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えるだま・・・世界の国から

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2005年 10月 20日

天使の都(14)

翌日私は覚えたてのタイ語を使ってタクシーをミーの家に向かって走らせた。

「ティノーン・リャオ・サーイ」(あそこを左に曲がって)
「チャイ・クラップ」(はい)
「トロン・パイ」(真っ直ぐ行って)
「カオ・チャイ・クラップ」(分かりました)
「ティニー・リャオ・クアー」(ここを右に曲がって)

間違えずにミーと別れた場所に着くと、そこでミーは待っていた。そこはバスの停留所になっていた。その停留所のところでお菓子を売っているのはミーの姉妹だと言うことであった。またそこでは数人の子どもたちが遊んでいた。私は誰が何だか分からないまま挨拶をして、ミーをタクシーに乗せるとそのまま「エイシェント・シティ」に向かった。その近くにクロコダイル・ファーム(ワニ園)もあるという。

「エイシェント・シティ」に着くのに20分かかった。私はタクシーを待たせて「エイシェント・シテ」の中に入った。「エイシェント・シティ」は大きな公園のようであった。その中に歴史的なタイの建造物が展示されているのだ。私にはアンコール・ワットような古い石の構造物が本物かイミテーションなのか分からなかったが、興味深いものであった。

休日だというのに訪れる人は少なかった。場所が遠いということもあって外国人観光客まではあまり来ないのかも知れないと思った。フォトジェニックなミーは私に何枚も写真を撮ってくれとせがんだ。この日のミーはブーゲンビリアのような紫色のカジュアルなパンツの上下を着ていた。彼女の白い肌に紫色が良く似合っていた。

建築物は石の遺跡のようなものばかりでなく、木造の家もあった。大きな池の上に木造の家と歩道が作られているところもあった。タイのあらゆる建築物を集めたというのがこの公園の趣旨なのだ。私は若さ溢れるミーの写真を何枚も何枚も撮った。

「エイシェント・シティ」を見た後、私はミーの誘いで彼女の家に行くことになった。タイ人の庶民の暮らしを見るのは初めての経験であった。彼女の家までは車では入れなかった。バスの停留所のところから少し入ったところでタクシーを待たせることにした。タクシーなんて一日中使っても知れているのだ。

ミーの家は水溜りのような池の上に建っていた。私にはボウフラが湧くのではないかと心配されたが、暑いタイの国のこと彼らは水の上に住むことで涼を得ているのだ。家は高床式のもので身長くらいの高さがあった。

私は中にいたミーの父親と母親に挨拶をした。もちろん私の言える挨拶は「サワディークラップ」しかない。ミーの父親は唇を赤くしてなにやら果物のようなものを食べていた。みんな板の間に座っていた。

ミーの兄弟、姉妹もやってきて挨拶をしたが話はさっぱり分からなかった。ミーは妹と紹介した子がいたが、ミーには少しも似ていなくて、どうやら親戚の子を育てているようだった。ミーのお姉さんの家が隣にあったので、覗いてみるとそこの旦那に上がれと勧められた。そこではタイのメコン・ウイスキーに精力ドリンクを混ぜたものが提供された。不味いとは思わなかった。

みんなの嬉しそうな表情をみていると私まで嬉しくなってくるのであった。タイ人の庶民の暮らしを体験できたことで私は満足した。実際のところ観光地に行くよりもずっと面白いと思ったくらいである。

(つづく)

(この小説はすべてフィクションです。もしも類似する人物、機関があったとしても本小説とは何の関わりもありません。)

by elderman | 2005-10-20 01:11


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