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えるだま・・・世界の国から

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2005年 10月 25日

天使の都(25)

私は残り1か月のいう時期になって見込みのある研究員を得られた。これまでの活動で失望感を持っていた私だったが、改めてやる気が起きてきた。カノックはやる気もあり、能力も伴っていた。ただ彼のこれまでの仕事は、この研究機関の業務とはまったく違っていたので、彼はここで最初から学ばなければならなかった。

2か月間この研究機関で働いてみて、私にはタイ人の気質というものが少し理解できてきた。彼らは公式の場では、それが小さな会議であっても、決して上司に異論を挟まないのだ。訊かれなければ自分の意見を言うことはない。

この精神的体質ではこの国の技術進歩の将来は暗いと思った。科学技術に関しては年長も経験も重要でないことが往々にしてあるのだ。若い柔軟な思考が大切なのに、その大事な時期に自由な発想という芽が摘まれてしまうのはなんとも残念なことだと思った。

また驚いたことであるが、ポーンティップ所長の情報コントロールのすごさである。所長の下の次長ポストは空席であり、管理職としての課長待遇の研究員がいる。その課長クラスはほとんど自分で判断をしないのだ。私には数人いる課長クラスの研究員が所長にあやつられているようにみえた。

所長の学位取得に関する経緯を当初に述べたが、所長は今やそのポストのせいだろうが、もはや研究などは一切やらず、この研究機関を維持、拡張するための資金確保に奔走していた。彼女へのスタッフの尊敬が強いのか、課長クラスもあまり研究熱心ではない。所長のような人間の予備軍が控えている感じであった。

私は自分の講義の中で薄々気がついてきたのだが、この研究機関のスタッフの興味は新しい用語にあるようである。用語を覚えると理解したと思っているようで、背後にある理論的なことには一切興味を示さないのだ。「私は知っている。」ということこそが彼らには重要なようである。

そもそもタイの文化というのは形から入るようである。確かに形を整えれば中身も自ずと整うという考え方もあるだろう。この考えはあらゆる分野に見られるのだ。仏教寺院もそうだし、この研究機関の外観も立派なものである。私は長い歴史を持つ文化、習慣と格闘する気はないが、タイ国の将来を考えると大きな障害だと思えて仕方がない。

タイ国の歴史をみても、現状をみてもタイ人は自分で何かをやるということよりも他の力を利用するということに関心が高いようである。その方が賢いやり方であるという価値観すら持っていそうである。そのせいだろう、歴史的にはタイ国は植民地になることを免れたし、現在では工業のほとんどが外国資本である。

バンコクを走る自動車の80%は日本車であり、5%程度が欧州の高級車である。タイにある固有の産業と言ったら農業、民芸品だろうか、そして一番の外貨獲得がタイ女性の提供するサービス産業によるものである。

そんな歴史的背景を持つタイ国、タイ人の文化、習慣と格闘しないと科学技術の移転ができないとしたら、この国は絶望的だと言わざるを得ないと思う。現実的にはタイ人固有の思考と共存させることのできる技術移転の道を探さないといけないのだろうが、私の今回の3か月の滞在ではあまりにも短期間過ぎる。

(つづく)

(この小説はすべてフィクションです。もしも類似する人物、機関があったとしても本小説とは何の関わりもありません。)

by elderman | 2005-10-25 00:03


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