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2005年 10月 01日

日本人の特殊性(29):女性の教育

今回は少し難しい話題です。女性の教育はどうあるべきか、こんな難しいテーマはとても荷が重いですね。アフガニスタンのタリバーンの女性教育に関する報道はショッキングでした。女性は家を守り、子供を育てるのがもって生まれた宿命とばかり、まともな教育は受けさせず、完全に男性の持ち物のように扱われていました。このような性差別問題を誤解のないようにとジェンダーという言葉が使われ始めました。セックスという単語ではちょっと別な方面を意識してしまいそうなので、丁度いい言葉なのでしょう。女性の社会的役割と訳すべきでしょうか。

日本の昔は母系制度だったと習った記憶があります。誰が父親か分からないというのも面白いですが、一番確かな家系の制度と言えるのかも知れません。その頃中国では女性は完全に歴史の闇の中です。名前すら残されていないのです。歴史は社会そのものですから、この意味では女性は完全に社会的地位がなかったものと考えられます。もっとも陰で糸を引いていたとも考えられますが、春秋戦国時代の中国では戦乱に次ぐ戦乱ですから女性の出る幕はなかったかも知れません。

古く女性として名前が残っているのはクレオパトラでしょうか。エジプトの女王ですから、社会的地位はまさに最高峰です。それ以外で有名なのはソクラテスの奥様でしょうか、悪妻で有名ですね。世の中が戦乱に明け暮れている時代には女性の歴史に登場する機会はまずないでしょう。アラビアのロレンスでも女性の登場人物はありませんでした。歴史を見る限り、女性の社会的地位は最近になってようやく認められた感があります。逆に言えば、女性の社会的地位が語れるようになった現代は昔に比べて戦争が少なくなったということができるでしょう。我々は平和ぼけとも言われますが、それでも平和な時代を喜ぶべきなのでしょう。

現代の社会において女性の社会的役割、地位、教育が遅れていると思われるのがイスラム社会です。アフガニスタンのイスラム原理主義団体タリバーンのやり方は極端ではありましたが、忠実にイスラムの考え方を実現するとそういう姿になるかも知れないと思わせるものです。いい加減なイスラム教で有名なシーア派のイラン人でも究極の姿としてはそうであろうと考えているようです。ただそれを実際に受け入れるかどうかは別問題です。イランでは現代人に当てはめるのは現実的ではないと考えているようです。

メジャーであるイスラム教スンニ派の国々の中で私はマレイシアしか知りませんが、マレイシアは複合民族国家なのでちょっと純粋なイスラム教の教えがモディファイされている可能性があるように思います。イスラム教シーア派のイラン人は、男女の性差が明確になる頃から分離教育で育ちます。そして大学では共学になるという不思議な制度を持っています。男女共学がいいか悪いかという問題は難しいですが、私は共学が望ましいと思っています。異性を理解するのも教育の一環ではないかと考えるからです。

女性の社会的地位が男性と完全に同等であることが正しいことかどうかは熟慮しなければいけないことだと思いますが、歴史的にみれば同等であることが望ましいように思われます。物理的な差異は大したことはないでしょう。今はもう肉体労働の時代ではありませんからね。女性の特権である出産に関係した保障さえあれば、他はもうほとんど男女の差はないものでしょう。

私が世界の国々で見てきたことから言えば、男女平等という権利を主張するやり方よりも、それぞれの個性に応じた生き方が選べるというのが最適なのではないかと思うようになりました。数学や物理が好きでない女性に無理やりそれらの勉強を押し付けるのもどうかと思うし、家に入って子育て、家事に専念したいと言う希望の女性にはその道を開いて上げればいいと思うのです。専業主婦は職業としては認知されていないかも知れませんが、立派な職業といえる性格のものと思います。逆に家事が苦手な人は外で働くのが社会のためというものでしょう。

みんなが同じになるのではなくて、それぞれの個性に合わせて自分の人生を選べるような社会であるべきものと思います。男性だって生き方を選べばいいでしょう。ただ安易に過ごせばいいということでないので、この辺りが教育者の出番でしょうか。より満足でき幸せな生き方を追求するような人間に教育してもらいたいものです。それにはまず教師自身が尊敬され堂々と生きてもらわないといけませんね。

欧米の考え方、歴史などを植えつけられてしまったのが日本人の特殊性だと思っています。戦前戦後では文化的な断絶が生じたと思っています。ということで、私の目は先進国のフェミニズムに向いているものではなく、むしろかつて日本にあったかもしれないアジア的な考え方や、異質な文化に見えるイスラム教の世界での女性の人権をみています。

10数億人と言われるイスラム教徒ですが、基本的な考えに間違えがあったら、これほどの信者を獲得できるものだろうかという素朴な疑問があります。そしてそこにおける女性の人権、社会的役割について観察をしたということです。欧米などの先進国の人権の考え方、フェミニズムの台頭、それがどこまで正しいのかは私には分かりませんが、一方の世界では未だに非常に極端な考えが支配しているところもあるということです。それを文化の未発達と決断していいかどうか私には分からないし、欧米流の物差しを当てはめることがいいのかどうかも難しそうです。

イランでは女性の社会的活動が完全に制限されているかというとそうでもなく、現在の副大統領であり環境局長官は女性です。能力のある人間なら男女の区別なく社会的地位を得られるという面もあるようです。環境分野は利権に疎いので女性が抜擢されるのかも知れません。むしろ利権がらみのポストを開放したらいいと思いますけどね。

今や世界はインターネットで交信できるようになりました。欧米流の考え方、民主主義はイラン政府は敵視していますが、庶民の間には解放的な文化としてどんどん情報が流れ込んでいます。この点はイラクとイランでは大いに事情が違っていると言えます。ハリウッド映画のの話題作も米国での封切り後直ぐに海賊版が出回っているし、コンピュータのソフトウエアも米国の著作権はまったく考慮されないので二束三文の値段で出回っています。

これだけ情報が得られる状況にありながら、イラン人がイスラム教の教えに基づいて、あるいは強制されてとも言えるのですが、さまざまな生活上の不自由を甘受しているということが不思議に思えます。人権か宗教かということなのでしょうか、それでもイスラム教を捨てるという人はいないようです。もっとも国教なので捨てる訳にもいかず、そのようなことを表明したらどんな罰が待っているか分かりませんけどね。
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by elderman | 2005-10-01 12:46 | えるだま雑記【案内画面】


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