かっていたアミールの車が土砂崩れのせいで大きな岩と衝突してしまったという。車は大破し、アミールは大怪我をしていた。そのアミールを発見し、車に乗せてアモールの病院に運んだのが吉田画伯だったのだ。
 直紀はラピスラズリの小箱を出して母親に見せた。
「こちらの小箱、覚えていらっしゃいますか?」
「はい、見たことはあります。全部で3個あったかしら・・・」
「3個もあったのですか?」
「ちらりと見たことがあるだけですから私にはよく分かりません。」
 レイラが直紀に通訳をすると直紀は目を丸くして驚いた。そして、直紀はレイラに言った。
「この箱に関して知っていることを何でもいいですから聞いてください。」
「はい」
 レイラは丁寧にお願いするように母親に聞いた。
「この箱について知っていることを教えていただきたいのですが。」
 母親の表情は少し曇った。
「私は主人のしていることはあまり知らないんです。ただ、私の家族の血がさせるといいますか・・・ モハンマド・ホセイニの血を引く家族の宿命でしょうか・・・ 主人は何か大きな秘密を知っていたようです。でも、それが何だか私には全然分かりません。」
 レイラは逐一通訳して直紀に母親の話を聞かせた。

 川島直紀は突然の訪問で長居をしてはいけないと思いながらも、吉田画伯のことを知る母親に聞きたいことがたくさんあった。
「レイラ、吉田画伯のことについても聞いてくれないか。いったい彼は何をしていたのかとか。」
 レイラは直紀の要望に答えて母親から話を引き出してくれた。それによると、吉田画伯はイランのあちこちを旅行しながらもっぱら絵を描いていたようだが、それでもよくアミール・アルデスタニの家には寄ったようだった。母親は吉田画伯がアミールとよく遅くまで話をしていたものだと語った。ラピスラズリの箱を吉田画伯にあげたのは、画伯の健康がすぐれなくなり、しばらくはイランに来られないと分かった時だったという。実際、吉田画伯はその後イランに来ることなく他界したのであった。せっかく母親から話を聞き出せたものの、二人がいったい何について話したのか、それはまったく分からなかった。
 直紀には分からないことが多過ぎた。ラピスラズリの小箱は模造品らしいし、吉田画伯がどこを回っていたのかも分からない。吉田画伯とアミールの気の合う理由も分からなかった。直紀がほとんど期待を失って、そろそろ引き上げようとレイラに促すと、レイラは直紀を制止した。母親が何かを言いたそうだった。
「カリムが父の後を引き継いでくれたら良かったんだけど、モハンマド・ホセイニの血筋もこれで耐えてしまう。」
 それを聞いたカリムが口を挟んだ。
「女性にはムッラーの苦しみは分からないさ。」
 ムッラーというのはイスラム教の指導的立場にある人で、普通はターバンを巻いている。直紀には、カリムが親の精神的苦しみをみて、同じ道を歩むのを放棄したかのように映った。しかし、ムッラーがどうして精神的に苦しまなければならないのだろうか、人々を救うということは逆に苦しみをもらうことになるのだろうか、直紀はますます混乱するだけであった。
 直紀はレイラに聞いてみた。
「そのモハンマド・ホセイニという人はいったい何者なの?」
「さあ?聞いてみましょう。」
 レイラが母親に聞くと、母親は話を始めた。
「モハンマド・ホセイニ、彼は優秀なムッラーでした。混乱したガージャール朝の時代で多くの人々を救ったと聞いています。アミールの血はそのホセイニの血を引くものです。
「当時はロシアやイギリスの植民地主義がイランに襲いかかった時代でした。ナーセロッディーン・シャーの時代になるまではそれは大変な時代だったのです。」
 そこでレイラが口を挟んだ。
「ナーセロッディーンっていうのは、水煙草などのよくガラス製品に描かれているシャーのことです。今でも人気の高いシャーなんですよ。」
「へぇ、シャーにも人気が高いのとか人気がないのとかあるのか・・・」
「ごめんなさい、どうぞ話を続けてください。」
 レイラに促された母親は続けた。
「ムッラーの仕事というのは不安に満ちた民衆の気持ちを安心に導くことです。ホセイニはそういう意味で大変慕われたムッラーでした。
「ホセイニは必要があればどこにでも赴いたといいます。彼はゾロアスター教の造詣も深く、イラン人にあった本来のものを一生追求していたと言われています。」
 レイラが母親の話を直紀に遂次通訳した。直紀は言った。
「なるほど、素晴らしいムッラーが先祖にいらしたのですね。」
 母親は話を続けた。
「主人も同じ道を歩もうとしました。ゴムの神学校を卒業しています。そして死ぬまで彼なりに悩み続けていたのです。異教徒であるヨシダさんがむしろいい話し相手になったということは私には意外でしたが、案外そういうこともあるのでしょう。」
 異教徒だから話をしやすかった、いったいどういう話題だったのだろうか、直紀はその内容を知りたかった。しかし残念ながら内容まではこの母親には分からないという。
 突然の訪問だったにもかかわらずいろいろ話をしてくれた母親に丁重にお礼を述べて、直紀とレイラはアルデスタニの家を去った。カリムと母親は彼らにまた寄ってほしいと暖かい言葉を送った。
 テヘランに向かう車の中で直紀はレイラに言った。
「こうなったら誰かムハンマド・ホセイニに詳しい人をみつけないといけないようだ。」
「ガージャール朝の時代ですから200年も前のことです。」
「こういうのって誰が詳しいのだろうか?」
「さあ、私はあまり敬虔なムスリムじゃないから・・・」
「おいおい、そんなことを言っていいのかい?」
「宗教というものはそれぞれの人の心の中にあるものです。」
「それはそうだろうけど、ムスリムにはいろいろ戒律があるんだろ?」
「形式的な戒律は嫌いです。」
「そういうものか・・・」

 直紀がホテルに戻りインターネットで電子メールをチェックすると、学生時代からの親友の原田茂男からメールが発信されていた。ゴールデンウィークを利用して2週間イランに来ると言うのだ。国内旅行の手配をよろしくと書いてある。相変わらずちゃっかりしたやつだと思わずにはいられない直紀であった。

 翌日ホテルからオフィスに向かうために車に乗ると、レイラが考古学博物館の女性から電話があったと言った。
「カワシマさん、彼女謝っていました。」
「え?どうして?」
「あのラピスラズリの小箱は出土品ではなかったそうです。」
「へぇ?そんな間違いってあるのか・・・」
「放射性元素を使った電子スピン共鳴法という年代鑑定の結果、アケメネス朝のものと判断されたそうです。」
「ってことは・・・ 作られたのがアケメネス朝で、文字が彫られたのがササン朝ということがあり得るってことか・・・」
「はい」
 直紀が諦めかけていたラピスラズリの小箱が、再び謎の光を放ち始めたのだった。アミール・アルデスタニの奥さんが言うには、あの箱は3個くらいあったらしい。その一個がどうした訳か博物館にあり、別な一個を直紀が持っているということになるのではないだろうか。そしてそれにまつわる秘密がムッラーに伝えられたと言うことかも知れない。アミールの息子カリムの嫌ったムッラーの苦しみというのはその秘密と関係しているのかも知れない。それにしても分からないことばかりで直紀は完全に壁に突き当たってしまったようであった。
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by elderman | 2006-11-27 18:20 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(5)

 直紀の仕事が少しずつ進み始めた。カウンターパートのナデール・アフシャールは多忙ではあるが、直紀の技術のことをよく理解していた。直紀は彼の部下たちを相手に毎週セミナーを行うなど少しずつ技術移転を進めている。イラン人スタッフは直紀が予想していたよりも優秀なのはありがたいことだった。イラン人の個人個人の能力は、安い給料の政府職員であっても結構高い。給料のいい民間の就職口は簡単には得られないというのが実情なのかもしれない。
 イランの暦はイスラム暦ではない独自のものである。独自のものと言っても太陽暦の一つであり、年の始まる時点が違うだけである。直紀にはもしも自分が王様で白紙の状態で暦を決定するのなら、イラン暦のように決めるのではないかと思われた。一般的に一年の始めはどの季節にしたいだろうか?寒い冬の最中ではなく春に求めるのではないだろうか、イラン暦の元旦は春分の日と決められている。純粋科学的に考えた場合、かなり根拠がしっかりした暦のように思われるのだった。ただし365日を12か月に振り分けるのだから、単純にはいかない。イラン暦では、最初の6か月は31日あり、後半は30日、12月は29日か30日かということになって4年に一回の閏年を設定して調整しているのである。
 テヘランの春は新緑で始まる。華やかな桜の開花で始まる日本とはかなり様子が違っている。花々は新緑の後に現れ、春の終わりと初夏は様々な花が目を楽しませてくれる。東京とテヘランとはほぼ同じ緯度であり、同じアジア大陸に存在しているため、植物相は基本的に同じである。同じアジアでも熱帯の東南アジアの植物相は、テヘランや東京とはかなり違っている。
 川島直紀が春のテヘランを楽しんでいるうちに暦は既に4月の下旬になっていた。ゴールデンウィークを利用してイランに来ると言った親友の原田の到着はもう直ぐであった。直紀は一人で観光する気にもなれなかったので、こういう機会を実は待っていたのだった。親友の原田のために国内観光のツアーを手配した直紀だったが、そのコースというのはシラーズ、ペルセポリス、エスファハン、バムというものであった。直紀が興味を持っている場所ばかりを選定したのだった。

