2007年 07月 15日

食について考える

タイ料理にいささか嫌気がさして来たと書いて、その後もいろいろ考えています。嫌なものを嫌だと素直に言えないというのは、取りも直さず「食べるものがあるのに贅沢なこと」という観念があるからです。何の不自由もなく食べられるというのに、それを嫌だというなんて贅沢の極みじゃないかと考えてしまいます。

日本人でも実際逞しい方はいらっしゃるでしょう。マレー半島の奥地でもサバイバルできるようなすごい人なんて尊敬してしまいます。ランボーなんていうヒーローも格好いいけど、ジャングルの中でいったい何を食べているのでしょうねぇ。そんなことを考えると、タイ料理に飽きたなんて言っている自分が情けなく思えます。

ということで、今回は日本人の食についても少し考えてみたいと思います。私は世界の国々で生活してみて、日本人の味覚はたいへん鋭くて、広いものと考えています。そして、その結果、今や世界中で認知されるような美味しい日本食というものが存在しているのだと思います。

私の両親の世代は、「男子たるもの味についてとやかく言うものではない」という考えもありました。しかし、この考えは高度経済成長の下でほとんど消滅してしまったようです。「男子厨房に入るべからず」なんていうのもありました。これも今ではナンセンスですね。

一方、日本人の持つ特有の気質、「何でも師匠」というのがあります。日本人は、「なんとか道」とかいうものが大好きですね。これが食の世界に入り、飽食の時代とかグルメとか言われるようになり、どんどん食文化が進んだように思われます。

しかし、味覚なんていうものはそんなに簡単に変わるものでしょうか。私は、上の二つの矛盾するようなことについて次のように考えています。

日本は狭い国土で食についても貧しい国だった。したがって、食べられるものは何でも食べなければならないという宿命があった。そこで、山のもの海のもの、何でも食べるようになった。その結果、味覚が自然に広がり、美味しいものに関してたいへん敏感になった。

イランの人々をみていると特に思います。彼らは、もっぱら羊の肉を食べていて、海のものについては臭いと言って激しく嫌います。つまり、羊の肉がずっと供給されていたから他のものを食べるという必要性がなかったと言えるでしょう。昔から食に関して豊かだったと言えるのではないでしょうか。

ただし、イランには醤油とか味噌とかがないので、ハーブ類や柑橘系のものを利用する知恵が蓄えられています。これも逆に言えば、醤油や味噌を発明する必要がなかったとも言えるでしょう。イランは豊かだったから食文化が未成熟のまま、日本は貧しかったからこそ食文化が大いに発展したと私は考えています。

そこで困ったことが、日本人である私のいろいろなものを食べたいという欲求です。日本食だけでは飽きたらず、今や世界中の料理が日本国内で味わえるようになっていますね。日本人の持つ味覚の広さの表れだと思います。日本に似た方向性を持っている国は、中国、韓国、ベトナム、タイではないかと思います。

食文化の水準が高いと思われるフランス、イタリアなどのラテン系の国について、私は、貴族社会が食文化の発展をもたらしたのではないかと考えています。私は、中国の宮廷料理というものを知りませんから分かりませんが、ひょっとしたら中国にも西欧と同じような食文化の発展があるのかも知れません。

ただ、関東育ちの庶民である私には宮廷料理のような上品な味は少し物足らないので、果たして美味しいと思うかどうか・・・ やや疑問はあります。私がフランス料理よりもスペイン料理が好きだというのもこの辺に理由がありそうです。もっとも、フランスの庶民の食べているフランス料理は、スペイン料理と大して変わりがないと思っていますけどね。



閑話休題、これだけ前口上を並べておいて、さて本題です。食べられるものがあるのに食べられないというのは贅沢なことと言えるのかどうか。飢餓に苦しむ状況では、そんなことを考えていること自体ナンセンスでしょうが、普通の日本人が外国に行った場合、どうなんだろうという疑問です。

海外で生活をする日本人の中には、現地の食材を上手に使いながら、日本食を用意している奥様方もおります。これはこれで立派なことだと思います。一方、現地の食事に慣れようとする日本人もあります。その両方という方もおられることでしょう。

ただ言えることは、現地の食事だけで過ごしている日本人というのはまずいないのではないでしょうか。なんらかの形で日本食の食材を入手していることと思います。外国で入手する日本食の食材というものは高価なものです。これは贅沢と言えるのでしょうか。

今回の「タイで田舎暮らし」という試みでは、日本食の食材を一切持参しませんでした。当初は、日本食が恋しいと思った段階で、ギブアップと考えましたが、現地の人でも日本食を食べることもあるから、そこまで頑なに考えることもないだろうということで、軌道修正をしました。当初の考えでは、もう既にギブアップ状態です。(苦笑)

「男子たるもの味についてとやかく言うものではない」と言っていた父ですが、その張本人、外国の料理など珍しいものがあっても食べようとはしませんでした。特に、正体の分からないものは絶対に口にしませんでした。これって矛盾ではないのでしょうかねぇ。

今回の私の問題を分析すると、問題は食事が不味いからというのではなくて、「飽き」なんですね。イランにだって美味しいものはあります。ただ、それを食べ続けることができないという問題です。タイ料理を食べ続けることができた期間は結構長かったと思います。それでも、2か月で限界が来たとも言えるでしょう。

「飽き」は贅沢なのでしょうかねぇ。キャビアばかり毎日食べなければいけないとしたら、それはやっぱり苦痛でしょうね。

また話は逸れますが、タイに来てダイエットは好調です。いやダイエットなんてしてないのですが、イランや日本でダイエットをしなければならないという状況だったのに、タイでは自動的にダイエット効果があることには驚いてしまいます。今でこそタイ料理に嫌気がさしたと言っていますが、これまではそうでもありませんでした。ですから、嫌気とダイエットとは関係がないと思います。

体重については正確に分かりませんが、3kgは減ったと思います。一番顕著なのがウエストサイズです。10cm近くウエストが締まったのです。これは非常にありがたいことです。理由はよく分からないのですが、タイ料理と適度な運動、そして高温多湿による夏バテ状態というのがあるのでしょうか。

全然結論に到達しませんね。少し結論らしいことを書きましょう。タイ料理は美味しいのですが、飽きます。それがタイ料理じゃないかと思います。その理由は、味がきつい、味付け方法がワンパターンに近いからと言えるでしょう。ハーブを使った料理以外は、辛い、酸っぱい、甘いという味付けしかないと言っても過言ではないと思います。ハーブ主体のトムヤムクンなども美味しいのですが、これも頻繁に食べるという訳にはいきません。

いろいろな食材を楽しめるタイ料理ですが、飽きるという落とし穴があったということが結論でしょうか。贅沢であろうがなかろうが、飽きてしまえば美味しいとは思えないものです。タイ人がどうして飽きないか・・・ 日本人との味覚の差でしょうか。
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by elderman | 2007-07-15 02:56 | えるだまの観察


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