2007年 08月 04日

今の日本について

いろいろ書いて来ましたが、私の言いたいことは、タイのような発展途上国から学ぶことがあるということです。しかも、今回の私の滞在では、昔の日本を思わせる部分が多く、懐かしさという部分を除いても、日本では何かが失われたという感じがあり、その何かというのが、どうも幸福感につながるような気がしています。

まさか誤解されないでしょうけど、私が幸福感がなくて、タイにそれをもらいに来たということではないですよ。12年振りに帰国して、なんだか変な日本になっているなぁと感じるから、その「なんだか変」というのを知りたくてタイの田舎に長期間の滞在という計画を立てたのです。

「資源がないから長時間労働になり時間がない」、「土地がないから狭い敷地、小さな家で我慢しなければならない」ということで諦めるのもいいのですが、それならせめて精神的な健全さを保つ方法はないかと善後策を考えないといけないでしょうね。

「きれやすい」、「いじめ問題」、「親が子を殺し、子が親を殺す」、「犯罪の低年齢化」、「無差別殺人」、「PTAからの常識のない要求」、「マナーの低下」、「マニュアル人間」、「孤独死」、「熟年離婚」、「儲け主義」、こういう問題ってマスコミが騒いでいるから問題だと感じるだけなのでしょうか、昔からあったといえる事なのでしょうか。

狭い日本で、今の若者たちが出した結論の一つに、関係のない他人の存在はみえないというのがありそうです。これは狭い国土において、ある意味賢い方法かも知れません。関係のない人がみんな透明人間になってしまえば、結果的に大きな空間を得ることになりますね。

これは誰かが発案したことではなさそうです。自然発生的にそういう人たちが増えて来たように思われます。若者に限らず、マナー知らずの大人がいるから自然にそれを真似するようになったのかも知れません。では、どうして周囲にいる人たちを見なくなったのでしょうか。

そうすることによって居心地がいいのか、関係ないものは関係ないから合理的なのでしょうか。他人に迷惑を掛けてはいけないということは日本人はかなり敏感だと思います。電車の中で携帯電話を使ってはいけないなんていうのは、私は他の国でみたことがありません。個人の良識で対処すればいいと思うのですが、日本では規制ですからねぇ。

マナーの悪い人は、自分がマナーが悪いとは思ってないということはあるでしょう。要するに気がつかないでやっていると言えるでしょうね。なら、どうしてそういう教育、躾を受けなかったのでしょうか。となると、矛先は、学校というよりもむしろ親に向かって行きます。結局は、親の問題じゃないか、つまり私を含む世代の問題なのかも知れないのです。

ひょっとして、日本人には「恥の文化」が薄れて来ているのかも知れません。私は、他人が知っていて、自分が知らないことは恥だと思うのですが、どうもそうでもないようです。マナーが悪い人は、多分、そうは思わないのでしょう。知らないものはしょうがないということかな。

こういう仮説はどうでしょうか。昨今の日本、自分で物事について考えない人間が増加し、好きなこと以外は言われたことしかやらないという人間を育成してしまった・・・ なんだか恐くなります。

背景1:受験・・・回答を自分で考えないで、傾向と対策を記憶してしまう。
背景2:TV・・・・受動的に情報を得ることに馴れ、能動的に考えなくなった。
          TVに時間を奪われ、本を読まなくなり、その結果想像力が欠如した。
背景3:ゲーム・・すべてが画像として提供され、想像を楽しむ余地がなくなった。
背景4:映画・・・自分で想像するよりも面白い映像が見られるようになった。
背景5:商品・・・求めるものを買うだけで済むようになった。工夫の余地がない。
[PR]

by elderman | 2007-08-04 00:58 | えるだまの観察


<< ヒメマツバボタン(スベリヒユ科)      タイと日本 >>