 いよいよ原田の到着する日になった。日本からの直行便で来るから到着は深夜の12時頃である。直紀は原田を飛行場まで迎えに行くことにしている。大学を卒業して13年余が経過するが、お互いに国の研究機関に就職したのだった。大学は同じでも二人の専門は違っていた。原田は行動派の彼らしく工学部であり、直紀は理学部だった。お互いに下宿生活ということで学生当時はよく一緒に行動したものだ。
 原田は予想したとおり12時を少し過ぎて出口に現れた。
「やぁ、直紀、久しぶり、元気にやっているようだね。」
「ようこそ、よく来てくれたね。」
「こんな国、知り合いがいなければ来ようがないだろ。うはは」
「こんな国って、知っているのかねぇ・・・」
「ま、そういうな、これから知るさ。あはは」
「美味いもの持ってきてくれただろうね。」
「おう、いっぱい買ってきたぜ。そうしないと野宿になるかも知れないもんなぁ。わはは」
 原田の調子のいいのは学生時代からである。
 直紀のホテルの部屋にはベッドルームが二つある。こういう時には便利なものである。これだけ軽快な原田みたいな人間にイランはどう映るのだろうか、直紀はいつになく妙なことを考えていた。
「ま、今晩はゆっくりして、明日はテヘランを案内するよ。」
「俺にはもう朝の5時だぜ、あーあ、疲れた。」
「何言っているんだか、どうせ飛行機で寝ていたくせに。」
「あはは、そうだった。読まれたか。」
「何年来の付き合いだと思っているんだろうねぇ。」
「違いない。わはは」
 学生時代の友人というのはいつまで経っても変らないものである。直紀には娯楽のないテヘランでの生活で初めて人間らしい潤いに接したような気がした。イラン人に情が通わないというのではないが、なんというか感性の違いなのだろうか、付き合いの長さの問題なのだろうか。イランに来て半年にもならない直紀が結論を出すのは早過ぎる。
 二人は朝までウイスキーを飲みながらいろいろ話して過ごした。原田には禁酒国でウイスキーが飲めるということなど不思議にも思わないようであった。

 翌日起きるともう12時近くだった。直紀はレイラとアフマディに2時にホテルに来るように言っておいた。だいたい計算どおりの行動になったようだ。直紀は原田が時差のせいで直ぐに眠ってしまったら困ると思いながらも、どうせ飛行機の中でしっかり眠っただろうと計算したのだった。
 原田は直紀に案内されて、レイラとアフマディの待つ車のところに行くと大声を出した。
「うわぁ!すっげ!美人!」
「おいおい、よせよ、ここはイランだよ。」
「それにしても美人だなぁ。」
 レイラが原田に声を掛けた。
「ハラダさん、おはようございます。」
「ほよ?!日本語まで話せるのかぁ、いやぁこれは驚いた。あはは」
「レイラ・レザイーと言います、初めまして。」
「はい、原田です。初めまして、よろしくお願いします。」
「ご機嫌いかがですか?お疲れですか?」
「いやぁ、もう最高の最高、ベストです。えへへ」
 後部座席に原田と直紀は座った。これからイラン考古学博物館と有名なバザールに案内することにしていた。
 車が走り出すと原田が言った。
「うひゃぁ、おっかないなぁ、ここではいつもこうなのか?」
 原田はテヘラン市内の運転マナーのことを言っているのであった。これには日本人の誰もが驚かされることなのだろう。直紀は落ち着いた表情で言った。
「直ぐに慣れるさ、怖ければ外を見ないことだな。」
「やれやれ、足が反射的にブレーキを踏んじゃうぜ。」
「俺も最初はそうだったさ。」
「そうだろうなぁ・・・」
 原田は意外にもイラン考古学博物館ではかなりの興味を持って展示物を見ていた。もっとも個々の展示物よりもアケメネス朝の規模の壮大さに感動したようであった。これなら原田は直紀が決めた観光コースに文句は言わないだろうと思った。
 バザールはその規模と混雑を見に行くようなものである。特に買いたいものがある訳ではない。お土産ならヴィラ地区にあるハンドクラフト・ショップの方がいいだろう。バザールは実際巨大なものであり、その奥に入り込むと迷子になる可能性は十分あり得ることだ。スリに注意しながらメインの通路から離れずにショップを見て回った。その際、一つの店で日本製の土鍋が売られているのを発見して二人とも驚いた。

 翌日、原田、レイラ、直紀の3人は飛行機でシラーズに飛ぶことになっていた。計画段階でレイラが女性の一人旅の許可がおりるかどうかなんてことを心配していたが、結果的には何も問題なく3人で国内旅行ができることになった。レイラの案内がなければペルシャ語の話せない直紀だけでは何もできない。
 原田は既婚者であるにもかかわらずレイラに関心を示していた。幸いレイラには日本での留学経験があるから、原田の行動を特別変だとも思わないだろうと直紀は思った。シラーズまで飛行機で1時間半である。イランの国内線料金は非常に安く、往復で5000円も払えば済む。3人分を負担しても直紀の懐にそれほど響くものではなかった。イランでは原田の持参した日本食品の方がはるかに高価なものと言えるだろう。
 早朝から飛行機に乗ったため、ペルセポリスは午前中に見てしまうことにした。石だらけの遺跡である、午後からでは暑くなるだろうと思われた。レイラは飛行場にいるタクシーと一日借り上げ交渉をした。シラーズからペルセポリスまでは約60kmあるので、直紀はイランの国産車ペイカンではつらいと思っていたが、幸いプジョーのタクシーを捕まえることができた。ペイカンのサスペンションは信じられないことだが、いまだに板バネ式なのである。その乗り心地はまさにピックアップのそれである。

 平日のせいだろうか、それとも時間が早いせいだろうか、ペルセポリスの巨大な駐車場にはまだ誰も観光客は来ていなかった。人混みに煩わされずに遺跡観光ができるというのは気持ちのいいものである。
 ペルセポリスは2500年前の遺跡である。当時は壮麗な神殿があったのだが、現在は石以外の構造物はすべて風化したのか紛失したのかまったく残っていない。石の部分もアレクサンダーの軍などに破壊されたのであろう、一部の柱が見るも無残な姿で残っているだけである。したがって見るべきものというのは比較的壊れずに残っている階段や壁のレリーフということになる。パルテノン神殿のような構造物をあまり期待して行くと失望するかも知れない。
 ペルセポリスの構造物は10mもある大きな台の上に造られている。入り口から階段を登ると2500年前のままの石の階段が残っている。この石段を兵隊や馬、あるいは王族が登ったことがあるのだろう。考えてみれば、2500年というのは気の遠くなるような年数である。
 柱の上に付ける飾りの石は、抽象化された動物のデザインで現代の目で見ても洗練されたものに見える。説明には何の間とか書いてあるが残っているものは柱か柱の跡しかない。ペルセポリスの遺跡で有名なものとしては、「万国の門」(クセルクセス門)、「アパダナ」(謁見の間)、「ハディーシュ」(クセルクセス1世の宮殿)、「タチャル」(ダリウス1世の宮殿)、「百柱の間」などがある。宮殿と書いてあっても、それを想像することはかなり難しい。
 その点、壁画は分かりやすい。アケメネス朝の28属州の衣装などの相違まで見ることができる。献上物まで明確に描かれている。アルメニアからは馬、レバノンからは金の腕輪、バビロニアからは牛、インドからはスパイスの入った壺、エチオピアからは象牙などというようにそれぞれの国の特産品が描かれているのだ。
 三人ともこの遺跡を見ていると次第に口数が少なくなってきた。歩き疲れたからという訳ではないだろう、2500年という年月を感じているからこそ、軽々しい会話が空しく感じられるのではないだろうか。栄枯盛衰、諸行無常を感じているというべきだろう。

