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えるだま・・・世界の国から

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2005年 10月 28日

天使の都(29)

翌日の日曜日にはゴルフ・コンペがあった。プロジェクトチームからは黒木リーダーと久保専門家と私が参加した。全部で15名のコンペであった。場所は溝口専門家が私を2回ほど連れて行ってくれたウォーターミル・ゴルフ場であった。

チームの中で私とは知らず知らずに反目するようになった久保専門家である。彼は決して厭味とかそういうことは言わないが、彼の表情に気になるものがあったのだった。多分私が来てから、彼とミーとの交流が一切なくなったということではないかと私は感じていた。私が来た当初の頃は久保専門家は何回かミーを誘っていたらしいのだった。ミーに言わせると久保専門家はディーに興味があると言っていた。

久保専門家は多分日本で会えば普通の人だと思えたが、このプロジェクトチームの中で平井専門家と接近し、溝口専門家と私とに距離を置くようになったように思われた。そしてミーの一件が加わったのであろう。気の毒にも思えたが、こういうものはどうすることもできない。

この日、私は久保専門家にゴルフで負けたくなかった。日常の反目がその気を起こさせたのかもしれないし、私の帰国後に彼がミーに再度接近するだろうことに嫉妬したのかも知れなかった。私は珍しく気合の入ったゴルフをした。

12月はタイの一番いいシーズンである。タイには1週間だけ冬があるというタイ人もいる。それが12月に起きるのが普通だそうだ。実際は大して寒くないのだが、タイ人によってはこの時とばかりにセーターや皮ジャンを着たりするそうである。

快適な気候のせいかもしれないが、この日、私は87で上がり、ベストグロスを得た。コンペは新ペリア式で行われたので私は優勝はしなかったが、それでもタイでのゴルフでのベストスコアだった。久保専門家も私と同様に内心闘志を燃やしていたと思うが、結果は89というスコアだった。久保専門家は悔しいところもあっただろうが、彼もベストスコアが出たので嬉しそうだった。

この頃、ミーは自宅まで帰らない日が多くなった。多分友人の家に泊まっているのだろう。毎日4時間の通勤ではさすがに疲れるのだろう。ホテルまでの帰路、ミーが一緒にいないのが私には寂しく感じられた。車の中では私への親しみを表さないミーであったが、彼女がそこにいるだけで私は嬉しかったのだ。

それでもミーはディーと一緒に私の送別会をやりたいと言って来たのだった。場所は最初に二人で私を案内してくれたシーフードレストランだった。送別会は感傷的なものはなにもなかった。3か月間の楽しい思い出に花を咲かせたのだった。

私はこれでいよいよバンコクとお別れだと思った。ミーの好意はまったく予期できなかったものであり、たった3か月の滞在だと言うのにまるで1年もいたような感じがした。本当にいろいろあったし中身も濃かった。ミーの献身的な面倒見がなかったらこれほど充実したバンコク滞在ができなかったと思った。

研究機関の私の送別会はささやかなものだった。短期専門家として来たのだから溝口専門家の送別会とは比較にならないのは当然だった。カノック、トー、私の講義の参加者たちが集まってくれた。しかし、ポーンティップ所長とは形式的に挨拶をしただけの別れとなった。

前回のバンコク滞在の回想から我に帰ると、飛行機はドンムアン空港の着陸態勢に入った。5年振りのバンコクである。

(第二部 おわり)

(この小説はすべてフィクションです。もしも類似する人物、機関があったとしても本小説とは何の関わりもありません。)

by elderman | 2005-10-28 00:03


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