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2005年 09月 11日

日本人の特殊性(11):食文化

日本料理は世界一美味しいと日本人は思っていることと思います。でも、イラン人に聞いてもイラン料理が世界一だと同じ答えが返ってきます。これはどういうことでしょうか。知らないでそう言っているのかも知れないし、完全に自分の国の料理に慣らされてしまって、他の国の料理を受け付けなくなり、そう思っているのかも知れません。

私は個人的には同じ材料の料理を繰り返し食べることのできる国民は味覚的に未発達だと思うようになりました。和食専門の日本人でも三食同じ食材のメニューでは閉口することと思います。イラン人は三食といかないまでも羊の肉料理には飽きが来ないようです。ですから中近東の地域では食事のバラエティを求めるという発想がそもそも間違っていると思わされることがあります。レストランのメニューの種類は限られているのですが、それを美味しそうに食べているイラン人を見ると食文化の未発達と思わざるを得ません。もっともイランの家庭料理にはかなりのバラエティがあるのでいつも単調なメニューで我慢している訳ではないようです。

歴史的にみると日本というのはそもそも食に関して貧しい国だったように思います。山菜、魚、海草などはありますが、それですら毎日食べられると言うものではなく、漬物、味噌汁、ご飯で飢えを凌いでいた国民という気がしてなりません。江戸時代ではこれに豆腐、大根が加わりましたが、それでも知れたものでしょう。この頃の日本の食生活からタイやイランの食事をみると、彼らの食生活の方が遥かに豊かなように思われます。食材そのものが豊かだったんですね。だから、醤油や味噌なんて発明する必要もなかった。タイにはナームプラーという魚から作った醤油みたいなものがありますが、まぁ、これは例外的な存在でしょう。

イランでは調味料は、酸っぱいみかんや酸味の効いたザクロ、そして豊富な種類のハーブ類など天然の果物や野菜から求められます。乾燥した気候は果物や野菜に適しているようで、品種改良をしなくても美味しいものが栽培されています。もちろん季節に依存するのでいつでも食べられるというものではありませんが、その季節に食する機会があればラッキーとしたものでしょう。

今でも日本が武士道を通せば美食は敵ということになるでしょうが、もはや現代の日本は飽食の時代です。武士には禁じられていた味についての話題や、食事中の会話などが開放され、おしゃべりしながら食事をするという時代になりましたね。いや、むしろ武士道などの「道」の文化が味覚の方にも進出し、さらに美味しいものをいただくことのできる時代となったと言った方がいいかもしれません。

外国人に一番説明が難しいのが、刺身の味の優劣です。もちろん新鮮な食材ということはあるのですが、これだって魚の死後直後が一番かどうか議論のあるところですから決定的とは言えません。となると食材の保存状態、そして包丁の切れ味というなかなか理解しにくい話を持ち出さないといけなくなります。日本人としては確かに包丁の切れ味が悪いと刺身は美味くないのですが、外国人にその説明をすることは非常に難しいものです。

日本の食文化というのはその基本に前述した食料の貧しい国という前提があったと思っています。だから何でも食べる。ウナギでもドジョウでも、ウニでもフグでも、ホヤでもオコゼでも・・・、海草ですら食べてしまいます。陸地に豊富に食料があったなら、多分食べるという気にならなかった代物かも知れません。今のイラン人をみているとこの仮説が正しそうに思えて来ます。

何でも食べることで有名な中国人は、その人口が食料の供給を上回るほど過多だったと言うのがその理由ではないかと思います。そんな背景を抜きに日本人は日本にはいろいろ美味しいものがあるなんて言ったりしていますが果たしてどういうものでしょうかねぇ。むしろ何もないというお陰で食材に対する味覚が発達したと言えるような気がします。
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by elderman | 2005-09-11 16:59 | えるだま雑記【案内画面】


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