 三人は石の遺跡を一通り見終えると、アルタクセルクセス2世王の墓と言われる丘を目指すことにした。アルタクセルクセス2世王の墓の右手の方では何か新しい発掘が行われているようである。進入禁止の表示とテープがめぐらされていた。どうやら洞窟でもあるようである。丁度その時その発掘現場から一見して作業員とは思えない学者風の人が出てきた。直紀はレイラに頼んで、話を聞いてもらうことにした。
「サラーム、ハスタナボシ」(こんにちは、お疲れさま)
「サラーム・アレイクム」(こんにちは)
「何の発掘現場なんですか?」
「つい最近発見されたもので、どうもペルセポリスに飾るレリーフの作業現場の一つだったようです。」
「何か興味深いものがあるんですか?」
「うーん、悪いけど、今はまだ公表できないな。」
「そうですか、ありがとうございました。」
 レイラが話を止めようとするのを感じて、直紀はポケットからラピスラズリの小箱を出してその研究者に見せた。すると男は驚いたような様子で聞いた。
「どうしてそれを持っているのですか?」
「あなたはこれをご存知なんですね。」
 レイラがすかさず聞いた。直紀は日本語で話をした。もちろんレイラが通訳をした。
「もしよければ少し話を聞かせていただけませんでしょうか。」
「そんな興味深いものを持っているのだから、断る訳にもいかないでしょう。」
「はい、では博物館の日陰に行きましょう。」
 原田には何が何だか分からなかったが、どうも成り行きが面白そうなので黙って行動を共にした。日陰に着くと、レイラは直紀の話を通訳した。
「あなたはこれがアケメネス朝の時代のものと知っていますね?」
「はい、特殊な仕上げとデザインですから直ぐに分かりました。」
 直紀にはただの瑠璃色の小箱にしか見えないのだが、専門家の目では違いが分かるようであった。そして話を続けた。
「この小箱について何か知っていることを教えていただけませんか?」
「私が知っているのは、それと同じものが博物館にあるということ。それに・・・」
「それに?」
「うーん、今の発掘と関係しているんで・・・」
「ひょっとしてあなたですか?博物館でこれと同じ小箱を見せてほしいと頼んだのは?」
「いつの話ですか?私はその小箱のことはかなり前から知っていますから、最近ならそういうことはしていないですね。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「困ったなぁ・・・ どうしようか。」
「どうしたのですか?」
「非公開の発掘なんで困っているのですが、その小箱は調査の大きな鍵になるかもしれないのです。」
「協力できることなら喜んで協力しますけど・・・」
「共同研究という名目にしましょうか。中を案内しましょう。その代わり、その箱をしばらくの間貨していただけませんでしょうか?」
「いいですよ。研究のお役に立てるのでしたら、そうしましょう。」
 ペルセポリスに観光に来て、ラピスラズリの小箱の謎に関する思わぬ展開が待っていたのである。事情の分からない原田は早く説明してほしいとじりじりしていた。
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by elderman | 2006-11-27 18:15 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(6)

 研究者の名前は、モテサディと言った。彼の案内した発掘現場は洞窟の中にある作業現場のようなところだった。モテサディによると2500年前のまま残っているようだと言う。当時秘密裏に作業をしていたものが、何かの都合で作業現場そのものをわざと封鎖してしまったようだとも言った。実際洞窟の中は荒らされたような形跡もなかった。
 この現場に案内された原田は感動したように言った。
「うひゃあ、これはすごいや、今世紀最大の発見じゃないのかなぁ。生の遺跡を見ているようだ。」
「生の遺跡?」
「そんな言葉ないか。わはは」
「洞窟の中だから多くのものが風化せずに残っている。考古学者にとっては垂涎ものだろうな。」
「風化はしないけど、有機物は残らないな。ほら、そこに骸骨が。」
「きゃぁ。」
 レイラが悲鳴を上げた。
「あはは、ごめん。冗談です。」
「ハラダさん、ひどーい。」
 レイラは原田の肩を叩いて言った。
 すると、モテサディが言った。
「できるだけ中にある物に触れないでください。」
 レイラはモテサディの言葉を通訳し、そしてモテサディに答えた。
「はい、分かりました。私たちでもここの価値は分かります。」
 洞窟の壁に2m程度の石版が立てかけられている。その石版はレリーフの作りかけのようだが、いくつかの判別できる絵が認められた。ライオンの彫り物がある。ただしこれは置物のようなライオン像に見える。外の壁のレリーフにあるような牡牛に噛み付く勇ましいライオンのような活動的な描写ではない。不思議なのはその隣の絵である。女性が自分の首にナイフを当てているようにも見える。これはライオンに比べるとかなり写実的な彫り物になっている。
 原田が言った。
「ほら、ここ、ここに棺桶が4個ある。」
「直方体の箱が棺というのは今の日本の話だろう。私にはむしろラピスラズリの小箱に見えるけどな。」
「自殺しようとしている女性のせいかなぁ、棺桶を連想しちゃったよ。それに大きさが分からないし・・・」
「埋葬されるのは王族だろう、ならこんな貧相な棺は使わないだろう。しかも4個なんておかしいな。」
 直紀はラピスラズリの小箱の形、モテサディの言った調査の鍵というのはそのことだろうと思った。モテサディは直紀にラピスラズリの小箱を見せられるまでは、それが複数存在するとは知らなかったようだ。それを知って、この4個の直方体と小箱とを結び付けてみたのかも知れない。レイラがモテサディに聞いた。
「モテサディさん、この4個の箱の絵とこの小箱とが関係があると考えているのですか?」
「あるいは、と言うことです。あらゆる可能性を検討するのが仕事ですから。」
 直紀は箱の蓋の裏側に書いてある言葉の意味について聞くようにレイラに促した。
「箱の蓋の裏に書かれている言葉がありますが、それを知っていますか?」
「えっと、博物館のものは確かどこかの地名が書いてあったような・・・ それにはなんと?」
「これには、『ササン朝の栄華、永遠に』とあります。」
「え!?ササン朝ですかぁ・・・ アケメネス朝のはずなのだが・・・」
 それを聞いて直紀は言った。
「これが偽物か、あるいは文字が彫られたのが後世ということでしょうか。」
「ふむ・・・ 文字の刻まれた時期の年代鑑定はできません。」
「写真を撮ってもいいでしょうか? 我々個人用にしか使いませんから。」
「はい、その小箱をお預かりできるのですから、そのくらいは大目に見てもらえるでしょう。」
「では、ありがとうございました。連絡先をレイラによろしく。」

 原田に説明するのには時間が必要だった。昼食のときに説明するということでペルセポリスの観光を済ませ、近くのレストランに行くことにした。イランのレストランのメニューはどこでもケバブである。牛、羊、鶏のケバブならどこでもありつけるのだ。ラピスラズリの小箱の話は原田の好奇心を刺激したようである。博物館とペルセポリスで学んだばかりの知識だが、原田も一応一通りのものは直紀と同じように見たのだった。

 食事の後、ナグシェ・ロスタムというアケメネス朝の王の墓が並んでいるところに行った。そして面白いことに墓の下にはササン朝時代のレリーフが彫られているのだった。ペルシャ帝国はアケメネス朝の時代に一旦は滅亡させられたが、密接な関係を持つササン朝ペルシャ帝国として見事に復活したことがこの遺跡からも確認できるのであった。

 シラーズに戻った三人は、有名な詩人、ハーフェズとサーディの墓に行った。墓と言ってもそこは公園のようで綺麗な花壇が整備されていた。直紀は詩人と言っても当時は哲学者のようなものではないかと思った。ハーフェズの墓のところにある売店で、原田は日本語に訳された詩集を買った。オマル・ハイヤームという詩人が作者である。原田は何篇かの詩を読んで買う気になったようだが、調子のいい原田にそのような気の利いた趣味があるとは直紀は知らなかった。
 オマル・ハイヤームは1048-1131年、サアディーは1184-1291年、ハーフェズは1325-1389年の詩人たちである。中でもハーフェズは世界的に有名な詩人であり、ゲーテがハーフェズの詩集から多くのインスピレーションを受けたことは有名である。ハーフェズというのはコラーンの暗唱者という意味で、本当の名前はシャムソッディーン・モハンマドである。
 観光を終えてしまった三人だが、エスファハンに向かう飛行機の出発時刻までまだ3時間もあった。すると三人の様子をみていたタクシーの運転手が三人を自宅に招待したいと言い出した。その申し出に対し一度目は丁重に断ったのだが、それでも是非にと誘われた。すると今度はレイラがそこまで言われて断るのはイランでは失礼に当たると言い出した。結局、三人は運転手の招待を受けることにした。運転手は嬉しそうに菓子屋でケーキを買い、三人を自宅に連れて行った。
 運転手の自宅は結構広い敷地を持っていた。そこの庭園が見えるゴザの上に座り、水煙草と紅茶にケーキを楽しんだ。さらには運転手の娘とその友人がイランに古くからある楽器のトンバック(太鼓)とサントゥール(琴みたいなもの)の演奏を聴かせてくれたのだった。「もてなし」の精神というのはイラン人の性格を言うときに必ず出てくることだが、外国人に対しては殊更その精神が発揮されるようであった。
 思いがけない歓迎を受けて原田と直紀は喜んだ。運転手の家族と記念写真を撮ると、レイラは住所を聞いて写真を送ることを約束した。こうしてシラーズの観光を終え、三人はエスファハンに向かったのであった。

 エスファハンはザーヤンデ川の中流に位置し、「イランの真珠」とも言われ、イランで一番美しい街である。エスファハンにもアケメネス朝の君主が住んだと推定される場所があると言われているが、エスファハンの栄華は、1597年サファーヴィー朝の王、アッバース大帝がこの地を首都と定めたことに端を発している。アッバース大帝というのは日本の徳川家康のような名君であり、都市整備や経済の発展を進め、17世紀には細密画やタイル美術、陶器などペルシャ芸術も開花し、繁栄を極めた。サファーヴィー朝が滅亡したのが1722年であるから125年間にも及ぶ太平の世が続いたのであった。この時期のエスファハンは明らかにヨーロッパより文化が発達しており、「エスファハンは世界の半分」というほどの称賛を浴びていたのだった。
 原田、レイラ、直紀の三人がエスファハンに着くとすっかり夜になっていた。市街地に入るとザーヤンデ川が見えて来た。直紀はこの川にかかる橋には美しいものが多いと聞いていたが、控え目な明るさでライトアップされたシ・オ・セ橋、ハージュ橋が見えた。エスファハンで一番高級なホテルはホテル・アッバースだが、直紀には高価な5星ホテルは論外であった。
 ホテルのチェックインを済ませると三人は夕食のために外に出た。ハージュ橋までホテルから歩いてもそれほどの距離ではなかった。ハージュ橋は自動車のない時代に作られたものだから、今日の橋梁とは基本的に構造が違っている。また保存の意味もあるのだろう、歩行者しか通れないようになっていた。

