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2005年 09月 25日

日本人の特殊性(23):自己主張

日本人というのはなかなか自己主張しない国民性を持っていると思いますね。特にみんなが初対面だと誤解を招くのを怖がるのか、まずは様子見というのが習性なのか、各自の意見は誰かに促されないと表明しないようです。最初のこの気まずい時間ってのは私にはたまらなく苦痛に感じられます。時間の浪費とも思いながら、それでも参加者の顔色を覗っている自分も日本人そのものですけどね。

日本人社会の中で、日本人が自分の意見を言わないか、自己主張をしないか、というとそうではないのです。ただなんと言うか、日本人社会の中では、意見を言える人間と、言っても聞いてもらえない人間ができて来ちゃうということがあるようです。日本の会議では、まず一番偉い人は聞き手に回りますね。そして意見や提案を述べる部下がいる。一番偉い人の決定は最終決定ですから、結論が出れば会議はお仕舞いということになります。

面白いのは、担当が決まっていないときなどのオープンな会議の場合、日本人同士の場合、発言の内容よりも誰が発言したかというところに力点が置かれているように思われます。これは多分言葉による表現力に限界があるということを承知しているところから来るのではないかと思います。不言実行という諺もあるように、日本人社会では理路整然とした立派なことを言ってもあまり評価にはつながらないようです。では何が重要かと言うと、それは発言者の人となりということになるでしょうか。

不思議なもので、何回か同じメンバーで会議をやっていると、メンバーの発言に軽重が生じてくるようです。「彼はいったい何者なんだ?」、「あんなこと言っているけど?」、「へぇ、切れ者なのか。」、「いつもああいうことを言っているのか。」、「でかい態度だけど何者なんだ?」・・・などなど、ひそひそですね。

ですから、会議の出席者で自分の支持者がいたりすると雰囲気は大きく変わります。支持者と言っても特別何をする訳でもないのですが、自分の話を好意的に聞いているという雰囲気は不思議と伝わるもので、それが会議の雰囲気まで支配するようになります。話し方が上手いかどうかというのはあまり関係がないようです。日本の場合、むしろ雄弁な方が信用という点では不利なようです。

自分の担当範囲のことだけしか言わない人もいれば、他人の分野にまで興味を持って聞いている人もいます。会議をまとめる事務局は、賢くないといけないですね。エキセントリックな意見に振り回されてもいけないし、重要で有用な意見を軽視してはいけません。これはどんな会議でも重要なことで、事務局というのは権限の強いものです。普段は会議場の雑用ばかりしているように見えますが、しかしてその実態は権限に裏づけされたものだったりします。

事務局というのは自己主張を直接する立場にはあまりないものですが、実は会議全体をコントロールしているという性格を持っています。信頼されていない事務局では議事進行がスムースにいかないことは自明なことでしょう。ではその信頼はどこから来るかというと、会議の席上ではないのですね。裏技とは言いませんが、会議じゃないときの交渉、付き合い、人間関係から来ることが多いと思います。そして、その延長として5時から男が現れてくる。

「5時から男」ってのは海外ではまず見ないですね。5時からの世界で、本音を吐き出して、調整をする。会議ではその本音は暗黙の了解事項ということであっさり片付けられる。いかにも日本的でしょう。会議の席で参加者はその臭いを嗅ぎ取る神経も必要になるでしょう。知っていてちくちくやる人もいますけどね。議事録をとっても行間まではなかなか読めないものです。

このように日本人の自己主張や意見を述べる行為というのは、日本人特有とも言えるような非常に複雑怪奇な過程を含んでいます。このような日本人が国際会議に出席してどこまで渡り合えるか大いに疑問に思われます。日本の意見を表明するだけならいいのですが、審議したり、あるいは事務局をやったりしたら、日本特有のものは一切通じなくなってしまいます。

中国人や韓国人には通じる部分がありますが、東アジアを離れたら日本人流ってのはまったく通用しないでしょうね。それほど世界の各国の代表者というのは自己主張、意見の開陳には慣れています。イラン人代表に至っては何回目の会議であっても白紙から意見を述べたりするメンバーがいたりして困りますけどね。
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by elderman | 2005-09-25 11:51 | えるだま雑記【案内画面】


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