えるだま・・・世界の国から

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2012年 07月 22日

古い日本人と新しい日本人

私の住んでいるところは人口10万人程度のベッドタウン、その駅の南口にバーがあります。ベッドタウンなので駅を降りた人々は家に直帰かと思いましたが、案外そうでもないようです。

バーテンダーが一人でやっているバーで、しかも少し田舎という環境、ですから料金は良心的なもので、つまみ300円、飲み物500円なんて具合です。

そのバーテンダーは30歳ちょいという年齢で、韓流スターのようないわゆるイケメンさんです。ひとあたりはソフトでどんな客でも対応できるという感じ、しかも若くてイケメンですから若い女性客も入って来ます。

行き始めの頃は長男と二人で行っていましたが、最近は一人でも行くことが多くなりました。

そんなところで思ったこと・・・

13年の海外生活を終えて日本で生活を再開した私ですが、法事などで親戚に会うと、なんとなく自分が浮いている感じがしていました。親戚はみなさん年上です。最若年の私は自己主張の強いキャラクターに映っているようです。

親戚付き合いを濃厚にして来ていた訳ではないので、子供の頃から知っている人たちですが、みんながいい歳になっている今、改めてどういう人なのかと観察し合っているような雰囲気と言ったらいいのかな。

自分の浮いた感じ、今で言うKYかななんて思ったりもしますが、どうやらこれは日本人の持つ「察する文化」のせいかなとも考えました。自己主張せずに周囲に合わせるという態度というのかな、奥ゆかしいとも言えるのかも・・・ これは私には全然ない要素です。w

何人かで一緒にいて、その内の一人から「何をしたいか?」と聞かれて即座に自分のやりたいことを答えるというような習慣は外国暮らしで身につけてしまったものです。

日本ではそのような場合、周囲を慮り、はっきりと自己主張することはあまりなかったのかも知れません。なんとなくもじもじして全体の雰囲気がどこかに向くのを待つというか、そういう間が大事なのかも知れません。

外国では逆です。そんな質問をされた場合、もじもじしていて答えられないと、なんだかはっきりしない人、自分というものがないのかとすら思われかねません。w

また、同窓会があって懐かしい仲間と話をしても親戚と一緒のときと同じような違和感を感じました。なんか噛み合わないような・・・

長い海外生活で日本人文化に順応できなくなってしまったのかと、ちょっと考えてしまいました。w

で、話が戻りますが、駅の南にできたバーには若い客が来ます。私と同じような客もないことはないのですが、20代か30代が多いような。

その若いお客さんたちとよく話をするのですが、ここではほとんど違和感がありません。ソフトで気の利いたバーテンダーの醸し出す雰囲気がそうさせているのかも知れません。

とにかく若い人たちと自然に接することができるのです。ひょっとして今の若い人たちは昔の日本人の「察する文化」とは違う、むしろグローバル化した現在、外国人と接するようにしていて何の違和感もないんじゃないかと思えて来ました。

要するに、察するなんて面倒なことはやめて、それぞれが気楽に自己主張すればいいんじゃないの、それが普通になっているような・・・

若い人たちは、恋愛関係ではいろいろ悩んだりして、他人の気持ちを察したり推測したりして苦しんだりしているようですが、普段のコミュニケーションではストレートな感じが自然体に思えました。

こういう若い人たちと話しているように親戚の人たちと話をすると、また自分が浮いちゃうんじゃないかな。;;
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by elderman | 2012-07-22 11:00 | えるだまの観察 | Comments(0)


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