えるだま・・・世界の国から

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2006年 12月 30日

日本人の心と今後について(3)

9.諸悪の根源(1)
 やはり、諸悪の根源を考えないといけないようです。今日の日本社会の歪をもたらしているものを考える場合、教育というものを考えないではいられないでしょう。まっとうな人間が育てば、すさんだ世の中になるはずがない、まっとうな人間が育たないのではないか、こういう疑問を持ってしまいます。

 教育を考える場合、避けられないことが受験戦争です。個人個人の能力・適正を判定するという必要性はあるでしょう。これまでの受験という制度が、それをやってきたか、ここに疑問を持ってみましょう。明治維新から日本人は、外国に学ぶことが優先されて来ました。どのくらい知っているかということが能力だった時代でしょう。

 明治維新から今日まで、受験では記憶力が主として能力として判断されて来たように思われます。とにかく知識がある。文章問題でも、傾向と対策で乗り切ってしまう。田舎でのんびりと勉学そのものに親しんだ生徒は、傾向と対策を十分に身に付けて来た都会の生徒に負けてしまう。

 そもそも大学なんて勉強したい人が行けばいいところのはず。それが、モラトリウムとか言って、遊んでいるだけの学生もいますね。私もそういう学生でしたが、勉学以外のことをいろいろと学んだつもりではいます。(苦笑)

 ま、ともあれ、日本の大学は異常ですね。お金さえ出せば、どこかの大学には入れるというものです。そして、日本の企業は、受験で勝ち抜いた学生を採用しようとし、大学での勉学にはほとんど期待しないで、採用してから社内研修で必要なことを学ばせようとしています。そういう意味では、日本では大学院卒業というものは無用の長物みたいな扱いを受けている訳です。

 東大生が頭が悪いとは言いませんが、持ち前の回転の速さと記憶力でエリートコースを進んだ人たち、そのまま官僚になって保身にキュウキュウとしているなんてちょっともったいないですね。本当に頭のいい方たちがたくさんいらっしゃいます。いい仕事をされているとも思っています。でも、なぜか実社会とは遊離しているんじゃないかという気がしてなりません。

10.諸悪の根源(2)
 では、どうして有能な人たちが能力を発揮できないのでしょうか。ここに入っていくと、日本特有の組織論になって来そうです。以前、 「人事管理マジック」という稿をアップしましたが、優秀な人材であっても組織の中では、人事管理マジックの中にはまってしまうようです。結局は、予算と人事を握っている者が強いということになってしまい、多くの創造的なアイディアや善悪の判断が埋没してしまうようです。

 会社の社会的責任ということでは、昔の諸藩のお家の事情さながらに、問題点の秘匿が優先されるようです。みつからなければいい、これに抵抗できる組織の構成員というのはそうはいないのではないでしょうか。自分のクビを賭けることになりますからね。

 勝てばいい、悪いことはみつからなければいい、こういう考え方では、法律がいくらあっても足らないんじゃないでしょうか。

 やれやれ、再び、正直者がバカをみるというところに戻って来たようです。(汗) まさか、これが実社会の本質ということなのでしょうかね。本質だとしたら、人間に対して何か強制的なことをしないといつでもここに回帰してしまうことになりますが・・・

11.再び宗教について
 「正直者がバカをみる」というのが社会における本質だなんて変な結論になってしまいそうですが、ふと宗教の役割を考えると、人間の所業の性悪な部分を矯正するため、あるいは制御するために宗教の役割があるのかも知れません。

 宗教以外では、法律や倫理というものが考えられます。そして、家庭での躾、学校教育における生活態度への指導というのがあるでしょうか。

 精神的に病んだ現代にこそ宗教が必要だなんていう気はありませんが、現代の一部の人たちは本気で考えているかも知れませんね。それで新興宗教に頼ったりする人もいるのではないでしょうか。21世紀は宗教復活の世紀かも知れません。
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(つづく)
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by elderman | 2006-12-30 08:47 | えるだまの観察 | Comments(0)


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