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えるだま・・・世界の国から

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2006年 09月 05日

ベネズエラの思い出(4)インターナショナル・スクール

次男坊はもう26歳になりますが、私がベネズエラにいた当時、在学中の高校から1年間の留学許可をもらい、一年間インターナショナル・スクールに通いました。次男坊はベネズエラの前、半年間だけ英語勉強の準備期間としてマレイシアでインターナショナル・スクールに通ってたので、こちらへの留学は計画的なことではあったのです。

ということで、一年間という留学で済ませるか、その後さらにインターナショナル・スクールに進み、日本の高校を退学するかどうかは1年後に考えようというものでした。だから、次男坊にとっては一年間の遊学という訳ではありませんでした。英語の準備期間があったとはいえ、英語による授業に本格的に参加しなければなりません。

カラカスには、”コレーヒオ・インテルナシオナール・デ・カラカス”というインターナショナル・スクールがありました。名称はスペイン語ですが、授業は英語によるものです。次男坊によると授業の内容が日本の教育より遅れているので内容は分かるのだけど、英語による回答などで苦しんだようでした。

この学校の生徒たちは、世界各国から来ている人たちの子供なので、次男坊は多くの国の人たちと知り合いになることができました。日本人生徒がグループになりがちなので、できるだけその中に入らないように注意しました。勉強では助けてもらえるだろうけど、自立できなくなることを恐れたのです。多くの生徒は、英語は母国語ではありません。そういう環境でも、日本人が集団で行動しがちなのは、国民性でしょうか。

友人同士のコミュニケーションも英語でやらなければならないので、一時期次男坊は英語能力で少し悩んでいました。思春期ですから、少し難しい内容も会話の中に入って来ます。普通の英会話能力では意思の疎通には不自由なものでしょう。

丁度この時期、円が猛烈に安くなりました。1ドル、145円まで行きました。現地は強烈なインフレの世界です。現地滞在費が見直される間にどんどん物価が上がって行きます。インターナショナル・スクールの月謝は15万円にも及ぶもので、この時期は生活費の節約の必要がありました。これは海外滞在ではじめての経験でした。

結局、次男坊は一年の留学の後、日本の高校に戻る決断をしました。私は、その後も外国で生活を続けたので、インターナショナル・スクールを卒業し、米国の大学に進むという道もあったのですが、本人の決断ですから、それはそれでいいんじゃないかと思いました。海外での1年半という生活、学校での経験が、次男坊の将来に活きるんじゃないかなと思っていますが、いまのところ分かりません。(苦笑)
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by elderman | 2006-09-05 08:25


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