えるだま・・・世界の国から

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2007年 02月 15日

人間と自然

イスラム教では、人間は他の動物とは違うと考えています。理由を聞くと、神様がご自身に似せて創ったものが人間だからだそうです。キリスト教でも同じ考えではないかと思います。これだけ科学的な知識が集積しても、まだ本気でそう考える人は多いようです。

私は、人間は哺乳類という動物であり、特に知能が高い動物だと考えています。神様が人間と同じ姿をしているなんて人間が勝手に考えたことだと思います。人類が進化したら、人間とは違った姿になるかも知れませんし、そうなったらまた別な神様が登場するのでしょうか。

妊娠してから赤ちゃんになるまで、母体の中で進化の歴史を辿っているようなことが分かっています。羊水という海のような条件の中で受精した卵子が育って行くのですから、神秘的とはいえ、海から生命が誕生したことを思わせてくれます。

哺乳類をみていると、知能以外は人間とほとんど変わらないと思えます。犬が地面をなめるのを見て同じとは思えないでしょうが、西洋人の中には日本人が泥の中で育った鰻を食べると言っている人もいます。大して変わらないように思えますけどね。

どうして、こんな話から始めたかということを言わないといけませんね。今の日本を見ていると、どうも多くの日本人が精神的に病んでいるようにみえて仕方がないからです。そもそも人間とは一体何ものというところから考えてみたいと思ったからです。何か本能に、あるいは自然に反することをしているからおかしくなったのではないかとも思えます。

これまで、私が海外で過ごして見て感じたことから分析してみたいと思います。

第一点、大都市で働いている人たちは大きなストレスを持っている。これは日本に限ったことではなくて、どこの国でも言えることのようです。田舎に行けば、温かみのある素朴な人たちが住んでいます。これは一体どうしてなのでしょうか。

第二点、便利になって幸せになれるだろうと発展して来た日本のような国の人たちより、発展途上国の人たちの方が生き生きとしているというのはどうしてなのでしょう。

第三点、先進国においてどうしてこれだけペットがもてはやされるのでしょうか。仏教国のタイでは犬はそこらじゅうにいますが、ペットとして扱われている犬は少ないと思います。

第四点、発展途上国ではあまり聞かない、アトピーや花粉症などどうして日本ではよく聞くのでしょうか。

それぞれがまったく別の原因によるものだろうという考えもあるでしょうが、私には一つの解決策があるように思われます。つまり、人間は自然を構成する一員として自然の中で、それが難しければ自然に触れながら生活すべきじゃないかということです。



第一点について、アジア人はどういう訳か、人口が多いにも拘わらず大都市に住もうとする傾向が強いように思われます。便利なこと、給料がいいことがその理由なのでしょうか。世界の先進国を見ると、例外的な国があります。ドイツがそうです。ドイツ人は都市に住むことを嫌がるようで、割り合い地方に分散して住んでいます。フランクフルトは有名な都市ですが、人口は100万人に及ばずせいぜい70万人です。ベルリンは350万人ありますが、アジアだったら、5~700万人くらいになりそうです。

ドイツは、自動車、戦車、飛行機、刃物など機械について大変高い技術を持った先進国です。私は、日本はドイツに似ている部分があると思っています。そのドイツ人が郊外あるいは地方に住みたがるのですから、日本人も本当はそういう欲求を持っているのかも知れません。日本人の多くがそれを実行すれば地域間格差は是正されると思いますが・・・

ヨーロッパはアジアに比べて人口が少ないので、生活空間に余裕があるのでしょう。そういう意味では、日本の人口は8,000万人くらいでいいのではないかと思えます。ただ日本の問題点として、住めるところの面積が小さいということがあります。平野が少ないので、どうしても密集してしまいます。これは日本という国の宿命的な課題かも知れません。