 翌日三人は朝食を済ませると、エマム・スクエアまで歩いて行くことにした。エマム・スクエア全体が世界文化遺産に登録されている。長方形の広大な敷地の中には噴水が配置され、その周囲には石畳の広い通路がある。長方形の周囲はすべて二階建ての建築物で囲まれていて、巨大なモスクが二つある。長辺にあるモスクの反対側にはアリガプー宮殿が見えた。
 原田が興味を示したのは、アリガプー宮殿の屋上階にある音楽演奏用の部屋であった。壁面には楽器の形などさまざまな模様があったが、音響効果が考慮されて設計されているのであろう。オーディオ・マニアでギターを演奏する原田が興味を持つのは当然であった。直紀は宮廷音楽を奏でる音楽家たち、それを鑑賞する貴族たちについて、歴史映画で観られるようなペルシャ商人あるいは悪い大臣の身なりをして、大きな宝石の付いた大きなターバンを頭に乗せているかもしれないと想像していた。
 エマム・スクエアの周囲の建物には様々な売店が入っているが、そのすべてが観光客用の土産屋に見えた。直紀にはカーペット、金属加工製品、陶器、骨董品、ガラス製品などが印象に残った。エスファハンのお土産にはギャズという甘いお菓子が人気だとレイラが言った。
 エマム・スクエアにある二つのモスクは壮大で、タイルによる装飾は精緻で華麗である。小さな色つきタイルを組み合わせて、なお全体として格調の高い品位を見せる技は見事と言うしかない。宗教建築が見せる荘厳さというのは意図的に演出されているのだろうが、その演出を具現化する技術、芸術性には目をみはらせるものがある。イスラム教徒でない原田と直紀にとってはどんなに巨大で荘厳なモスクであっても宗教的な関心はなく、単に芸術的な建築物として鑑賞するしかなかった。

 歩き疲れて来た方向とは反対の出口に行くと、そこにはミニアチュアという細密画の店があった。買う気はない原田と直紀ではあったが、どのようなものかと関心があった。
「直紀、この店見てみようじゃないか。」
「そうだね、見せるために開けているのだろうしね。」
 店の中では、細密画を実際に描いて見せていた。壁に掛けてある作品をみると、非常に精緻である。虫眼鏡でみないと細部まで見えないような代物であった。曲芸なのか芸術なのか判断が難しいが、米粒に文字を書く芸当に似ていないこともない。描かれているテーマは自然を対象としたものが多いようだった。細密画を描く素材には駱駝の骨を使っているようである。
 作品を見ていると、直紀の心の中にふと懐かしいような感覚が浮かび上がって来た。細密画に描かれている光景はイランそのものなので、直紀はその理由について直ぐには見当がつかなかった。細かい筆使い、色の組み合わせ・・・ そう、直紀が小さい頃に見た吉田画伯の絵にも共通するものがあったのだ。懐かしいと感じたのはそのせいである。直紀はレイラに言った。
「ここの絵を見ていたら、伯父さんを思い出したよ。あの吉田画伯だけどね。」
「それは素晴らしいことですね。伯父さんはエスファハンに来たことがあるのかしら。」
「イランに3回も来ているようだったら、必ず来ているでしょう。」
「そうね、エスファハンに来ないなんて考えられないものね。」
「ここの店の人知っているかな、30年も前の話だから難しいかも知れないけど・・・」
「ちょっと聞いてみるね。待ってね。」
 レイラは絵を描いているイラン人のところに行った。しばらく話をしていたがレイラには何も感情的な変化がないので、やはり期待は薄いなと直紀は考えていた。
 レイラが戻って来て言った。
「残念ながら、彼は知りませんでした。」
「ま、そうだろうな。そんな簡単に伯父さんの足跡が発見できる訳はないよな。」
「でも、エスファハンで有名な画家の名前を教えてくれましたよ。」
「へぇ、それは会ってみる価値はあるかも知れないね。」
「なになに、何を話しているの?」
 原田が割り込んできた。
「いや、俺の伯父、画家なんだけど、彼がイランでどうしていたかを知りたいんだ。」
「イランと関係があるのか、その伯父さん?」
「そう、3回もイランに足を運んでいるって伯母さんから聞いた。」
「直紀の一族というのはイランに縁があるんだな。」
「レイラ、その人の家の住所も聞いてきてね。」
「はい」
 原田が言った。
「せっかくエスファハンに来たのだから、この際後悔しないように情報収集するといいな。」
「うん、ありがとう。」

 直紀は吉田画伯がテヘランとアモールにいたことは分かっているが、それ以外の行動についてはまったく分かっていなかった。もしも、エスファハンの誰かが彼のことを知っていれば、もう少し彼のイランでの行動を知ることができるだろう。吉田画伯は一流の絵描きだったはず、ならばイラン人の中に彼のことを覚えている人がいても不思議ではないような気がした。
 親友の原田は観光だけでは物足らないのか、吉田画伯のことは原田にとっては他人事だが、日本人のイランでの行動ということでの興味なのか、原田にも関心があるようだった。直紀はせっかくの観光の時間を個人的なことで割いてしまうので悪いと思ったが、吉田画伯の足取りを調べられる時間を与えてくれた原田に感謝した。
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by elderman | 2006-11-27 18:10 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(7)

 エスファハン在住の有名な画家ファルシチアンの家は古い家並みの多いジョルファにあるという。家を探して行くと、それはあっさり見つかった。有名な画家ということだが、家は決して豪邸ではなかった。ファルシチアンは80歳にもなろうかという高齢だそうだ。直紀は吉田画伯が生きていれば、やはりそのくらいの年齢になっているだろうと思った。
 住所に示された家は塀でぐるりと囲まれていたが、門の扉の右手にインターフォンをみつけた。レイラが来訪の目的を話すと、扉のロックが外された。三人が門を開けて敷地に入ると、そこには広い庭があった。バラなどの花が植えてある。10mほど歩くと玄関の扉が開けられた。そこには中年のイラン人男性が待っていた。
「サラーム・アレイクム。マン・レイラ・レザイー・ハスタム。
「アガエ・ファルシチアン・タシリフ・ダランド?」(こんにちは。私はレイラ・レザイーと申します。ファルシチアンさんはいらっしゃいますか?)
「バレ、ハスタンド。モンタゼール・ベムニッド。」(はい、おります。お待ちください。)
 そう言うとそのイラン人男性は家の奥に入っていった。どうやら彼は家の使用人のようだ。そして戻ってくると三人を応接間に案内した後、そこで待つように言って立ち去った。間もなくファルシチアンと思われる老人が現れた。老人には見えるが足腰はまだしっかりしているようだ。
「私がファルシチアンだが・・・」
「突然お伺いしてすみません。」
「うむ。」
「こちらはカワシマさんと言いまして、画家である彼の伯父さんのことを知りたがっています。」
「日本人の画家ですか?」
「はい、名前をヨシダといいます。」
「おお、お会いしたいですね。今どちらに?」
 レイラの通訳では、ファルシチアンは吉田画伯を知っていた。しかも旧知の仲のようである。直紀はレイラにさらに話を進めるように言った。
「ヨシダ画伯は病気で既に亡くなられました。こちらにいるカワシマさんは画伯の甥にあたります。」
「そうですか、それは惜しいことをしました。彼とは長いこと音信不通でした。」
「こちらのカワシマさんが、ヨシダ画伯がこちらで何をしていたのか教えていただきたいと言っています。」
 ファルシチアンは回想しているのだろう、しばらく無言であった。ファルシチアンは吉田画伯との出会いから話をし始めた。

 ファルシチアンが吉田画伯に初めて会ったのは、エスファハンで開催された彼の個展であった。ファルシチアンが会場で見慣れない外国人に話しかけられ最初はびっくりしたが、彼が日本人の吉田画伯であることを知った。吉田画伯はファルシチアンの題材、色彩感覚と筆使いに強い関心を示していた。ファルシチアンは宗教的な絵画はあまり描かないということで、題材はもっぱら自然のものを対象にしていた。これはミニアチュアの技法から発展させたファルシチアンの特徴とも言えるようだ。ソフトな色使い、そして写実ではないが細かい描写、これはミニアチュアの特徴とも言えるものである。
 人間に安心感を与える描き方も吉田画伯の関心の対象であったが、画伯は題材にも強い関心を示していたという。ミニアチュアは、もともとは詩などの挿絵だった。そのせいであろう、今でも詩人の作品をモチーフにして描かれることが一般的である。そしてその根底にあるものはまさしくイラン人のスピリットと言えるものである。この話を聞きながら直紀はハイヤム、ハーフェズ、サアディーというイランの詩人のことを思い出していた。原田はハイヤムの詩を買ったこともあり、嬉しそうににやにやしていた。
 吉田画伯は詩人たちの作品からイスラム教ではないものを感じ、むしろその原点に興味があったらしい。ファルシチアンは詩人たちの作品からインスピレーションを得たと話したが、吉田画伯はさらにその原点と言うべき詩人たちの世界、あるいはその前からイラン人の心にあるもっとも原始的な感性を知りたいと考えたようだった。
 吉田画伯はイランに来るたびにファルシチアンの家を訪問したという。ファルシチアンは突然思い出したように吉田画伯の作品があると言って席を立った。ファルシチアンが戻るのにそう時間はかからなかった。額縁に入れられた絵は小振りな作品であったが、直紀の記憶にある吉田画伯のものだった。題材は自然の描写であるが、そこには生死を超越したような達観と観る人の心を和ませるものがあった。
 ファルシチアンの話は直紀を大いに満足させるものであった。直紀はファルシチアンに厚く礼を述べて別れを告げた。吉田画伯の死を知り、彼の話をしたせいだろう、ファルシチアンは寂しそうにみえた。

