えるだま・・・世界の国から

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2006年 01月 21日

古い記憶(17)小学一年生の頃

(自衛隊)
引っ越した町の近くには自衛隊の基地がありました。ある日、自衛隊の公開があるというので近くの年長の子供に連れられて見学に行ったことを覚えています。本物の装甲車や大砲を見るのは初めてですから強い印象があったのでしょう。

(小学校)
この時に通った小学校は今はもう跡形もありません。地元にある大きな会社が買い取ったようですが、その会社も移転したようで、今では大手スーパーの巨大なビルが建っています。去年一時帰国したときに丁度オープンだったのですが、その広い駐車場や大きなビルを見ると、自分の小学校時代を思い出さずにはいられませんでした。

もっともこの小学校の近く、建物は違いますが、私の子供たちが中学校として通っていたこともあって、それすら跡形もなくなってしまいました。つまり、その後、私の小学一年生時代に住んだ土地に、親が土地を買って家を建てたのです。今でも私の家のあるところです。もちろん住んでいるところは駅の近くの派出所ではありませんけどね。

(ラジオ番組)
この当時はまだTV時代ではありませんでした。情報はもっぱらラジオからでした。朝は「パパ、いってらっしゃい」(?)だったかな、そんな番組を聴きながら朝食をとっていたものです。「パン、パン、パンビのパンビタン♪」なんて歌が聴こえていたと思います。中村メイコが出演していました。

(相撲)
相撲中継もラジオだったのですが、あまり興味はありませんでした。転校した当初に先生からどの相撲取りが好きかなんて聞かれて、知らないと答えるのが悔しくて、たまたま名前を覚えていた相撲取りだった「玉の海」と答えたことを覚えています。先生が不思議そうな表情をしていました。私には見たこともない相撲取りの誰が好きかなんて分かるはずがありません。

後から分かりましたが、「玉の海」はマイナーな存在だったようで、当時の人気は「若乃花」や「朝汐」だったようです。なんだかピンボケな子供だったようです。「若乃花」と「朝汐」の両者ともまだ横綱になる前だったので大変な人気だったようです。

(喜びも悲しみも幾歳月)
「おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす灯をかざす」♪ これは映画を観たので懐かしいものです。映画のテーマなんてさっぱり分かりませんでしたが、なんだか怖いシーンがあったことを覚えています。もちろん、今見たら何でもないシーンだと思いますけどね。

(三波春夫)
「おーい船方さん 船方さんよ」♪、「月がわびしい 路地裏の」♪・・・この時代だったんだなぁ。

(石原裕次郎)
「霧が流れて むせぶよな波止場」♪、「砂山の砂を 指で掘ってたら」♪・・・この手の映画は見せてもらえなかったからこの時には関心はなかったようです。

(フランク永井)
「あなたを待てば 雨が降る」♪・・・低音の魅力と言われました。

(歌手)
美空ひばり、春日八郎、若原一郎、コロンビア・ローズ、小坂一也、藤島恒夫、島倉千代子、三橋美智也、ペギー葉山・・・こういう人たちが歌っていましたねぇ。
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by elderman | 2006-01-21 20:35 | Comments(6)
Commented by はなはな at 2006-01-22 00:06 x
怪傑ぞろ、ベンケーシー、はもう少し後ですか?小学校では、鉄棒がかなり熱心であったように思います。木型に入れた氷菓子。ニッキ紙。ニッキ水。くじ引き。みーーーんな書いてみてね。
Commented by elderman at 2006-01-22 00:14
はなはなさん、こんばんは。^^
そうですね、もうちょっと後ですね。この頃の話題にはTV番組がとても多くて困ります。(汗)
鉄棒ですか、小学校一年生ではまだ早そうです。アイス・キャンデーはもうありましたけどね。おばあちゃんのいるお菓子屋さんは、もうちょっと後かな。お小遣いをもらうようになってからですね。^^
Commented by madamkase at 2006-01-22 02:40 x
えるだまさん、古い相撲取りの話なら、18年生まれの私が物心ついたころは横綱は羽黒山、照国、東富士、鏡里、と揃っていて、そのあとが関脇で初優勝した小さな大横綱栃錦、そのライバルが初代若の花、それに続いたのが朝潮太郎、玉の海はその後「玉乃海」と改名して、前代未聞、金色のまわしをつけて土俵に上がり有名になりました。最終的には横綱になりましたが不運にも短期で引退したと記憶しています。
柏戸・大鵬の時代はそのあとですね。
なんだかいろいろ思い出します。小坂一也のデビー・クロケットの歌なんかが調子のいいバラードで好きでした。あ、彼にはインディアンの人形に恋をした青年の歌もありましたね。今夜思い出すまで眠れなくなりそう。
Commented by elderman at 2006-01-22 07:02
madamkaseさん、さすがですね。^^
玉の海って金色のまわしだったのですかぁ。知りませんでした。
そう言えば、メンコに相撲取りの写真がありました。TVよりメンコがビジュアルなものとして先だったようです。千葉県出身の力士に「房錦」っていたような・・・かすかな記憶があります。
Commented by madamkase at 2006-01-22 08:05 x
房錦は若松部屋で、父親が行事の式守錦太夫(当時の)、行徳の出身でした。幕の内に入ってから黒い弾丸と異名をとり、関脇までたいそうなスピード出世をしたので、彼を主人公に、本人が主演して映画すら作られました。映画の最後は横綱締めて土俵入りする夢を描くところでしたが、実際には関脇どまり、幕内でしばらく一進一退でしたが、親方の娘と結婚して若松部屋を継ぎ、まだ若いうちに亡くなってしまいました。
11年前に日本を離れたとき、まだ幕内力士だったすばしこい朝青龍が押しも押されもせぬ大横綱になり、異国でよくぞと感動します。もちろん、他のモンゴル力士、露鵬とか、黒海、琴欧州など、全員に拍手です。
Commented by elderman at 2006-01-22 10:17
madamkaseさん、すごいですねぇ。^^
相撲ファンでしたか、よくそこまでご存知ですね。まるで生き字引みたいじゃないですか。^^
日本の国技が外国人力士の進出で国際的な競技になっていくのは興味深くみております。日本のいい意味での伝統を受け止める外国人力士は大変だと思いますが、きっと得るものもあることでしょう。


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