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2007年 09月 17日

世界遺産特集(13)パサルガダエ(イラン)

パサルガダエ、私は世界遺産とは知りませんでした。登録されたのが、2004年のことだたので気がつかなかったのです。因みに、私が行ったのは2005年の2月でした。ペルシャ帝国の遺跡としてはペルセポリスが有名ですが、パサルガダエはそれよりも古い遺跡です。

【キュロス大王の墓】
紀元前550年、アケメネス朝ペルシャが成立し、紀元前546年にアケメネス朝が独立したとされています。その時の王、キュロス大王(二世)の在位は紀元前559~530年です。

私がキュロス大王に興味を持ったのは、この集団が今のイラン人のルーツだと考えられるからです。紀元前8,9世紀にはイランの地はメディア王国によって統治されていました。その中のシラーズのあるファールス州に居住していた人たちが、メディア王国を滅ぼし、アケメネス朝という巨大なペルシャ帝国を築き上げたのです。
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【ソロモンの牢獄】
14mもの高さのある石造りの建築物ですが、ソロモンの牢獄と呼ばれるゾロアスター教の神殿があります。この建物については様々な説があるようで、キュロス大王の息子のカンビュセスの墓だという説、拝火教の寺院という説、宝物館という説などなどです。ソロモンの牢獄という名前はイスラム時代に入ってから名付けられたもののようです。

写真で見ても、その用途がよく分かりませんね。昔は直方体の建物だったようで、29の階段で上まで上がって行くことができたようです。謎だらけの建築物と言えるでしょう。
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【王宮】
現場にはペルセポリスと同じように石柱の跡だけが残っていました。石柱の仕上げはペルセポリスのものと似ているように思われました。この時代、いったいどうやって削って磨き上げたのでしょうか。

約3200平方メートルの敷地ですから、1000坪という大きなものです。宮殿に入るゲートに「私がアケメネス朝の王、キュロスである」と楔形文字で彫られています。もちろん楔形文字なんて私には読めませんから、現場にあった説明文からです。

ともあれ、ここは居住用の宮殿として使われていたという説が有力のようです。

(王宮)
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(「私がアケメネス朝の王、キュロスである」)
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【謁見の間】
ペルセポリスにもあった謁見の間ですが、こちらのものは少し規模が小さくて約2,500平方メートルの広さだそうです。13mの高さの石柱8本で支えられたこの建物は立派なものだったことでしょう。敷地内にはこれより低い多数の石柱の跡が残っています。
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【レリーフ】
謁見の間の建物にも楔形文字で「私がキュロス、アケメネス朝の王である」と刻まれています。レリーフには人間の足と魚の模様の装った足と牛の足が彫られていました。陸と海とを支配する慈悲深い王であるということを表わしていると考えられています。

そしてこの近くに、ゲイト・ハウスと呼ばれる場所に4っの翼を持つ天使のようなレリーフがありました。残念ながらその意味はまったく不明です。ゾロアスター教の神アフラマツダにも翼があるから、その原型でしょうか。頭に奇妙なものを載せていますね、いったい何を意味しているのでしょうか。

(足のレリーフ)
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(天使のレリーフ)
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★さらに詳しくご覧になりたい方は、次からどうぞ。
「パサルガダエ(1)キュロス大王の墓」 
「パサルガダエ(2)ソロモンの牢獄」 
「パサルガダエ(3)王宮」 
「パサルガダエ(4)謁見の間」 
「パサルガダエ(5)レリーフ」
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by elderman | 2007-09-17 09:19 | ★世界遺産特集★


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