 直紀たち三人は、引き続き美しいエスファハンの街を観光した。その中で特に興味を惹いたのはアルメニア人の教会であった。バンク・チャーチと呼ばれ、モスクのような形状をした建物だが、そこはちゃんとしたキリスト教の教会である。アッバース大帝がアルメニア人にエスファハンへの移民を推奨したもので、彼らの活動は当時のエスファハンの産業活動、経済発展に大いに貢献したという。
 イランはイスラム教の国であるが、昔から異教徒に対してイスラム教に改宗を強制したことはない。現在でもアルメニア人はイランの中で特別な扱いを受けている。普通、外国人はイランの教育を受けることができないが、イランに住んでいるアルメニア人の場合はイランの教育を受けられ、イラン人として扱われる。そして彼らの宗教であるキリスト教をも公認されているのである。アルメニア人は、木曜日には教会に集まってワインを飲むと言われている。
 夕方になるとハージュ橋の日陰にイラン人が夕涼みに現れた。ハージュ橋から見るザーヤンデ川の景色はどこかヨーロッパの雰囲気があった。エスファハンには一つも中国料理レストランがないという。中国料理には豚肉がつきものだからイランで人気がないのはもっともだろうが、それにしても一軒もないとしたら世界的にも珍しいのではなかろうか。
 直紀たち三人はチャイハネと呼ばれる喫茶店でのんびり過ごすことにした。今や彼らもイラン人の流儀を真似して、角砂糖をまず口に入れ、それから紅茶を楽しんだ。こうすると、紅茶に砂糖を入れるよりも、さっぱりした紅茶の味が楽しめるのだ。

エスファハン観光は、直紀に予想外もできなかった情報をもたらした。歴史的に新しい街であるため、ラピスラズリの小箱に関する情報は得ようがないが、伯父の吉田画伯のことを知っている人に会えたのは何よりの収穫であった。
 明日は、一旦テヘランに戻り、バムを観光するためケルマンまで飛行機で行く。国内線はテヘランとエスファハン以外の都市間では便数に限りがある。テヘランからバム行きの便はあるにはあるが、なかなか都合のいい日には飛んでくれないものである。ケルマンからバムまでは約200kmはあり、車で移動しなければならない。バムで一泊し、翌日はケルマンに出て、そこからテヘランまで飛行機で帰るというスケジュールである。

 バム観光は川島直紀がガイドブックにある写真を見て行ってみたいと思っただけのことであった。ケルマンの南東約200kmのところにある町、バム、この小さな町には、「死の町」の異名を持つ廃墟がある。世界文化遺産に指定されている訳でもないのだが、アルゲ・バムと呼ばれる廃墟にはどこか人を魅了するものがあるようだ。
 バムの起源については定説が確立されていないようである。その始まりは2000年前という説もあるが確かではない。ともあれその後さまざまな勢力争いや侵略行為に翻弄され、19世紀始めには町そのものが完全に放棄されたのである。現在見られるのは完全に廃墟だけなのだ。
 アルゲ・バムのアルゲというのは城砦という意味である。その城砦の中に町がすっぽりと入っていて、小都市を形成していた。大きさは400m×300m程度のものだが、周囲をぐるりと城壁が囲んでいる。城壁は9世紀に造られたものだという。
 直紀たち三人はケルマンの飛行場を降りるとタクシーを探した。約200kmを行ってくれるタクシーを探さなければならないのだ。レイラのお陰で、片道約3000円で交渉が成立した。日本では考えられない値段である。単調な沙漠の中を走り、バムに着いたのはもう夕方であった。
 タクシーの運転手はサービス精神を発揮して、アルゲ・バムの周囲を一周してくれた。夕暮れが迫っているので早く入場しないと窓口が閉まってしまうのではないかと直紀ははらはらしていた。直紀の心配は取り越し苦労だったようで、あっさりと三人はアルゲ・バムに入場できた。入場する場所の城砦が修復されていて綺麗ではあるが、廃墟を期待していた直紀には少し興ざめな感じがあった。
 原田はもちろんだが、レイラもこのアルゲ・バムの訪問は初めてであった。ガイドブックには迷子になる可能性があると書いてあったので、三人はアルゲ・バムの中の道を進むのに少し神経質になった。アルゲ・バムはそれほど大きなものではないので、直紀にはガイドブックのその説明は過剰な表現に思えた。直紀にはアルゲ・バムに入る時の気持ちが、どことなくお化け屋敷に入るのと似ているように思われた。
 アルゲ・バムの中に入ると異様な雰囲気に包まれる。誰も住んでいないというのがその原因なのかも知れない。アルゲ・バムはまさに廃墟であり、死の町である。高台に見えるのは城砦の中の要塞部である。もともとある小高い山に要塞を建築したようであった。そして人々の活動する町は城壁にすっぽりと囲まれているのである。
 レイラが異様な雰囲気に圧されて言った。
「なんだか気持ち悪いですね。」
「まだ、明るいんだから何も怖くないさ。」
 直紀が答えた。
 要塞の部分は町とは仕切られていて城壁としてみた場合、それは3重構造になっているとガイドブックには記されていた。城壁も町の建物もすべてが日干し煉瓦で作られている。それが200年前に放棄されたので、今では天井が落ち、奇妙で少しユーモラスな形状で残骸となっている。宮崎駿男のアニメーションに出てきそうなフォルムなのだ。どこかその辺から「風の谷のナウシカ」に登場した巨神兵がぬうっと出てきても不思議でない雰囲気である。
 三人はなぜか惹きつけられるように要塞の監視塔を目指した。やはり一番高い場所に先に行ってみたいという気分になるものなのだろう。直紀はもう少し当時の生活の臭いが感じられるかと思っていたが、崩れた建物を見ることができるだけで、そこまでの生々しさはなかった。
 突然放棄された町と言うが、その理由が何だったのかは分かっていないという。直紀は自分がちょっと現場を見ただけでその理由を推測できるなどとは思ってもいない。疫病でも流行ったのか、あるいは水が出なくなったのかも知れないと勝手な推測をしていた。
 監視塔から見るアルゲ・バムの中の廃墟となった町の姿はやはり異様であった。すべてが小さく見えるせいだろう、まるで小人の家だったようにも見えるのだ。監視塔に三人が到着した頃、太陽が沈み始めた。日没時の明るさの変化は速い。アルゲ・バムは急速に暗くなり始めた。
 やや薄暗くなっても、直紀には怖いという感じはなかった。いつも明るい原田と一緒にいるせいだろうか、あるいはユーモラスな形状になってしまった廃墟のせいだろうか。レイラは少し怖いようであった。この辺の感性は日本人とイラン人とは異なっているのかも知れない。
 突然、原田が言った。
「なぁ、直紀。イラン人の幽霊が出ても、言葉が分からないと怖くないかもなぁ。」
「出たらインタビューしてみたいけどね。」
「私は通訳なんてしませんよ。」
 レイラは本当に怖いようだ。
 薄暗くなった中を再びアルゲ・バムの中にある町のエリアに降りていった。違った道を進むと、そこでは老人のように見えるイラン人が、日干し煉瓦を作るための粘土を型にはめていた。この日干し煉瓦は崩れた建築物の修復に使われるのであろう。完全に修復されてしまったら、この異様な雰囲気が消えてしまいそうだが、どこか肝心な部分だけでも修復するのかも知れない。もっともこれだけ廃墟になってしまっているのだから、この老人の作業では全部を修復するには何世紀もかかることだろう。
 三人が出口に着くころには、空も周囲もほとんど真っ暗になってきていた。バムは小さな町である。宿泊予定のホテルまで歩いても大した距離ではなかった。

 翌日は、テヘランに帰るだけであった。旅行中にアルコール類が飲めないことが直紀と原田の楽しみを減じたが、ホテルで落ちつけば、それはそれで二人で観光の感想やら学生時代の話で盛り上がるのだった。原田は言った。
「イランというのは本当にすごい歴史を持っているなぁ。そして、また神秘的というか謎に満ちているなぁ。」
「そうだな、謎だらけだな。分かったことは伯父の吉田画伯がイランで何をしていたのかということぐらいだ。」
「それはまだ30年くらい前の話だろう。それすら分からなくなってしまうなら、もっと前のことなんて誰にも分からないさ。」
 原田の言いたいことは直紀には分かった。直紀は原田に言った。
「2500年も前のことなんて、分かる訳がないかもなぁ」
「気の遠くなるような話だ・・・」
「しかもあんな小さな小箱のことだしね。」
「ゲーム感覚で進めるのは面白いけど、結論を急がずに気長にやることだね。」
「ああ、そうするよ。本当のことが分かっても大して意味のないことかも知れないしね。」
「またイランに来てみたいなぁ。」
「こちらはいつでもOKだよ。」
「ありがとう、でも日本では休みがなかなか取れないから今度はいつになることやら・・・」

