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2005年 09月 23日

日本人の特殊性(22):信用

日本人は信用をとても大事にする国民だと思います。根っから正直というよりも信用を失いたくないという動機から正直であるのだと思っています。それを知っているのかイラン人は代金は後でいいからと高価な絨毯を日本人観光客に売り付けます。気に入らなければ返品してくれればいいとまで言われて、日本に高価な絨毯を持って帰ったという例を多く聞きます。それでも代金の回収をし損なったという話を聞いたことがありません。返品をしたという話を聞いたことがありますが、それにしても買おうとした日本人が送料を負担して返品しているのですから正直なものです。イラン人でも日本人以外にはこの商法を適用することはないと思います。このように、日本人の国際的な信用というのは大変強いものだと言えると思います。

「武士に二言はない。」というのも信用に関わるものだし、「ユダヤ人の言葉は契約書よりも重たい」などとユダヤ人の大家さんに言われたことがあります。英語でも「keep word」という表現があります。世界的に信用というものは大事なのですが、日本人がいかに信用を重んじているということを理解するために反対の例を紹介しましょう。

中近東のこの地域の人々はまったく他人を信用しない姿勢を持っています。それがどこから発生したものかは諸説ありますが、実際問題としてそうなのです。だから結果として物事がなかなかスムースに進行しない。物事を他人に頼むときに、イランでは何人にも頼んでいいとされています。日本では誰かに物事を頼んだら、その結果を得ない限りは、他の人に頼むということはできないし、やってはいけないこととして考えられています。では同時に何人にも同じことを依頼できるということはどういう意味なのでしょうか。

これは頼まれた人間にそれを実行するかしないかという決断権が保留されているからだと思います。日本人の場合、頼まれた人が、引き受けてそれがなかなか実行できないと、実行がまるで義務のようになって来ます。約束の不履行という性格を帯びてくるのですね。もともと自由意志で引き受けたのですからそこまで義務になるのはおかしいと思うのですが、日本では現実問題としては完全に義務のような性格に変わってしまいますね。

イラン人の場合は、頼まれた方も頼んだ方もその最初の関係がいつまでも保たれ、頼まれ事を引き受けた方は引き続きそれを実行するかしないかの最終判断の権利を保有しているようです。つまり、気が向かなければやらないという訳です。ですから頼む人は何人に同じことを頼んでも問題は起きないという理屈になります。悪く言えば誰も当てにならないとも言えます。

イラン人に「例の頼んだ物はいったいいつ手に入るのか?」などと聞いてもどうせ返って来る言葉は決まっています。「インシャアッラー」(神の御心次第)ですね。頼まれたイラン人は、ちゃんと依頼どおりに行動してくれたとしても、最終的なところまでは責任は感じないものです。手配したけどそのものが実際に届くというのはさらに誰かが介在する訳で、もうそこまでは自分の責任ではないとはっきりと割り切っているようです。日本人の場合は、ちゃんと物が届くまで依頼を引き受けた人間はヒヤヒヤしたりするものですけどね。

頼まれたことを引き受けても、必ずしもそのようにするとは限らない。日本では信用問題になってしまいそうなことですが、カルチャーが違います。そもそも好意で引き受けたのだから義務が生じる訳がないという考え方も一理あるような気がします。しかし、これだと会議などをやっていろいろ決めても、会議が終わってそれぞれの職場に戻ったら気が変わって、「やっぱり止ーめた。」ということになりそうです。

イランでは警察など役人の持つ権限はかなり個人個人にあり、同じケースの扱いが担当者によって違ってもまったく意に介していません。これも信用の失墜に繋がる行為なのですが、当地ではまったく問題にされていません。そういうものだと完全に習慣として染み付いているようです。

こういうイラン人を相手に取引をしている日本の商社の方々は大変だろうと思います。歴史的にペルシャ商人というのは有名ですが、現在の組織として動く国際取引には向いているようには思えません。政治もそうですがこういう面もイラン国の衰退の一因ではないかと思います。仲間を信用しないで組織的に仕事をこなせないようでは大きな発展は望めないと思います。
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by elderman | 2005-09-23 11:42 | えるだま雑記【案内画面】


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