比較的人口の少ないマレイシアですが、首都クアラルンプールは一応大都市です。150万人程度の規模ですから、それほど大都市とは言えませんが、交通渋滞など大都市らしい問題を抱えています。そんな中で自動車通勤をすると、こちらは外国人なので安全運転を心掛けていましたが、なかなか道を譲ってもらえません。その底意地の悪さをみていると、これも都市のストレスなのかと感じたものです。マレイシアは国全体をみれば、のんびりしたいい国なんですけどね。

イランでもそうです。首都のテヘランでは人々が忙しく過ごしていますが、首都を離れ、地方都市や田舎に行くと、とてものんびりとしていて人々の温かさを感じることができます。そういう意味では、森林などがない沙漠のようなところでも自然と言えると思います。



第二点ですが、朝起きて、電動歯ブラシを使い、ウォシュレットで用を済まし、電車で通勤して、オフィスで電話やPCを使い、昼食はレストランや仕出し弁当で済ませ、午後には会議や打ち合わせ、仕事が終われば、居酒屋で乾杯、タクシーで帰宅、そんなことをやっているとどこにも自然が入る余地はなさそうです。

女性は男性に比べて、妊娠、出産、料理など人間の生理的な部分に近いところの経験が多いことと思います。料理は、口からエネルギーを摂取するものですから、人間という哺乳類の神秘的なメカニズムを感じることができるものだと思います。電気やガソリンをエネルギーにするというのなら分かりやすいですけど、穀物や肉類、野菜や果物、そんなものを食べて走ったり、ジャンプしたり、頭を使ったりできるのですから、凄いものです。

どれだけ凄いかって、いくら人間の知性が高くても、物質からトカゲすら創ることはできません。TV番組で農家の方がおっしゃっていましたが、彼らは野菜を作っているのではなくて土を作っているのだそうです。これは素晴らしい表現だと思いました。人間は思い上がってはいけないと思いました。

男性も料理をすれば、少しは人間とはどういうものかということを身近に感じることができるのではないかと思います。そうすれば、失言問題を起こした大臣のように「女性は子供を産む機械」なん表現を思いつくことはないでしょう。



第三点のペットの話ですが、どうして私たちはペットによって癒されるのでしょうか。私は、私たちがあまりにも自然からかけ離れた生活をしているために、それだけ一層純粋な動物の行動をみていいなぁと感じるのではないかと思います。複雑な現代社会において、素直な動物の行動は羨ましくも見えるのではないでしょうか。

自然のある中に住んでいたら、ペットを飼う人は少なくなるかも知れません。餌付けはするかも知れませんが、飼うよりも自然にさせてあげる方が動物は幸せかも知れませんからね。家族とのコミュニケーションの時間が増え、また近所の人たちとの付き合いも大事になるでしょう。住宅が密集したところでは、逆にお付き合いが鬱陶しくなるように思えます。



第四点は、私は医学に詳しくないのでよく分かりませんが、清潔好きな日本人だから逆にひ弱になったように思えてしょうがないことがあります。潔癖症と呼べるくらいきれい好きなのはむしろ問題じゃないかと思われるくらいです。花粉症で言えば、日本には戦後たくさん植えた杉がみんな成長して花粉を撒き散らかしているからという理由がありますね。

大気汚染が花粉症を助長しているという説もあるようですが、この辺りはよく分かりません。ただ、世界規模でみると、温帯から寒帯にかけて多くの杉が存在しているのですが、あまり花粉症の話については聞きません。日本で花粉症になる外国人もいるようですから、はっきりしたことは言えないようです。

アトピーも花粉症もアレルギーですね。清潔な日本で育つと、温室で育った植物のようにひ弱になるのではないかと心配してしまいます。土が汚いというのではなく、むしろ土にまみれて遊んだ方がいいのではないかと思ってしまいます。



最近は、先進国の人々のなかで自然の中で生きるという運動が起きているようです。
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(写真は、イランにあるダマヴァンド山(5670m)の近くで咲くハカマオニゲシです。)
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by elderman | 2007-02-15 08:48 | えるだまの観察


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