 原田はテヘランに戻り、土産を買うと休暇を終えて日本に帰っていった。原田を見送った直紀は再び一人でイランでの生活を続けなければならなかった。
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by elderman | 2006-11-27 18:00 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(8)

第二章

 テヘランのジョルダン地区と言えば高級住宅街である。その地区にある一戸建ての住宅の中、薄暗い書斎で3人のイラン人男性が話をしている。
「アガエ・タレビ、ずい分金を使ってくれたものだな。」
「へい、ボス、すんません。現場を押さえられちまったもんで・・・」
「いいかこの組織のまるまる1か月分の収入がなくなったんだぞ。」
「へい、今後は二度とこのようなことは起きないようにします。」
 モジュガニは非常に不機嫌であった。彼には黒々とした頭髪が豊かにある。顔には口髭はあるが、顎鬚は剃った後が黒々と残っている。目が大きくきらきらと輝いているように見えるのが彼の特徴だが、不機嫌なときにはその目の輝きは消えていた。
「今度、どじを踏んだら、おまえなんかシリア行きだぞ。」
「はい、もう二度とやりませんから、今回は勘弁してくだせぇ。」
「鼻薬が効くやつだったからいいようなものだが、高くついたもんだ。」
「中毒者は増加する一方ですから、直ぐに損失は挽回してみせます。」
「それだけ儲かったってことじゃねぇか、バカ野郎!」
「へい、すんません。」
 どじを踏んだアリ・タレビは、もともと小柄だがボスのヘシュマット・モジュガニの怒りに触れてますます体を小さくしていた。頭髪がほとんとなく、口髭もないジャハンギール・セイリは、モジュガニとタレビの二人のやりとりを黙って聞いていた。
 モジュガニは不機嫌なまま話題を変えた。
「ところで、アガエ・セイリ、それから新しいことは分かったのか?」
「へい、ボス。考古学博物館には行って来やした。それから、ペルセポリスでの新しい発掘に関する情報も仕入れて来やした。」
「ではまず、博物館の小箱には何って書いてあったのだ?」
「へい、『遥かなるノガン』とありやした。」
「『ノガン』って何のことだ?」
「館員の話では、古い町の名前だそうで。」
「いったいどこにあるのだ?」
「マシュハドの中だとか。へい。」
「そんな場所に遺跡なんかあったかな」
 マシュハドはイランの北東にあるホラサン州の州都である。この地には8代目のイマム・レザが埋葬されていてイスラム教シーア派の聖地になっている。マシュハド自体は古い町ではなく、9世紀以降からその名前で呼ばれるようになったのだ。「ノガン」という町は、マシャハドの前身と言えるものである。
 イラン文学の傑作と言われる「シャー・ナーメ」の作者フェルドゥシー、詩人のオマル・ハイヤームはこの土地の生まれである。このようにマシュハド周辺の都市はイスラム世界になってから著名な文人や政治家を多数輩出しており、昔から文化水準の高い都市である。
 ところが、ラピスラズリの小箱はアケメネス朝のものであるから、紀元前500年頃の話である。モジュガニは、アケメネス朝の遺跡がこのマシュハドの地で発見されたなどという話を聞いたことがない。モジュガニは話を続けた。
「それで、ペルセポリスの方はどうなんだ?」
「今発掘調査をしているのは、壁のレリーフを作る作業現場のようです。洞窟の中での作業ということから秘密の作業だったようで・・・」
「単なる作業現場なのか。ふむ」
「アガエ・モテサディはそれ以上話をしてくれねぇもんで・・・」
「たかが発掘調査なのに、どうして話さないんだ?」
「非公開だと言うばかりでして・・・」
「おまえらは揃いも揃って本当に役立たずばかりだ。」
「へい、すんません。」
「もっとモテサディに当たってみろ!あるいは非公開の指示を出したやつを探るのもいいか・・・ おまえたちも少しは頭を使えって」
「へい、では、早速、ホダーハーフェズ」(さようなら)
 セイリとタレビはモジュガニの書斎から立ち去った。誰もいなくなった書斎でモジュガニはひとりごちた。
「2500年も前のことだ。そうは簡単には分かるまい。
「しかし、いったいアケメネス朝の財宝はどこに消えてしまったと言うのだ。
「アレクサンダーが持ち帰ったという話なら派手に歴史に残るはずだが・・・
「それにしてもあれだけの宮殿を建てたアケメネス朝に財宝がないという方がおかしい。
「少しずつ計画的に盗掘されたなんて話は考えられない。
「こういう話は金に執着心の強いムッラーに聞くに限るか・・・」
 モジュガニは机の引き出しの鍵を開けた。中にはラピスラズリの小箱が入っていた。モジュガニはそれを机の上に置いて蓋を開けた。裏蓋にはこう刻まれている。
「永遠のハディーシュ」
 モジュガニはつぶやいた。
「ハディーシュはペルセポリスにあるクセルクセス1世の宮殿のこと、そして博物館にあるものには古い都市ノガン・・・
「これは何を意味しているのだろうか、財宝が分散して埋蔵してあるのだろうか・・・
「非公開の発掘調査というが・・・これも怪しい。」

 背の高いプラタナスとニセアカシアが茂るテヘラン大学の構内を一人のイラン人が歩いている。ペルセポリスで発掘調査をやっているあの考古学研究者のモテサディである。彼はテヘラン大学教授のパイヤム・ギアセディンに会いに行くのだ。ギアセディン博士は文化財保護委員会の委員長をしている人物である。大学教授としては既に定年なのだが、引き続き講師をやっているため彼には教授室が与えられている。イランの場合、30年勤務すると定年という規定があるが、余人を持って替えがたいというような場合には仕事を継続することができる。
 その30mくらい後ろをセイリと一人の学生が一緒に歩いている。この二人はモテサディをつけているようだ。モテサディが建物に入っていくと、セイリは学生に別れを告げた。その学生だけが建物に入って行った。
 モテサディはギアセディンの教授室に入ると早速、川島直紀から預かったラピスラズリの小箱を出してギアセディンに見せた。ギアセディンは感嘆の声を上げた。
「おお、これはまさしく同じ箱だ。」
「はい、ところが裏蓋に書かれているのは『ササン朝の栄華、永遠に』というのですから・・・」
「ふむ」
「あのレリーフがこの箱を描いているとしたら、あと他に2個小箱があることになります。」
「2500年の間、小箱がどういう経路で今日まで来たかを追跡するというのは至難の業だ・・・」
「それは先生らしくもない。それが私たちの仕事でしょう。」
「それはそうだが、特定のものの追跡調査というのは極めて難しいものだ。」
「あの発掘調査を非公開にした先生の判断は正しかったようですね。」
「アケメネスの財宝に関係があるなんて新聞にでも書かれたら、それこそ大混乱になるだろうし、いくら警備をしても足らないだろう。」
 その時突然、ギアセディンの教授室に学生が入ってきた。
「あ、すいません、お客さんでしたか。」
「タジック君か、悪いがまた後で来てくれ。」
「はい、失礼しました。」
 イランでは考えられない無作法な入室の仕方であった。タジックと呼ばれた学生は急いで部屋を出て行った。建物の表ではセイリが待っていた。
「どうだった、やはりギアセディンに会っていたか?」
「はい、セイリさんのにらんだとおりでした。」
「相手が確認できればいいが、何か気がついたことでもあったか?」
「ギアセディン博士が青い小さな箱手にしていたようですが・・・」
「青い箱・・・まさか・・・ その箱の大きさってこのくらい?」
 セイリは小箱の大きさを手で示した。タジックは肯定した。
「ふむ、博物館から持ってきたのか、あるいは別物か・・・それは確認しないといけないな。」
「これから博物館に行くのですか?」
「そうだな、そうしてみる。じゃな、メルシー。ホダーハーフェズ」
 そう言いながらセイリは10,000リアル札を10枚ほどタジックに渡した。

 モジュガニがセイリからの電話を受けている。セイリは携帯電話から掛けているようだ。セイリが話した。
「モテサディはギアセディンに会いにテヘランに来たようで。」
「やっぱり非公開発掘の決定はギアセディンであったか。」
「それから、もう一つラピスラズリの小箱が彼らの手元にあるようです。へい。」
「なに!もう一つの小箱だと、博物館のじゃないのか?」
「いえ、博物館にはちゃんとありました。」
「そうか・・・」
「ただ聞いても何も教えてはもらえないでしょうから、こちらのをチラつかせるってぇのはいかがなもんで?」
 セイリの提案を受けて慎重になるモジュガニであった。
「やつらに謎を解かれたら元も子ない・・・」
「では、こちらにもあるってことを話すだけってぇのはいかがなもんで?」
「奪っちまうなら簡単なんだが・・・ やつらの知識も必要だしな・・・」
「おまえのその真面目そうに見えるってぇのを利用してみるか・・・」
「へい、ありがとうございます。」
「褒められていると思っているか?」
「いや、その、お役に立てれば・・・」
「まあ、いい。話だけにしろ。」
「分かりやした。」
 電話が切れて、モジュガニはどうやって必要な情報を得たらよいかを思案した。「ラピスラズリの箱が全部で何個あるのかも分からないし、謎を解く鍵が揃っている訳ではない。今は慎重に情報を収集するしかない。ここにあるラピスラズリの小箱だって場合によっては情報を得るために使わないといけなくなるかも知れない。他のやつらに謎が解かれてしまっては元も子もないのだ。今はセイリの報告を待つほかないようだ。」
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by elderman | 2006-11-27 17:30 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(9)

 モテサディが宿泊しているホテルに戻ると、フロントから来客があると電話が入った。客の名前はジャハンギール・セイリと言ったが、モテサディにはその名前を思い出すことはできなかった。ともあれ、彼はホテルのロビーに降りて行くことにした。
 モテサディがロビーに行くと、そこには頭髪がほとんどなくて眼鏡を掛けた男性が待っていた。顔を見た瞬間、モテサディはその男が前にペルセポリスの発掘のことで彼に質問して来たことを思い出した。
 その男がモテサディに向かって挨拶をしてきた。
「サラーム。ハレショマー・チェトレー」(こんにちは、ご機嫌いかがですか?)
「サラーム。フバン・メルシー」(はい、元気です。ありがとう。)
 セイリはモテサディに単刀直入に切り出した。
「実はちょっと教えていただきたいことがありまして。」
「はい、どんなことでしょうか?」
 二人は、ホテルのロビーにあるソファーにかけて話を始めた。セイリが言った。
「先日はいろいろとアケメネス朝についてお伺いしましたが、実は博物館にあるラピスラズリの小箱と同じものを持っているのです。」
「あなたもあの小箱と同じものを持っておられるのですか。」
「他にもまだあるのですか?」
「いや、まぁ、お話をお伺いしましょう。」
「その小箱というのは、博物館にあるものとまったく同じ色、形をしています。」
「ふむ。」
「そして、蓋の裏側に文字が書いてあるのです。」
「ふむふむ、何て書いてありますか?」
 モデサディにそう簡単に聞かれては、セイリは困ってしまう。モテサディに聞かせるのが目的ではないのだ。セイリは沈黙してしまった。するとモテサディが口を開いた。
「ひょっとしてあなたはあの小箱の謎に興味があるようですね。」
「ええ、まぁ、そういうことでして。」
「なるほど、アケメネス朝の綺麗な小箱と意味不明のペルシャ語、関心が高まるというものでしょう。」
「はい。」
「でも、おかしいとおもいませんか?アケメネス朝の時代には今のペルシャ語の表記方法はなかったのですよ。」
「え?」
「アケメネス朝の当時は楔形文字を使っていたのです。」
「ということは、あの文字はずっと後世に刻まれたということですか。」
「はい、そういうことになりますね。」
 セイリの表情に失望の色が現れた。アケメネス朝の財宝との関係はまるでなくなったようだ。モテサディはセイリのがっかりした様子をみて言った。
「それでも我々には学術的な興味があるのです。よければお持ちの小箱を見せていただけないでしょうか?」
「はい、また連絡を取らせてください。ありがとうございました。」
 セイリはホテルから出て行った。モテサディはニヤリと笑った。「ああいう輩にはそうとでも言わないと欲が深いからなかなか協力は得られまい・・・」
 モテサディの言ったことはすべて正しいことであった。日本人の川島が持っていた小箱にはササン朝のことが書かれていたが、ササン朝でも現在のペルシャ語表記はまだ使われてはいないのだ。文字が刻まれたのは、早くてもササン朝が滅亡した直後であろう。ペルシャ語の表記はアラビア人がイランを征服して、その後200年間続いた沈黙の時代を経てようやく完成したようである。イランのルネッサンスと言うべき時代がその後にやってきて、フェルドゥシーやオマル・ハイヤームのような詩人が現れたのだ。
 モテサディの関心は別なところにあった。アケメネス朝の財宝と関係しそうなラピスラズリの小箱だが、誰が何のために後世になって文字を彫り付けたのかということである。今日ではアケメネス朝の財宝が隠されていたとしてもその追跡はほとんど不可能であり、偶然の発見を待つしかないだろう。モテサディとギアセディンの考えは、後世の人が何かを知っていてそれで文字を刻んだのではないかと考えているのだ。それが1000年前、1100年前ということなら、ますます好都合ということである。1500年間を調査せずに飛び越えられるからだ。またアケメネス朝の財宝がとっくに盗掘されてしまっているということは十分にあり得ることなのだ。
 
 モジュガニのところにセイリは戻ってきている。
「ということなんで、ボス。」
「ふむ、どの話ももっともらしい・・・」
「つまり、アケメネス朝時代の小箱に誰かが後で文字を彫っただけのことらしいですぜ。」
「しかし、どうしてペルセポリスの発掘を秘密にする必要があるんだ?」
「さあ、それとこれとは関係がないのでしょうか。」
「どうも怪しい・・・」
「そう言えば、モテサディはボスの持っている箱に強い興味があるようでした。」
「そらみろ。」
「でも、学術的興味とか言ってやしたぜ。」
「ふむ、どうするか・・・」

 モテサディが川島直紀のオフィスにやってきた。直紀から預かっていたラピスラズリを返しに来たのである。
「どうもありがとうございました。」
「役に立ちましたか?」
「同じ小箱が他にもあることが分かりましたが、刻まれた文字については謎のままです。」
「別な箱をみつけたのですか?」
「ええ、カワシマさんだから言いますけど、同じ箱を持っているという人が現れたのです。」
「その箱には何て書いてあったのですか?」
「まだ、情報を得ていません。所有者が少し怪しい感じの人なのです。」
「怪しい?」
「いろいろ教えると大事な証拠品を盗まれたりするといけませんから。」
「そういう意味の怪しい人ってことですか。」
「カワシマさんもどうぞ注意してこの小箱を保管しておいてください。」
「はい、分かりました。でも、この小箱にそれほどの価値があるのでしょうか?」
「あのレリーフと小箱を見た人ならいろいろ考えるでしょう。」
 直紀は少し考えて、思いつきを口に出してみた。
「アケメネス朝の財宝とか?」
「まぁ、そういうことですね。」
「でも、その時代のものなどはすべて盗掘されてしまっているのでしょう?」
「私もそう思いますけど、一攫千金を夢みる人はいっぱいいますから。」
「まだ、文字が刻まれた年代は分からないのですか?」
「刻まれているのが今使っているペルシャ文字と同じですから、アラビア人がササン朝を滅亡させた時代よりは後ということは言えます。」
「なるほど、ペルシャ語の文字はアラビア語から来ているのですね。それは丁度日本が漢字を中国から輸入したのと同じ関係です。」
「そうでしたか。それは知りませんでした。」
「全部の小箱が揃うといいですね。もっと何かが分かるかもしれない。」
「はい、では私は仕事場のペルセポリスに戻ります。」

 こちらはモジュガニの書斎である。セイリが再び来ている。モジュガニが聞いた。
「今度の首尾は上手くいったかな?」
「はい、ペルセポリスの発掘現場の作業員に金をつかませました。」
「それで、何だって?」
「そこには作業中だったレリーフがあるそうです。」
「それで?」
「そのレリーフにはライオンとナイフを持った女性と4つの箱が描かれているそうです。」
「そんなものでどうして非公開にしたんだ?」
「それがよく分からないんです。」
「他には?」
「作業員の話では、モテサディは日本人を現場に案内したと言っていました。」
「日本人?いったい何のために?」
「さあ、でも彼らはレリーフの絵について話をし、例の小箱を取り出していたようです。」
「4つの箱っていうのはあの小箱のことか?」
「さあ、どうなんでしょう?」
「肝心なことになるとどれもさっぱり分からないんだな。」
「へい。すんません。」
 モジュガニは不機嫌になった。アケメネス朝がいかに大きな領土を持っていたからと言っても極東にある日本なんてなんの関係もないのだ。不機嫌ではあったが、モジュガニは気を取り直して、セイリから聞いたモテサディの奇妙な行動について冷静に考えてみた。
「まてよ、その日本人が小箱の所有者なのかも知れないな。そうでもなければ非公開の発掘現場を案内したりはしないだろう。」
「なるほど、さすがはボス。」
「感心している場合じゃないだろう、頭を使え、頭を!」
「へい。」
「その日本人を探し出せ。名前は分かっているのか?」
「すんません。」
「そうか・・・」
 モジュガニはしばらく沈黙した。そして口を開いた。
「仕方がない。この小箱を持っていって、その日本人の名前とそいつの持っている小箱に書かれていることを調べて来い。」
「へい、ボス。」
「4つの箱か、小箱が全部で4つあるってことだな。」
「へい、多分・・・」
「多分じゃなくて、4つ目も見つけて来いってことだ。」
「チャシム」(御意)
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by elderman | 2006-11-27 17:25 | Comments(0)
2006年 11月 27日

ペルシャの秘宝(10)

 川島直紀はエスファハン旅行の後、ミニアチュア(細密画)の原点がイスラム教の影響以前ではないかと見当をつけたが、調べるにつれてそれが間違いだったような気がしてきていた。ササン朝はゾロアスター教(拝火教)を国教として被支配民族にもそれを押し付けたようだし、政治も腐敗してきていたようであった。そしてその結果、アラビア人の軍隊にあっけなく滅ぼされてしまったのである。
 イランのルネッサンスというのは意外なことにこのアラビア人に征服された後にやって来たのであった。アラビア人に征服された後は「沈黙の二世紀」と言われるように歴史に残るようなものはなかった。しかし、9世紀に入ると次々にイラン人王朝が興亡した。この時期で特筆すべき王朝はサーマーン朝であろう。875年から999年まで続いたとされている。首都は現在のイランの中ではなくウズベキスタンのブハラにあったと言うが、現在のイランではブー・アリーと言われる哲学者で医学者のイブン・シーナー、国民的叙事詩人フェルドゥシーが活動を始めたのはこの時代であった。
 ミニアチュアは元々詩などの挿絵として始められたものであるから、詩人の登場とは切っても切れない関係にある。吉田画伯がイランの北部を目指して行動していたのは、この時代に興味を持ってのことかも知れないと直紀は考えた。ミニアチュア自体はその後、モンゴルの影響を受けた。そのモンゴルは中国の影響を受けていたことから今日みられるミニアチュアには中国絵画の影響も見られる。吉田画伯の興味はいろいろと外部からの影響を受ける前のミニアチュアの原点に興味があったのではなかろうか。
 直紀は吉田画伯からラピスラズリの小箱をもらったが、この小箱と吉田画伯のミニアチュアに対する興味とはほとんど関係のないものだろうと考えるようになった。
 レイラは直紀のこうした歴史的な好奇心を満たすためにいろいろな調べ物をしてくれた。現在のイランの歴史書というものがどのくらい正確なものか直紀には分からないが、ともあれレイラの調べた結果は直紀の想像力を刺激するのには十分役に立った。レイラ自身もイラン人の心の故郷と言うべき吉田画伯の興味の対象に興味を持っているようだった。
 イランの歴史では、その後トルコによる支配、モンゴルによる支配を受けるようになり、16世紀になるまでは支配される時代が続いた。1500年にシャー・エスマイール1世がサファーヴィー朝を興し、再びイランに統一をもたらした。直紀が訪問したエスファハンはサファーヴィー朝の最盛期、アッバース1世によって首都として開発されたものであった。
 レイラが突然、直紀に言った。
「カワシマさん、今度の週末、私の実家に一緒に行きませんか?」
「週末は暇だから、そりゃ嬉しいけど、ご両親に迷惑じゃないかな?」
「そんなことはありませんよ、カワシマさんを大歓迎しますよ。」
「アフマディも一緒でいい?」
「もちろんです。実家はかなり大きい家ですから全然問題ありません。」
「そうですか、ありがとう。」
「いいえ、私もしばらく振りに実家に行きたいと考えていたところですから」
「そうですか、それならカスピ海を初めて見ることができそうだ。」
「カスピ海は家からすぐそばです。」
「途中でアミール・アルデスタニの家に寄ってもいいかな?」
「はい、片道4時間かかるだけですから、十分時間はあります。」
「またちょっと聞きたいことがあってね、途中だからいいよね。」
「はい。それから、途中ではポピーが満開です。それも見ていけるでしょう。」
「ポピーってアヘンを抽出するやつ?」
「野生のポピーです。アヘンを取るものとは種類が違います。」
「そっか、野生であったら大変だもんね。」
 直紀はもう一度アミール・アルデスタニの家を訪問して、吉田画伯のことについて聞いてみたかったところであった。ただそれだけのために往復5時間以上かけてアモールまで行こうと言い出すのは気が引けていたのだった。レイラの実家はヌールというところにあり、アモールからさらに1時間のところだと聞いていた。
 直紀は思いつきでレイラに聞いてみた。
「家庭料理ってレストランのとは違うの?」
「いろいろ種類があります。」
「そう?ケバブばかりじゃないの?」
「ヌールの人々はカスピ海の魚も食べるし、料理は本当に豊富にあります。」
「そっか、魚かぁ、いいなぁ。」
「今はホワイトフィッシュの季節じゃないけど、まだいろいろあります。」
「ホワイトフィッシュ?」
「一番美味しい魚です。イラン人はお正月にこの高価な魚をよく食べます。小骨がいっぱいありますけどね。」
「魚の骨なら日本人には問題ないよ。」
「多分魚市場にも案内できると思います。」
「へぇ、それは面白そうだな、カスピ海の魚を見られるなんて。」
「キャビアをとる魚もあるかも知れません。」
 レイラの提案のお陰で直紀の週末の予定が決まった。前回はアモールまで行き、カスピ海周辺の気候や環境を知ることができたが、その時は表面的に眺めただけだった。それでもカスピ海周辺はアルボルズ山脈の南側の乾燥した気候とはまったく違う世界であることはよく分かった。

 週末になると川島直紀とレイラはアフマディの車でヌールに向かった。途中、ダマヴァンド山の手前で脇道に入った。野性のポピーをみるためであった。10分も走ると、自生している赤い大きな花をつけたポピーが傾斜地一面に咲き乱れていた。それはまさに自然の絨毯という感じである。直紀とレイラは傾斜地を登った。ダマヴァンド山とポピーとを一緒に写真に撮りたかったからである。残念ながら季節が少し早かったのだろう、傾斜地の上に登るとポピーはまだ満開ではなかった。
 直紀の実家は千葉県にあるので、家族で南房総の園芸植物を見に行ったことがある。そこにもポピーが咲いていたが、イランで見る野生のポピーは、花そのものが日本で見たものよりもはるかに大きい。こういう自然の中で生活するイラン人だから多くの詩人が輩出されるというのは至極当然なことだろうと直紀は思った。

 直紀とレイラはアルボルズ山脈を再び越えて、アモールにあるアミール・アルデスタニの家に向かった。直紀たちが家の敷地に入ると、それに気がついたアミールの奥様が迎えに出てきた。アミールの息子のカリムはどこかに行っているようだ。
「サラーム。ハレショマー・チェトレー」(こんにちは、お元気ですか?)
「サラーム。フバン。メルシー。」(こんにち。元気です。ありがとう。)
 イランでのお決まりの挨拶である。直紀を覚えていた奥様、カリムの母親は笑顔で彼らを迎えてくれた。直紀はレイラの通訳を通じてエスファハンでの経験を話した。
「エスファハンに行ったところ、吉田画伯と交友のあったファルシチアンに会うことができました。」
「そうですか、伯父さんの行動が分かったのですね。よかったですね。」
「はい。ありがとうございます。それでますます伯父さんがこの地によく来た理由を知りたくなったのです。ひょっとしてこの地に伯父さんの探していた何かがあったのではないかと思いましてね。」
「そうですか。ここから70kmくらい東に行ったところにサーリーというササン朝時代に栄えた町がありますが、そこへも足を運んでいたようです。」
「サーリーですか?」
「サーリーは今でもマザンダラン州の州都です。」
 サーリーについてレイラが解説をしてくれた。アミールの奥様が続けた。
「ササン朝の人々はアルボルズ山脈を越えてこの地まで逃げて来ましたが、雪解けになるまでの時間稼ぎでしかありませんでした。」
「平家の落人みたいな話ですね。」
「でも、アラブ人にはイラン全土の支配は難しく、次々にイラン人が元の仕事に戻ったという話です。」
「なるほど、そういう歴史があったのですか。」
 あっけなくアラブ人に滅ぼされたササン朝と歴史には書かれていたが、実際には一瞬にして消えてしまうはずはないのだ。ササン朝の落人たちはアルボルズ山脈を越えることで天然の要塞の向こうに逃げたと思ったのかも知れない。ササン朝の首都はイラクの中にあったというから、イラン人が占領していたアラブ人に逆襲されたとも言えそうだと直紀は思った。
 直紀はさらにアミールの奥様に質問をした。
「他に吉田画伯に関することで何かを思い出されましたか?」
「一度、アミールと一緒に旅行に出掛けたことがありました。」
「ほう?それはどちらに?」
「さあ、どこだったかしら、覚えていません。」
「そうですか・・・」
「ひょっとしてムッラーのムサ・ハビビアンが何かを知っているかも知れません。」
「ムサ・ハビビアン?」
「アモールに住んでいるムッラーです。アミールの後継者なんです。」

 それを聞いて直紀はそのムッラーに会いたくなった。レイラはムッラーの住んでいる家の場所を聞いた。直紀とレイラはアミールの奥様に礼を言って、ムッラーの家に向かった。
 ムッラーの家は直ぐに見つかったが、残念ながらムッラーは外出中であった。レイラは家の人に川島直紀と吉田画伯のことについてメモを書いて渡した。また帰りに寄ってみるつもりであった。

 レイラの実家のあるヌールにはほぼカスピ海の海岸沿いの道路を進んだ。車から時折見えるカスピ海はそれほど美しいものではなく、直紀には少し期待外れだった。ヌールまで単調な道が続いたが、レイラは彼女の両親のことや弟のことについていろいろと話をして聞かせてくれた。
 車はマフムードアバッドという小さな町に入った。目指すヌールはもう直ぐである。ムッラーに会えなかったため、明るいうちにヌールの街に入ることができた。レイラの家はヌールの中心街を少し過ぎたところにあった。
 レイラの実家は塀に囲まれているが、家は塀からはかなり距離があるように見えた。大きな敷地の家である。レイラは鍵を出して大きな扉を開けた。広い庭が目に入って来た。その庭は徹底的に管理されているものではなく、荒れてはいないもののできるだけ自然のままという感じがあった。
 レイラが玄関で到着を知らせると両親が直紀たちを迎えに出てきた。アフマディは車を停めて着いて来ていた。
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by elderman | 2006-11-27 17:20 | Comments(0)